2015-11

「Slave to Love」 (Bryan Ferry 1985年5月10日=12 inch Version)


30日間0が確定したらこのブログを閉鎖します。



Boys & Girls/Bryan Ferry
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☆ ロキシー・ミュージックの「アヴァロン・ツアー」を2列目の真ん中という生涯最高(たぶん)の位置取りで見た後,ロキシーの事実上の再終了とフェリーさんのソロまでの間に,田舎者はそそくさと上京し,南関東の小田急沿線の寮の中に住処を定めた。そうなるとお決まりのコースで下北沢で井の頭線に乗り換えて目指すは渋谷,宇田川町にあったタワレコという訳で,これも英国盤を買ってついでに12インチまで買ったのだっけ。

☆ 「スレイブ・トゥ・ラブ」には邦題はなかった気がする(なくてよかった)。80年代に入って邦題はどんどん消えていった。もっとも原題と違う横書きの「邦題」は結構たくさんあったが(デュラン・デュランの「プリーズ・テル・ミー・ナウ」とか)。この曲に関しては個人的にはここまで(翌年の「映画(9 1/2Weeks)」の話は相当後で知った。そういう繋がりで「The Breakfast Club」のサントラの話がフェリーさんの処に来ていたのだと今だったらわかる。良く知られているように,フェリーが(自分の作品を優先させるため)断った曲「Don't You (Forget about me)」(1985年2月20日)はシンプル・マインズのジム・カーの処に話が回り,グループ唯一の全米No.1になっている)。

Slave to Love (Bryan Ferry)



☆ 『Boys And Girls』は後期三部作(『Manifesto』,『Fresh + Blood』,『Avalon』)の流れを色濃く受け継いでいる。ちょうどドナルド・フェイゲンが『The Nightfly』(1982)を出した時と同じような間の抜けたレビューも多かった。いわく「ひとりRoxy Music」。

☆ しかしD.F.が自らの原点,パーソナル・ライフを描いていたように,フェリーは歌=自分の作品としてはなく,自分が歌う対象としての「うた」に真向かったのが,この作品だったと思う。ロキシー・ミュージックはそれなりに有効な融合体であり,そこでのフェリーは一種のカタリスト(触媒)であった。再びソロ作品を世に問う時,そうした「衣」を脱ぎ去る必要が彼にはあったと思う。その結果が「変わり映えしない "ひとりRoxy Music" と捉えられたところでフェリーさんは痛くも痒くもなかっただろう。彼は「歌う理由」を再びここに見出した。ただそれだけのことなのである。

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「音楽っていいですね。そこには常に理屈や論理を超えた物語があり、その物語と結びついた優しい個人的背景がある。この世界に音楽というものがなかったら、僕らの人生は(つまり、いつ白骨になってもおかしくない僕らの人生)もっともっと耐え難いものになっていたはずだ。」(引用元:村上春樹「ポケット・トランジスタ」(『村上ラジオ』2001年6月8日所収))

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