─┘─┘─┘─┘─┘─┘─┘─┘─┘─┘─┘─┘─┘─┘─┘─┘

 旧宮守村・上宮守地区にある、とある曹洞宗の寺院に伝わるお話。

 文政(1818~1829)の頃、この近辺には怖ろしい妖怪の白狐が出没し悪事をなしていたと云う。そこで当時の住職が、その白狐を退治する為に寺宝である槍を使って、その白狐を退治したそうだ。
 そしてこの槍は、別名「獣の槍」と呼ばれていたらしい。

 ─┘─┘─┘─┘─┘─┘─┘─┘─┘─┘─┘─┘─┘─┘─┘─┘


―― 宮守地区の寺院についてネットで調査していた私は、偶然上記のお話を見つけた

 「獣の槍」・・・といえば、現在アニメも放映されている漫画『うしおととら』がまず思い浮かぶ。
 奇しくも作中最大の敵として登場するのは「白面の者」。そのモチーフは 白面金毛九尾の狐 であるという説が有力視されている。白い狐の姿をした妖怪と、それを退治するために使われた槍・・・。作中でも遠野の地は重要な舞台として扱われているし、もしやこの伝承を基に『うしおととら』という物語は創作されたのかも知れない。
 しかし残念なことに、その槍は行方不明になっているとの事。更にこの伝承自体もソースに乏しく、真偽が定かではない眉唾もののお話だ。よくあるむかしばなしの類だろうな、とそのとき私は思った。



―― そして2015年の9月某日。私は宮守探訪の折にその寺を訪ねた



 小雨降りしきる中、私を出迎えてくださったのは一人の女性だった。
 アポイント無しの突然の訪問にも関わらず丁重にご案内頂き、私は靴を脱いで寺内へと立ち入った。寺内は不気味なくらいにしんと静かで、衣擦れの音でさえ耳障りに聞こえる程だった。その女性に案内されて板張りの廊下をなるべく音を立てないようにゆっくり、ゆっくりと歩を進めると、そこには煌びやかな装飾が施された須弥壇(しゅみだん)があった。天井から吊り下げられた天蓋には金箔が押されており、慎ましく柔らかな光沢を放っていた。また、欄間には天女をあしらった精巧な彫刻が彫られていた。絵具の色褪せ具合から判断するに、かなり古いものなのであろう。しかし丁寧な手入れの賜物であろうか、塗装は剥げることなく綺麗に残っており経た年月のぶんだけその鮮やかさを失って落ち着いた色味となっていた。
 そして、手前にある外陣(げじん)の欄間には二枚ずつ、計四枚の絵図が掛けられていた。

そのうち二枚は、色とりどりの華が咲き乱れる天界の様子が描かれた極楽絵図
極楽絵図

そして、残りの二枚はもがき苦しむ罪人たちの様子が描かれた地獄絵図、だ。
地獄絵図


―― まるで私の死後の行き先を問うかのように

 その四枚の絵図は外窓に面した欄間に並べて掛けられていた。

 東北地方のなかでも、遠野周辺は「隠し念仏」に代表されるような冥界思想が根強く残っている場所である。近年まで冷害や飢饉に度々見舞われていた厳しい環境のなかで、人々は死者の冥福を願って絵画を描き、人形を奉納し、神仏像を彫った。そしてそれは今もなお、人々の生活に根付くかたちで大切に語り継がれ、受け継がれているのだ。文字通りちょっと手を伸ばせば触れられるところで、だ。
 一通り見学を終えた私は、案内して下さった女性に礼を述べた。そしてふと思い立ち、私はあの質問を投げかけてみた。

 「このお寺にはむかし獣退治に使われたという槍があった、と聞いたのですが・・・」

 物は試し、疑念を晴らすためのとりあえずの質問だ。「今は無い」という回答が得られればそれで十分だった。
 しかし、帰ってきた答えは思いも拠らぬものだった。

 「えぇっと・・・、あれはどこにあったっけな?」

 昔話で聞いたとか目録などの文書で読んだとかではなく、「つい先日、この目で見た」というニュアンスだった。余りにもあっさりとした口調だったもので、私はつい呆気にとられてしまった。

 そこから本堂内の捜索が始まった。客間の板の間を確認し、居間の押入れを開き、寝室へ向かい・・・。女性はしばらくの間探し回ったあと、電話で聞いてみますと言った。恐らくは住職に宛ててだろうか。一人ぽつりと本堂に残された私は、ただただ呆然と立ち尽くしていた。まるで一本の箒を探すが如く物事が進んでいることに、私は少し可笑しくなった。それこそ物干し竿に使ってましたと言われても、それは仕方ないなぁ、と納得しただろう。
 暫くの後、女性は私の居る本堂に戻ってきた。結局のところ槍は見つからなかったとの事だった。しかし私にとって結果なぞどちらでも良かったのだ。

―― 槍は確かに、この寺にあったのだ

 私はそう確信していた。
 槍はつい最近までこの寺に存在し、そして「何らかの要因で」現在は行方不明になっているのだ。大掃除の際に物置の奥に追いやってしまったのかも知れないし、どこぞの誰かに貸し出してしまったのかも知れない。通常であれば一笑に付すような仮説なのだが、それを信じてしまうような奇妙で圧倒的なリアリティがここにはあった。

 あとでまた探しておきますね、と去り際に彼女は言った。
それは案外あっさりと見つかるかも知れないし、実はもう存在していないのかも知れない。どちらにせよ、また機会があればこの寺を訪れて事の顛末を聞いてみよう、と私は思った。
 礼を述べて玄関扉を閉め、彼女の影が磨り硝子の向こうから消えるのを確認すると、辺りは草木を打つ雨粒の音に包まれた。彼女が本堂の奥へと去ったあと、そこには微塵たりとも人の気配は残っていなかった。
 私は頬に当たる雨粒の冷たさを感じつつ、つい先刻の出来事を反芻した。考えれば考えるほど、すべてが幻だったのではないかと疑いたくなるほど非現実的なひとときだった。しみじみと宮守、そして遠野という土地の奥深さを噛み締めつつ、雨に濡れた参道を引き返した。
 乳白色の空はなおも地面を濡らし続け、細かい雨粒は薄いカーテンの如く辺りの風景を覆っていた。晴天であればくっきりと見える遠野の山々も、今日は微かにその稜線を覗かせているだけだった。ぼんやりとした意識を抱えつつ、私は暫くの間ただその風景を眺め続けていた。



―― ひょっとしたら

―― その昔、宮守女子の麻雀部にはチームを全国に導いた槍使いの少女が居たのかも知れない