kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブコメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブコメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブコメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年11月08日

今日のブラウザ・メモ。または「これまでならTwitterに投げていたようなちょっとした覚え書きをブログに投稿することにした件について」

というわけでブラウザをOperaにしているのだが、Seesaaの何かとの相性がよくないのか、読み込みがめちゃくちゃ遅い。ブログの管理画面も、自分のブログも(なので自分のブログに設置しているスクリプトなどが原因ということはない)、読み込みに1分くらいかかる。ほかのブラウザではそんなことはないので、これはOpera固有の問題だろう。どうしたものか……

……というような「140字で済むようなちょっとしたメモ」(それが案外日常には多い)を書きたいときに、Twitterに投げるのではなく、ブログに書くようにするというのがこれからの方向です。

しかしそういう方向に行こうとしているときに、Firefoxはクラッシュ連発でまともに使える状態ではなくなり(30分ごとに再起動するなどすれば避けられるのかもしれないが)、上に述べたようにOperaではSeesaaの読み込みがめちゃくちゃ遅い。

と、冒頭からここまで打鍵したころにようやく管理画面の投稿フォームが表示されているという状態。

ほかのサイトでは、若干もっさりするケースもあるけれど(BBC Newsの読み込みがもたつくことがある)、読み込みに1分も2分もかかるとかいうことはない。

「ツイートするのではなくブログに書く」ためにさくっと管理画面を開いて投稿したいわけです、こちらは。しかし、ここまで管理画面の読み込みが遅いと、テキストエディタを立ち上げて云々と、普通に長文のブログを投稿するときと同じくらいのハードルになる。それじゃ困る……。

Operaの「中の人」だった人が新たに開発したVivaldiはChromeベースで、私の環境ではすべてがもっさもっさしているし、正しい動作をしてくれないサイトがある(はてなの画像アップロード)

キャッシュの設定とかかな……。






※この記事は

2015年11月08日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 18:54 | TrackBack(0) | 雑多に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【おことわり】「阿修羅」掲示板にこのブログ、および当方の管理下のブログの記事が全文転載されているのは、無断転載(コピペ)です。当方の関知するところではありません。詳しくはこちら(2015年7月以降、当方のブログの「阿修羅」への無断転載は、固くお断りします)。



なお、ここに貼ってあったZenbackは2015年2月19日にコードを外しました。今後は検討中です。


【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼