本物の鉄道車両を運転し、線路を走ることができる体験運転。全国各地で大人気となっていますが、実は14年前までは、一般の人が鉄道を運転することは業界の常識では考えられませんでした。道をひらいたのが、島根県のローカル鉄道・一畑(いちばた)電車の元運転士、石飛貴之さん。上司からも役所からも「できるわけないだろう」と言われていました。
リアル「電車でGO!」を思いつく
島根県松江市と出雲市を結ぶ一畑電車は、地元で「バタデン」と呼ばれます。出雲大社への参拝客などでにぎわい、年間の利用者が410万人を越えたときもありましたが、2001年には150万人に落ち込み、赤字に陥っていました。
運転士だった石飛さんは、上司の鉄道部長に「利用者を増やすために面白いことができないか」と相談され、思いつきました。「電車を一般の方に運転させたらどうでしょう。絶対に喜んでもらえると思います」。
当時ちょうど「電車でGO!」という電車運転のシミュレーションゲームが大人気。リアル「電車でGO!」が実現すれば、話題性は抜群で、人気も出ると確信していたのです。しかし、返ってきたのは「できるわけないだろう」。
鉄道を運転する免許は、基本的に鉄道事業者の社員でなければ取ることができない仕組み。それだけに、鉄道業界では、社員ではない一般の人が実際に鉄道を動かすことは常識外れでした。
ただ、法律や規則を徹底的に読み込み、リサーチしていた石飛さんは、禁止されていないことを知っていました。検査や修理で運転士以外の社員が列車を動かすことがあるため、免許がなくても駅構内であれば運転は可能なのです。
「法律にはダメだと書いてありません」。石飛さんの熱意が伝わると、鉄道部長も「だったらやろうじゃないか」と一気に前のめりに。急いで企画書を書き上げ、部長とともに管轄の国土交通省中国運輸局に乗り込みます。
前例がほとんどないだけに、当然のように門前払いでした。「常識で考えておかしいでしょう」。石飛さんは言い返します。「でも法律には書いてないですよね」。
厚さ5センチの資料を積み上げる
解釈次第で何とかなると踏んでいました。何度も通い、どうやって人を配置し、ロープを張り、安全を確保するのか、受付からの動きをすべて書き込んだ書類は、厚さ5センチにもなりました。
「うんとは言えない」と繰り返す担当者。それでも「法律には書いてない」「ダメだという理由が納得できない」と諦めずにしつこく食い下がり、部長とともに通い詰めて最後は押し切ることに成功したのです。
創業88年の記念イベントとして実施すると、北海道から九州まで129人の応募が集まり、大反響。テレビや新聞の取材も殺到しました。ただ、実現までの道のりを振り返ると、もう二度とできないとも思っていました。
それから9年。2010年、地元出身の映画監督・錦織良成氏による、一畑電車を舞台にした映画「RAILWAYS~49歳で電車の運転士になった男の物語~」が公開されました。公開2ヶ月で観客動員60万人を越えるヒット作となり、ロケ地を訪ねるため一畑電車に乗る人たちも急増しました。
石飛さんは「一時で終わらせず、何年たってもわざわざ来てくれる仕掛けができないか」と悩みました。思い出したのが、かつて開催した体験運転。
映画の中で重要な役割を果たした日本最古級の電車・デハニ50形の体験運転なら、話題性もあり、鉄道ファンが全国から集まるのではないかと考えたのです。
570回を越えた人も
久しぶりに運輸局に体験運転を申請してみると、意外なことに、すんなり許可が下りました。石飛さんが道をひらいたことで、その後、各地の鉄道会社で行われるようになっていたのです。
一畑電車はデハニ50形の体験運転を事業の一つに位置づけ、本線とつながっていたレールを切り離して車庫と150メートルの専用線をつくりました。専用線を持っているのは、鉄道会社としては全国唯一。レールがつながっていなかったら、許可も必要ありません。
現在、毎週金・土・日に体験運転を受け入れています。リピーター向けのマスターコースになると、1日4回の体験運転ができます。参加回数に応じて6クラスあり、クラスが上がれば体験メニューが増え、腕章や制服がもらえる特典が付きます。最高クラスの100回以上も16人います。
この4年間で、体験運転に参加した人は1300人、延べ6400件になりました。2014年度は1100万円の売上げとなり、一畑電車の収入の柱の一つです。乗客数と売上げの減少に歯止めがかかりました。
大阪から毎週のように通って計570回を越えた会社員、増田義裕さん(大阪市)は「すべて手動というのが楽しい。例えばブレーキのきき方も時間帯や季節で違って毎回新鮮です」と笑顔を見せます。
「僕の人生も変えました」
「体験運転がここまでになるとは思っていませんでしたが、本当にうれしいです」と石飛さん。もう一つ、変えた常識があります。当時の社内では「運転士は定年まで運転士」というのが当たり前でした。
運転士は楽しかったのですが、他の職種にも興味がありました。体験運転を成功させたことで営業職も経験することができ、今は技術部長を務めています。「もくろみどおりです。体験運転は、僕の人生も変えました」。