●Mark Thoma, “Provide Cash, or Benefits in Kind?”(Economist’s View, January 23, 2011)
ウーヴェ・ラインハート(Uwe E. Reinhardt)がEconomixブログに記事を寄稿している。
“Provide Cash, or Benefits in Kind?” by Uwe E. Reinhardt:
・・・同情を寄せる相手に手を差し伸べようとする場合、その相手が必要としているはずの(財やサービスといった)モノを手渡す(いわゆる「現物給付」を行う)のとそのモノと同額の現金を手渡すのと果たしてどちらが優れた選択だと言えるだろうか・・・? 経済学者の考えでは・・・現金を手渡すべきだ(モノよりも現金を手渡す方が優れている)との結論が導かれることになる。
経済学者がそのような結論を導くに至る理屈は実にシンプルなものだ。例えば、貧困世帯向けに1万ドル相当の何らかのモノを支給する現物給付プログラムが導入されたとしよう。・・・1万ドル相当のモノを支給する代わりに1万ドルの現金を支給したとしたらどうだろうか。1万ドルを手にした貧困世帯は・・・その現金で先ほどの現物給付プログラムで支給されるのと同じモノを自ら購入することもできる一方で、・・・支給された1万ドルを自分たちの好きなように使おうと考えて先ほどの現物給付プログラムで支給されるのとはまったく異なるモノを購入する結果になるかもしれない。仮に貧困世帯が現物給付プログラムで支給されるのとはまったく異なるモノを購入するために1万ドルを費やしたとすれば、その貧困世帯は現物給付プログラムで1万ドル相当のモノを支給される場合よりも高い満足を得ることになるだろう。
(何らかの施しを受ける人々1にできるだけ幸せになってもらいたいと考えるのであれば)「現物(モノ)ではなく現金を支給すべきだ」・・・と経済学者が結論するのはこういうわけなのだ。
・・・(中略)・・・
しかしながら、政治体制の如何を問わず(民主主義であろうとそれ以外の政治体制であろうと)、どの国の政治家も公共政策を通じて国民の間で再分配を行うにあたって現金給付ではなく現物給付という形態を長年にわたって好んで採用してきているのが実状である。世の政治家たちは一体どういう了見で現物給付を好いているのだろうか?
・・・(中略)・・・
世の政治家たちは税金の使途に関する典型的な納税者の好み2を経済学者が想像する以上にずっと正確に把握しているという可能性3は果たしてあり得るだろうか?
・・・(貧困者自身が何を欲しているかはさておいて)納税者たちは自分なりに重要で有益だと見なすモノ(財やサービス)が貧困者の手に渡る様を目にしたいと考えており、仮に現金を支給して貧困者の自主判断に任せたとしたらその重要で有益なはずのモノが購入されずに終わるのではないかと疑念を持っているのかもしれない。このような態度はパターナリスティックな態度であることは間違いないが、中位投票者4が実際にそういう態度の持ち主だとしたらどうだろうか?
例えば、メディケイドやメディケアの受給者たちにそれぞれ総額で毎年4000億ドルの現金を支払う法案が議会を通過したとしたらどうなるだろうか? 有権者たちの間から非難の大合唱が起こることもなく平穏なままに時が過ぎることなど果たしてあり得るだろうか?
現金と現物を折衷した存在とも言えるのがバウチャーであり――フードスタンプはその一例である――、貧困者にバウチャーを支給するという方法もある。バウチャーは現金とは違って何でも好きなモノを買えるわけではなく購入できるモノの範囲が限定されている。現金に比べると裁量の余地5は狭いものの、現物を支給される場合に比べると裁量の余地は幾分か広いわけである。・・・
コメントを残す