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ミャンマー総選挙 きょう投票11月8日 4時47分
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ミャンマーで、4年前の民政移管のあと初めてとなる総選挙の投票が8日、行われます。民主化運動を率いてきたアウン・サン・スー・チー氏の野党が、軍事政権の流れをくむ与党に勝利し、政権交代に必要な過半数の議席を獲得するかが焦点です。
ミャンマーの総選挙の投票は、現地時間の8日午前6時(日本時間の午前8時半)から各地で始まります。
選挙戦は、軍事政権の流れをくむ与党のUSDP=連邦団結発展党に対し、民主化運動を率いてきたアウン・サン・スー・チー氏の野党NLD=国民民主連盟が、挑む形となっています。
ミャンマーでは半世紀以上にわたって軍の影響力が強い政権が続き、4年前の民政移管の際に成立した現政権も大統領や閣僚の多くが軍の出身者で占められています。
現地のメディアなどによりますと「変化」をスローガンに掲げる野党NLDが、長年続いた軍事政権に対する国民の反発を背景に、優位に選挙戦を進めてきたとみられ、野党が政権交代に必要な過半数の議席を獲得するかが焦点です。
しかし、ミャンマーの議会は議席の4分の1があらかじめ軍に割り当てられているため、NLDが過半数に達するには選挙で争われる議席のうち3分の2を超える議席の獲得が必要です。
投票は現地時間の午後4時(日本時間の午後6時半)に締め切られ、各地の投票所で即日開票される予定です。
選挙戦は、軍事政権の流れをくむ与党のUSDP=連邦団結発展党に対し、民主化運動を率いてきたアウン・サン・スー・チー氏の野党NLD=国民民主連盟が、挑む形となっています。
ミャンマーでは半世紀以上にわたって軍の影響力が強い政権が続き、4年前の民政移管の際に成立した現政権も大統領や閣僚の多くが軍の出身者で占められています。
現地のメディアなどによりますと「変化」をスローガンに掲げる野党NLDが、長年続いた軍事政権に対する国民の反発を背景に、優位に選挙戦を進めてきたとみられ、野党が政権交代に必要な過半数の議席を獲得するかが焦点です。
しかし、ミャンマーの議会は議席の4分の1があらかじめ軍に割り当てられているため、NLDが過半数に達するには選挙で争われる議席のうち3分の2を超える議席の獲得が必要です。
投票は現地時間の午後4時(日本時間の午後6時半)に締め切られ、各地の投票所で即日開票される予定です。
アウン・サン・スー・チー氏とは
アウン・サン・スー・チー氏は70歳。建国の父として国民から尊敬されているアウン・サン将軍の長女です。
スー・チー氏は1985年から翌年まで京都大学東南アジア研究所の研究員として来日し、父アウン・サン将軍の生涯や、ミャンマーの独立運動などの歴史について研究しました。
その後、母親の看護のために帰国し、1988年に起きた学生を中心とした当時の軍事政権に対する反政府デモに加わり、一躍、民主化運動のリーダーになりました。
これに対して、軍はデモを武力で鎮圧し、スー・チー氏は自宅に軟禁されました。
1990年には、総選挙でスー・チー氏率いるNLD=国民民主連盟が80%の議席を獲得して圧勝しましたが、軍事政権は選挙結果を無視して、政権を譲りませんでした。
その翌年、スー・チー氏は自宅軟禁中にノーベル平和賞を受賞します。
その後も、スー・チー氏は軍事政権によって断続的に自宅軟禁下におかれ、その期間は、延べ15年に及びました。
2010年11月、ミャンマーでは20年ぶりの総選挙が行われましたが、スー・チー氏の自宅軟禁は続き、NLDは選挙をボイコットしました。
この直後にスー・チー氏は自宅軟禁から解放され、2012年に行われた議会の補欠選挙で初当選し、最大野党の党首として、国政の場での活躍を始めます。
外交活動も本格化させ、アメリカやヨーロッパ各国、それに日本などを訪問するとともに、かつて激しく対立した軍との関係改善を模索するなど政権獲得後を見据えた現実路線にかじを切る姿勢も見せています。
スー・チー氏は、今回の総選挙で、野党を率いて選挙運動を全国的に展開し、各地で多くの支持者から熱狂的な歓迎を受けました。
ミャンマーの憲法はスー・チー氏のように外国籍の家族がいる人物の大統領への就任を禁じていますが、投票を前に行われた記者会見では、政権交代が実現した場合には、「大統領以上の存在になる」と述べ、みずから国を指導する強い意欲を示しています。
スー・チー氏は1985年から翌年まで京都大学東南アジア研究所の研究員として来日し、父アウン・サン将軍の生涯や、ミャンマーの独立運動などの歴史について研究しました。
その後、母親の看護のために帰国し、1988年に起きた学生を中心とした当時の軍事政権に対する反政府デモに加わり、一躍、民主化運動のリーダーになりました。
これに対して、軍はデモを武力で鎮圧し、スー・チー氏は自宅に軟禁されました。
1990年には、総選挙でスー・チー氏率いるNLD=国民民主連盟が80%の議席を獲得して圧勝しましたが、軍事政権は選挙結果を無視して、政権を譲りませんでした。
その翌年、スー・チー氏は自宅軟禁中にノーベル平和賞を受賞します。
その後も、スー・チー氏は軍事政権によって断続的に自宅軟禁下におかれ、その期間は、延べ15年に及びました。
2010年11月、ミャンマーでは20年ぶりの総選挙が行われましたが、スー・チー氏の自宅軟禁は続き、NLDは選挙をボイコットしました。
この直後にスー・チー氏は自宅軟禁から解放され、2012年に行われた議会の補欠選挙で初当選し、最大野党の党首として、国政の場での活躍を始めます。
外交活動も本格化させ、アメリカやヨーロッパ各国、それに日本などを訪問するとともに、かつて激しく対立した軍との関係改善を模索するなど政権獲得後を見据えた現実路線にかじを切る姿勢も見せています。
スー・チー氏は、今回の総選挙で、野党を率いて選挙運動を全国的に展開し、各地で多くの支持者から熱狂的な歓迎を受けました。
ミャンマーの憲法はスー・チー氏のように外国籍の家族がいる人物の大統領への就任を禁じていますが、投票を前に行われた記者会見では、政権交代が実現した場合には、「大統領以上の存在になる」と述べ、みずから国を指導する強い意欲を示しています。
今回の総選挙の意義と経緯
今回の総選挙で、スー・チー氏が率いる野党が勝利し政権交代が実現すれば、半世紀にわたって軍が実権を握ってきたミャンマーにとって歴史的な転換点となります。
ミャンマーでは1962年に起きたクーデターのあと、軍が政治の実権を握り続けてきました。
1988年にはミャンマー建国の父と呼ばれるアウン・サン将軍の娘、アウン・サン・スー・チー氏が民主化運動を率いましたが、スー・チー氏は自宅に軟禁されます。
民主化を求める声に押される形で1990年に実施された総選挙ではスー・チー氏の野党NLD=国民民主連盟が80%の議席を獲得して圧勝したものの軍は結果を無視して政権を譲りませんでした。
このため、欧米諸国は、ミャンマーに対して厳しい経済制裁を科し、国際社会からの圧力にさらされた軍事政権は、5年前、20年ぶりの総選挙に踏み切りました。
ただ、スー・チー氏は自宅に軟禁されたままでNLDは自由で公正な選挙は実現できないとしてボイコットし軍の支援を受けるUSDP=連邦団結発展党が、無風状態の選挙戦を制しました。
その後、形の上では民政に移管しましたが新政権は大統領をはじめ大多数の閣僚が退役軍人で占められています。
NLDは、スー・チー氏が自宅軟禁を解かれたことを受け、2012年に行われた補欠選挙に参加して圧勝しましたが、上下両院を合わせた664議席の6%にとどまり、影響力を発揮できずにいました。
ミャンマーでは1962年に起きたクーデターのあと、軍が政治の実権を握り続けてきました。
1988年にはミャンマー建国の父と呼ばれるアウン・サン将軍の娘、アウン・サン・スー・チー氏が民主化運動を率いましたが、スー・チー氏は自宅に軟禁されます。
民主化を求める声に押される形で1990年に実施された総選挙ではスー・チー氏の野党NLD=国民民主連盟が80%の議席を獲得して圧勝したものの軍は結果を無視して政権を譲りませんでした。
このため、欧米諸国は、ミャンマーに対して厳しい経済制裁を科し、国際社会からの圧力にさらされた軍事政権は、5年前、20年ぶりの総選挙に踏み切りました。
ただ、スー・チー氏は自宅に軟禁されたままでNLDは自由で公正な選挙は実現できないとしてボイコットし軍の支援を受けるUSDP=連邦団結発展党が、無風状態の選挙戦を制しました。
その後、形の上では民政に移管しましたが新政権は大統領をはじめ大多数の閣僚が退役軍人で占められています。
NLDは、スー・チー氏が自宅軟禁を解かれたことを受け、2012年に行われた補欠選挙に参加して圧勝しましたが、上下両院を合わせた664議席の6%にとどまり、影響力を発揮できずにいました。
ミャンマー総選挙の仕組み
ミャンマーの総選挙では、上院と下院、そして地方議会の議席が争われ、合わせて6000人以上が立候補しています。
このうち下院は440議席、上院は224議席ありますが、それぞれ4分の1の議席は、あらかじめ軍人の指定席として割り当てられています。
このため野党NLDが過半数を獲得して政権交代を実現させるには選挙で争われる議席のうち3分の2を超える議席の獲得が必要です。
さらに憲法改正などの重要事項は、上下両院を合わせた連邦議会の4分の3を超える賛成が必要で選挙で選ばれた議員全員が、賛成しても、軍人議員が一致して反対すれば、これを拒否することができます。
総選挙のあと、新たな議会が招集されるのは、今の議員の任期が切れる来年1月の予定で、その後、大統領を選出する手続きが行われ、新大統領が決まるのは3月以降とみられています。
大統領の選出は、選挙で選ばれた議員が上院と下院でそれぞれ選んだ2人の候補と、軍人の議員が選んだ候補の合わせて3人の中から上下両院のすべての議員による投票で行われます。
ただ軍事政権時代に制定された憲法では、外国籍の配偶者や子どもがいる人物の大統領への就任を禁じているため、息子がイギリス国籍のアウン・サン・スー・チー氏は、大統領になることができません。
このうち下院は440議席、上院は224議席ありますが、それぞれ4分の1の議席は、あらかじめ軍人の指定席として割り当てられています。
このため野党NLDが過半数を獲得して政権交代を実現させるには選挙で争われる議席のうち3分の2を超える議席の獲得が必要です。
さらに憲法改正などの重要事項は、上下両院を合わせた連邦議会の4分の3を超える賛成が必要で選挙で選ばれた議員全員が、賛成しても、軍人議員が一致して反対すれば、これを拒否することができます。
総選挙のあと、新たな議会が招集されるのは、今の議員の任期が切れる来年1月の予定で、その後、大統領を選出する手続きが行われ、新大統領が決まるのは3月以降とみられています。
大統領の選出は、選挙で選ばれた議員が上院と下院でそれぞれ選んだ2人の候補と、軍人の議員が選んだ候補の合わせて3人の中から上下両院のすべての議員による投票で行われます。
ただ軍事政権時代に制定された憲法では、外国籍の配偶者や子どもがいる人物の大統領への就任を禁じているため、息子がイギリス国籍のアウン・サン・スー・チー氏は、大統領になることができません。