業者間協定は最賃の黒歴史か?
最賃の歴史では、だいたい1959年法で規定され、1968年改正で廃止された業者間協定方式の最賃を「ニセ最賃」と呼んで、黒歴史扱いしている。
たしかに、国会でILO条約をクリアしていないから変えますと言わされて廃止されたんだから、ある意味で黒歴史には違いない。
しかし、逆に言えば、ある地域のある業界の経営者団体を、自分たちの雇う労働者の最賃を決めさせるという土俵に引っ張り出して、責任を持たせていたということだってできる。
当時の労組は、全国一律最賃教を唱えるばかりで、自分たちの力で地域で業種で最賃を協定のかたちで勝ち取るなんてことはほとんどやれなかったし、今に至るまでほとんどできていない。
当時、地域一律最賃にすら反対していた経営側が、70年代前半に全都道府県で地賃ができてしまったら、今度は産別最賃なんていらないからやめれといいだして、80年代には何とか新産別最賃にし、2000年代には特別最賃にしたりして生き延びさせてきたけれど、そもそも企業別組合の枠を超えられない日本の労働組合には、自分たちで産別最賃を作り出す力量は乏しいということが立証されたかたち。
今になって考えれば、当時あれだけ「ニセ最賃」と罵倒していた業者間協定をうまく使って、それに関係労組をうまく載っけるかたちでのソフトランディングってできなかったのだろうか、という思いもする。
土俵は既にあったのだ。その、企業を超えた賃金設定システムという土俵を、たたきつぶして、もはやその夢のあとすら残っていない。
半世紀前のある歴史的方向付けが、その後の歴史の可動範囲をどれだけ狭めてしまったか、もはや当時の関係者はほとんどいなくなったと思われる現在だからこそ、偏見なしに考え直してみても良いのかも知れない。
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