1898年4月に米国とスペインの間でいわゆる米西戦争が起こった。その大きなきっかけとなったのは開戦に先立つ2月、キューバのハバナ港で起こった米軍艦船による突然の爆発・沈没事故だった。この事故で255人の米兵が犠牲となった。
ピューリツァーやハーストなど米国の著名なジャーナリストらは、この事故を当時キューバを支配していたスペインの仕業と報じた。「暗殺者」などの過激な見出しが当時の新聞1面を大きく賑わせた。これは宣戦布告をあおる露骨な扇動だった。それから70日後、米国議会はスペインとの戦争を決議した。
この米西戦争は米国がカリブ海と太平洋を掌握する大きな転機となった。戦争に勝った米国はキューバ、フィリピン、グアムなどの拠点をスペインから奪った。この戦争では南北戦争で互いに敵として戦った米国人たちの息子の世代が主に戦った。彼らを中心とする米軍が「卑怯な暗殺者」であるスペインに罰を加える「正義の戦い」で勝利すると、当時少しずつ新興国として発展しつつあった米国のエネルギーは最高潮に達した。この戦争は結果として米国式の帝国主義が全世界に影響力を及ぼす大きなきっかけになったのだ。
それから110年後、今度は中国が太平洋の片隅に足を踏み込みはじめた。南シナ海の7カ所の浅瀬を埋め立てて人工島の建設に乗り出したのだ。すでに全長3000メートルの滑走路を2カ所設置し、ヘリの発着場や5-6階のビルも建設されている。レーダーや対空砲を設置する動きもみられるようだ。
この海域は第2次世界大戦当時は日本が掌握していた。しかしその後70年間は誰も手を出せなかった米国の中庭のようなものだった。米国の戦略家たちは南シナ海を「アジアの地中海」と呼ぶ。資源が豊富で物流も活発なことから、まさに経済の大動脈であり、そのため米国も大きな愛着を持っているということだ。