将棋指しが飯を食う

将棋の話——いや飯(めし)の話かな。

登場する人物はぜんいん偉人枠につき、以下しばしば敬称略、また段位冠位は執筆時。

順位戦では飯を食う

名人位への挑戦権を争う順位戦は持ち時間6時間の長丁場だ。これより長い持ち時間の棋戦(たとえば名人戦、竜王戦などの番勝負)は二日制になるので、この順位戦が一日連続の対局時間としては最長の棋戦ということになる。朝始まって日付が変わるまで対戦が続くのが普通で、最高A級リーグ戦の最終二局はリーグ参加者が全員同日に熱戦を繰り広げる。とくに三月初旬、東京の将棋会館に集まって行われるA級最終局の日を「将棋界の一番長い日」などと言い習わしている。

各自6時間の持ち時間だから二人で12時間の考慮時間が用意されている、しかしそれを使い切っても「一分将棋」でまだ対局は続く。だいたい人というものは一つことを一時間と考え続けていられないものではないだろうか。

すさまじい脳力の持ち主たちが朝の十時から、深夜十二時を超えるまで、知力を、読みを競い合うのだ。2、3キロ痩せるという話がある。

さて、長丁場の順位戦であるから——途中で飯を食う。昼と夕の二度食う。この飯に何を食うかというのも、なんというか勝負の内である。

将棋ファンは煮詰まっていく盤面の様子を追いながら、要所ようしょで、棋士が飯になにを食って戦っているのかという情報に反応するのだ。棋士にとっては飯を食うのも勝負のうちで、芸のうち。

二日に及ぶタイトル戦番勝負と、上記の順位戦をめぐって、特に人気の棋士が何を食べているのか、そこにあるかないかわらないが「意味」をさぐってみたい。

さて、はなしの枕としては加藤一二三九段に触れざるを得まい。

加藤一二三の拘りの本質

棋界の長老の一、加藤一二三九段は「うな重安定」の定跡選択、さらに対局室に食べ残しを持ち込み、指し継ぎながら食べ続けるなどの戦略(米長証言)が古くは有名だったが、近年は「ふじもとのうな重」「ほそ鳥やの鍋焼きうどん」「千寿司の特上にぎり」をランダム・ローテーションしており、かつて話題になったほどの固執は見られない。いや、このどれかに決まっているという点ですでに十分に固執とすべきか。まあ出前で取るものなんて誰でもある程度は固定化していくものだろう、普通のことだと思われる。[この辺の店名はいずれも将棋会館御用達の千駄ヶ谷飲食店。以下大阪将棋会館御用達店舗を含めて類例をいちいち断らない]

その一方で、加藤のメニュー選択の最も顕著な特徴、余人にはなかなか見られない特徴は、実は「昼食と夕食に同じものを食べる」という点である。メニューそのものは固定していないが、昼夜同一メニューを選ぶ——昼も夜も「うな重」とか、昼も夜も「寿司」というのは、事によったら理解できるかもしれないが……

昼に「とろろざるそば」を頼んだ者が、夕にも「とろろざるそば」を頼むとしたら、これはいささか意外の感がないか。あるいは、昼に「鍋焼きうどん、おにぎり2セット(6つ)」を食べた者が、夕にも「鍋焼きうどん、おにぎり2セット(6つ)」をとるというのはちょっと尋常の選択ではないのではないか。加藤はそうするのである。昼と夜の注文が全く同じなのだ。例外は極めて稀。

しかも場所を選ばない——驚くなかれ、慣れた東京の将棋会館ではなく、関西将棋会館での対局時にも加藤は昼に「鍋焼きうどん、お握り2セット(6つ)」、夜に「鍋焼きうどん、お握り2セット(6つ)」といったように「昼夜同メニュー」定跡を採用する。アウェイでも戦略は堅持である。

ちなみに「お握り」は常に2セット、6つは必要だ。東京だろうが、大阪だろうが、2セット、6つは譲れない。

増えることはあっても減ることはない

「常に」と言っておいてなんだが、それは「必要量」の話だ。増量は構わないのだ。じっさい数年に一度、お握り3セット、9つに注文が増えることがある。加藤の選択には「変わること」も「減ること」もない。あるとすれば「ただ増えるだけ」である。

とくにこの「お握り追加定跡」は関西対局時に顕著。ほそ鳥やに比べてお握りがやや小さいのか? サイズにご不満なのか?

2009年順位戦C1級では、加藤は関西遠征のたびに極めて例外的な「昼・夜、別メニュー」という変則手順を採用し、浦野真彦戦、田中魁秀戦の二度にわたって「昼に鍋焼き、夜に天丼」という新手を繰り出した。それでも上に加えて「お握り2セット(6つ)昼夜連採(連続採用の意)」定跡はいぜん踏襲していたのだが、後者の田中魁戦(長年の好敵手である)ではさらに勝利に貪欲な姿勢を見せ、昼食の鍋焼きうどんには「お握り3セット(9つ)」を添え、さらに夕食の天丼には「お握り4セット(12個)」を注文した。「食べた」ではなく「注文した」と言ったのは、実際には「お握り追加定跡」二倍攻撃は指し過ぎという判断があったか、途中で翻意して注文を取り消し、結局「お握り3セット(9つ)」に落ち着いたのだという。

そりゃあそうだ、お握り12個追加は失礼ながら古希の老翁(加藤は当時数えで70歳)には無理だろう、常識的に考えて……などと思った方はおられるか、あなたの常識はすでに加藤の非常識に侵食されている。「お握り3セット(9つ)」の追加に「落ち着いた」というのが、すでにしてかなりの踏み込みなのだ。

読者の方々の脳内でもすでに「お握り追加量」についてのインフレが起こっている。2セットまでは普通、という気持ちになっていませんか? ちなみに上の二局は「昼鍋焼き・夜天」新手が図に当たったかはともかく、どちらも加藤の勝利であった。

これも一つの棒銀なのだ

上のような「夜昼別メニュー」新手を繰り出した時にも、変節の感はいささかも無い、「加藤の方針が珍しく変わった」という印象はほとんど感じられない。むしろ「いつもの加藤」が過剰になっているだけという印象すらある。「お握り2セット(6つ)」を昼夜に追加するという「常態」の延長線上に、「お握り3セット(9つ)」昼夜連採の過剰さもまた自然に想定できる。その自然ななりゆきで「4セット(12個)」まであやうく行ってしまうところだった、あと一歩のところまで行っていた。だれも胸をなでおろしたところであった。ちなみに「4セット」を「3セット」に変更した加藤一二三九段、数えで70歳は、同日の午後にりんごジュースを「7本」追加注文している。胸をなでおろすのはまだ早かったか。

なんというか本当に「一貫」した人物であると言うしかない。

加藤の棋風を知っている人ならば、もう「あの言葉」しか思いつくまい。「棒銀」である。これもまた「棒銀」なのだ。

将棋に通じない方のために簡単に説明すると、「棒銀」は将棋の戦法の一つであり、加藤が頑なに固執している戦法としても知られている。銀をまっすぐ前に出していくことからその名がついた。左銀を囲いに使う居飛車党にとって、右銀の使い方には大きく「腰掛銀、早繰り銀、棒銀」の別があり、それぞれに長短、トレードオフがある——有利不利について三すくみの関係があるのだ。昨今では「相腰掛銀」の対局が圧倒的に多いが、相手の出方を見てこちらの銀の位置を塩梅するのは基本戦略だ。

しかし加藤には「選択肢」はない。「棒銀」がすでに選ばれているのである。常に棒銀。棒銀一路。棒銀一徹。生涯棒銀。銀は前にまっすぐ出すものと決まっている。

これは私が誇張して言っているのではなく、加藤の自認するところであり、棋界の常識だ。加藤は揮毫するときにもしばしば「棒銀」と書く。もう、みんながそれを期待している。

同じものを頼み続けるという倫理

こうして棋風と重ねあわせてみてくると「昼と夜に同じものを取る」というのも単に「好きだから」といった通常の情動から発したものとは、ちょっと思われない。昔からそうなのだ。たとえば旧聞に属するが遡ること、1980年十段戦、対中原第一局で加藤が注文したものは「一日目昼:天ぷらごはん、二日目昼:天ぷらごはん、二日目夜:天ぷらごはん」である。二日目夜の中原永世名人は二連続天ぷらごはんには流石に飽きて、記録係の「刺し身と雑炊」と替えてもらったという——いや、それはそうでしょう、そもそも中原も同じものを頼まなければよかったのに。加藤があんまり堂々と同じものを頼むんで引きずられちゃったのかな。

わたしが想像するに、加藤にはなにか別のものを選ぶという発想そのものが欠けているのではないだろうか——もう一食なにか選ぶという発想そのものが。飯などというものは一度選んだら、もうそれ以上は拘泥するものではないのである。

加藤の戦法「棒銀」への拘りに一脈通じるものがあるように思われる。

決断は一度でいい。加藤一二三は「二度は選ばない」。それは「もう決まっている」のである。あとは銀をまっすぐ前に出すだけだ。

羽生は椿山荘でピザを食べる

食事の上でも、それぞれにマイルールがあり、験担ぎがあり、思想がある。

たとえば常時複数冠位を保ち、タイトル戦番勝負で全国を転戦するのが日常である棋界の第一人者、羽生善治名人は通常、番勝負の昼食休憩ではご当地名物メニューを絡めてくるのが基本戦略だ。開催ご当地への挨拶である。棋界の広告塔として空気を読むことが当然視されている。タイトル戦転戦は巡業という一面もあるわけだから。

そもそも羽生は棋風同様、メニュー選択にも特段のこだわりがないようで、スパゲッティとか、サンドイッチとか、時折変化を見せることがある。なぜか一定の間隔でシーフードピラフを食べている節もあり、これも他の棋士とはやや違った指し回しだ。順位戦での注文もバリエーションに富んでおり、傾向というものが掴みづらい。メニュー選択でもオールラウンダーなのだ。

順位戦夕食休憩では「千寿司の上にぎり」を取ることが割に多いのだが、これは傾向とは言い難い。対局も大詰めというところで、飯の手間手順に拘泥している場合ではないからだろう、じっさい「夕休に寿司」は多くの棋士に共通して指されている、一種の定跡である。

羽生はえびフライを食べてばっさりいく

あとはこれを傾向とまで言えるか微妙だが——羽生は、ふじもとのフライ・ラインナップでは「ヒレカツ定食ライト」、「ミックスフライ定食」、「えびフライ定食」の三戦法をバランスよく展開しているのが常だ。メニュー選択界の「矢倉急戦」「横歩」「角換わり相腰掛け銀」と言ってもいい(すごく適当なこと言っているので真に受けないでください)。ところが、これらバランスの取れた戦術選択が、例の「棋界の一番長い日」——最終戦夕休にかんしては「えびフライ定食」に俄然かたよる。なぜだろう?

順位戦最終日の羽生は、ただでさえ高い勝率がさらにいや増す傾向がある。ファンの間でも「最終戦で負けたの何年前だっけ」とわからなくなるぐらいだ(今「玲瓏」で調べたら1998年以来、A級最終戦は全部勝ち)。本人は名人挑戦がすでに決まって消化試合でありながら、降級の瀬戸際、当落上にいる相手の首を無慈悲に切り落としたりすることでも羽生は有名だ。相手の情実に関知しない(米長理論という)というのは守るべき棋界の美質であると愚考するが、この際の羽生の非情ぶりはつとに知られている。

ここで何故か羽生はえびフライを食べてばっさりいくのである。

洲本ではきつね、椿山荘でピザ

全体にメニューを固定するという意図はさほどないようだが、その一方で慣れた場所に慣れた食べ物という発想もあるらしく、棋聖戦の定宿の一つ、洲本温泉ホテルニューアワジでは羽生は「きつねうどんとお握り二つ」を採用することがたいへん多い。もともと棋聖戦には常時登場といった趣なので「きつねとお握り二つ」もしょっちゅう見られる。

また、椿山荘での名人戦ではビザ・マルゲリータを採用した例が近年数度に渡る。

よっぽど美味くて気に入っているのか、ほかに碌なものがないのか、おそらく前者であろう。

また、タイトル戦に頻繁に利用される鶴巻温泉の陣屋の対局では「陣屋特製カレー」の採用率が高い。このカレーは陣屋のレギュラー・メニューにはなく、番勝負対局時のみに用意される特製品であり、つまりは棋界の関係者しか賞味が叶わないという激レア・メニューである。

羽生はタイトル戦登場が多いという事情はあるにせよ、対局者として陣屋特製カレーにありついた回数において他棋士を大きく引き離しており、タイトル九十三期(2015年現在)にも負けない大記録を更新中だ。資料によればこの二十年に陣屋特製カレー採用が十回以上に及び、2011年王位戦、対広瀬第六局、第七局でも特製カレー連採で復位を果たしたし、2014年王位戦、対木村でも第六局、第七局にやはり特製カレー連採で挑戦を退けた。広瀬も木村も特製カレー連採でまっこうから立ち向かったが、このカレー合戦にはいずれも羽生に一日の長があった。

森内はカレーを食べる

カレーと言えば森内俊之九段である。森内九段は番勝負ではカレーを食べるものと見られている。永世名人有資格者である森内はとうぜん名人戦番勝負にも登場が多いが、たとえば羽生がピザを食べている椿山荘でも、カレーが基本だ。さらにカツカレーがある場合にはカツカレーを選びがち。これは「森内カツカレー定跡」と呼ばれている(本当)。

2013年、対羽生名人戦では第5局名古屋ウェスティンナゴヤキャッスルの「大エビフライカレー」を森内は二日にわたって注文した。「大・エビフライカレー」ではない「大エビのフライ・カレー」である。データシートには「えび27cm」と特記されている。「あまりの凄さに連採した」との述懐だ。この日の森内は勝った。

名人戦用に特に巨大エビフライカレーを用意したウェスティンナゴヤキャッスルとしても本懐これに過ぐるものはない。ウェスティンナゴヤキャッスルはウェスティン・グループの名古屋城支店ということだろうが、南海からエビラが攻めてきたりしないか案じられる。話し戻って……

森内はここ十年ほどで番勝負にカレー選択は50回ほどにもおよぶ、押しも押されもせぬ棋界のキレンジャーである。まあ番勝負の回数そのものが尋常でないのだが……。森内の尋常でなさは、同い年の羽生という「尋常でなさ」の権化の隣でやや霞みがちだが、渡辺明棋王もしばしば強調するように、どっこい相当なものなのだ。さらに言えば森内はカレー選択への拘りについても尋常ではないのだった。

ホームグラウンド東京の将棋会館でも、ほそ鳥やのカレーライス、みろく庵のカレー丼などの採用実績があり、カレー定跡については第一人者。番勝負では「採用するかどうかはともかくメニューにはカレーを入れておいてもらいたい」旨の申し入れをしているとのこと。選択肢には常にカレーが入っていなければならないのだ。なんなら相矢倉はいつでも引き受けるぜ、といった気概を持って「常に心にはカレー」なのである。

森内カレー定跡の弱点

だが、意外な弱点がある。

ここ十年ほど対局者として件の「陣屋特製カレー」を賞味する機会がないのである。

これは森内のここ数年のタイトル戦が割に早期に決着することが多かったことによるのだろう。

タイトル戦七番勝負などでは、天童ホテル(天童)、常磐ホテル(甲府)などとならんで、陣屋は第六局、第七局に割り当てられることの多い、連盟御用達、定宿中の定宿だ。したがって勝負がフルセットにもつれ込んだりすると陣屋での対局が多くなる。一方、早期決着があれば陣屋戦はキャンセルになる——その不確定性を良しとするほどに連盟と昵懇なのだ。

ところが森内は近年の番勝負では、名人戦、竜王戦ともに早期に圧勝するか、早期に敗退するかが続いており、陣屋に辿りつけていない……いや、陣屋カレーにありつけないでいるのである。

森内が次にタイトル戦フルセットの戦いを繰り広げるのは何時だろうか、そう遠いことではあるまい。おそらく相手はやはり羽生なのではないだろうか。その時、陣屋特製カレー連採の羽生と、カレー定跡の最右翼森内と、どちらにカレー勝負の軍配が挙がるのか。いや、カレー勝負って、カレーを食べることを争っているわけではないんだけど……

佐藤はキウィを食べる

羽生、森内と並べたら佐藤康光九段に言及しないわけにはいくまい。

佐藤は2006年の最優秀棋士賞を獲ったが、この年に永世棋聖有資格者となったばかりか、タイトル戦五戦連続挑戦の記録を打ち立て、結果二冠を確保、ほかにNHK杯とJT日本シリーズでも優勝を収める。ともかく同年にはタイトル戦というと佐藤が出ているという具合だった。

もとから強かったものが当時はなにしろ破竹の勢い、この年の9月末から11月末にかけて、東京の将棋会館では負けなし連勝を続けていたのだが、その間ずっと食べていたのがスパゲッティ・ミートソースであったという。後に「飽きた」と述懐している。

また佐藤といえば「フルーツ盛り合わせ」を頼むことが多いのも多くのファンの知るところであろう。とくに「よくキウィを食べている」という印象が強い。件の2006年、対羽生、王将戦番勝負などはフルセットの熱戦だったが、データシートを見ると七局を通じて「フルーツ博覧会」の様相を呈している。朝から晩まで果物ばかり食べていたみたいな。

近年でも佐藤の番勝負はフルーツ盛りだくさんである。「フルーツ盛り合わせ(大盛り)」とか「フルーツ盛り合わせ(倍量)」といったようなフルーツ量に係る特殊注文も多く、その頭脳の働き(公称一億三手毎秒)のかなりの部分をフルーツ摂取によって補っている節がある。

升田幸三賞、二回受賞は伊達ではない

スマートな外見に反してといえば失礼かもしれないが、棋風としては、誰も思いもつかないような慮外の一手を臆せず指してはまとめ上げてみせる、棋界でも有数の豪腕として知られている。なるほどフルーツ注文にもそれが現れており、2013年、対渡辺、王将戦第5局では慮外の一手「ホットみかんジュース」を特注した。前局の「ホット柚子ジュース」がお気に召したらしいが、こうしたまさかの特殊注文に個性を見せる。誰も指したことのない手、これについては第一人者。新手勧奨の升田賞も二度とっている。

また、2010年前後には、ほそ鳥やの「冷やしたぬきそば」、「冷やしわかめそば」をローテーションする「冷やし連採」があった。全体として「クールなもの」の嗜好が目立つ……というのは偏見かもしれない。

クールな割に抜けているところがあるというのも大方の意見で、夕休に出前を注文してありながら外食に出てしまったこともある。また、2006年竜王戦では渡辺明竜王(当時)との番勝負でおやつのケーキ(佐藤=フルーツルージュのケーキ/渡辺=モンブラン)が逆に配膳されたのだそうだが、それに気が付かずに佐藤はモンブランを食べてしまった。渡辺は配膳の不手際に気が付いており「そっちは僕のモンブラン……」と言おうと思ったが隙がなくて果たせず、モンブランを食べてしまった佐藤を横目に「泣く泣くフルーツルージュに手を出した」のだそうだ。楽しみにしていたモンブランに、佐藤のせいで渡辺はありつけなかったのである。スイーツに特段のこだわりを持つ甘党渡辺については後述。

郷田真隆王将の新手

郷田王将は「ほそ鳥や」と「みろく庵」を中心にその都度好むものをとっているようで、メニューもバリエーション豊か、言うなら特別な特徴はない無難な選択が多かった。和食が目立ち、棋風同様の格調の高さ、安定感である。

だが2009年ごろに、ほそ鳥やのうどん系メニューを対象に「もち追加」新手を繰り出し、これはこの数年にかなり多くの棋士に「有効な新趣向」として取り入れられることになった。2014年にはこの郷田新手はかなりの流行をみたらしく、研究家として名高い渡辺明棋王も同戦略を採用したことがあるそうだ。

渡辺明棋王の子供舌

その渡辺明棋王は「寿司はさび抜き、カレーは甘口」といった「子供舌」的な戦略を頑なに守っていることで有名である。わさび丼が名物の宿(静岡は今井浜温泉の今井荘)で対局となった時にも、わさび丼は取らなかった(2015年王将戦第6局)。一時期は「とろろそば」系を連採していたが、この「ねばねば新手」連採を絶賛展開中にも、とろろ、山かけにわさびを入れなかった。個人的には理解しかねる。わさびをこよなく愛するわたしとしては「あなた人生半分損をしている」とした加藤の指摘(渡辺本人の談話)に一票入れたい。もちろん大きなお世話であろうけれども。加藤も、私も。

渡辺は悪乗り企画などにもノリが良いし、解説に回っても読み筋の開陳、座談、ともに巧みで(特に自戦解説が素晴らしい)、人付き合いの良い、なにかと空気を読む方だとされているが、「食べられないものは食べられない」のである。梅干しもだめ(後藤元気氏談話)。いくらも苦手だとのこと(橋本八段談話)。

ふぐちりって、ふぐの辛いやつでしょ? 俺は食べたことないし、食べられるかなぁ(後藤元気氏twitter)

「一番おいしい食べ物」はチョコパイ、一番好きな駄菓子はうまい棒(チョコ)、タイトル戦の楽しみはおやつの時間という、根っからの甘党として知られる。

タイトル戦では対局中におやつが出ます。僕がよく選ぶのはチョコケーキとかチーズケーキとか、味に「はずれ」がなさそうなもの。想像と違うものだったらテンションが下がってしまうので、そこは手堅く。(棋士・渡辺明さん 昔ながらのシンプルなチョコバー – オトコの別腹

手堅いのである。棋界きっての理論化肌だが、おやつの選択でも研究重視の姿勢だ。携帯用体重計を持ち歩いてこまめに体重管理していることでも有名。

谷川浩司は組み合わせる

現将棋連盟会長の谷川浩司九段は若くしてA級、そして名人位に登りつめ、その後長らくトップ棋士の立場を保ち続けた。永世名人資格を持ち、A級在位は32年に及ぶ。

谷川の選択メニューは他のトップ棋士らとはやや異なったものになっている。これは谷川が永世名人資格保有者で(「位」が高い)、キャリアも長く(棋士番号が若い)、しかも連盟の要職を歴任し多忙であるために、順位戦では最終局を除いては関西将棋会館での対局が組まれることが多いということが影響している。ここ十年でも谷川の順位戦は「対局者を関西に迎える」のが通常で、九局中八局が関西将棋会館だったこともある(2004年、2008年)。

とうぜん千駄ヶ谷飲食店の出前にかたよる関東棋士とは異なり、独自のラインナップが成立することになる。関西将棋会館の御用達、「イレブン」や「やまがそば」、「ふな定・福島庵」などに依るメニュー選択になるからだ。

その谷川のメニュー選択には独特の偏り……というか独特のバランス感覚が見られる。ひとことで言うと、常に「何かの組み合わせ」になっているという顕著な特徴があるのだ。

ここ十年の関西将棋会館での注文は、「親子丼(冷そばセット)」「親子南蛮定食(そば)」「他人丼定食(そば)」「肉南蛮定食(そば)」がバランスよく繰り返される。キーワードは「親子」「他人」「南蛮」だ。ここに深い意味を見出すのは牽強付会であろう、慎みたい。

得意戦法はやはり「肉なん定食(そば)」と「親なん定食(そば)」であり、この辺が谷川の「横歩取り」と「角換わり」といったところか。関東遠征のさいにも「ほそ鳥やの親子南蛮そば」を選択することが多かった。南蛮へのこだわりが「居飛車本格」といった感じである(すごく適当なことを言っているので信じないでください)。

このメニューが近年にちょっと変革を迎えたのだが、関西対局では昼にはもっぱら「他人丼セット(冷そば)」、関東対局では「みろく庵の親子丼ざるそばセット」が連採されるようになる。夕休では「親なん定食」と「肉なん定食」がこれに対応する。キーワードは「西では他人、東では親子、夜は南蛮」だ。特に深い意味はないが。

また2014年の順位戦の第10〜12局では昼休に「親なん定食(そば)」「肉なん定食(そば)」が異例の復活を遂げたのだが、これと入れ替わるように夕休では「親子丼」「他人丼」が交互に対応している。これは往時の定番だった「昼の南蛮」「夜の親子・他人」コンボで、上記三局では谷川は三連勝をおさめ、多忙の中で勝ちあぐんでいたシーズンの終盤に白星を足しおおせた。

飯と勝率の関係は考えない

今回の記事では「メニュー選択と勝率」という当然出てきてしかるべき問題は完全にオミットしている。それは仮に相関があってもせいぜい擬似相関にすぎないだろうからだ。本稿は終始ふざけた記事であるが、この一件についてはふざける気にならない。

たとえば先述した佐藤のミートソース連採(&飽きた)のエピソードからも明らかなように、飯で勝っているわけではなく、勝っているから「同じ飯が止められなくなった」という関連がせいぜいのところで、飯の選択は因果で言えば結果の方だ。しかし……関西に数多いる熱狂的な谷川ファンなら思ってしまうかもしれない。「谷川先生、南蛮は昼でどうでしょう!」

近年の谷川は戦型選択としては「矢倉」の頻度ががっくり減り、特に「四間」と「中飛車」の多用が観察される。2014年度では矢倉はわずかに三局、かたや飛車を振ったのは10局におよぶ(全32局中)。だがいまだ主戦力は「横歩」と「角換わり」だ。その点、変節はない。

それにしても……すでにお気づきだろうが、谷川は「セット」を好む。丼とそばを組み合わせるのだ。そしてセットの中核たる丼部にも「親子」「他人」「南蛮」といった複雑な関係が窺われる(窺われないか)ものが決まってセレクトされる。

食嗜好の拘りといえば丸山忠久九段

さて本稿のとどめは丸山忠久九段である。

元名人であり、順位戦A級在位も長い丸山忠久九段。ここしばらくB1級で戦っているが、A級に復帰することを待っている棋士の一人である。「A級にいてもらいたい」という思いは私だけのものではないだろう。居飛車本格、角換わり戦法の求道者という趣がある。名人奪取時には「角換わり」と「横歩八五飛」への拘りでライバルを圧倒した。戦術選択を意図的に狭くとっている、棋界きってのスペシャリストの一人だ。

そればかりではない。この丸山は特定メニューの求道者という趣もある。一定期間、同じメニューを食べ続けるという顕著な傾向があるのだ。加藤がメニューを「縦に揃える」最右翼に立つとすれば、丸山はメニューを「横に揃える」という著しい性向がある。

将棋ファンの多くが「丸山は今日は何を食べるか」ということに注目している。というか「またあれを食べるのだろうか」と。そのこだわりの変遷を概観してみよう。もう本当に大きなお世話なんだけど。

銀だら定食期

2004年「昼:みろく庵の銀だら定食おにぎり二つ」期。この「銀だら定食」期は数ヶ月しか続かなかったが、丸山の「みろく庵」愛はかなり深甚であり、メニューに変遷こそあれ「みろく庵」を基本とするもの、という内規の存在が疑われる。

納豆巻・鉄火巻連採と、夜のヒレカツ定食なめこ汁定着

2004年後半「昼:和歌寿司の納豆巻・鉄火巻き(さび抜き、醤油多め)」期始まる。これは以後数年に渡り「昼の基本」となった。同時に「夕:ふじもとのヒレカツ定食なめこ汁」期始まる。この二本立てがしばらくの定番となる。

カロリーメイト常時携帯

これは昼、夕休の話ではないが、そば茶を午前午後にそれぞれ3〜5本、カロリーメイト、チョコ味(きまって二箱、番勝負では増えることも。近年はキットカット化も見られる)を夜戦に用意する習慣が確認される。これは現在まで続く丸山の有名な固定行動であり、深夜に及ぶ順位戦対局で「冷えピタを頭に貼ってカロリーメイトをもぐもぐやりながら読んでいる丸山」の姿はファンにもよく知られている。

「丸山のもぐもぐ投了」というエピソードも知られているが、これは対戦者の藤井九段が投了を告げたときに「丸山がコンビニの袋でカスを受けながら、おやつをもぐもぐ食べていた」という一件であり、丸山が投了したわけでもないし、自分の投了時に物を食べていたという話ではない。「もぐもぐ投了」の語感は丸山には濡れ衣、いい迷惑である。おやつは自分の手番のときに食べるものとする矜持を保つ棋士もままあり、これはこれで世に批判もあるのだが、私個人は勝負に懸ければなりふり構わぬ体の、冷えピタ定跡も終盤の糖分補給もいっそ好ましいものに思われる。2011年A級での対羽生戦では冷えピタを額ばかりか後頭部にも二枚張るという「冷えピタ三枚新手」を繰り出し話題になった。ちょっと目が離せない。

麻婆豆腐&焼売、登場

2005年春、「麻婆豆腐定食&焼売」が登場、まだレギュラーには昇格しておらず、昼の「納豆巻・鉄火巻」と夕の「ヒレカツ定食なめこ汁」に対して、まれに登板する。じわじわと登板頻度が上がり2006年後半には順位戦、王将戦挑戦者決定リーグ戦のいずれでも連続採用されるようになる。第三の選択肢としての地位を確立。

さばみそ煮定食、登場

2007年、「さばみそ煮定食」が「納豆巻・鉄火巻」の地位を一時的に奪う。利用店で言うなら、昼にみろく庵、夕にふじもとの黄金のローテーションが確立し、以後は不動の継投パターンとなった。ひとたび定番となれば執拗に連採がつづき、それが叶わない関西遠征時には長考に沈むという(2007年順位戦第三局、7分の長考のもとに「鴨なんばんうどん、天ざるそば」。二手指しである、夜はまた別に「鴨鍋うどん」「鰊の煮付け」を頼んだ)。

麻婆・焼売、ヒレカツなめこ安定期

2007後半から2010年中盤にかけては、2005年には萌芽の見られた「昼に麻婆&焼売、夕にヒレカツなめこ」のセットが安定して連採される。

また関西遠征時の昼には「イレブンの一口ヘレカツ」がメニューに固定。谷川九段や久保九段とは「昼のヘレカツ」で闘うのが常態に。スペシャリストだけあって一度戦型が固定すれば揺るがない。

竜王位挑戦とパパイア・マンゴー連採

2011年から2012年の順位戦は「昼に外食、夜はふじもとのうな重(松)肝吸い付き」が基本。この時期には外食(将棋会館から出て他所で食事を取ってくること)も多かった。ふじもとに電話が繋がらず、メニュー変更を余儀なくされたこともあったが、その時に連絡をしていた係の人に「繋がるまで頑張って」と告げたというエピソードが残っている。

また同時期には丸山は二年連続で竜王戦挑戦者となっており、そちらの番勝負では本領を発揮している。2011年の竜王戦は世に言う「パパイア・マンゴー連採シリーズ」となったのだ。

丸山は全局で「午前、午後のおやつにはパパイア、食事にはマンゴー」を注文したのだった。第五戦まで続いた全局、都合十日の全おやつ、全昼食にパパイアとマンゴーが添えられた。理由は「好きだから」。

この2011年竜王戦は、将棋の話もしておけば、全局が「角換わり」のシリーズであった。挑戦者丸山も防衛側渡辺もいずれ劣らぬ「角換わり」戦法のスペシャリストだが、ここまで極端な戦型選択になったのはもっぱら丸山の意図、渡辺は受けて立った形だ。丸山は先手では「角換わり」、後手では「一手損角換わり」と戦型を固定して戦った。

結果は渡辺の四勝一敗で、二日目早々にほぼ帰趨が決した勝負もあり、丸山としては不本意なシリーズとなったと言わざるを得ない。「角換わり」スペシャリスト対決はほぼ渡辺に軍配が上がったのだ。スペシャリスト同士の高レベルな攻防は軽々に素人の評価を許すものではあるまいが、ともかくある意味では「角換わり」と「パパイア」と「マンゴー」しかない竜王戦シリーズだった。

竜王位再挑戦とまんじゅう連採

2012年にも丸山は竜王戦の挑戦権を得た。

雪辱に燃える丸山に他の選択はあるまい、再びの「角換わり」シリーズ、そして「南国フルーツ」シリーズになることが大方に予想された。ところがそうはならなかった。

「角換わり」は相変わらずであったが、パパイアとマンゴーの姿は竜王戦番勝負にはなかった。かわって登場したのはお饅頭であった。

第一局、天童での午前のおやつに饅頭二個、これが午後のおやつでは饅頭四個に倍増した。第二局、金沢ではご当地「越山甘清堂」の「長寿饅頭」が初日の午前、午後に二個ずつ、二日目には三個に増えた。第三局では舞台は鹿児島、「かるかん」、「赤松」の饅頭二個が初日の午前、午後、さらに二日目の午前、午後と並んで計八個。第四局では近江八幡で「たねや饅頭」がやはり両日毎おやつに二個ずつ並んで計八個。第五局の六日町温泉では「六日町温泉饅頭」が……初日の午前おやつに四個! 午後に四個! 二日目午前に四個! 午後に五個! 計十七個を並べることになった。

これには甘党の対局者渡辺竜王(当時)も唖然としただろう。渡辺はショートケーキなどを粛々と食べていたが、どんな気持ちでこの饅頭の数々を眺めていたのだろうか。第一局、第二局など短手数で早期決着したために二日目は「おやつ前終局」となった。体重管理に厳しく、かつおやつが楽しみと公言してはばからない理論家の渡辺(おやつのために朝食を抜くという)としては、おやつのカロリーも研究手順のうちに入っていたことだろうから短手数の勝局にも一抹の不満が残ったかもしれない。

それにしても全五局、渡辺四勝一敗で防衛が決着したが、仮にこれがフルセットにもつれるようなことになった場合には丸山の饅頭はどこまで増えたことだろうか。理論的には最終局で64個内外が予測されるのではないか。

若鶏唐揚げ三つ増量新手

2012年中盤から2013年にかけて順位戦を中心とする丸山のメニュー選択には新たな展開があった。「麻婆・焼売/ヒレカツなめこ」コンボが影を潜め、新たな定番が生まれたのだ。

それは昼に「みろく庵のさば塩焼き定食」、夕に「みろく庵の若鶏唐揚げ定食(唐揚げ三つ増量)」という新趣向であり、2012年順位戦第四局が初お目見え、一度採用されるや、にわかに丸山の定跡手順となった。以後長らく昼夜「みろく庵固め」の布陣を堅持し続けたのである。「みろく囲い」と言ってもいい(そんな言葉はない)。

以後2014年順位戦第一局まで、東京の将棋会館での順位戦対局では、丸山は一度もこの手順を変えていない。

例外は関西遠征時のみで、すなわち例外たり得ない。ちなみに関西対局については、昼に「サービスランチ」と夕に「グリルチキン」固定で、とくに「グリルチキン」についてはやはり揺るぎがない。

夕休の無い王位戦挑戦者決定リーグでも丸山は戦ったが、こちらの場合は、順位戦では夕休に注文されている「みろく庵の若鶏唐揚げ定食(唐揚げ三つ増量)」が昼休に採用され揺るがなかった。唐揚げも相変わらず常に三つ増量だ。これは言わば「みろく早囲い」である。

丸山は平生は肉をあまり食べないそうで、このように肉食ぶりを見せるのは対局時だけなのだそうだ。

ふじもと復活

数年にわたってきわめて安定して連採された「さば塩焼き/若鶏唐揚げ(三つ増量)」定跡であったが、2014年中盤から、また新展開が見られた。「みろく庵固め」が緩んで、夕休に「ふじもとのヒレカツ定食」が復活し、連採が続いたのだ。昼には「みろく庵のさば塩焼き定食」が据え置きで、夕休だけ、かつて親しんだ「ヒレカツ定食」である。ただし往時には「ヒレカツ定食なめこ汁」が定番であったが、これが「ヒレカツ定食赤だし」に変化している。どういう心境の変化があったのか、あるいはお店の都合か、即断は避けたい。

さらに2014年度最終局では、昼に「ふじもとのえびフライ定食赤だし」、夕に「ふじもとのヒレカツ定食赤だし」の「ふじもと固め」が初めて見られた。「ふじもと囲い」と言ってもいい(よくない。そんな言葉はない)。同年の丸山は四勝八敗、B1級11位に甘んじ、今なお新趣向の模索が続いているものと見える。調子が上がってくればまた問答無用の連採が始まることだろう、次の連採はどのメニューに落ち着くだろうか、予断を許さない。スペシャリストの新展開を待ちたい。

棋士と飯

こうして見てくると、行論に恣意的な部分があり、無用な諧謔も散見された。やはり牽強付会は厳に慎みたいのだが……食嗜好というか、少なくとも「メニュー選択」と「棋風」にどうしても通じるものを見てしまうのも人情だ。

加藤の徹底した「縦揃え」と棒銀一路。羽生のともすれば軽薄にすら見える自由なメニュー選択とオールラウンダーぶり。森内の重厚で安定したカレー定跡。佐藤のフルーツ&クール指向は余人と全く傾向を異とする。郷田の常に実直な選択と意外な新手開発。谷川の……セット好みと……親子、他人、南蛮……これはよく解らないな……せめて「ものすごい早飯食い」だという情報でもあれば「光速流」とオチを付けられたのだが……ダンディな物腰で知られる谷川だけにちょっと「光速食い」は考えづらい。攻守に無類のバランス感覚……とでも言っておくか。だが丼ものとそばと、どっちが攻めでどっちが受けなのか。違う話になっていきそうなのでここでやめておく。気を取り直して続ければ、渡辺の我が道を往く子供舌と事前研究の確かさ手厚さ。そして圧巻は丸山の揺るがぬスペシャリストぶりである。

結語

この記事は丸山忠久九段の近年二度の竜王戦「南国フルーツ」シリーズと「饅頭倍々ゲーム」シリーズを受けて、このひと面白すぎだろうと調べ始めたものだったのだが、各棋士のメニュー選択について調査が進むにつれ新たな予断を得てしまって、個人的にはすっかり目が曇ってしまった。わたしには最早、「飯は棋風」という命題しか見えない(谷川のことは聞かないでほしい)。

こう先入見が侵入してしまうと科学的な立論は難しい。以後の研究は曇りなき眼(まなこ)の余人に期待しよう。

また文中かなりふざけた部分もあるが、それでも筆者の棋士に対する尊敬の深さは行間に窺われるかと信じる。この点については大方の叱責を請う所存である。以上かかる暴論をご寛恕いただけるよう、厚かましながらお願いし、もって擱筆としたい。

参考記事というか全データの出処:将棋棋士の食事とおやつ (http://matchato.warabimochi.net/index.html) 素晴らしいサイトである。今後とも充実あらせられるよう、応援もうしあげる。

Published in: on 2015/11/07 at 06:23  コメントする  

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