【萬物相】韓国芸能界と暴力団

 人気急上昇中の女性歌手Aに、当時「芸能界のドン」と言われていた「チェ会長」がスカウトに来た。いくつかヒットを出しても、歌手が大金を手にするのは難しい1980年代後半のことだ。「家を一軒用意してやろうか?」。「チェ会長」の提案に、Aは「レコードを1枚だけ出させてほしい」と答えた。「チェ会長」は人間的に芸能人に接したという。会長は、1977年の大型列車爆発事故「裡里駅爆発事故」が発生した時、ある万年三流芸人が気絶した女性歌手を救出した行為に感動し、この芸人をスターにしたという逸話の持ち主だ。「チェ会長」が経営していた芸能事務所は韓国初の芸能プロダクションと言われている。

 「チェ会長」の別の顔が世間にばれたのは、「犯罪との戦争」が加速していた時だった。1991年に殺人容疑が持たれていた暴力団団長から、検察は「チェ会長」が殺人をそそのかしたとの供述を得て、「暴力団のトップに君臨する資金源」と指摘された。「チェ会長」は裁判で懲役7年を言い渡され、4年後に釈放された。出所後、「チェ会長」とAは正式に夫婦になった。

 暴力団が芸能界にかかわり始めたのはそのころからだという。芸能界の厄介な仕事を処理する「解決屋」から「投資家」になったのだ。かつて歌謡界で勢力を誇っていたある芸能プロダクション代表は「現役の暴力団長」として有名だった。所属芸能人やマネージャーが事務所を移籍しようとすると、腕か脚のどちらかがれ折られてやっと抜け出した。2000年にはソウル・汝矣島の芸能事務所でタレントの移籍をめぐり暴力団員同士の乱闘が繰り広げられた。

 意外なことに、芸能界を暴力団が仕切っていた時代は早期に終幕を迎えた。デジタル時代になり、音源をはじめとする芸能コンテンツの流通構造が革命的な変化を遂げ、時代の流れについて行けなくなったからだ。芸能界関係者は「ダウンロードという言葉がどういう意味なのか理解できない暴力団団長社長は山ほどいる」と言った。暴力団たちが右往左往していた時に、専門経営者と手を握り市場を掌握していった新グループこそ、イ・スマン氏やヤン・ヒョンソク氏といった歌手出身の芸能プロダクション経営者たちだ。

 しかし、暴力団は依然として飲食店や風俗店などを媒介として芸能界の周辺をうろついている。「法より拳の方が近しい」夜の世界の属性が原因だ。おととい、ある暴力団の副団長の結婚式に芸能人2人が出席し、司会をしたり、ウエディングソングを歌ったりしたのも、そうした共生関係の一面だ。日本では芸能界とヤクザの慢性的な結託を防ぐため、4年前に日本民間放送連盟(民放連)が暴力団と関係のある芸能人を番組から排除する指針を作成した。実際に「国民的司会者」として有名だった芸人がヤクザの幹部と電子メールのやり取りがあったとして番組を降板した例もある。韓国も今回の件を今後に生かすべきだ。

鮮于鉦(ソンウ・ジョン)論説委員
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