シリーズものばかり書くのも飽きるので、たまには違うものも書いてみる。
Z級映画の監督として、エド・ウッドは有名な人物だ。彼をモデルに、全盛期のティム・バートン監督が作った映画がある。
エド・ウッドという人物をときにコミカルに、ときにシニカルに描いている。かなり脚色は入っているが、面白さ的な観点でいえば巧みであるといわざるを得ない。白黒の映像表現はそれだけで目を引くし、俳優の演技もハマっている。
エド・ウッドという人物の題材に対して真摯に取り組み、その上で映画としての面白さも両立させようと努めている。モノを作ることを志す人は、一度は観てみるといい。勇気を与えてくれるし、時に警告も与えてくれる。
子供向けのトレカを実写映画化した作品。このトレカ自体、子供ウケしやすい下品で暴力的なイラストが多い。それを実写化した映画なわけだから、当然ながら下品で暴力的な出来だ。醜い人間を捕まえる「醜人収容所」が出てきたあたりは、思わず眉をひそめずにはいられないだろう。
酷い出来の映画を「Z級」ということがあるが、この映画は別ベクトルで酷い。ほとんど情報のないトレカのキャラに人格を植え付け、物語を展開させたことは立派だし、内容も(ある意味では)忠実の範囲内だ。それを踏まえてなおこの映画は「不快」という点のみで、評価を最低にするポテンシャルを持つ。
映画の中で、「大事なのは内面」と語る登場人物がいる。残念ながら、主要人物のダーティキッズたちは外面も内面も醜い。だが、そんなあらゆる面で醜い人間にも生きる権利自体はある。教訓を学び取るならば、そこだ。
実写とアニメが混在する、コンセンプトを聞いただけでも“違和感を感じる”作品だ。その系統の映像作品は他にもあるし、これはその中でも古めに位置する。
だが、なんてたってディズニーとワーナー・ブラザーズのコラボだ。クォリティは折り紙つき。ミッキーとバッグスの共演というだけでも歴史的だし、カートゥンのメタ的演出も見事だ。特にドゥーム判事の正体が判明するシーンは、違和感すら演出にしたおぞましさを視覚的に訴える。
正直なところ後進はこの作品の存在が大きすぎて、このようなアニメ的演出を実写に取り入れることのハードルが高くなってしまったきらいがある。
また、本作は40年代の差別主義を取り扱った小説が原作で、そのためこの映画には社会的なメッセージが隠れているのもポイントだ。その点でも偉大で、価値のある作品といえる。
絵による説得力の高さ、だが時に知的さも覗かせる。“そういうの”が大好物な人にはたまらないだろう。なお、様々なアニメ作品のコラボとしては「カートゥーンオールスターズ」のほうが遥かに豪華であるためこちらを挙げようとも思ったが、人気キャラをダシに麻薬撲滅を訴える説教臭さが鼻につくので除外した。
ポケモンアニメの劇場版1作目。子供向けであることに甘えず、大人も楽しめるしっかりとしたテーマのある名作だ。ポケモンは各国で人気のあるコンテンツで、もちろん映画の面白さも世界共通。
……かどうかはこの欧米版を観ればよく分かる。
コーヒーに砂糖やミルクをたっぷり入れて、そこからコーヒーを抜いたような映画だ。ローカライズの大切さ、子供向けと子供騙しの違い。それらを語るサンプルとして、私はこれをよく挙げる。
コメディ色の強さから、今のシリアスなバットマン像を好む層からは忌避されることもある。だが、モノ作りには時代やその人々に合わせた方法があるということは認識しておくべきで、バットマンを一般層にまで広く普及した功績は高く評価すべきだろう。
そもそも、バットマンがコウモリのコスプレをしたオッサンであることを忘れている人が多すぎる。そして、そう割り切るなら本作は今なお楽しめるだろう。
必見はバットマンの爆弾解体シーンと、鮫とのバトルシーンだ。特に鮫のシーンは、鮫映画史に残ると断言していい。
「タイタニック」の映画といえば、ジェームズ・キャメロン監督のを真っ先に思い出す人がほとんどだろう。だがタイタニックを題材にした映画は他にもたくさんあり、アニメにもなっている。これはその中の一つだ。
まず気になるのは、子供向けにありがちな喋る動物たちだ(後に魔法で人間とも会話することが可能になる)。そして、結婚を強制させられそうなヒロインなど、主要人物の設定はデジャヴを覚える。
それだけなら、よくある「子供映画病」であるのだが、この作品は社会的なメッセージ性が強いことが特徴だ。そして、それが「捕鯨反対」であることは明白だ。タイタニックを題材にした映画で、何を言っていると思われるかもしれないが本当なのだから仕方がない。
捕鯨業者がギャングのサメと共謀して巨大タコを騙し、用意しておいた氷塊を投げさせてタイタニックを沈没させた。つまり、タイタニックの事件は捕鯨業者の陰謀だったのだ。船員含めて乗客全員助かる展開にも、タイタニックによほど無知でなければ溜め息が漏れること請け合いだ。
タイタニック号の事故は実際にあった出来事だ。犠牲になった人も多い。リアルに忠実である必要はないだろうし、子供向けに動物を出すのもいいかもしれない。社会的なメッセージを作品を通して訴えることも構わない。
でも、そういうことをやるなら最低限ふまえておくべき、蔑ろにしてはいけないことがあるのではないだろうか。
「ダーティキッズ」とは別ベクトルで不愉快な作品だが、反面教師的な意味で観る価値はある。なお、この映画には続編があるが、そちらは何てことのない駄作なので興味があれば観るといい。
まず洋画であるのに、メインの舞台となるロケ地が日本であることが興味深い。主要人物が外国人のなか、他の要素がほとんど日本であることの空気感は筆舌に尽くしがたい。
周りの日本的要素が時に馴染んだり、逆に居心地が悪くなったりする雰囲気は、便利な言葉を使うなら“シュール”だ。俳優たちの演技がしっかりしているからこそ、そういう違和に味が出てくる。
恋愛映画としても良質で、男女二人の一枚岩ではないやり取りや距離のとり方も絶妙だ。
「邦画の海外ロケとかも、地元の人たちはこんな気持ちで観ているのだろうか」と思いながら観るもよし。この映画を通して「邦画にあるもの、洋画にあるもの」だなんてテーマで友達と語らうのもオツだろう。
トッド・ブラウニング監督は、サーカスの一員でもあった。そんな彼が、サーカスを題材にした映画を撮った。登場人物たちは、同じサーカス仲間である人たちだ。
しかし、彼らは奇形であった。そんな映画が「フリークス」で、まあ“問題作”というやつだ。
それを問題視した“良識人”たちが上映を妨害するのは自然の流れだったのだろう。ほどなくしてトッド・ブラウニングの監督としての人生も映画とともに幕を閉じた。
映画の内容はもちろん、まつわる出来事、背景。道徳性を説きつつ、自身の中のどこかにある、奇異の目で見てしまう心を直視することの忌避。小人プロレス然り、美醜をウリにする芸人然り。古今東西、人から職を奪うのは無知で無理解な悪人だけとは限らない。
君のヒューマニズムが陳腐でなければ、全てを噛み締め、目を背けず観てみるといい。
……機会があればな。
映画の歴史教科書だといってもいいかもしれない。それほどに本作は偉大だが、現実の教科書と違って退屈ではない。
ストーリー、人物、演出、撮影に用いられる様々な技術。どれをとってもクオリティが高く、時代を考慮してなお遜色ない。
放映当時、一部の間で酷いバッシングを受けた過去もあるが、それが明らかに不当であることは観れば分かる。
それはそうと邦題の語感の間抜けさが、いつも私は気になる。この作品の罪深さを言及するなら、そこだ。
懐古的ではあるが、「がんばれ!ベアーズ」を筆頭に、スポーツ映画というのは子供でも楽しめるように作られていた。
弱小チームが強豪チームと激闘を繰り広げる。チームには花形のイケメン、太った子、理系の眼鏡、紅一点。嫌味なライバルチーム。後半にさしかかったあたりでPVみたいな音楽を流して練習風景のダイジェスト。勝つにしろ負けるにしろ、最後は観客たちの拍手が徐々に大きくなっていき、感動のラストへ。
そんな要素をいくつか持ったスポーツ映画を、君も一度は見たことがあるのではないだろうか。90年代はスポーツ映画の黄金期ともいえるし、粗製乱造された時代ともいえる。こういうものは、型にはまってしまうと途端に陳腐化が著しくなるからだ。
かといってアイデアや設定だけを奇抜にしてしまい、何ともいえない出来になったスポーツ映画も数知れない。型にはまりたくないために、かたなしになってしまう。
大事なのは型にはまることを恐れず、真摯に作ることだと私は思う。その中で、私はこれを推したい。
ありがちな“お約束”は一通り網羅しているが、怠慢はなく、非常に洗練されている。王道の大切さ、それがこの映画につまっている。