京都の清水寺で、伝統的な街並みを守るために雑貨店の外観を戻す行政代執行が行われたという。許可なくショウウインドウを設置したことが問題だったようだ。店舗は外国人の経営する針金細工店で、ストリートビューを観ると確かに和の雰囲気をぶち壊すような店舗である。
しかし、このような取り組みは「遅きに失した」ように思う。京都は中学校の修学旅行で日本人なら誰もが一度は行くが、あまりに汚い街並みで有名だ。京都駅からしてカン違いした地方都市にありがちな誇大的なバブル趣味のハコモノ感丸出しである。1200年の都などウソのように、昭和のくたびれた雑居ビルが立ち並んでいて残念な地方景観丸出しである。大きな震災もなく、原爆投下や空襲も免れたのにこのざまなのだ。特定の寺社の境内とわずかな保全地区以外、歴史情緒はほとんどない。「大阪、神戸に並ぶ関西の3大政令市」としては田舎で中途半端すぎるのだ。マクドナルドやコンビニの看板の色を渋くしても、そもそも雑居ビルや看板に蝕まれている時点で終わっている。
戦後昭和まで京都は本来の街並みがあったという。
路面電車からは瓦屋根の店舗がズラリと並ぶ様子が見えた。重厚そうな石段を登った住宅街には、生垣や竹塀に覆われ、立派な門柱があり、広い和風庭園のある日本家屋があった。これが本来の日本人の住まいだ。この当時から、行政代執行で調和のないビルをぶち壊していれば、今のようなみっともない街並みにはならなかっただろう。昭和のくたびれた雑居ビルだってできるまえは町屋だったわけで、平成式のプレハブのようなペンシルビルも2代前は明治時代や江戸時代の町屋建築だった。
ドイツのドレスデンは戦時中空爆で焦土になったことがある。東京などと同じだ。
しかし、戦後になって復興した際に美しい街並みを復活させている。「やればできる」のである。
彼らからすれば京都はあまりに惜しい存在だろう。一度失わされたものを復興させてもそれはレプリカのようなものであるのは事実だ。自分たちは残したくても残せなかった歴史的景観が戦後もほとんど完璧な形で残っていたものを、自らの手でぶち壊した京都はイカれていると確実に思うはずだ。戦後の日本は高度成長期の中、「産業化による発展」の裏で本来の価値ある自分たちの文化を犠牲にし続けていた。「欧米に追いつけ追い越せ」と言うコンプレックスはあっても欧米から本質を見習うことをしなかったのだ。韓国あたりも今はそのレベルにある。
とはいえ、今回の行政代執行はやらないことよりはマシである。これを機に、京都の歴史的地区の街並み保全が強化され、やがてゆくゆくは、京都駅のあの発展途上国のような壊れた景観も改善されればまんざらでもないことだと思う。