安曇野市教委は6日、江戸時代の滑稽(こっけい)本「東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)」の作者、十返舎一九(1765〜1831年)の自筆とみられる書状が、同市豊科の民家で見つかったと発表した。一九は1814(文化11)年に、「続膝栗毛」の取材で今の安曇野市豊科や穂高を訪れたことが史料などから分かっており、書状には宿を提供した豊科の庄屋・藤森善兵衛への礼がつづられている。市教委は今後、研究者に依頼するなどして裏付けを進める方針。
書状を写真で確認した一九研究者の中山尚夫(ひさお)・東洋大文学部教授(日本近世文学)は、取材に「署名の一九の文字や他の史料に基づく事実関係と照らし、自筆の手紙とみられる」と説明。同教授自身はこれまで4点しか一九の手紙を確認したことがないとし、本物であれば貴重な史料だとしている。
市教委によると、書状は縦約17・5センチ、横約82センチ。末尾にある署名の「一九」の筆跡が、これまでに一九の署名とされている筆跡と特徴が似ているという。
書状で一九は、安曇野に滞在した後、新潟や会津(福島県)を回って江戸に戻ったと藤森に伝え、「御馳走(ちそう)に相成り、誠にもって御礼筆紙(ひっし)に申し尽くし難く候(そうろう)」と、もてなしへの礼を述べている。
さらに「残す所なく見物仕(つかまつ)り、万端御引き廻(まわ)しゆえ格別の御取り計らいに預かり」と取材への協力に感謝し、藤森から贈られた餞別(せんべつ)への礼の言葉も記している。末尾の署名は本名「重田貞一」の姓を使い、「重田一九」と記している。
安曇野市教委は市内に残る古文書の目録作りを進めており、市民ボランティアの「穂高古文書勉強会」が昨年6月、藤森家の蔵に残されていた古文書の調査を開始。その中から同10月末ごろに一九が書いたとみられる書状を見つけた。一部に判読できない文字が残っているという。
中山教授は「(書状は)丁寧に書いてあり、一九の実直さがうかがえる。『十返舎』と書かないところに私信っぽさが感じられる」。同市教委の学芸員逸見(へんみ)大悟さん(38)は「藤森家を一九が訪れた証しとなる史料だろう」と話している。