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僕はネットサーファー

金曜の夜らしく楽しく
ネットサーフィンをしている。

 

すると、ネット界やブログ界では
誰かの事を批評したり非難したり、
縄張り争いのような記事を書いている
ような現場を目撃した。

 

 

ああ、これではリアルと変わらない
ではないか。とほほーん。
と思ってしまう。

 

僕の感覚では、リアルで他人と分かり合えない
人が自分の居場所を見つけるような役割も
ネットにあるのかなと思っていたのですが、
結局行われてる事はリアルと一緒だ。
ポジション争いは尽きない。

 

人は結局、他人が存在することにより
自己を発見するみたいな言葉があるけれども、
結局は独りの時間が好きでも、他人との関わりは
失くせないのだろうなぁと感じる。

 

最近、僕が感じるのは独りが好きというよりかは
生産性が無い集まりが嫌いなだけかもしれないと
感じている。意味の無い飲み会や意味不明な全体主義
が肌に合わないだけなのかも。

 

ある程度、主旨が決まっている集まりは
僕は割と好きだからだ。ロンリーマンではない。
(スポーツをするために集まるとか意外と好き)

 

だけど、仲良くなる為になんとなく酒を飲むとか、
ルーティンで毎回、酒を飲むとかそういうのは苦手。

たまには良いのですが、いつもいつも
同じ顔ぶれで飲んでいたら飽きちゃう。
とても話してて楽しかったり、毎回変化を
してくるような人だったら面白いけれども。
(この人の頭には何が詰まってるのだろう?
凄い色々考えているなぁ。みたいな人とか)

 

ブログとかTwitterは割と普段見れない
色んな内面的な事を書いている人が
多いから好きなのだけれども、何か最近は
そういうポジション争いの側面や
なんとなく生産性が無いけどやってる
みたいな部分が見えてきて辛くなってきている。

 

勿論、常に自分をバージョンアップしていたり、
面白い投稿をしている方々は尊敬していますし、
良いなぁとか、凄いなぁとか思ってますよ。

 

だけど、やはり合う合わない空気感みたいなのは
ネットでもあるのだなぁと感じた。

 

最近はリアルでもネットでも全てが合う人は
当然ながらいないなぁと感じている。

勿論、それが当たり前の事だし、
僕が求める多様性でもあるのだけれども。

 

部分部分違ってるからこそ
きっと面白いのだと思う。

 

画一化されてしまうのが
何よりも辛いのである。

 

孤独な生き方もあり、
皆でワイワイ群れまくるのもあり、
ミックスもあり。

何にせよ、自分が納得できる
ように日々をおくらねば。