もうすぐ大相撲の九州場所があるが、その前に言っておきたいことがある。先の秋場所での横綱鶴竜のことだ。横綱になって初めて賜杯を手にしたが、場所中に格下相手に変化する相撲をとり、14日目は2度の変化で批判に油を注いだ。空手などの格闘技と一緒で、土俵には武士道文化で育んだ“形”がある。それが軽視されたように感じた。
横綱は、ただ勝てばいいのではない。歴史のある大相撲には極めた者が成せる“横綱相撲”がある。力士の確保を外国人に求めたことを安易に批判はしたくない。モンゴル勢の原点であるモンゴル相撲では形にかかわらない勝ち方が評価されても、大相撲では品格を問われる。
力士の大銀杏(おおいちょう)には数千年の歴史がある。鶴竜に「変わるなよ!」の声をかけた観客は、優勝への執着は理解しても、納得はできないだろう。力士たちは土俵の精神文化も学んでほしい。 (格闘技評論家)
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