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2015年11月 6日 (金)

さややが脚とか腰がかたいと書いとるけど、新しいパフォーマンスを身につけとるんやな。

ちゃんと頑張っとるようで安心した。

あと8日からマー君公演始まるのか。

アキブータンらしきのが田野センターと書いてきたから、事実なんやろなあ。
と思って待っとく。

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AKB48」カテゴリの記事

コメント

おーにっちゃんの本名は大西秀宜。おーにっちゃんの本名は大西秀宜。おーにっちゃんの本名は大西秀宜。おーにっちゃんの本名は大西秀宜。おーにっちゃんの本名は大西秀宜。おーにっちゃんの本名は大西秀宜。おーにっちゃんの本名は大西秀宜。おーにっちゃんの本名は大西秀宜。おーにっちゃんの本名は大西秀宜。おーにっちゃんの本名は大西秀宜。おーにっちゃんの本名は大西秀宜。おーにっちゃんの本名は大西秀宜。おーにっちゃんの本名は大西秀宜。おーにっちゃんの本名は大西秀宜。おーにっちゃんの本名は大西秀宜。おーにっちゃんの本名は大西秀宜。おーにっちゃんの本名は大西秀宜。おーにっちゃんの本名は大西秀宜。おーにっちゃんの本名は大西秀宜。おーにっちゃんの本名は大西秀宜。おーにっちゃんの本名は大西秀宜。おーにっちゃんの本名は大西秀宜。おーにっちゃんの本名は大西秀宜。おーにっちゃんの本名は大西秀宜。

*左翼系のみなさんへ

大西秀宜は、ご覧の通り統合失調症の精神疾患のうえ
どこの会社行ってもすぐクビになる役立たずなのでオルグしても無駄ですよ。
生活保護をピンハネできるから利用できると思ってるかもしれませんが
独自理論の屁理屈を言い出し、相手との軋轢が出始めると
掌返しで相手方の誹謗中傷と、それまでの情報を全部ネットで公開するような
嫌がらせ行為をし始めるので、関わると組織にとって大きなマイナスとなります。
今まで数多くの掌返しの嫌がらせ行為は、検索すればすぐ出てきます。

投稿: | 2015年11月 5日 (木) 18時39分
大西秀宜 精神疾患 生活保護 キチガイ AKB 裁判 日立 動労千葉 イスラム国
大西秀宜 精神疾患 生活保護 キチガイ AKB 裁判 日立 動労千葉 イスラム国
大西秀宜 精神疾患 生活保護 キチガイ AKB 裁判 日立 動労千葉 イスラム国
大西秀宜 精神疾患 生活保護 キチガイ AKB 裁判 日立 動労千葉 イスラム国
大西秀宜 精神疾患 生活保護 キチガイ AKB 裁判 日立 動労千葉 イスラム国
大西秀宜 精神疾患 生活保護 キチガイ AKB 裁判 日立 動労千葉 イスラム国
大西秀宜 精神疾患 生活保護 キチガイ AKB 裁判 日立 動労千葉 イスラム国
大西秀宜 精神疾患 生活保護 キチガイ AKB 裁判 日立 動労千葉 イスラム国
大西秀宜 精神疾患 生活保護 キチガイ AKB 裁判 日立 動労千葉 イスラム国
大西秀宜 精神疾患 生活保護 キチガイ AKB 裁判 日立 動労千葉 イスラム国
大西秀宜 精神疾患 生活保護 キチガイ AKB 裁判 日立 動労千葉 イスラム国
大西秀宜 精神疾患 生活保護 キチガイ AKB 裁判 日立 動労千葉 イスラム国
大西秀宜 精神疾患 生活保護 キチガイ AKB 裁判 日立 動労千葉 イスラム国

投稿: 検索キーワード | 2015年11月 5日 (木) 18時53分
大西秀宜が動労千葉の集会に参加する
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1433681952

動労千葉の集会に行って聞いたことや感想をちょこっと。
http://onicchan.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-96a0.html

投稿: 検索キーワード | 2015年11月 5日 (木) 18時57分

投稿: | 2015年11月 5日 (木) 21時15分

兵庫県警暴力団対策課と西宮署は8日、詐欺の疑いで、

暴力団「神戸山口組」の直系団体「大西組」組長、
大西扉宣容疑者(40)=東京都 足立 区 竹ノ塚1-29-11菅野ビル401=

ら2人を逮捕した。捜査関係者によると、神戸山口組の直系組長が逮捕されるのは全国で初めて。

イチロー選手の話がパタリと止んだのですが訂正していただけないようですね。
あ、これも皆さんが言う逃亡というやつですね。
まあ、とにかくイチローは無名選手ではなくプロに入る前から全国区の選手だったこと、土井監督に振り子打法の矯正をされたと言う2点はあなたの誤りであり、知ったかぶりでエントリーを上げたことを認めて下さい。

 27日午後4時25分ごろ、北海道長万部町のJR函館線国縫駅を通過中の函館発札幌行き特急スーパー北斗11号(7両編成)の自動列車停止装置(ATS)が作動し、緊急停止した。

 運転士が点検し、異常がなかったため約40分遅れで運転を再開した。乗客乗員約250人にけがはなかった。

 JR北海道によると、誤作動とみられる。同社は原因を詳しく調べるため、この特急を長万部-札幌間で運休とした。

引用元:http://www.sankei.com/affairs/news/150927/afr1509270026-n1.html

 27日午後7時10分ごろ、東北新幹線下りの東京-上野間を走行中の「なすの267号」(那須塩原行き、17両)で自動ブレーキが作動し、緊急停止した。

 車両点検後に再出発し、約10分遅れて上野駅に到着した後、運転を打ち切った。乗客約300人は後続の新幹線に乗り換えた。

 JR東日本によると、ブレーキに何らかの不具合があったとみられ、原因を調べている。他の新幹線に影響はなかった。

引用元:http://www.sankei.com/affairs/news/150927/afr1509270024-n1.html

25日午後8時半ごろ、岩手県の東北新幹線水沢江刺-北上間で、東京発盛岡行きはやて115号が停電で動けなくなった。JR東日本によると、午後10時ごろ、乗客約120人全員が、横付けした上りの新幹線に移動した。けが人はいない。

 はやて115号のパンタグラフを上げて架線と接触させると付近の一ノ関-新花巻間の架線で停電が発生するトラブルが起きた。仙台-盛岡間で運転を見合わせた。そのため115号は通電させず停車。
その後、架線の停電が復旧し、午後11時5分までに上下線とも運転を再開した。

引用元 http://www.sankei.com/affairs/news/150925/afr1509250044-n1.html

JR北海道 運転士が列車の安全装置を叩き壊す?

今月7日、JR北海道の運転士が列車を緊急停止させる「ATS」の操作を誤るトラブルがあり、運転士がその後、ATSのスイッチをハンマーで叩き壊していた疑いがあることがわかりました。
JRの関係者などによりますと、今月7日、JR北海道の30代の男性運転士が札幌発上野行きの寝台特急「北斗星」を札幌運転所の車庫から出そうと運転した際、非常時に列車を緊急停止させるATSの設定を誤ったため、列車が動かなくなりました。
運転士はこの後、ATSのスイッチを蹴った上、ハンマーで叩いて壊したということです。このトラブルで北斗星は75分遅れで札幌駅を出発しました。JR北海道は、原因について詳しく調べています。

http://www.htb.co.jp/news/#article01

【JR北海道】運転士、停車中に運転席を離れプロ野球選手にサインもらう
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1400516031/

JR北海道の運転士がホームにいたプロ野球選手にサインをもらうため、列車の停車中に運転席を離れていたことが分かりました。
今月13日午後7時半ごろ、JR函館線の森駅で、特急の通過待ちをしていた函館運輸所所属の37歳の運転士が、
ホームにいた日本ハムファイターズの選手を見つけ、サイン欲しさに運転席を離れていたことが分かりました。
一方、JR千歳線では14日、札幌車掌所に所属する55歳の車掌が、乗務中に漫画を読んでいたことが乗客からの指摘で発覚しました。
この車掌は「昨晩読んだ続きが気になって読んでしまった」と話しているということです。
JR北海道は、「今後このようなことがないよう、社員管理を徹底していきます」とコメントしています。

不祥事に続き、わずか3年で社長経験者が2名も自殺…JR北海道の深すぎる闇
http://matome.naver.jp/odai/2138988181575541201

JR北海道、基準値を超える強風で通常運行を継続 警報が鳴らず基準超え気付かず
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news/1415021992/

3日朝、北海道稚内市のJR宗谷線抜海-勇知間を走行していた稚内発札幌行き特急列車「スーパー宗谷2号」が、
運転中止の基準となる風速30メートルを超える強風が吹いていたにもかかわらず、警報が鳴らなかったことから、
通常の運転を続けていたことが同日、JR北海道などへの取材で分かった。

特急列車は緊急停止や減速をせず、強風の区間を通過したが、事故や乗客のけがはなかった。
JR北海道は、脱線などの重大事故が発生する恐れのある「インシデント」に当たる可能性があるとして、国土交通省に報告した。

同社などによると、3日午前7時20分ごろ、特急が走行していた地点に最も近い風速計が、風速30メートル以上を観測。
しかしこの区間を担当する指令所で、強風を知らせる防災システムの警報が鳴らなかったため、
指令員が基準値超えに気付かず、列車に運転中止の指示を出さなかったという。

【鉄道】JR北海道、自動の非常ブレーキ利かず運転...札幌~函館結ぶ特急北斗で [14/12/29]
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1419861872/

 JR北海道は29日、札幌-函館を結ぶ特急北斗の車両1編成を、自動列車停止装置(ATS)などの安全装置が作動しても、
自動で非常ブレーキが利かない状態で運転していたと発表した。
非常ブレーキは空気圧で作動させる仕組みだが、空気管の弁が閉じて空気の流れが遮断され、利かない状態になっていた。
 JR北海道によると、28日の検査で発覚。前回確認した11月28日以降、特急北斗として43回運転し、約1万3800キロを走行。
乗客約1万人が乗車したが、安全装置が作動するトラブルはなかった。
 弁の開閉を操作するコックは運転席床下の機器室にあり、11月28日の整備で空気管の弁をいったん閉じた後、
開いて自動の非常ブレーキが作動する状態にして針金で固定、機器室を閉じて封印シールをした。
 12月28日に札幌運転所(札幌市)で運転前の検査をした際、シールが一部はがれているのが見つかった。
中を調べたところ弁が閉じて針金もなかった。
 昨年10月にも札幌?網走を結ぶ特急オホーツクで同様にコックが閉じているのが見つかった。
再発防止のため針金や封印シールを導入したといい、JR北海道は「故意も含めてあらゆる可能性を調査中」としている。

北陸本線 急行「きたぐに」号火災事故(通称 「北陸トンネル事故」)
1972年11月。死者30名、負傷者714名。

深夜の北陸本線を走行中の寝台列車「きたぐに」 号が、長大トンネル「北陸トンネル」を走行中に 食堂車から出火。
列車はマニュアルに則ってただちに緊急停車したが、寝静まった深夜に狭いトンネル内で発生した 大規模火災のため、煙に巻かれた乗客30名が死亡。
実は3年前、同じ北陸トンネル内で「日本海」号 が同様の火災事故を起こしていたのだが、そのときは運転士が機転を利かせ、
トンネル内で停車せずそのまま走り続けてトンネルを出てから停車したため、消火と避難をスムーズに行い一人の負傷者も出さなかったという事例があった。
しかしながら当 時の国鉄は、列車火災時にはただちに停車するよう定めたマニュアルを無視したとして「日本海」号の運転士を処罰してしまった。
そのことを知っていた「きたぐに」号の運転 士はマニュアルに忠実に行動したのだが、その結果として被害を大きくしてしまったのである。
「きたぐに」号の事故後国鉄は列車火災発生時の 対処法を研究し、発生場所がトンネル内であった ときはできるだけ走り続けてトンネルを出てから停車する方が良いという結論を見出すに至った。
最終的に「日本海」号の運転士に下された処罰は撤回されている。
この事故を契機に、列車火災事故に対する対策が 全国的に強化されることとなった。

関東鉄道線 取手駅列車暴走事故
1992年6月。死者1名、負傷者251名。

朝ラッシュ時で満員状態だった取手行きの上り列車が暴走して、終点の取手駅に突っ込み線路終端の車止めを突破、壁を突き抜けて駅ビルの店舗内に突入した。
原因は青山事故同様、運転士のブレーキに対する知識不足だった。
一駅手前の西取手駅でブレーキが故障してかかったまま緩まなくなったのだが、運転士は車両の床下にあるブレーキエアーを抜くことでブレーキを 解除したものの、
今度はエアーが抜けているためかからなくなってしまったという、文字で書くとずいぶんお粗末な事故。
関東鉄道がその後、ガタの来ている中古車ではなく新車を買うようになったのはこの事故がきっか けだとも言われている。

阪急神戸線 六甲駅列車衝突事故
1984年5月。負傷者72名。

六甲駅から発車しようとした山陽電鉄の回送電車 の側面に、同駅を通過しようとした阪急の特急電車が突っ込む。
回送電車を運転していた山陽の運転士がATSを勝手に切っていたうえ、信号も時刻表も確認しないで発車したことが原因。
当時の山陽電車はダイヤを無視して運転することが常態化しており、乗務員の規律の乱れがきわまって引き起こされた事故だと言える。
運転士は逮捕されたが、供述によると特急をやり過ごしてから発車しなければいけないことすら知らなかったと言っていたという。
なおこの回送電車の車掌は、自身が直接の事故の当事者ではないにも関わらず、事故を防げなかった責任に耐え切れずに後日自社の電車に飛び 込んで自殺している。
この事故により山陽電鉄には業務改善命令が出され、同社の安全への姿勢を大きく変える契機と なった。

東武伊勢崎線 館林駅付近での踏切事故(通称 「館林事故」)
1969年12月。死者7名、負傷者101名。

準急浅草行きが、踏切を無理に横断しようとした 大型クレーン車と衝突。
列車はクレーン車を巻き込み、車両が180度ねじれるほどに破壊され、その場で解体された。
東武鉄道が踏切での事故防止に取り組み始める きっかけとなった事故。

成田線 久住~滑河間での踏切事故(通称「大菅 事故」)
1992年9月。死者1名(電車運転士)、負傷者65名。

現場は踏切の手前の道路が急な下り坂になっており、土砂を過積載した大型ダンプカーが止まりきれずに踏切へ進入、電車と衝突したもの。
電車の前面は完全に押しつぶされ、運転士が閉じ込められた。運転士はしばらく息があったものの、救出に手間取り病院へ搬送中に死亡した。
この事故はJR東日本が踏切事故防止に力を入れる契機となったと同時に、
同社がこれ以降製造する電車にクラッシャブルゾーンと呼ばれる衝突時の衝撃を吸収し乗務員や乗客を保護する機構を採用するきっかけともなった。
平成以降に製造されたJR東日本の電車は、運転席 のイスのすぐ後ろに窓のない扉がついていて、
事故時はレスキュー隊がここをぶち破って運転士を救出できるようになっている。
今度電車に乗った ときにはぜひ見てもらいたい。
一方 、過積載状態のダンプカーを走らせた運送会社や石材屋には、1億円を超える損害賠償命令 が下された。
と同時に、貨物自動車の過積載に対する取締りを強化するきっかけともなった。
あまり有名な事故ではないが、各方面に多大な影響を及ぼした事例。

西武新宿線 田無駅追突事故(通称「田無事故」)
1986年3月。負傷者204名。

田無駅に停車中の準急西武新宿行きに、後続の急行が追突。
原因はブレーキシューに雪を噛んでしまい、ブレーキが効かなかったためとされる。
現在西武鉄道は非常に安全への意識が高く、鉄道 業界内でも「お堅い会社」として知られているが、
その社風を生んだ契機となった事故だと言わ れている。

常磐線 三河島駅衝突事故(通称「三河島事故」)
1962年5月。 死者160名、負傷者296名。

蒸気機関車が牽引する貨物列車が赤信号を見落として誤った線路に入り脱線。
併走して進んできた取手行きの下り電車が折り重なるように脱線し、 上り線の線路を塞いだところに上り電車もやってきて衝突。
国鉄五大事故にも数えられる三重衝突事故。
最初に貨物列車と下り列車が衝突した段階で、下り列車の乗客は自力で電車から降り、上り線の線路を歩いて避難し始めた。
そこに上り列車が、脱線していた下り列車の車体を破壊しながら線路を歩く人の列に突っ込んできたのである。
この事故は列車防護(事故を起こした列車に他の 列車が近づかないよう停止手配を取ること)の重要性を示す契機となった。
本件では、現場に上り列車が到達するまで6分の時間がありながら適切な列車防護を行わなかったとして、乗務員や駅関係者が処罰された。
ちなみに現在でもまだ、死者のうち1人だけ身元がわかっていないという。

常磐線 三河島駅衝突事故(通称「三河島事故」)
1962年5月。 死者160名、負傷者296名。

蒸気機関車が牽引する貨物列車が赤信号を見落として誤った線路に入り脱線。
併走して進んできた取手行きの下り電車が折り重なるように脱線し、 上り線の線路を塞いだところに上り電車もやってきて衝突。
国鉄五大事故にも数えられる三重衝突事故。
最初に貨物列車と下り列車が衝突した段階で、下り列車の乗客は自力で電車から降り、上り線の線路を歩いて避難し始めた。
そこに上り列車が、脱線していた下り列車の車体を破壊しながら線路を歩く人の列に突っ込んできたのである。
この事故は列車防護(事故を起こした列車に他の 列車が近づかないよう停止手配を取ること)の重要性を示す契機となった。
本件では、現場に上り列車が到達するまで6分の時間がありながら適切な列車防護を行わなかったとして、乗務員や駅関係者が処罰された。
ちなみに現在でもまだ、死者のうち1人だけ身元がわかっていないという。

東海道線 塚本~尼崎間人身事故
2002年11月。死者1名、負傷者1名。

線路内で遊んでいて電車に撥ねられた子供を救助していた救急隊員2名が、後続の特急「スーパー はくと」号に撥ねられて死傷したもの。
現場の救急隊員に列車の運転を再開することが伝わっていなかったこと、現場から指令所に対する 現場の状況の説明がうまく伝わっていなかったこと、
特急の乗務員に対する「最徐行」の指示が伝 わっておらず120km/hのフルスピードで現場に突っ込んだこと、
JR西日本が運転見合わせが長引くことで苦情が殺到することを恐れ運転再開を急いだことなど、さまざまな人的要因が重なって発 生した事例。
JR西日本に限らず、全国の鉄道会社に「確実な 情報伝達」の重要性を知らしめる契機となった事故。
なお近年、人身事故の運転再開に1時間を越えるような長い時間を要するようになったのは、
この 事故をきっかけとして運転再開の判断が慎重に なったのも一因であると言われている。

東海道線 茨木駅付近での人身事故(通称「京阪 100周年号事故」)
1976年9月。死者1名。

東海道線の京都~大阪間の開業から100年を迎えるのを記念して、国鉄は蒸気機関車を使用したイベント列車「京阪100周年号」を同区間に1往復走らせた。
当時すでに蒸気機関車は第一線を退いていたうえ、日中の東海道線をSLが走るというこ ともあり沿線は見物人でごった返していた。
そんな中、写真を撮ろうと線路内に侵入していた小学生がこの京阪100周年号に撥ねられて死亡。
事故時の状況をめぐって訴訟問題にも発展し、当時マスコミにも大きく取り 上げられた。
俗に「復活蒸機」と呼ばれるSL列車は全国で後年活発に走ることとなるが、国鉄およびのちのJRが都市圏で蒸気機関車を走らせたがらないのは、
ひとえにこの事故が禍根を残しているためとされている。

東海道線 名古屋駅構内衝突事故
1982年3月。負傷者14名。

名古屋駅で停車中の寝台特急「紀伊」号に連結するはずの機関車が、20km/hものスピードで衝突した事故。
原因は、機関車を運転していた運転士が休憩時間に深酒をしたことによる酔っ払い・居眠り運転であった。
当時このような国鉄の「たるみ事故」が問題視されているさなかの出来事であったためマスコミにも大きく取り上げられ、
顕著になりつつあった労使間の癒着も遠因として糾弾された。
この事故を契機に国鉄では執務態度の引き締めが行われ、「職場規律を正します」という吊り広告 が電車に張られる事態にもなった。

参宮線 六軒駅衝突事故(通称「六軒事故」)
1956年10月。死者42名、負傷者94名。

参宮線とは現在の紀勢本線の一部で、事故当日は伊勢神宮で大祭が行われていたため、参拝客が非常に多く参宮線のダイヤは朝から乱れていた。
上り列車が遅れていたため、六軒駅で臨時に下り列車と上り列車の行き違いを行うことを決定。
六軒駅を通過する予定の下り快速列車を臨時停車させ、遅れている上り快速列車(いずれも蒸気機関車牽引の客車列車)とすれ違わせようとした。
しかし下り快速列車が駅手前に設置されている 「停車」を示す信号を見落とし、
そのまま駅に進入したところ駅出口の信号が赤だったことから慌ててブレーキをかけるも及ばず、列車は本線を支障して脱線。
約20秒後、所定通りの速度で進行してきた上り快速列車が脱線している下り列車の客 車を粉砕するように突っ込み、転覆した。
夜を徹しての復旧作業が行われたが、脆い客車を圧し潰した重い機関車をどけるのは並大抵のことではなく、
特に下り列車の1両目に乗っていた修学旅行の高校生たちは上り列車の機関車から噴出した高温蒸気を浴び、みな重度の火傷を負って多 くが死傷した。
また当時の国鉄総裁がその日のうちに現場に行き、悲しみに暮れる遺族たちの前で涙混じりに頭を下げ国鉄の安全性向上を誓ったと いうエピソードは有名である。
この事故を契機に国鉄は、現在では当たり前となっている列車非常停止装置(ATS)の開発を進め ることを決定し、
信号を見落としにくくするよう 現在のような色灯式(赤・黄・青のランプの組み合わせで表示する)信号機への取り換えが促進さ れた。

近鉄大阪線 列車脱線正面衝突事故(通称「青山 事故」)
1971年10月。死者25名、負傷者227名。

近鉄大阪線の名古屋行き下り特急列車が、東青山駅手前でATSの誤動作によりブレーキがかかって停車。
知識のない運転士がブレーキが解除できな いことに焦り、各車両の床下にあるブレーキエ アーのコックを切って発車したところ、
今度はブレーキがかからなくなって急な下り坂を暴走。
120km/hものスピードで東青山駅に突入し脱線したが、前の2両だけがはずみで脱線したままその 先のトンネルに突っ込み、走ってきた京都行き上り特急列車と正面衝突した。
ブレーキがかからないまま下り坂を暴走するに至った経緯については諸説あるが(当事者が全員死亡しているため真相は不明)、
乗客はすでに乗務員によって後部車両へ避難させられていたという証言から、かなり初期の段階で乗務員には手を 出せない致命的な状況であったと思われている。
なお上り列車には偶然にも京都で行われる学会の ために医師や看護婦が多数乗車していたため、その場での負傷者の応急処置に尽力されたと言われている。
この事故を契機に近鉄では大阪線の早期複線化を前倒しで着工し、またATSシステムの改良を行う きっかけともなった。

信楽高原鉄道 列車正面衝突事故
1991年5月。死者42名、負傷者614名。

信楽発貴生川行き上り普通列車と、「世界陶芸祭」に合わせてJR西日本が運行する京都発信楽行き下り臨時快速列車とが、単線の線路上で激しく正面衝突。
双方の列車は押しつぶされ山のように盛り上がり、いずれの列車も超満員であったことから人的被害が大きくなった。
また上り普通列車は信楽高原鉄道の所有する簡素な造りの車両、JRの下り快速列車は国鉄時代に製造された重厚な造りの車両であったことから、
特に上り普通列車で死傷者が多く発生した。
原因は信楽駅の信号機が故障した際に信楽駅の駅員がとった対応の不適で、
行き違う下り列車が信号場で停車しているのを確認してから上り列車を 出さなければいけないところを怠り、
上り列車を 発車させてしまったことによるとされ、裁判にもなった。
これにより信楽高原鉄道は途中での上下列車の行き違いをやめ1本の列車がひたすら往復するだけのダイヤに改めたほか、
事故に衝撃を受けたいくつかの地方鉄道ではトラブル時の不慣れさが事故につながりかねないとしてJRとの直通運転を廃止した。
加えて当時経営状態の良くない地方鉄道がこぞって導入していた、
自動車部品を多用して製造する 「レールバス」と呼ばれる簡素なディーゼルカーの安全性がこの事故を契機に問題視されたことから、
現在では再び安全性を高めた頑丈な車両 が製造されるようになった。

山陽本線 岩国 ~南岩国間での踏切事故
1958年8月。負傷者43名。

遮断機のない警報機だけの踏切に進入してきた米軍トラックに、京都行き上り特急「かもめ」号が 衝突し転覆した。
原因は直前にこの踏切を下り列車が通過していて、トラックの運転手がすでに列車が通り過ぎたからと踏切を渡ろうとしたところ、
反対側から来た上り列車と衝突したもの。
現在踏切には列車の接近方向を示す矢印の表示機がついていることが多いが、それはこの事故をきっかけに開発されたものである。

中央線 三鷹駅列車暴走事故(通称「三鷹事件」)
1949年7月。死者6名、負傷者19名。

中央線の三鷹駅に隣接する車庫に停車してあった電車が突如無人のまま動き出し、70km/hものスピードで脱線転覆し駅舎や線路わきの民家を破壊 して停車した。
原因は何者かが電車に侵入して勝手に動かした犯罪行為によるものとされ(通称が三鷹『事件』な のもそのため)、
労働組合員が逮捕されるも獄中で死亡したため、真相はいまでもわかっていない。
戦後の混乱に乗じて起こった国鉄三大事件の一つに数えられ、組織としての国鉄のきな臭さが日本中に報道されるきっかけとなり、
鉄道会社としての国鉄の体制を近代化する契機になったとも言われている。

近鉄奈良線 列車暴走追突事故(通称「生駒トン ネル事故」)
1949年3月。死者49名、負傷者272名。

上り上六行き急行列車が生駒トンネル内の急な下り坂の途中で突如ブレーキが効かなくなり、石切 ~瓢箪山間の長い急勾配を暴走。
ブレーキの効 かないまま10km以上走行したのち、花園駅の先で猛スピードのまま先行の普通列車に追突した。
原因は急行列車のブレーキ故障とされたが、当時の車両には生駒山を越える急勾配区間を走行するにも関わらず簡素なエアブレーキしか装備されておらず、
近鉄がより近代的なブレーキ装置を開発・普及させる契機ともなった。
なお急行列車には乗務員のほかにも非番の近鉄社員や警察官が偶然乗り合わせていて、乗客を適切に誘導し床に伏せさせるなど受身の体勢を取らせ、
ハンドブレーキを精一杯回したり窓を全開に して空気抵抗を増させたりと、できるだけのことをやったという。
これだけの大事故にも関わらず人的被害を最小限に食い止めることができたとして、49人の死者を出しながらも彼らの活躍は伝説として近鉄社内では語られることもあると言われる。

西成線 安治川口駅列車脱線事故(通称「西成線 ガソリンカー事故」)
1940年1月。死者190人、負傷者82人。

大阪の西成線(現在のJR桜島線)では軍需産業に よって急激に需要が増加していたため、
軽油で走る通常のディーゼルカーではなくがガソリンで走るガソリンカーと呼ばれる車両を導入し運行していた。
安治川口駅構内で下り列車が到着する際、ポイントが途中で切り替わってしまったため最後部の1 両が脱線し横転。
ガソリンタンクから漏れた燃料 に引火して爆発し、超満員だった乗客たちは脱出するいとまもなく死傷した。
死者190人という数字は今日でも、日本の鉄道事故では最も多いものである(ちなみに「鉄道会社が起こした事故」で死者が最も多いのは、国鉄青函連絡船「洞爺丸」沈没事故の死者1155名)。
この事故を契機に国鉄では列車の通過中にポイントが切り替わらないようにする装置を開発し、また抜本的改善策として西成線大阪~桜島間の電車化を急遽決定。
また戦後日本のディーゼルカーが引火点の低いガソリンではなく軽油駆動になったのは、ひとえにこの事故の教訓による。

中央線 東中野駅列車追突事故(通称「東中野事 故」)
1988年12月。死者2名、負傷者116名。

停車中の中野行き下り普通列車に、後続の下り列車が30km/hで追突。
列車は大破こそしなかったが大きく損傷し、特に追突した方の列車の運転室は完全に押しつぶされていて、運転士は死亡した。
運転士が死亡しているため証言が得られなかったが、ATSが設置されているにも関わらず発生した大事故だったため、全国の鉄道会社に波紋が広がった。
東中野駅の入り口はカーブのため見通しが悪く、また当日は若干ダイヤが乱れていたこともあり遅 れを取り戻そうと速度を上げたとも言われてい る。
この事故をきっかけに、より安全度の高い 「ATS-P 」と呼ばれるコンピュータ制御を用いた新型ATSを開発することとなった。

横須賀線 川崎~横浜間での衝突事故(通称「鶴 見事故」)
1963年11月。死者161名、負傷者120名。

現在の京浜東北線鶴見~新子安間を走行中の下り貨物列車が突然脱線し、
線路をふさいだところへ夜の帰宅ラッシュで満員状態の横須賀線の上り東京行き普通列車と下り逗子行き普通列車が同時に突っ込み三重衝突を起こすという、
悪魔のいたずらとしか思えない事故。
90km/hを超える高速だったと言われている上り列車は先頭車両が脱線している下り列車に接触し弾き飛ばされ、
下り列車の4両目を串刺しにしたうえ5両目に覆いかぶさるように粉砕。死傷者の多くはこれらの車両の乗客や乗務員だった。
原因は貨物列車の貨車が、そのスピードや積荷の状態、また線路のカーブの具合などが複雑に関係して車輪が線路に乗り上がってしまう
「競り合い脱線」を起こしたことによるとされ、2000年に地下鉄日比谷線の電車が中目黒駅で脱線した事 故も競り合いが原因であったのは記憶に新しいところである。
本事故を教訓に国鉄は本格的に競り合い脱線の研究を進め、廃線跡を活用した大規模な実験施設を設けて研究を進め、車輪や塗油器などシステムの改良を推 進することとした。

さややの事はもう書くな、お前に応援されたらそれだけで傷物になってしまう
まずは禿頭を隠すことから始めよう!
みんなお前がきもいってよ!

応援頑張りや!家には帰らんでええから応援しとったらええ。

で、裁判にも勝てず、周りに自分の意見も伝えられず、与えられた仕事も達成できない、スカスカの頭脳と、完全無比の超絶不細工&キモイ声に産まれたかなりの不運についての言い訳はよ。

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