比島方面作戦経過の概要
昭和三十二年五月調製
引揚援護局
第一 比島の一般状況に就て
・・・比島人はスペイン統治三百年、アメリカ統治六十年の結果西欧文明就中アメリカ物質文化の影響を可成り強く受けてゐる、白人特にスペイン人とのミステーサが多く政治家、財界人等比島の有力者中その過半数は多少の差はあれ何れも白人の地を受けてゐると云って過言でない。一般に白人崇拝の念強く形式的アメリカ模倣が旺んで義務心を伴はぬ権利のみを主張する事多く其の考へは功利的で又感情が強い。
第二 比島作戦の特質
二 現地住民は終始反日抗日的であった。
比島人の対白人感情に就ては既述の通りであって比島住民の大部は日本軍の比島占領以后に於ても終始反日的感情を抱懐してゐたものの様である。これが為比島に於ける米軍の諜報、謀略活動は極めて容易であって比島と比島外米軍との無線連絡は日本軍占領下に於て数次の討伐にも拘はらず絶えず行はれ、又我が方の単独若くは少数兵に対する殺害、襲撃事件等は随所に発生し車輌の運行妨害多く特に作戦末期頃においてはゲリラ活動スパイ活動は其の頂点に達し我が作戦に齟齬蹉跌を来した事は誠に甚大なものがあった。
「レイテ」島作戦兵団中に生還者の僅少なのは全くこれ等「ゲリラ」部隊の活動に依り傷病者に至る迄総て殺害せられるに至った結果に外ならない。
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レファレンスコードC14020758900比島方面作戦経過の概要
別冊其の一
比島軍政の概要(素案)
史実部
四 行政
(一)民心動向
日本軍の上陸より「コレヒドール」要塞陥落に至る迄は四十年に亘る米国施政の教育に依り日本に対し一般に好意を有せず行政府要人に於ても止むを得ざる協力程度の域を脱せざるものありたり。然れども同島陥落は日本の力を現実に認識せしめたると上陸以来の日本の真意闡明は逐次浸透し対日依存及協力の態度漸次積極的となり来たれり。
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レファレンスコードC14060781900南方作戦に伴う占領地行政の概要 昭和21.5
極秘
最近に於ける比島事情
昭和十九年三月三十一日
大本営陸軍部
第一 概説
比島は独立後も尚親米(依米)思想各階級層に普く底流し牢固として抜くべからざるものあり、加ふるに近時食糧を始め、諸物資の窮乏並に物価の高騰は一般民衆をして益々不安を助成せしめ且つ敵側宣伝の激化巧緻と相俟ち昔日の自由主義的生活を憧憬せしむるに至らしめ、対日信頼協力は極めて消極的にして敵匪の活動益々活発なるものあり。軍政撤廃後に於ける比島政府の政治力の薄弱、行政技術の貧困及官公吏の義務奉仕観念の稀薄等は政治的成果向上の為大なる障碍となりつつあり。
又一千八百万の比島民は其の種族、宗教、言語極めて複雑にして剰へ華僑及混血児の特異なる存在は比島の国家的団結の強靭性を失はしめあり。
更に歴史的植民地的なる思想、文化、経済の基盤に上塗りせられたる米国的高度物質文明は比島民特に「インテリ」層をして怠惰にして窮乏に耐ふるの念なく、圧制に対し徒らに饒舌的反抗心強きものとなしありて、大東亜戦争遂行上比島の戦略的地位に鑑み大に注意を要すべきところなり。
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レファレンスコードC14020710900(1枚目)最近に於ける比島事情 S19.3.31
第三 戦斗に影響を及ぼしたる気象地形及住民地の状況
三、「リザール」州は「マニラ」に近きに不拘従来より住民の思想治安状態共に悪き処にして「アンチポロ」の出身なる「マルコス、アウガスチン」少佐(後中佐)之の地に拠りて「ゲリラ」隊を組織するや各町村長土民悉く彼に協力し今尚米軍の再来を信頼しある状態にしてために情報の蒐集、討伐行動共に困難なりしも後半皇軍の真意を理解するに及び協力するもの顕れたれ共積極性を欠き充分ならず
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レファレンスコードC13071541100(2・3枚目)歩兵第20連隊 第1大隊戦闘詳報 昭和17年8月1日~17年12月31日
昭和十七年十二月二十日
「ラユニオン」州粛清工作の教訓
西地区警備隊 本部
第一、「ラユニオン」州対日抗戦組織の特性
「ラユニオン」州対日抗戦組織の主要なる特性左の如し
一、匪民合一
「ラユニオン」州に於ける抗戦組織の中核は「バーネット」の統率せし米比極東軍歩兵第百二十一連隊にして
1、我討伐並に宣伝宣撫の徹底を欠きしと
2、之に乗ずる敵匪が対民衆宣伝の滲透に成功せ(?)んとに依り親米思想深く透徹しありて米国心酔の迷夢覚めず皇軍の武力を過少に評価し米軍再攻を信じ州知事「カマチョ」以下各町村長を始め全州娄〔ママ〕く「バーネット」匪に加担し匪官民合一しあり。
之がため情報の蒐集は極めて困難なる状況にありて陰に匪勢猖獗を極むと雖〔原文「口+虫」〕も外観極めて平穏を装へり。即「バーネット」は此の潜在性を利用して我警備兵力の減少を待ち蠢動を企図しありたり。
第三「ラユニオン州粛清状況(十月初旬以降)
其の二 各時期に於ける粛清状況
一、第一期(十月初旬)
1、討伐状況
イ、北部「ラユニオン」州討伐(自十月二日至十月五日)
ロ、南部「ラユニオン」州討伐(自十月七日至十月十二日)
ハ、右討伐は我断乎たる態度を以て極めて峻厳に実施し通匪行為者の一刀両断兵匪の家屋の焼却等を敢行し当時殆ど通匪しありし全住民をして震撼せしめ以て匪民分離の第一歩を踏み出さしめたり。
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レファレンスコードC14020725300(3・4・20枚目)匪首捕獲の参考 S17.12.25
鎌報第一号
宣伝工作状況に関する件報告
昭和十九年一月四日 ラグナ地区警備隊長
垣第六五五〇部隊参謀長殿
首題の件に関し別紙の通り報告す
別紙
一、(略)
二、最近「ラヂオ」の「デマニュース」を耳にする為か或は匪団の行ふ「デマ」宣伝に眩惑せられる為か密偵の報告を総合するに住民の大分は今猶米軍再来説を信じありて南方に於ける偉大なる我軍の戦果も信用せず各警備隊より配布する宣伝用ポスター新聞等も余り信ぜざるが如し
特に甚だしきに至りては米軍再来の暁現在使用中なる軍票も其の価値を失するに至るべしとの甚だしき言辞を弄しある者ある状況なり
三、「ラグナ」州一般の民情を総合するに住民は新比島建設の急務は相当承知しあるも一方には米軍の「デマニュース」も礼潜〔ママ〕し米国の悪口は衷心より決して口に出さぬ状況なり・・・
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レファレンスコードC13071632000(1枚目~)歩兵第33連隊 (鎌田隊)発翰綴 昭和19年1月4日~19年10月11日
パラワン憲高第三〇号
昭和一九 四 二五
パラワン憲兵分遣隊
治安月報(自三月二十六日至る四月二十四日)
一、総合判決
●比島側の施政物資不足に伴ひ其の弱体を暴露し民心不安と敵反抗激化に伴ふ各種「デマ」宣伝に眩惑せられ曖昧なる態度に出で容易に進展せず稍々もすれば米軍再来を希求すが如き徴なしとせず注意を要す
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レファレンスコードC14061191600(1枚目)パラワン憲兵分隊資料 昭19.1.8~19.9.28
「極秘」印
比憲高第一五〇号 昭和一九、三、六
比島憲兵隊本部
(カバナツアン憲兵分隊報)
情報
時局問題に対する「カバナツアン」地方民心の動向
一、要旨
カバナツアン憲兵分隊に於ては女学校生徒二百余名に対し憲兵干与を秘匿し仝校邦人教師をして無記名にて所感文を徴せしめ対時局動向を観察せるが
●米軍の再来を希求妄信しあるもの 六〇%
●現実の苦難は戦争のためなりとし日本軍を呪咀〔ママ〕するが如きもの 三〇%
●日本軍の真意を理解し大東亜民族としての自覚に徹しありと認めらるゝもの 一〇%
等にして一般民情を窺知せらるゝと共に将来の施策上好個の資料たりと認めらる
二、主なる所感文内容
●何故東洋人が此処に来たか 彼等が来ない前は幸福であり「ゲリラ」も居なかった、日本軍が比島を独立さしたが喜んで居るものは少ない、我々は日本を期待出来ない
●黄色人種でなく我々は他の人種の来るを待っている
●日本軍は「ハイスクール」から他へ移って貰らいたい、又真に我々の事を思って呉れるなら風雨や暑さから救われるように一日も早く「ハイスクール」を開けて貰らいたい又日本人は女性を卑下する傾向がある吾々は只米軍の来ることを期待するのみ
●戦争は我々を不幸にした我々は三ヶ年も苦しみ今尚苦しんでいる何故か?住民の中には一日の食事も充分に摂って居らないものが沢山居る・・・・
物価は日一日と昂騰する何故其の様になるか?
月給取が四十円やご受援でどうして家族を養って行くことが出来るか、お前達は此の残忍悪辣なものを知っているか
●今年中に戦争が終らないと物価は益々高くなるし我々は餓死するばかりだ私も「ゲリラ」になりたい、そして日本軍と戦争したい、そうすれば日本も軈て「スペイン」の様になるだろう
●比島は日本より独立を与へられたが此の独立は永いことはないと思ふ
●戦前は自由な生活で書物等も如何なるものでも読むことが出来た戦前の生活に一日も早く帰へりたい
●日本人は女性を卑下するが比島の習慣は男女を尊敬せねばならぬ比島では一家の男子は統治者で婦人は女皇である
「スペイン」は此の習慣に反したので比人が反抗した
●日本軍は言葉が判らぬため罪なき人を殺したり又比人の顔を平手打をしたりした 日本軍は「ビール」を呑んで歩き娘に出会ふと肩に手をかけて冗談をする、日本軍ならこそ我慢をする
●日本軍は我々の校舎を奪った早く返して欲しい、そしたら協力する
●我々は現在生活上経済的に精神的に最も苦しい難関に逢着しているそれは誰のためで又どうしてか、日本人の来島に依り違った風習が比島人に与へられた悪影響は恐ろしい
●亜米利加は我々に享楽と怠惰を教へた日本は我々に勤労と大東亜民族の自覚とを教へた日本は東洋の母である
我々は始めて産業発展の重要性と勤労の尊さを知った
●日本人は生活様式及風習、歴史、舞踊等を我々に教へて貰らひたい
斯くすることに依って日比両国の間柄は益々緊密化するものと信ずる
三、其の他参考事項
1、最近の戦況及「マニラ」方面に於ける防空諸施設の整備等により近々米軍来襲せんとの臆測を有するもの大部にして日本の苦戦は軈て米国の勝利なるべしとの感を抱くもの尠からざるものあるを窺知せらる
2、中等学生中には邦人教師に対し日本の政治形態及天皇とは如何なるものなりや、自爆自刃の意義を質問する等其の都度説明しあるが一般に了解し得ざるものゝ如しと(了)
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レファレンスコードC14061199500(1枚目~)パラワン憲兵分隊 警務書類綴 昭19年
「軍事極秘」印
駿参乙(情)第一号
情報記録 昭和十九年七月十一日 バギオ
第一 要旨
近時太平洋方面に於ける敵反攻の熾烈化欧州第二戦線の実現等一般情勢の急迫化に伴ひ愈々米軍再来を盲信せる管内残匪は急速なる自己地盤の拡大を凡ゆる手段を盡して匪徒の獲得に努むる一方彼等の再建工作●●隘路となりつつある兵器の獲得に関しては其目標を比島警察隊員に指向し之が襲撃拉致等其行動逐次露骨となりつつあり而して一部比島警察隊員に在りては秘かに米比軍系匪団と密絡寧ろ積極的に之が援助をなしあるもの等を散見せらるる状態にあり最近西地区方面に於て稍々多発しある敗匪の比警察襲撃事件に徴するも一部比警は何等之に抵抗することなく寧ろ妥協的に兵器を提供せる疑なしとせず又南地区方面に於ても共産匪に対しては強圧手段を以て臨み徹底的討伐を敢行しあるも米比軍系匪団に対しては稍々同情的態度に出で討伐等に方りても極力之との交戦を回避し或は暗々裡に之を逸脱せしむるが如き行動を看取せられつつありて将来之が誘掖指導上注視を要す
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レファレンスコードC14061214600(1枚目~)ツゲガラオ憲兵分隊 情報綴 昭19.7.3~19.12.3
駿参乙(情)速第十五号
情報速報 昭和十九年九月二十九日(?)
比島政府宣戦布告に対する反響(「バギオ」憲兵隊報)
一、要旨
比島屡次の空襲に引続き今次ラウレル大統領の宣戦布告に対し民心は極度に動揺の兆を呈しあり
1、米軍再来は目睫に迫れりとなし一般民衆は預金の引出を為しあり
2、米軍再来の際日本軍票の無価値となるを虞土地購入食糧物資の買溜に狂奔しあり
3、食品物資の買溜偏在に基き飛躍的暴騰を為し主食品たる米は一俵三千比にて富有〔ママ〕階級者或は一部「バイアンドセル」にて金儲けせる者の所有する所となり下層階級者間にては殆ど入手し得ざる状況なり
4、今次宣戦布告に対し青壮年及既投降将校間に於ては再度徴集せらるゝに非らずやと戦々兢々としあり
5、「バギオ」市空爆或は米軍再来にあたり比島の再び戦場●せらるゝを危惧し一部の者に於ては山間に逃避しあり
6、敗匪は今次情勢に有頂点〔ママ〕となり蠢動活発化すると共に一斉蜂起準備に狂奔しあり
7、今次参戦に対し其の九十五%は反対の状況にあり
二、反対者の状況並特異なる行動
1、上層階級は戦宣〔ママ〕布告に対し悲観厭戦的言動を洩しあり
2、参戦布告に依り却って比警の如きは兵器携行逃走を刺戟せざるや其因は必ずしも米軍再来を迎合するものに非らず釈放俘虜の大半を以て占めある比警が逃走するは日軍上陸の際「バターン」半島や比島各地に於ける参戦の体験から来る恐怖の余りと思はるものがある(比警幹部四の言)
3、もう一度軍政施行されることを望む 比島政府自体に於ては此の事態は処置不能だ軍政を回復するか市或は政府の力に依って物価の高騰を取敢ず抑製〔ママ〕すべきだ(雑貨商五の言)
三、枢軸国及第三国人在「バギオ」華僑の状況
四、参戦に好感を有する一般民の状況
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レファレンスコードC14061217700ツゲガラオ憲兵分隊 情報綴 昭19.7.3~19.12.3
「極秘」印
南総報比宣伝情報速報第十七号
本情報は比島に於ける宣伝情報勤務者服務上の参考に資する為配布するものとす
北呂宋(中、西)民情の一端
昭一九、八、三一 南方軍情報部
最近北部呂宋方面より帰来せる宣伝工作員の報告に依れば同方面の民情に関する断片情報左の如し
一、「ボントック」周辺の日本警備隊の訓練しあるを見たる、土人達(イゴロット及イロカノ族)は日本兵の体躯は貧弱なり、例へ日本兵三名にて向ひ来るも一名にて克く之を倒す事を得べしと豪語し、自族の優越感を誇示したり。
註
斯の如き土人達に対して日本軍の質的優秀性を深刻に印象付ける如く宣伝の要あり
二、最近「バギオ」上空に高度高く飛来せる標識不明の飛行機を見たる市民一般は米機来ると歓喜しありたり。
三、市場に於て物価高き理由を試問するに商人たちは異口同音に軍票が故なりと説明しあり。
四、最近「ゲリラ」の出没活発となり、特に知事、町長等要職にあるものを脅迫しあり。為之要人は恐怖を抱き皇軍部隊の駐屯地付近に移転し、その被〔ママ〕護を受くべく希望しあり。
「ラウニオン」州知事、「バウアング」町長、「ナルバガン」町長等之なり。
五、「バギオ」に於て開催中の兵隊美術展に就て
目下「バギオ」文化会館に於て兵隊美術展を開催しあるが展覧絵画中、特に高橋兵長(文展三回入選)及原田上等兵の書きたる花鳥、風景等を主題とせる日本画は頗る評判よく、その繊細なると美麗なる点に見物人は悉く驚異の眼を見張り「果して日本兵の書きしものなるや」の疑問の声を発し、而して其の事実を納得するや賞賛を惜しまず長時間観賞を続けるの状態なり。
近時日本兵の生活貧弱なりとし、或は又日本兵の文化程度低し等住民の日本兵に対する認識極めて浅弱なる現況に於て日本兵の文化的才能を高度に発表提示せしは頗る効果あり意義大なりしものと云ふべし。而して一部に於ては感歎の余り払下げらるるものならば価格は幾何にてもよき故是非購入致し度等と希望しあるものあるが如し。
終
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レファレンスコードC14061238900レガスピー憲兵分隊情報綴 昭18~19年
ビナロナン憲高第四九号
流言調査に関する件報告
昭和十八年八月三十日 ビナロナン憲兵分駐所長
ダグパン憲兵分隊長殿
首題の件左記報告す
左記
一、一般状況
八月中東部「パンガシナン」州に於て憲兵の知得せる流言左の如し
●米軍再来に関するもの 二件
●日本軍敗戦を伝へるもの 二件
●経済関係のもの 三件
●其の他に関するもの 一件
計八件にして先月に比し件数内容等殆ど変化なく之等流言の出所は「マニラ」方面より帰来せる者に依るもの新聞「ラヂオ」等に依る戦況「ニュース」等を臆側〔ママ〕杞憂せるもの及経済逼迫に依るものにして米軍再来、日本軍敗戦等に関するものは「マニラ」方面より帰来せるものに依るもの大多数を占めあり
詳細別紙の如し
二、流言に依る反響
特異なる反響は認めざるも米軍再来に関しては未だに其の実現の早からん事を願ふが如き言動を洩しあるものあり亦直接流言には依らざるも食糧米は各町に於て不足を告げ価格も高騰の一途を辿り現在一俵二五比-三十比(配給米に非らず)を示して下層階級住民間に相当の生活不安を与へあり
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レファレンスコードC14061263000(1枚目~)第1野戦憲兵隊関係史料 昭17年
極秘
自動車襲撃事件の教訓
昭一七・一二・一八
垣部隊本部
当兵団今次作戦の大なる教訓の一は表面治安既に良好なるが如き地区内に於てすら屡〃自動貨車乗用車の襲撃されあることなり。而して事件の顛末を仔細に調査するに、警戒心に乏しく事前の準備亦不十分にして襲撃を受くるやその処置適切ならず彼にして易々として目的を達成せしめ悠々遁走するに委せし事例多し。・・・
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レファレンスコードC14020724600(2枚目)匪首捕獲の参考 S17.12.2
匪首捕獲及び投降工作の要領
実例並に其の教訓
昭和十七年十二月
垣部隊本部
4、案外に身近の者或ひは官吏にして通謀しあるもの多きを以て特に討伐前に於ける企図の秘匿●充分の注意を要す
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レファレンスコードC14020725000(9枚目)匪首捕獲の参考 S17.12.25
「軍事極秘」印
昭和十七年十二月二十五日
於情報主任将校会同席上
比島憲兵隊本部 児玉中佐 発言要旨
過去一年間に於ける比島治安の跡を回顧し将来の対策に及ぶ
第一 序言
●●占領地に於ける治安対策が威武を中軸として施策さるべきは当然の事なるも比島に於けるが如く軍事的、政治的、思想的、経済的、社会的幾多複雑錯綜せる原因に依り治安の悪化を来しつつある場合に於ては之等各分野に於ける施策を合理的に調整統合する総合対策を以て臨むに非ざれば治安の恒久的安定を求むること困難なるべし。況や比島に於ける治安安定の目標が単なる
不逞分子の粛正を以て満足すべきものに非ずして今次聖戦の大乗的目的を具現すべき統治の基礎工事としての重要なる建設的意義を有するのみならず治安維持の中心たるべき武力のみに就て観るも将来情勢の変化に依りては最も威力を必要とする時機に極度に切詰めたる兵力を以て防衛の全きを期せざるべからざる困難なる情勢の到来をも一応考慮内に入るるの要あるに於ておや。
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レファレンスコードC14061179600(2枚目~)パラワン憲兵分隊 警務書類綴 昭17.10.14~19.7.9
「軍事極秘」印
警備会報 二月六日
一、軍紀、風紀、内務及教育につきて
5、民心の把握に著意し特に独立を許可せられ喜びある現状に鑑み此の時に充分に行ふこと必要なり
之が為背信行為を絶無ならしむべし日本は信義の国なるを兵自ら自覚すると共に彼等に之を示すを要す
「パナイ」島に於ける治安悪化の原因の一も背信行為にあり又物を「ネギル」精神を捨て価値のあるものを正当に求むべし
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レファレンスコードC13071868900左警備隊.警備日報.会報綴 昭和17年10月~18年11月
昭和十七年十月十九日
討伐要領
第十一独立守備隊
一四、情報蒐集の為知事町村長を利用するに当り彼等の内には表面日本側に服従し裏面に於て敵側に通じある者少からざるを以て我が企図を察知せられざる様特に注意すること
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レファレンスコードC14020723800(11・12枚目)匪首捕獲の参考 S17.12.25
昭和十七年十月十九日
討伐要領 追加
第十一独立守備隊
二、積極的討伐を成さず歩哨若くは分哨の数を増加して守備のみに専念する時は敵は我が守備線の外方に自由に横行し遂に我が歩哨又は分哨の間隔より進入して民家を焼き我が部隊を狙撃するに至り我が部隊としては兵が膠着し手も足も出ざるに至るに付歩哨分哨を配置して警戒することは必要なるも受動に陥らざる様必ず積極的討伐を実施する様指導するを要す
三、我が小部隊を配置する時は敵は遠巻きに我を包囲し我をして之を射撃し弾薬を射ち盡さしめ然る後前進して我を射撃し我に大損害を与へる戦法を採る事多し此の際我が部隊は多くの場合敵の手に乗り遠距離より射撃し少しも敵に命中せざるに拘はらず直ちに弾薬を射ち盡し如何ともし難きに至りたる例最近に於て頻々たり故に今後は斯の如く敵が遠巻きに包囲したる場合には決して遠距離より射撃せず百米以内に敵が近接するに非ずんば射撃せざる様注意するを要す
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レファレンスコードC14020723900(3・4枚目)匪首捕獲の参考 S17.12.25
「極秘」印
南総報比宣伝情報速報第十三号
本情報は比島に於ける宣伝情報勤務者服務上の参考に資する為配布するものとす
「マニラ」の近況
昭一九、八、三一 南方軍情報部
二、アメリカ軍のマリアナ諸島上陸成功に伴ひ、アメリカ軍がマニラ乃至比律賓群(?)島の一角に上陸を敢行するは今や容易なりとマニラ市民は信じてゐる。
四、又到る処で非常事件勃発乃至は戦闘開始の際日本軍隊が●烈な手●に出はせぬかと市民は極めて憂慮し危惧してゐる模様である。一般市民は平穏に法規に●っていても、二、三のものが敵意を示し、或は●性行為に出でんか、無辜の市民も生命の危険に頻〔ママ〕すべしと、憂して居る、何らか不測の事件起り、日本軍が弾圧の挙に出たる際●は一人の不良分子の犯行も無辜の市民の安全に関はるであらうと懸(?)念されて居る、
五、次に地方民情であるが、地方匪賊の首魁は大抵住民の顔見知りであることは周知の事実である。匪首は所在を匿くしてゐるとか身元を一般民に秘す如き怪人物では決してない。住民たちはよく顔は分ってゐても後難を怖れて誰も地方当局へ注進したり警察へ訴へたりしない。その手下に拐帯されて殺されぬまでも危害を加へられる為に匪首のことをとかく言ふを恐れてゐる、その屡々やる掠奪行為に至っては匪団の小隊はゲリラと同●である。彼等の不法行為はゲリラに名を借りて行はれる。住民から金銭衣類その他必需品んを強奪し時には戦後支払乃至弁償を約する受領証まで渡すとの事である。
六、州知事、市長、警察署長の中には己が生命を保証する為不良分子の親玉と「球遊び」をやってゐる者があるといふ。「球遊び」とは州の官吏や巡●将校が匪賊の親分に偶然出会った時、断(?)乎峻烈の処置を為さずして却って友情的助言を与へる事を意味するらしい曖昧語である。若し官憲が法規に照して断乎処罰せんか、忽ち彼は無頼の徒の危害に瀕すべく、従而彼らは身の安全を懸念してゐるのである。
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レファレンスコードC14061238700レガスピー憲兵分隊情報綴 昭18~19年
軍事極秘
渡集参乙第三五四号
渡集団情報記録(乙)第一五六号(自六月十一日至六月二十日)
昭和十九年七月三日
渡集団司令部
中南部呂宋地方(勤兵団)
一、比律賓警察隊(?)本部「ルフォ。ベルナド」中尉及「ソテロエスペロン」軍曹の●れる比島警察隊員に関する心的動向観察左の如し
1 現在警察隊士官の大部分は元「ゲリラ」隊士官にして依然親米的なり
2 士官達(?)の比律賓共和国並びに日本に対しての●力は誠実ならず
3 米軍若し比島に上陸せば大部分の●察官は日本に協力せず一時●に●避(?)し然る後米軍に再び協力せん
4 警察隊兵士の殆どは親(?)「ゲリラ」的にして「ゲリラ」との交戦(?)を●まば・・・(●者報確度乙)
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レファレンスコードC13071365400(5枚目~)渡集団(14軍)情報記録(乙) 昭和18年12月20日~19年6月20日
フィリピン市民は、みんな敵だったんですよ。ふと振り返ると、垣根からピストルがむけられていることもありました。アメリカは占領時代に善政をしいて、道路や学校作ったんです。ところが日本は、フィリピンから毟り取ることはあっても与えることはなかったんですよ。フィリピン人は私たちにも平気で、マッカーサーは帰ってくるといっていました。
住民協力は必須なのにそれまでの日本軍の統治はそういう事を考えていなかった。戦っているのは米軍でフィリピンではないはずなのに、全てが米軍の味方となっていた。
大阪毎日新聞 1942.11.10-1942.11.24(昭和17)
大東亜共栄圏内指導者へ (1〜9)精神革命運動起せヴァルガス長官、さるにても、戦争という巨大な嵐の中から建設を進め、戦ったものたちが協力して日比提携をなすことはたやすいことではありません、比島人のうちにも大東亜戦の真意義を解せず、当面の日比協力が如何にあるべきかについて認識の足らざるものも多いことと存じます、いつかも申上げたように大東亜戦は大東亜の民族解放戦であり、この目的貫徹は戦いに勝つことが先決要件であります、従って戦いに勝ち抜くことは全東亜民族の第一義務であり、このために犠牲をともにし、戦いつつある主力日本に物心両面から協力せねばなりません、なお日本を理解せざる比島人あらば、私は次のことを長官を通じて申上げたいのであります比島は日本に戦を挑んだ、アメリカに踊らされたとはいえ戦を挑んだので、日本に敵対せるものは皇軍に殲滅されてもよいのである、殲滅されてもいささかの文句もいえないはずであるしかるに皇軍は比島の敵対にも拘らず、その東亜的更生と繁栄を祈念した、また俘虜を解放し職を与えるなど驚くべき寛大なる取扱いをしています、比島人は感泣すべきであると思う、日本は何故にかかることをなしたか、大東亜戦は大東亜の諸民族の東亜的更生を目ざしているからである、その前提は戦に勝つことであり、戦に勝つために一切をあげて対日協力をなすことが更生比島の大義名分なのである長官はこの意義を十分理解していられるが、一般比島人にさらに徹底させて頂きたいと思います、そしてこれには比島人の精神革命が必要であります、比島の幸福は日本との協力のなかからのみ生れます、これを体得するにはアメリカ的な、浮薄な過去の比島人のサイコロジーでは困難でありましょう、新しい時代は新しい精神から生れます、比島の精神革命とそれがための大運動の展開が必要であります、長官はすでに地方遊説においてその運動に着手されたわけであります、この運動はやがて比島人がスペイン、アメリカへの隷属時代に出来た悪い諸性格の修正にもなり、西欧的な視角からでなく、自己発見の意義における真の「東海の真珠」を作りあげる基礎となりましょうヴァルガス長官、私は長官の健康と御奮闘を祈ります
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10106672&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1
大阪毎日新聞 1942.12.1(昭和17)新比島建設戦譜 (1~4)大本営陸軍報道部派遣東日政治部員 栗原広美執拗の米側のデマ五月六日、米比東亜総司令官ウェーンライトは投降し、その翌七日、コレヒドール島の完全攻略はなった、敗将ウェーンライトはラジオを通じて全比島米比軍に「戦争は終った」と降服を通達したのであった、ところがルソン島の山間部、ビサヤ地方などに徹底抗議を呼号して□□した米人将校がかなりあった、それに比島兵の同情者や、無知蒙昧な反日ゲリラ戦の名に魅力を感じる無頼漢、戦争による失業者などが従った、米国が敗戦しては食って行けない一部の恩給生活者なども参加したといはれている、かれらは逃亡に際して山中に少数の短無電気を携行して行った、それで濠洲の敗走将軍マッカーサーと連絡して指令を仰いだり、米国のデマ放送を聴収したりした、食糧の欠乏や、雨季明けや、米国一流のデマ宣伝などの諸条件が重なり合って、こうした敗残部隊の□動ゲリラ戦が八月下旬ごろから甚だ小規模ながら各地に現われはじめたのである、コレヒドール攻路に次ぐ各地の戡定作戦も順調に進み約三ヶ月間、無風地帯の観あった此島の治安は物凄く悪化したように感ぜられ出したのであった、しかしながらそれも所詮は小規模の旋風の如きものでしかない、神速俊敏なわが討伐作戦のため、敗残米人指揮官はつぎつぎに投降或は逮捕され、短波無電気も押えられ日毎にその勢力は痩せ細るばかりである、元来が武器、弾薬、兵員等の補給のないルンペン部隊のことだけに、実力のガタ落ちは疑うべくもないのである[写真(栗原派遣員)あり 省略]米国のデマ放送は執拗に宣伝した‐九月には比島に上陸奪還するぞ、と、次いで、十月にする、十一月にする、十二月にする、遂には明年一月の上陸説など持ち出してしきりに喚き散らすのである、敗将マッカーサーは宿舎のマニラ・ホテルを出てコレヒドール要塞に逃げ込んだとき、ホテルの支配人に「なあーに、またすぐマニラへ戻って来るよ、自分の部屋には手をつけずにそっとして置いてくれ」といったそうである、嘘か実か彼等の心中は忖度すべくもないが奇妙な宣伝がまことに巧みで軽佻浮華の嫌いのある、うそを平気でいい、政治的陰謀に興味を感じる比島人の性格に迎えられる傾向が強いようである、こんなところにも比島治安問題の秘密がひそんでいるようだ、しかしながら百、千の虚構の宣伝も、結局一つの事実の前には敵し得ないのである[写真(ヴァルガス長官)あり 省略]
戦時下の比島民心
今度新たにやって来た日本が何をおみやげに持って来たか、彼等はそれを知りたがっている、物の判った指導者階層は新しい比島建設の精神こそ日本の最大のおみやげだと信じている
しかし日本軍が比島に上陸し、米比軍を追い払った後に戦時下の不可避、必至の運命ともいうべき苛烈な経済的困難が登場して来た、戦争は峻厳にしてすべてを変貌させずには置かない、従来の生産組織と機構とはわが国の戦争遂行意思にもとづいて当然変改を加えられるべきはいうまでもない、同時に戦時下比島の経済生活は一種の鎖国経済への移行を伴う、このような戦争と経済生活の激しい相互関係を正しく理解するには比島人一般の知的水準は低いのである、他国依存主義の病根のゆえに、比島民心は総括的に見て戸惑いしている様子が窺われる
たいした深味も根底もないのが彼等である、戸惑い足ぶみをしている比島民衆もはっきり筋金の入った不動のわが軍政の下に、□然として同調せしめるのはさして困難でないと思われる
※「おみやげ」については以下同趣旨の記事あり
徳川頼貞侯に聴く送れ、近代日本の姿つき纒う混血文化の暗影にメス[写真あり 省略]
【マニラにて扇谷特派員二十日発】新生比島の文化はいかに再建せねばならぬだろうか、この問題を携えて来比中の徳川頼貞侯を訪れた、爽かなスコールの晴れあがった軍政下の比島人の生活感情、文化をじっと見つめてきた徳川さんは占領地の文化工作を「私は軍政の地ならし政策だと考える、だがここでは比島に関する幾つかの問題を内地の文化人に提示するだけにとどめる」と前置きし記者の間に静かに語り始めた=写真は徳川侯
問 比島にきた最初の印象について徳川侯 比島には十五年前に一度訪問、その後もフィリッピン協会長として絶えず接触していたがこんど来て見てその文化水準の上っているのに驚いているが東洋の一角に重いがけぬアングロサクソン文化、それも極めてスポイルされたアングロサクソン文化の臭いをかいでいるという気持です。問 なにか具体的な体験がおありですか徳川侯 道路、ダンス、音楽、学校ことに普通教育の徹底、これはしばらくおいて田舎に出てほんの椰子の葉で掩われたニッパ・ハウスをのぞいてみてもそこにわれわれはミシンとアルバムを見出す、そして人口六十万のマニラでは東京でもちょっと珍しい十いくつもの壮麗な映画館と十いくつもの大学、専門学校が設けられている、インテリは口を開けば独立問題を論じ 「スペインは宗教を、アメリカは道路と教育をわれわれに与えた、日本はなにを与えるか」 とはやくも求める声だ、そしてバタアンに出掛けてみると戦友が渇いているのに水筒を開けぬ比島兵であり、炎天下にカルマタの馬がたおれているのに手伝おうともしない比島市民だ、エゴイズムの発揮、この原因を私は直接にはアングロサクソン流の教育、情操教育の欠如と間接にはここの特殊な歴史、混血文化に由来すると思う問 小学校の歴史の本をみると比島創生史の神話から一足飛びに十六世紀のマゼランの項に移って中間の十何世紀が空白だが・・・徳川侯 そこなんです、南方のどこでも固有の文化、たとえばヒンズー的文化をもっているが、比島にはスペインとアメリカとそれに原住民の混血した文化だけです 二つの体験を話しましょう、国立図書館にでかけたら館長が貴重品としてリザールの革命小説ノーメンタンジュールを見せてくれた、比島の独立に関する本が何とラテン語で書いてあるんです、マニラの商工会議所に出かけたら会則に比島人を妻とするものは会員としないという、大統領のケソンがスペイン系、副大統領オスメニヤが支那人系の混血児、世界中で比島ほど混血児が幅を利かせ尊敬されているところはない、悲しいことではないですか問 そのままでいいんですか徳川侯 だから私は民族学というものにもう少し力を入れたらどうかと思うんです、比島固有の民族タガログ、ビサヤ、イロカノ、モロそういった比島民族をわれわれはもっと深く掘り下げて見る必要がある、そしておそらく彼らの中に保有している習慣ことに 家族制度といったものの中に東洋的なものがあると思うそのよい部分を振興して行くことです徳川侯 人を見て法を説けということです、映画についていえば前述のごとく南方には四季がないのですから季節の細かい変化、情緒なんていうものは分らない、単に奇妙にうつるだけです 今の段階で欲しいものは 近代日本の機械化を示す日本の文化映画だ、たとえば飛行機のズラリと並んだ写真や大工場、大ビルジングの並んだ都市風景が欲しい、何しろ戦争前までマニラの方が東京より遥かに大きいと教えこまれている市民だ問 内地の文化人に対して・・・・・・徳川侯 コレヒドール、バタアン陥落のとき聞いた話だが陸海軍にはそれぞれある一つの要塞をいかに攻撃するかということばかり三十年もジッと考え研究していた人がいたそうだ、そしてそういう人の研究と努力がこんどの花々しい戦果となって現れたのだと思う、だがわれわれ文化人の中に三十年比島の文化をいかに再建すべきかと考えて来た人は果して幾人いるだろうか、遅播きながらわれわれは比島はもちろん南方各地について今後突込んだ組織立った研究を起して行くべきではないかと思う
大阪朝日新聞 1942.12.1-1942.12.3(昭和17)比島軍政を現地に視る開戦一周年を迎えて徹底的治安粛正進むバタアン、コレヒドールの陥落についで、ビサヤ地区(比島中央の島□地方)の戡定作戦後は、ほとんど全比島の治安は粛正され、平穏であったが、八月末ごろから投降を肯せず山中に逃避した米比軍の敗残兵がルソン、ビサヤ各島で蠢動をはじめた、またその首魁は無電で濠洲の米軍と交信し、その指令を仰ぎ、相当計画的治安の攪乱を企てているもののごとくである治安悪化は主として奥地深く逃亡した敗残兵が、雨季とともに食糧不足が甚だしくなったこと別に大した思想的根拠はないがゲリラという名に英雄的魅力を感じて附和雷同し易い比島人が少くないこと、戦争に□□□者の続出、従来の恩給生活乃至は米国と利益関係の多い比島人が米国への復帰を望んで、敗残兵にシンバ的行動をもって加担しているというようなことが原因とみられているかくの如く比島の治安は満州、支那の治安問題とは根本的に性格を異にしている、武器弾薬などの補給も全く杜絶され、□□の山中な密林中を逃げ廻っているのだからやがて食糧、マラリヤ、その他の悪疫などによって自滅する運命にあり、比島治安の粛正は時期の問題というべきである、現在警備各部隊の競争的討伐によって、徹底的粛正が行われており、討伐の方針もその首魁を殲滅して根こそぎ壊滅せしめるという方法がとられている、すでにルソン島では米比敗残兵の指揮者が続々と捕えられている一面、軍政の浸透も促進し経済的秩序も漸次回復、生活の安定と相俟って今年中には大体治安は粛正確立をみるものと期待されいてる、また主要都市はじめ各部落では、はやくも保甲制度が組織され治安確保、物資配給などに貢献している
米、執拗のデマ宣伝ただ治安上もっとも注意を要することは米国の巧妙執拗なデマ宣伝である、もともと比島人は何といっても四十年間の米国の愛撫的統治に育まれ、米国崇拝の思想は骨の随までしみ込み、米国思慕の念は一朝一夕に払拭することは不可能である、したがって米国の宣伝は百%の効果を収める好条件に恵まれ□□わけである、すでに短波受信□は禁止されているけれども、□□こからと□□□□□□□□□□□のデマ宣伝□□□□□□□□□□って治安粛正の大きな□となっている、現地軍当局は放送、映画、ポスター、印刷物などによってこれを撃破する宣伝対策を行ってはいるけれども宣伝戦の戦果はなかかな困難である大東亜戦局の推移が直接比島の治安に重大影響を及ぼすとはもとよりであるが、ソロモン海戦、南太平洋海戦の大戦果に引続き西南太平洋の戦局が微妙な波紋を比島人に与えていることは、注目に値する
大阪朝日新聞 1942.12.3(昭和17)僻陬山岳地に蠢動の比島残敵大部を●滅わが陸軍の討伐大戦果大本営発表(二日午後六時三十分)比島方面帝国陸軍部隊は曩に全群島を攻略したる後尚陬僻不便の山地等に拠り蠢動しありし米比敗残兵に対し引続き討伐を行いつつありしが既にその大部分を●滅せり、去る八月以降十月に至る三か月間の総合戦果中主なるもの左の如し(一)敵の遺棄死体三千九百四十五(二)俘虜二千九百十八(三)鹵獲品 機関砲三十三門、重軽機七十一挺、自動小銃百五挺、その他銃器七千四百五十八挺、各種弾薬約百万発、自動車四十四台治安急速に確立す大東亜戦争一周年記念日を前に比島における米比敗残軍の大部分が掃滅されたことが大本営発表によって明らかにされたが、短時日の間にかくも治安が急速に確立しつつあることはまさに驚異的というべく、執拗に比島内部の攪乱をはからんとする米のデマ宣伝を事実によって完封したものであるさきにわが陸軍部隊の勇戦奮闘によって比島全軍島の攻略が成った後も、頑冥なる米比敗残兵は僻陬不便の山地等に拠り蠢動をつづけ、これがため比島の治安はとかく攪乱され勝であり、この間隙に乗じてアメリカはデマ放送を行い比島建設に少なからざる障碍を与えていた新比島建設に念願するわが陸軍部隊としてかくのごとき状態を一刻も許し得ざるに鑑み全群島の攻略を了えたわが精鋭は疲労をものともせず直ちに掃蕩に入り、酷熱□□を克服して各所に敗残兵を虱潰しに把握撃滅につとめ、その労苦がいまや結実として右の発表となったのであり、なお残存する少数の敗残兵も支那大陸などとは異なり後方連絡が絶たれ、武器、食糧の補給も後援続かぬ状態にある以上近く完全●滅にいたるは明らかであるさきにスペインはその三百余年にわたる比島統治に終始苦杯を嘗め続け、またアメリカの比島征服に当ってもアギナルド将軍の率いる比島軍が執拗にゲリラ戦を続けた歴史を顧みても、投降せる米比東亜総司令官ウェーンライトが去る五月七日に全比島の米比軍に降伏勧告を行ってより僅か七か月足らずにして敗残兵の掃蕩がほとんど成ったという治安回復の迅速さは驚くべきである、比島は今やわが皇軍に協力してヴァルガス行政長官のもとに再出発をなしつつあるが、右のごとき治安回復の急速なる進展は軌道に乗りつつある比島建設に一段と拍車をかけるものである
本格的建設期へ 比島軍政監部総務部長談【マニラ特電二日発】アメリカの□絆を脱し東亜共栄圏の一環にかくすべく比島再建の大業は去る一月軍政施行以来快速調をもって進捗しつつあるが、開戦一周年を前に比島軍政監部総務部長○○大佐は軍政の現段階について左のごとき談話を行いもっとも憂慮された治安も遠からず米匪の完全掃蕩をみ軍政の強力な浸透によってその目的とする重要資源の開発は急速に達せらるべき運命を力説した一、本格的建設について 大体比島軍政は南方占領地域中でも特殊の性格をもったものであり、またその運営においても非常にむつかしいものがあろうと思う、マレー、ジャワと異って軍政監部の下部組織として比島現政府があるということは将来の政治形態についてもっとも慎重に考慮せねばならないからである、また現段階についていえばいよいよ本格的な建設に入ったといえる一、治安の現況 現在もっとも重要な問題は治安の確立である、すべての軍政施策は治安の確立をまってはじめて実現されるものでこれに全力を挙げている次第である去る五月バタアン、コレヒドール作戦終了後各地とも大体順調に粛清向上された、地域的に見るとルソン島内にあった残匪はわが真意を悟って最近続々と投降し、約一千五百名が皇軍の恩情のもとに収容されてほぼ平静の状態にあり一時憂慮されたミンダナオのモロ族の波瀾も漸く静まり、ビサヤス地方のセブ、パナイの敗残匪に対して徹底的な武力討伐を行った、これらの敗残匪はなんら思想的の背景がなく、かつ海洋で隔絶されいてるためその間連絡も出来るし討伐は比較的容易であると信ずる[写真(比島戡定作戦に活躍する陸軍部隊勇士(陸軍省提供) 東京本社電送)あり 省略]
東京新聞 1942.12.7-1942.12.8(昭和17)比島軍政一年を顧みて建設強力推進 各産業飛躍的増産へ マニラにて 鈴木(定)本社特派員発しかし中部諸島ビサヤ地方へは一部の不逞敗残米人匪兵に煽動されて、日本軍政の真意を曲解している住民が残存するので十一月二十日比島派遣軍では断乎たる武力討伐を敢行、遂に全く勘定を見た、むろん一部にはアメリカの欺瞞を未だ妄信する民衆もないではないが、日本軍政の一層の躍進と、新生フィリッピンの成長と共に消えて行く儚ないものだただマニラの如き都会と農村との相違の甚だしい比律賓にあって治安の回復、軍政を滲透させるに就いては一層交通機関の整備と新聞ラヂオの普及が望ましいことである皇軍のマニラ入城と共に軍政施行の確認が行われ、次いでウァルガス氏を中心とする比島中央行政機関の設立により着々軍政の浸透が進み治安の回復に従って行政機能わ愈よ完全に働かせているのであるが、マニラ、バキオ(ルソン北部)レガスピー(ルソン南部)セブ(ビサヤ地方)タバオ(ミンダナオ地方)の五ヶ所には軍政監支部が設置されて官下数州の知事を統括し、中央の政治力を集約的に伝達下令徹底せしめる機構がとられて来たまた特別州の統合をも行う等着々新政の具体化が行われるに至った マニラ市制も改められ十一月一日から新市制が布かれた教育の改革去る二月十七日比島人教育の根本方針として米英依存思想の根絶、比島文化の建設、日本語の普及、初等教育の普及、実業教育の振興、勤労精神の鼓吹等が明示され、同十八日には学校再会について方針が支持され教科書の改廃も進められている六月一日から全島で百余校の小学校が開校され、つづいて□学校、師範学校、医科大学が続々再開された、また私立小学校の多くが宗教団体の経営で、方寄った宗教教育が健全なる児童の思想発展を阻む虞もあるため宗教教育は禁止を断行したこれは九割がカソリック教徒である比島人の宗教を否定したことではなく、宗教による宣布教育は大いに活用されているし、唯宗教によって科学的な思想の発達が児童時代から彎曲されることを解放したものである
大阪朝日新聞 1942.8.2(昭和17)僻村の自動車修理に感服有望なジャバ人の教育語る人8 南方派遣軍顧問 永田秀次郎氏土曜移動談話室比島は東インドに比べると住民の再教育が余程難しい、それは彼らの大部分を占める青壮年層がアメリカニズムでそこなわされているからだ、多年アメリカ式の浅薄な文化を浴びてきた悪習はいま日本の治下に入って本来の東洋的教育にたちかえっても俄に脱却出来ないものがある表面的にみるとアメリカはどしどし教育の施設を作って原住民が自由に入学出来る立派な大学まであるが、教育の根本方針が間違っているのだから優秀な子弟が出来っこないなまじ教育があるだけに比島人の方がインドネシア人より遥かに扱い難いと思う、婦人はといえばアメリカ流の男女同権主義で、女だてらに大統領選挙に乗り出しかねまじき鼻息である、東洋唯一のキリスト教国、文明国だと自惚れて来たのだから甚だ扱い難いのである
大阪朝日新聞 1943.5.12(昭和18)比島民衆はまず大東亜精神に還れマニラで 青木大東亜相談【マニラ特電十一日発】青木大東亜相はさる四月十六日東京出発以来南支をはじめ南方各地の軍政施行状況を視察、十日マニラに到着したが十一日宿舎マニラホテルにおいて日比新聞記者団と会見、左のごとく語った一、南方各地の建設状況南方各地とも現地民族が日本の努力に対して非常な熱意をもって協力してやっている、その熱意は満足する程度に、たとえばビルマについては戦争の最前線という感じを深くしたが民衆は戦火の中から起き上りさらに建設に奮起していることは感激に堪えない、ジャワはすでに戦火も収まり平和的な印象を受けたが現地民も挙ってわが方の政策に喜んで協力している、比島はアメリカの物資文明のため影響を受け、経済産業組織も米国本位の伝統に支配されていた、しかし行政府各長官をはじめ有識の士が米国色の残涬を捨て新しい面目に建て直すにはわが国と協力せねばならぬとの決意を固め今着々とその努力の跡が政治、経済その他あらゆる面に現れているのをみて非常に意を強くした、要するに東亜民族精神の繋がりがあるからこそ各地とも挙って共栄圏の建設が順調に進捗しているのである、経済方面も資材難を工夫創意により克服し立派にやり遂げている、戦争遂行中でなかなか期待通りやるのは難しいところもあるが現在の状況では将来に非常な希望と期待をもっている
一、新比島建設の根本目標根本はやはり精神の建直しにあると信ずる、米国の軽薄な物質文明から堅実な大東亜精神にめざめることである、これあってこそ日本精神に従って協力出来るのである、比島の経済再建設その他もかくてこそ出来る、比島民に最も望むところは精神方面の一大転換である
大阪毎日新聞 1943.5.7(昭和18)東条首相比島訪問の意義社説東条首相を迎えたマニラ市民感謝大会は、同大会の決議において「大日本帝国の任侠的指導と比島及び比島人に対する歴史上その類いなき寛仁なる政策に対し、不滅の感謝を表明するものなり」と結んでいる。それはバルガス行政長官以下良識ある比島人の信念を、率直に吐露したものと、吾等は見る。事実、右の大会において、東条首相が声明しているように「この大戦はわれわれ大東亜十億の民族が、真に道義に立脚して新しい大東亜を建設せんとする一大征戦である」のである。かかる雄偉なる構想と高邁なる理想の顕現を期し、敢て帝国がその国運を賭するということは、文字通りに史上空前の大業である。皇軍の善謀勇戦によって敵アメリカの搾取と桎梏から解放された比島及び比島人が大東亜及び大東亜民族の一環として、新たなる大東亜の建設につき、帝国に対して全面的に協力すべき使命を担っているのは、寧ろ自明の理といわなければならない。比島および比島人が、この歴史的使命の完遂を期するには、東条首相が親しく比島民に向って指摘しているように、誤れるアメリカ主義を速かに一掃して、民族興隆の源泉である剛健進取の気風を養い、大東亜民族の真の姿に立ちかえることであって、それが着々と具現しているのは、比島及び比島民のために、更に大東亜のために慶賀に堪えない。東条首相は昨年来既に再度に亘って、比島民が「帝国の真意を諒承し、積極的にわが施策に協力し来るときは、欣然、独立の栄誉を与う」ることを、帝国政府の名において確約している。しかして帝国が信念の実行に当って極めて勇敢であることは、進展する大東亜の建設過程が雄弁にこれを実証している。換言すれば、比島及び比島人の独立は、彼等の努力如何に懸っている。帝国の真意を諒解し、帝国の企図する大東亜建設に向って、全力的に協力するところに、比島独立の顕現が期待される。東条首相の比島訪問は、かかる事態への比島民の認識を更新し、帝国に対する協力の熱意を唆る点において、多大の効果があったであろうと吾等は確信する。
大阪毎日新聞 1943.3.27-1943.3.29(昭和18)新生ビルマと東亜民族の興隆 (上・下)(上) 印度よ〝示唆〟を解せよ 比島の日和見政治家反省の秋
・・・しからば、同様にインドの民衆は今回のビルマ独立を直視して虚心坦懐に新興ビルマの示唆するところを諒解しインドの独立運動に見透しをつけるべきではないか、そしてまたフィリッピンの日和見的政治家はこのビルマの新生に深く反省するところがなければならぬであろう
大阪毎日新聞 1943.1.29(昭和18)首相の演説に応う 半年の苦闘に光バ・モ長官、今夜感謝放送協力の実発揮 比島【マニラ特電二十八日発】東条首相の比島独立に関する再声明は独立の念願に燃えたちひたすら皇軍に協力しつつある比島行政機関に対する影響極めて大なるものがあった今回の東条声明が比島における敗残頑迷の徒に鉄槌を下したことは何よりも意義深いものがありマニラ・ホテルにおいて軍政監はヴァルガス長官以下首脳部に対し日本は信頼の国である、しかして武士道の国である、一度約束したことは必ず実行して来た国だ、自国の約束を反古にする米英の背信国とは根本的に相違するのであると喝破し比島人のより一層の努力を要望した、ヴァルガス長官以下は軍政監が要望する三点すなわち兵匪の絶滅、経済再編成への全面的協力、東洋精神の把握に向ってあらゆる努力を結集せんとする決意が現れ、かくて営々として皇軍に協力し来った比島行政機関は一ヶ年振りで再び東条首相の声明によって大なる感銘を与えられたわけである、かくてカリバピ運動 (比島奉公隊) の活動と相俟ち比島一千六百万民衆を一人残らず新比島建設に動員せしめ衷心から協力の実を挙げ比島今後の独立は全く比島人の責任にありと堅く決意したのであった
読売新聞 1942.8.18(昭和17)新比島の建設を現地に聴く【マニラにて田上特派員発】アメリカの東亜根拠地であったフィリッピンは一月二日皇軍の輝く首都マニラ占領同時にその圧制を離脱共栄の理想も高らかに大東亜共栄圏の一翼たるべく我軍政下に飛躍建設過程に入っているが本社は鋭意新フィリッピン建設に挺身しつつある各方面の責任担当者に再建の現状を聴いた軍政監和知鷹ニ少将軍政監部財務部長小林末雄氏軍政監部業務総務課長高橋進太郎氏軍政監部産業部農務課長鵜崎多一氏軍政監部総務部教育班長内山良男氏軍政顧問村田省蔵氏(順不同)和知少将又従来のフィリッピンの実情からして或る者は親米的、或る者は親日的、或る者は日和見主義者であったことは当然でしかも軍政下或期間の過ぎた現在では表面は皇軍の占領という厳たる事実によって日本との協力なくしてはフィリッピンがあり得ないとは考えていても内面では未だ種々雑多な動きがあり得ることは十分に知り且つ考えている積りである
大阪朝日新聞 1942.8.16(昭和17)学べ日本語・直せ賭博の癖アジアに還った比島新生の道土曜移動談話室語る人 (10) T.V.T新聞社長 ローセス氏【問】東亜共栄圏の指導者の一人としての日本に期待するところは?【答】比島の一般大衆がすでに共栄圏の真意義を認識し新秩序の建設に邁進せんとしているのに今なお一部フィリッピン人の間にはそれを諒解しな□□□があり、最近も相当多数のフィリッピン人が軍法に触れて処罰されたのは悲しむべきことである、こうしたフィリッピン人に対しては断乎たる処置のとられることを希望しているが、同時に一般には日本の理想がフィリッピン人に諒解されそれがまたフィリッピン人の理想ともなるように指導して行きたいまた日本文化の移植が行われて東洋人としてのフィリッピン人が日本文化のよい影響をうけて独自の東洋的なフィリッピン文化をつくりあげたいと思う
神戸新聞 1942.8.14(昭和17)新比島建設の方途治安の保甲制度徹底 棉花増産計画直ちに着手和知軍政監初訓示三、治安の維持確保治安の維持はおおむね良好なる経過をたどりつつあるが局部的に未だ十分ならざるものがある推うに治安の維持確立は庶政つ遂行の基底にして瞬時もゆるがせに出来ないので諸子はよく諸般の情勢を洞察し新制度による警察力を掌握しこれが積極的活用を計らねばならない、これがためには先ず部下警察官吏を教養訓練しなければならぬ、新制度に基く警察機構を速かに整備充実し治安の維持に一段の努力を致されたい
大阪毎日新聞 1942.8.4(昭和17)“東洋人”精神に還れ 生活革命断行が緊急比島人に与う 本間最高指揮官のメッセージ・・・比島は米国の一部であり、米国はこの主権にもとづき臣民たる比島民を訓練、組織し大軍を編成してわが軍に抵抗した、・・・しかるに余の降服勧告に応ぜざりし数万の比島兵は余の衷情を解することなく最後まで米軍の勝利を信じて無意味なる抵抗をつづけた、この無意味なる抵抗はかれら自身の死傷と同時に皇軍の犠牲を要求した、余はあえて切言する、諸子が己の生命力を飩みきたったアメリカニズムに対し心髄から離脱、解放されない間比島は漸次精神的に堕落をつづけてついには民族滅亡の危機に導かるるであろう、醒めよ比島民、とくに次代の比島を担当すべき壮青少年よ、翻然として目醒めよ、比島の更生はアメリカ文化の悪影響より離脱して純乎たる東洋人に還ることによってのみ求められる
大阪朝日新聞 1942.8.2(昭和17)先ず東洋人の自覚を比島再建へ、本間中将語る問 宗教対策について答 モロ族の回教は別としてルソン島はじめ全島に確固たる勢力を占めているカトリックに対しては慎重考慮すべきだろう、アメリカ原住民の宗教対策で得たものは僅か三十万の新教徒だ、各教会は広大な領土と学校と孤児院とを持ち約千八百人の僧侶、千五百人の尼さんの三割から四割までは外国人だ、そしてこの教会系の学校が比島上層階級の子弟を収容しケソンもオスメニヤも宗教学校の出身というから宗教上に対しわれわれが何をもってアジア人たるの意識を昂揚させて行くべきか、それは、初等教育による外はないと思う、比島を顧みて自分は中年層は気力がない、青年層はアメリカ文化に浸潤されている、恃むは少年だと思う、この少年達に日本の歴史、アジア人の自覚を叩き込むのだ、このためには何といっても日本人の教員を送って貰いたい
大阪毎日新聞 1942.6.2(昭和17)新生比島の建設方策村田最高顧問に聴く独立の自覚涵養資源開発、農業を振興比島人はいつ独立を許してくれるのかとかどういう形式においてかとか、独立の権利のみ主張するが自ら独立国としての力を養うことを怠っている傾きのあるのは誠に遺憾に思っている、一九四六年の独立条項から約束されている戦前の比島が果してその時が来て独立出来たであろうか、口先だけでは駄目だ、真実をもって実行に実行を重ねてあらゆる文化面から独立の資格を涵養し、東亜の一翼として相応しいような形式を備えることが望ましい、彼ら自身の手の中にこそ独立の鍵があるといいたい