申叔舟(シン・スクチュ)=1417-75=は、訓民正音の創製を手助けした有能な知識人にして官僚だったが、すぐ傷む「緑豆のもやし」にその名が付いている(叔舟ナムル)ように、政治的変節の象徴でもあった。重要なのは、申叔舟が国際情勢に明るい外交と国防の達人だった、という事実だ。行き詰まった現在の対日関係を解きほぐす上で、申叔舟の『海東諸国記』(1471)は特に有用だ。中国を観察した朴趾源(パク・チウォン)の『熱河日記』と同じく、貴重な洞察に満ちているからだ。
世宗大王の命を受け、1443年に書状官として27歳で日本に渡った申叔舟が、後に日本の地勢や国情、交流の沿革や外交法制などを記録し、成宗代に出した本が『海東諸国記』だ。同書の序文で申叔舟は「夷狄(いてき)を待つの道は、外攘(がいじょう)に在らずして内修に在り(外敵と向き合う方法は、外征ではなく内治にある)」と強調した。日本を、韓半島(朝鮮半島)に大きな影響を及ぼす「勢力が非常に強い」国と規定した上で、将来の安全保障の危機に対処するためにも、朝廷の綱紀を正すことが最優先課題だと力説した。
これは、およそ100年後に壬辰(じんしん)倭乱(文禄・慶長の役)を招くことになった朝鮮王朝の国政の乱れを予見した記述であり、同時に、2015年現在の朴槿恵(パク・クンヘ)政権における、外交・安全保障チームの総体的な乱脈への警告としても読める。長期間綱引きした末、11月2日に開かれた朴槿恵大統領と安倍晋三首相の首脳会談は、12年5月に北京で李明博(イ・ミョンバク)大統領と野田佳彦首相(肩書はいずれも当時)の首脳会談が行われて以来、実に3年6カ月ぶりとなる個別の韓日首脳会談だった。朴槿恵政権だけでも、韓米首脳会談は4回、韓中首脳会談は6回も開かれている。それに比べ、韓日関係はあまりにも行き詰まっていた。極めて大きな国益の損失をもたらした行き詰まりだった。