講演集『数学ガールの誕生』が刊行されました。 本書は、公立はこだて未来大学での講演と、出版関係者が集まる勉強会での講演をベースに、 大学教授・研究者・編集者とのフリーディスカッションを交え、 「数学ガール」シリーズがどのようにして生まれたのか、その秘密と魅力を明らかにします。
さらに書籍化第二弾として『数学ガールの秘密ノート/整数で遊ぼう』も順調に執筆中です。 刊行は2013年末ころの予定。どうぞご期待くださいね!
僕の部屋
ユーリ「お兄ちゃん、止まってるのに加速度が $0$ じゃないってこと、ある?」
僕「なんだよ出し抜けに」
ユーリ「ねー教えてよ」
僕「止まってるのに加速度が $0$ じゃないって……?」
ユーリ「何その『単におしゃべりしたり』って」
僕「地の文に突っ込むな」
ユーリ「ねー教えてよ。止まってるのに加速度が $0$ じゃないことって……」
僕「ふむ。質点が静止しているけれど加速度が $0$ じゃないということはありうるよ。ただし瞬間的な話だけどね」
ユーリ「瞬間的?」
僕「たとえば、ボールを真っ直ぐ上に投げ上げる。ボールはずっと上がっていくけど、だんだんスピードが落ちてくる。 そして上がりきったところで一瞬だけ止まる。 そして次の瞬間から落ち始める」
ユーリ「ふんふん」
僕「でも、このボールの加速度はいつも一定だよ。地球から働く重力が一定だからね。 ほらこのあいだ話しただろ。加速度を生じさせるのが力だって話」(第47回参照)
ユーリ「うん」
僕「地球からボールに働く重力が一定だから、加速度も一定。重力加速度 $g$ だ。もちろん $g$ は $0$ じゃない」
ユーリ「うん、それはいーんだけど……」
僕「だから、加速度が $0$ じゃないとしても、一瞬だけ静止する場合はある」
ユーリ「うーん……」
僕「でもずっと静止していたら---つまり止まったままなら速度の大きさは $0$ だね。速度が $0$ のまま変化しない。 速度が変化しないんだから加速度も $0$ だよ」
ユーリ「でもそれだとおかしくない?」
僕「いったい、ユーリはどんなことを考えてるの?」
地面に立つ人間
ユーリ「あのね、地面に人間が立っているのを考えたの」
僕「ほう」
ユーリ「お兄ちゃんが加速度と力の話をしてくれたとき、《加速度は位置の微分の微分》とか、《加速度を生み出すのが力》とか話してたけど……」
僕「うん、そうだね。よく覚えてるな」
ユーリ「この立っている人には重力かかっているじゃん? 重力って力だよね」
僕「もちろん」
ユーリ「でも、この立ってる人、止まってるじゃん? 瞬間的じゃなくて、ずっと止まってたら位置の変化も速度の変化もないし、加速度は $0$ だよね」
僕「ははあ……そういう疑問か」
ユーリ「力がかかってるのに加速度 $0$ ってゆーのは、だからおかしい! ……って思ったの」
僕「なるほど。それはすばらしい疑問だなあ。ユーリは賢いね」
ユーリ「いやいやいやいや……そーゆーホメ言葉はもっと言って」
僕「がく。……だから止まっているのに加速度が $0$ じゃないことがあるかってクイズを出したんだね」
ユーリ「うん。クイズじゃなくて質問だけど」
僕「答えからいうとね、こんな風に立っている人の加速度は $0$ だよ。それからこの立っている人に重力が働いているというのも正しい」
ユーリ「え! それじゃどうして……」
僕「でも、この立っている人に働いている力は重力だけじゃないんだよ」
ユーリ「へー! 重力以外の力がかかってんの? 磁力とか?」
僕「いや、この人は磁石じゃないから、磁力は働いてない。静電気力も働いてない」
ユーリ「じゃ、どんな力?」
僕「地面がこの人を押し返す力が働いているんだよ」
ユーリ「地面?」
僕「そう。地面がこの人を押し返さなかったら、この人はずぶずぶっと地面にもぐってしまう。その場合には下方向に加速度が生じる。 地面にもぐっていかないのは、ちょうど重力に釣り合うだけの押し返す力が働いているからなんだよ」
ユーリ「ふーん……なんかうまくごまかされたみたいな」
僕「わかった。じゃあ、力のことをもう少しきちんと話してみよう」
ユーリ「うん!」
力について
僕「いまから話すのは、高校で習う物理学……そのうちの力学という分野の基本的なところだよ」
ユーリ「難しい?」
僕「いや、難しくはない。話を単純化するために、いまは人を質点(しつてん)として考える。つまり質量のある点だね。 一点として考えると、人がくるくる回る回転を考えなくて済むから」
ユーリ「ふーん」
僕「それでね、力学で大事なのは注目している質点に働いている力をすべて見つけることなんだ」
ユーリ「力を……すべて見つける」
僕「そう。ユーリはさっき《重力が働いているのに加速度が $0$ なのはおかしい》っていったけど、それは、ユーリが見逃した力があるってことなんだね」
ユーリ「ほほー」
僕「力をすべて見つけることができたら、力学の問題は解ける。それがニュートンの運動方程式のすごいところなんだけど、まずは注意深く力を探すことが大事になるんだ」
ユーリ「ふんふん」
僕「それからね、力を探すときには何から何に対して働いている力か?に注意することが大事」
ユーリ「え、お兄ちゃん、なんか当たり前のこと言ってる?」
僕「うん。当たり前のことを言ってる。でも、これが意外に難しいんだ。ふだんはそんなに厳密に力のことを考えないからね。 何から何に対して働いている力か、なんて」
ユーリ「話がわかんなくなってきた。ユーリの《立ってる人》で説明してよ。まず重力はいいんでしょ?」
僕「うん。いまユーリは人の右側に下矢印を描いたけど、こういう描き方はあまり良くない」
ユーリ「え、また細かい話?」