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両陛下 戦没者慰霊でフィリピン訪問へ11月6日 19時21分
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天皇皇后両陛下は来年初めの方向で調整が行われているフィリピンへの親善訪問で、日本政府が建てた慰霊碑を訪ね、太平洋戦争で命を落とした戦没者の霊を慰められることになりました。訪問の日程は、1月26日からの4日間を軸に調整が進められています。
宮内庁などは、両陛下が来年、日本との国交正常化から60周年を迎えるフィリピンを、来年初めにも親善訪問される方向で調整を行っています。関係者によりますと、両陛下の日程や現地の事情なども踏まえ、訪問は1月26日から4日間の日程を軸に調整が進められているということです。
それによりますと、両陛下は1月26日に政府専用機で羽田を発ってフィリピンの首都マニラに到着し、翌27日、大統領府のあるマラカニアン宮殿で歓迎式典や、アキノ大統領との会見に臨むほか、歓迎の晩さん会に出席して、天皇陛下が日本とフィリピンの友好関係の発展を願う、おことばを述べられる見通しです。
また、両陛下はマニラ中心部の公園も訪れて、フィリピン独立運動の英雄ホセ・リサールの記念碑に花を供えられます。そして、訪問の最終日をめどに、マニラからおよそ70キロ離れたカリラヤにある日本政府が建てた戦没者の慰霊碑を訪ねられることも分かりました。
フィリピンでは太平洋戦争で50万人を超える日本人を含む多くの人たちが犠牲になっていて、カリラヤの慰霊碑は海外で命を落とした戦没者を追悼したいという両陛下の意向も受けて訪問先に加えられました。フィリピン人戦没者を慰霊する「無名戦士の墓」を訪ねることも検討されていて、両陛下は遺族らも見守るなか、戦没者の霊を慰められます。
マニラは交通渋滞が激しいため、カリラヤの慰霊碑の往復には両陛下のパラオ訪問の時と同様、海上保安庁の巡視船「あきつしま」が運ぶヘリコプターを使う案も検討されています。
両陛下のフィリピン訪問は、皇太子夫妻として訪れた昭和37年以来54年ぶりで、天皇皇后がフィリピンを訪れるのは初めてです。
それによりますと、両陛下は1月26日に政府専用機で羽田を発ってフィリピンの首都マニラに到着し、翌27日、大統領府のあるマラカニアン宮殿で歓迎式典や、アキノ大統領との会見に臨むほか、歓迎の晩さん会に出席して、天皇陛下が日本とフィリピンの友好関係の発展を願う、おことばを述べられる見通しです。
また、両陛下はマニラ中心部の公園も訪れて、フィリピン独立運動の英雄ホセ・リサールの記念碑に花を供えられます。そして、訪問の最終日をめどに、マニラからおよそ70キロ離れたカリラヤにある日本政府が建てた戦没者の慰霊碑を訪ねられることも分かりました。
フィリピンでは太平洋戦争で50万人を超える日本人を含む多くの人たちが犠牲になっていて、カリラヤの慰霊碑は海外で命を落とした戦没者を追悼したいという両陛下の意向も受けて訪問先に加えられました。フィリピン人戦没者を慰霊する「無名戦士の墓」を訪ねることも検討されていて、両陛下は遺族らも見守るなか、戦没者の霊を慰められます。
マニラは交通渋滞が激しいため、カリラヤの慰霊碑の往復には両陛下のパラオ訪問の時と同様、海上保安庁の巡視船「あきつしま」が運ぶヘリコプターを使う案も検討されています。
両陛下のフィリピン訪問は、皇太子夫妻として訪れた昭和37年以来54年ぶりで、天皇皇后がフィリピンを訪れるのは初めてです。
訪問に至るいきさつ
今回の両陛下の訪問は長年にわたり、幅広い分野で協力を進めてきた日本とフィリピンの友好関係を踏まえてのものです。
フィリピンは、これまでもたびたび両陛下の訪問を招請していて、ことし6月、国賓として来日したアキノ大統領も両陛下との会見の席で招待の意向を伝えました。関係者によりますと、両陛下も以前からフィリピンを訪ねたいという気持ちを持たれていたということです。
また、アキノ大統領の母親のコラソン・アキノ元大統領とも親交が深かったうえ、アキノ大統領も両陛下を慕っていることから、大統領の在任中の訪問を望まれていたということです。
こうしたなか、来年、日本とフィリピンが国交正常化60周年を迎えるということもあり、両陛下の訪問に向けた検討が前向きに進められました。そして、アキノ大統領の任期満了に伴う次期大統領の選挙戦が来年の2月9日から始まることや、例年1月半ばまで新年の皇室行事が続くことなどを考慮して、来年の1月後半から2月初め頃にかけての訪問が浮上していました。
フィリピンは、これまでもたびたび両陛下の訪問を招請していて、ことし6月、国賓として来日したアキノ大統領も両陛下との会見の席で招待の意向を伝えました。関係者によりますと、両陛下も以前からフィリピンを訪ねたいという気持ちを持たれていたということです。
また、アキノ大統領の母親のコラソン・アキノ元大統領とも親交が深かったうえ、アキノ大統領も両陛下を慕っていることから、大統領の在任中の訪問を望まれていたということです。
こうしたなか、来年、日本とフィリピンが国交正常化60周年を迎えるということもあり、両陛下の訪問に向けた検討が前向きに進められました。そして、アキノ大統領の任期満了に伴う次期大統領の選挙戦が来年の2月9日から始まることや、例年1月半ばまで新年の皇室行事が続くことなどを考慮して、来年の1月後半から2月初め頃にかけての訪問が浮上していました。
半世紀以上親善に努められた両陛下
両陛下は昭和37年、当時20代の若い皇太子夫妻として、フィリピンを訪問されています。天皇陛下は昭和天皇の名代として訪問に臨み、皇后さまとともに歓迎行事などに出席して親善に努められました。
一方で、戦争で犠牲になったフィリピン兵の墓を訪ねたり、夫を亡くした女性や孤児となった人たちに会われたりもしました。日本に対する厳しい感情も残るなかでの訪問でしたが、大勢の人たちが沿道や行く先々で両陛下を歓迎しました。
天皇陛下は晩さん会の席で、第2次世界大戦で中断した両国の友好関係が再び強まりつつあるのは、フィリピン国民の善意と理解によるものだとスピーチされました。
それから半世紀余り、フィリピンからは大統領が国賓として6回日本を訪れ、両陛下は親善を深められてきました。このうち、ことし6月に来日したアキノ大統領の歓迎晩さん会では、天皇陛下が「先の大戦においては、日米間の熾烈(しれつ)な戦闘が貴国の国内で行われ、この戦いにより、多くの貴国民の命が失われました。私ども日本人が深い痛恨の心と共に、長く忘れてはならないことであります」と述べられました。
両陛下は半世紀以上にわたってフィリピンとの親善に尽くすとともに、戦没者や遺族にも心を寄せ続けられてきました。
一方で、戦争で犠牲になったフィリピン兵の墓を訪ねたり、夫を亡くした女性や孤児となった人たちに会われたりもしました。日本に対する厳しい感情も残るなかでの訪問でしたが、大勢の人たちが沿道や行く先々で両陛下を歓迎しました。
天皇陛下は晩さん会の席で、第2次世界大戦で中断した両国の友好関係が再び強まりつつあるのは、フィリピン国民の善意と理解によるものだとスピーチされました。
それから半世紀余り、フィリピンからは大統領が国賓として6回日本を訪れ、両陛下は親善を深められてきました。このうち、ことし6月に来日したアキノ大統領の歓迎晩さん会では、天皇陛下が「先の大戦においては、日米間の熾烈(しれつ)な戦闘が貴国の国内で行われ、この戦いにより、多くの貴国民の命が失われました。私ども日本人が深い痛恨の心と共に、長く忘れてはならないことであります」と述べられました。
両陛下は半世紀以上にわたってフィリピンとの親善に尽くすとともに、戦没者や遺族にも心を寄せ続けられてきました。
カリラヤの慰霊碑とは
カリラヤの慰霊碑は、戦争犠牲者の追悼やフィリピンとの親善を目的に昭和48年、日本政府が初めて海外に建てた戦没者の慰霊碑です。
遺骨を入れる箱をかたどった白い石碑には「比島(ひとう)戦没者の碑」と刻まれ、台座の底には戦地で亡くなった兵士たちの銃剣や水筒などの遺品が納められています。石碑の後ろの壁は、両端が前にせり出た形になっていて、異境の地で殉じた兵士たちの霊を迎える家族の懐を意味しているということです。
戦没者の遺族らの要望によって建てられ、日本政府から委託を受けたフィリピンの公営企業が維持・管理に当たっていて、昭和51年には周囲に広大な日本庭園も整備されました。
毎年8月15日の終戦の日には日本側主催の慰霊祭が開かれ、戦没者の遺族や元兵士、それに日本とフィリピン両国の政府関係者などが参列しているほか、日本から訪れた慰霊団がたびたび追悼式を行っています。
厚生労働省によりますと、フィリピンには、ほかにも日本の戦没者の遺族や元兵士らによって建てられた慰霊碑が、およそ200か所にあるということです。
遺骨を入れる箱をかたどった白い石碑には「比島(ひとう)戦没者の碑」と刻まれ、台座の底には戦地で亡くなった兵士たちの銃剣や水筒などの遺品が納められています。石碑の後ろの壁は、両端が前にせり出た形になっていて、異境の地で殉じた兵士たちの霊を迎える家族の懐を意味しているということです。
戦没者の遺族らの要望によって建てられ、日本政府から委託を受けたフィリピンの公営企業が維持・管理に当たっていて、昭和51年には周囲に広大な日本庭園も整備されました。
毎年8月15日の終戦の日には日本側主催の慰霊祭が開かれ、戦没者の遺族や元兵士、それに日本とフィリピン両国の政府関係者などが参列しているほか、日本から訪れた慰霊団がたびたび追悼式を行っています。
厚生労働省によりますと、フィリピンには、ほかにも日本の戦没者の遺族や元兵士らによって建てられた慰霊碑が、およそ200か所にあるということです。
太平洋戦争で最も過酷で悲惨な戦場に
フィリピンは19世紀末からアメリカが統治していましたが、1941年の太平洋戦争開戦と同時に日本軍が進攻して占領しました。
戦争末期、日本の敗戦が濃厚になると、アメリカ軍はフィリピンの奪還に動き、日本軍は60万人を超える兵士を動員して決戦に臨みました。物量で勝るアメリカ軍に対し、日本軍はジャングルなどでの持久戦に持ち込んで抵抗しましたが、食糧や弾薬の補給が途絶え、多くの日本兵が飢えや病気で命を落としました。
太平洋戦争で最も過酷で悲惨な戦場の一つとされ、日本だけで50万人余りが亡くなり、海外で最も多くの日本人が犠牲になった国となりました。また、首都マニラの中心部が戦場と化して多数の市民も巻き添えになり、フィリピン政府の調査ではフィリピン人の犠牲者は合わせて100万人以上とされ、アメリカ軍にも多くの犠牲者が出ました。
戦争末期、日本の敗戦が濃厚になると、アメリカ軍はフィリピンの奪還に動き、日本軍は60万人を超える兵士を動員して決戦に臨みました。物量で勝るアメリカ軍に対し、日本軍はジャングルなどでの持久戦に持ち込んで抵抗しましたが、食糧や弾薬の補給が途絶え、多くの日本兵が飢えや病気で命を落としました。
太平洋戦争で最も過酷で悲惨な戦場の一つとされ、日本だけで50万人余りが亡くなり、海外で最も多くの日本人が犠牲になった国となりました。また、首都マニラの中心部が戦場と化して多数の市民も巻き添えになり、フィリピン政府の調査ではフィリピン人の犠牲者は合わせて100万人以上とされ、アメリカ軍にも多くの犠牲者が出ました。
先の大戦と向き合われてきた両陛下
両陛下は、これまでも一貫して先の大戦と向き合い、国内外で戦没者の慰霊などに当たられてきました。
戦後50年を迎えた平成7年には「慰霊の旅」に出かけ、長崎や広島、沖縄などを訪ねて戦没者を追悼されました。戦後60年には、太平洋の激戦地サイパンを訪れ、多くの日本人が投降を拒んで身を投げた「バンザイ・クリフ」などで黙とうをささげられました。そして、戦後70年のことし、念願だったパラオへの訪問を果たし、太平洋戦争の激戦地、ペリリュー島で犠牲者の霊を慰められました。
両陛下は、こうした慰霊のための訪問にかぎらず、国際親善のため、外国を訪れた際にも戦没者の慰霊などに臨まれてきました。日本に対して複雑な感情を抱く人たちが両陛下の訪問に抗議の意思を示すこともありましたが、両陛下は、常に変わらぬ姿勢で戦争と向き合われてきました。
戦後50年を迎えた平成7年には「慰霊の旅」に出かけ、長崎や広島、沖縄などを訪ねて戦没者を追悼されました。戦後60年には、太平洋の激戦地サイパンを訪れ、多くの日本人が投降を拒んで身を投げた「バンザイ・クリフ」などで黙とうをささげられました。そして、戦後70年のことし、念願だったパラオへの訪問を果たし、太平洋戦争の激戦地、ペリリュー島で犠牲者の霊を慰められました。
両陛下は、こうした慰霊のための訪問にかぎらず、国際親善のため、外国を訪れた際にも戦没者の慰霊などに臨まれてきました。日本に対して複雑な感情を抱く人たちが両陛下の訪問に抗議の意思を示すこともありましたが、両陛下は、常に変わらぬ姿勢で戦争と向き合われてきました。