元「慰安婦」マルディエムの告発 朗読と短歌}

 元「慰安婦」マルディエムの告発                  
短歌・梅田 悦子  文・吉池 俊子

マルディエムは言葉の杖に縋りつつ癒されたいと辛き証言す

あ、あ-----、また、あの夢を見てしまった!

たばこ、たばこは、どこ?

ふぅ、ふぅ、ふぅ………

タバコだけが、私の心に安らぎをもたらしてくれる。

そばにタバコがないと、落ち着けない。生きていくための必需品-----タバコ、

ふぅ、ふぅ、ふぅ………

煙が体に満ちてくると、やっと、あの夢を忘れられる。

タバコの煙が、体中に染み込んだ、真っ黒な思いを覆いつくすまで

私はタバコを吸いつづける。

忙しなくタバコを吸いてマルディエムは胸潰るる記憶に耐え続けおり

夜が来ないでと願う人はいるのだろうか。

私に、夜はいらない。

あの夢を見るかぎり

あの夢……

私が日本軍の「慰安婦」にさせられた頃の、悪夢……。

私はマルディエム、今年 七四才。

インドネシアのジョグジャカルタに住んでいます。

イドネシアに日本軍が来たのは一九四二年三月 私は十三歳、

舞台で歌うことを夢見る、無垢な少女でした。

「歌手にならないか」「ボルネオで大きな舞台に出られるよ」

そんな言葉に誘われて、浮き立つ気持ちで汽車と船でバンジャルマシンに

連れて行かれました。

デッキのすみに歌手になりたき少女らを乗せ船は行く青きボルネオ

テストに合格した自分が誇らしくて、ずっと歌を口ずさんでいました。

同じような少女が、私の他に四七人いました。

着いたところ、そこは、劇場なんかではありませんでした。

十三歳は歌手になれると騙されて皇軍兵士の「慰安婦」とさる

二十くらいの部屋がある、大きな建物でした。私は十一号室に入れられました。

それの後のことは、思い出すのも辛いことでした。

生理もない私に、次々に六人もの男たちが襲いかかってきたのです。

初潮さえなき十三歳初めの日六人の兵にレイプされしと

一体何なのか判らず、恐ろしくて、夢中で叫びました。

やめて! 痛い! やめて!

私は男を蹴りました。

でも、やめてくれませんでした……。

そこは、「慰安所」だったのです。

慰安所の十一号室に入れられて「モモエ」と呼ばるる十三歳よ

それから三時間、十一回も……、悲しさと怒りで気が狂いそうでした。

夢も希望も人を愛することも、何もかもすべてなくした気がしました。

地獄でした。

地獄は、ずっと続きました。

慰安所の前に日本人の「チカダ」が住んでいました。

慰安所を経営するチカダに、私は、怒鳴りました。

「痛くて出血しているのよ!」

血が床に滴り落ちていました。

「だめだ!」チカダは恐い顔で言いました。

私は血の付いた下着を彼の顔に投げつけました。

昼の十二時からずっと……、夜になるとまた七時から真夜中まで

毎晩二十人から三十人の兵士が来る、まだ幼い私なのに

「モモエ」と名づけられて。

あと何日、あと何年、こんな日が続くのか。

  腹押され五か月の胎児出されたり身ごもりに気づかぬ十四歳は

妊娠したのは一四歳でした。妊娠がわからず、五ヶ月になっていました。

「チカダ」は中絶の薬を持ってききましたが、効き目はありませんでした。

十四歳の麻酔もかけぬ中絶の記憶を語る男の子だったと

中絶をさせられし日よマルディエムはわが子あやめし罪に苦しむ

私は病院に連れて行かれました。

男たちが私の上にのしかかりました。

痛い! やめて!

私の下腹部は強く強く押されました。麻酔もないまま

気を失ったら、どんなに楽だったでしょう。

永遠と思える苦痛のあと、何かがドロッとでました。

看護婦さんが、見せてくれました。 私の赤ちゃん……。

まだ、生きていました。

こらえていた涙があふれ、思わず手を延ばし……

そんな私を、チカダは、床に突き飛ばし、背中を蹴りました。

髪の毛がつかまれ、腕に巻きつけられ、投げつけられました。

優しくなでられるために伸ばした私の髪-----。

その後、チカダは私をレイプしたのです。

生まれた証さえ残せない私の赤ちゃんに、私は「マルディヤマ」と名をつけました。

日本がインドネシアから去って、やっと私は解放されました。

結婚もしました。

日本軍の捕虜となって苦労した夫は、昔を思い出して泣く私を慰めてくれました。

でも、私は、男を愛することが出来なくなっていました。

日本人だけでなく総ての男に仕返ししたかったから

その夫がなくなり、私は弁当の仕出しの仕事を夢中でやりました

一九九三年、私が「慰安婦」だったと名乗り出ると、お客がよりつかなくなりました。 

  マルディエムは「日本のお古」と言われつつ日本の罪を背負いて生き来

「欠陥人間!」

「日本のパン屑!」

「日本のお古!」

「慰安婦は恥」と蔑まれました。

なりたくて、「慰安婦」になったわけじゃない。

騙され、さらわれ、脅され、死ぬことも出来ない日々を、日本軍に

強いられただけだったのに。

日本が負けて、やっと地獄からぬけられる、と思ったのに。

家族に厄介者扱いされ、ボロボロの身体に薬も買えず、結婚も出来ず、

子どもも生めない、「慰安婦」にされた私たち


「売春婦」とまで言われて-----。

癒されない心に、また新しい傷がつけられました。

  紫の蘭の花びらに覆いたり「慰安婦」たりし友のみ墓を

  「慰安婦」とされたる罪を許したまえ神に祈りぬ逝きし友のため

あの四年間、悪夢の年月、あれが本当に夢だったらと、どんなに願ったでしょう。

しっかりものといわれ、我慢強いと褒められるけれど、ふいに襲う、

どうにもならない狂おしい思いを抑えることが出来ません。


安らかな夜を、私に返して!

人生は楽しいことに満ちていると信じて歌っていた、十三歳の私を返して!

夢を抱き胸はずませ、笑ってばかりいた私を返して!

人を信じ、人を愛する気持ちを、返して!

マルディエム……

七四歳になった、私の人生 

十三歳のあの日から、六十年間、 地獄だった私の人生

私は何のために生まれてきたのでしょうか。

   「慰安婦」らの辛き証言はめ込まれ歴史なりゆくジグソーパズルのごと

知ってください、心に地獄を抱き続けたまま生きている私のことを

まだ闇の中に居るたくさんの仲間のことを

謝ってください、二度と再び同じことが起きないように。

賠償してください、薬も無いまま寂しく死んでいった「慰安婦」にされた犠牲者のために

伝えてください、過去の犯罪を、あの時代が再びこないように。

私は、生き続けます。この事実を伝えるために。

十三歳からの六十年の意味を見つけ出すために。

 ボルネオの慰安所設置を自慢げに書きたる人を首相にする国

  日本の若き人らに伝えたしと戦争をまた起こさぬために

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