夕顔の棚の下親子3人がそろって夕涼みをしています。
くつろいだ一家団らんのひととき。
庶民のささやかな幸せの情景を描いた名作国宝の「納涼図屏風」。
描いたのは江戸時代前期に生きた久隅守景。
幕府の御用絵師狩野探幽の一番弟子でしたが狩野派を離れその後どこに住んだのかどのくらい生きたのかも定かでない謎の絵師です。
守景は江戸時代の風俗を数多く描きました。
宇治の茶摘みの様子。
そして広大な田園で繰り広げられる鷹狩りの様子。
とにかく鷹狩りの場面場面の一つ一つがですね非常にこうリアルに正確に描かれていると。
守景が最も得意としたのが農村の風景です。
田植えや稲刈りなど農作業に加え農民たちのふだんの暮らしぶりが描き込まれています。
紅葉の下で舟下りをしたりみんなで憩いのひとときを過ごしたり…。
季節折々のその仕事というものを楽しみながら四季と一体となって人々が生き生きとした生活を送る桃源郷の世界ではないかなと。
農村風俗を数多く描き「田園画家」とも言われる久隅守景。
代表作を丹念に見ていきながら謎の絵師が絵に託した思いを探っていきます。
さあ今日は東京のサントリー美術館で開かれている久隅守景の展覧会場に来ています。
代表作の「納涼図」。
大きいですよね。
そうですね。
見る者に緊張感を与えない国宝ってなかなか珍しいですよね。
すごいこうリラックスして見れるというような見る側もそういう気持ちになる。
そうですね。
まずは今日は守景の代表作この「納涼図」からじっくりと見ていきたいと思います。
空にはうっすら満月が出ているけど宵になってもまだ蒸し暑いんだね。
庭先にむしろを敷いて夕涼みしているよ。
ほらお父さんは薄い襦袢だけだし男の子も片肌脱いでいる。
お母さんなんか腰巻き一つでもろ肌脱いでいるね。
みすぼらしい小屋だから貧しいんだろうけどでも軒先に夕顔の棚がこしらえてあって暮らしの潤いも見える。
その棚の下でもう夕御飯を済ませたんだろうね。
親子一緒にのんびりとくつろいで…。
ありふれているけどこういう一瞬こそが幸せなのかな。
この絵はある和歌の情景を描いたとも言われるよ。
こんな歌だ。
夕顔の咲く軒の下男は襦袢女は腰巻き姿で涼んでいる。
歌にはこう添え書きがしてあるそうだ。
「これこそ世の中で最高の楽しみだ」と言っているんだ。
でもこんなささやかな夕涼みに幸せを感じられる人って結構苦労した人かもしれないね。
この頬づえついているお父さんの顔どこか愁いを帯びているような気がしない?守景の自画像じゃないかって言う人もいるよ。
守景は果たしてどんな人生を送ったのでしょうか。
その足跡が滋賀県の古刹聖衆来迎寺に残されています。
寺の障壁画は幕府の御用絵師狩野探幽をはじめその一門の手によって描かれました。
この時守景も仏間の「羅漢図」を任されています。
守景は探幽の門下四天王の筆頭と目される絵師だったのです。
しかしやがてその狩野派を去ってしまいました。
守景はなぜ探幽の元を離れたのでしょうか。
その理由は謎です。
狩野派の路線に背く異端児だった。
いや大酒飲みの侠客だった。
これらいくつかの説の中で有力なのは子供たちの不始末の責任をとったというものです。
息子は探幽に師事していましたが吉原通いが過ぎて破門。
悪事を重ねて佐渡に島流しされます。
また娘も探幽に絵を学び後に人気女流絵師になりますが修業中同門の男と駆け落ちします。
守景は後半生狩野派を離れ子供たちとも離れて過ごしたと思われます。
家族がむつまじく夕涼みする「納涼図」の光景に守景はどんな思いを込めたのでしょうか。
「納涼図」の中に描かれたあるものに着目して守景の思いを探ってみましょう。
それは夕顔の棚になっている瓢箪です。
絵の元になったと言われている歌。
つまり歌には夕顔の花が咲いたとありますが守景はその実である瓢箪を描いているのです。
実はその後何人もの絵師が「納涼図」を描いています。
江戸後期の絵師歌川豊広の絵。
裸の上半身をさらしうちわをあおぐ女と酒を飲む男。
その視線の先には夕顔棚がありますがそこには花が咲いています。
こちらは飾北斎。
ふんどし姿の男の傍らに女が腰巻き一つでキセルをくわえています。
その上にある夕顔棚。
やはり花が咲いています。
守景はなぜ花ではなく実である瓢箪を描いたのでしょうか。
何か瓢箪に意味を込めて意識して表現したんだと思うんですね。
親子の非常につつましやかな団らんのひととき言ってみれば清貧の暮らしとも言えるようなその姿とそれから中国の故事瓢箪に関する故事を結び付けて見る人に伝えたかったんではないかと考えています。
清貧のエピソードとしてどんなふうに瓢箪が出てくるのかその例を「論語」に見てみよう。
孔子の弟子で一番の秀才と言われたのが顔回。
孔子は「顔回は偉いなあ」と褒めたたえてこう言うんだ。
つまり「顔回は1杯の飯とひさごのおわん1杯の飲み物だけで路地裏の長屋住まいをしている」という意味。
孔子は「普通ならそんな生活はやりきれないと嘆くところなのに顔回はそんな暮らしを気にせず自分の楽しみを貫いている」と言って「本当に偉いよ顔回は」と繰り返しているんだ。
顔回は隠逸思想を標ぼうする人たちからも顔回の生き方というのは一つのお手本になった。
社会の秩序から離れて自由に暮らす事地位や財産は求めず清貧の暮らしになるわけですけれども中国の隠逸の場合には仲間や家族と共に過ごす隠逸の在り方もあって。
守景の自身の人生とも重なるものではないかと思うわけなんです。
もともと秩序立った狩野派の中にいてそこから離れる事を余儀なくされたという大きな挫折ですね。
そこに何か守景自身にも隠逸的な思想に共感する要素があったんではないかと思います。
さあ今日は美術史家で岡崎市美術博物館の館長の原悟さんと一緒に見ていきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
原さんはどうご覧になります?やっぱり守景の持てる力といいますか描写力が十分堪能できる作品だというふうに思いますね。
一番典型的なのは男性の肉体と女性の肉体を表す線が全く違う線ですよね。
特に私は女性のあの腕の伸びやかな線というのはもう何ともたまらなくいいと思いますけれどもいかがですか。
色っぽくて。
艶やかな。
押せばこう反発があるような。
プニュとなるような。
あの男の人よく見てみるとあれなんですよね着ているものが透けてて。
お父さんが本当にリラックスしながら父親はこうすっとかけて。
こういう寝そべったポーズというのもなかなか類例はないと思いますね。
これを17世紀の中に置いてみるといくつか斬新なというか思い切った試みをしてるんですね。
まず一つは画題から言えばこれ多分この男女は夫婦。
…という事になれば家族の肖像ですよね。
そういう意味で類例が全くない新しい試みだと思います。
もう一つは私は常々思ってるのはこれを二曲一隻の屏風に描いてると。
ちょうどその二曲のほぼ正方形の空間が月がぽっと出たその雰囲気に見事に合っている余白を作り出してるんじゃないかという気がしてるんですけどね。
夏の季節の湿気感みたいなのも画面全体から感じますよね。
感じますね。
月の加減なんかはまさにそうですよね。
湿度を含んだ空気がちゃんと描かれてますよね。
それが余白ですよねやっぱりね。
何も描かれてない所をうまく生かしながらという。
しかもうまく二曲という形に凝縮して見事に涼しげな夕涼みのその味わいですかね。
そういうものを表してるんじゃないかというふうに思います。
謎の画家久隅守景。
僅かに分かっているのは狩野派を離れたあと加賀に滞在した事。
そして晩年には京都に移り住んだらしいという事くらい。
守景を知る手がかりは残された絵にしかありません。
その代表作を見ていきましょう。
金色がまばゆく映える屏風。
京都とその近郊の春から初夏を彩る風物が描き込まれています。
向かって左には上賀茂神社の競馬。
そして右は宇治の茶摘み。
今も八十八夜になると女性たちが茶畑に出て新茶をアピールする宇治。
守景が描いたのはその江戸時代の光景です。
かすみの間にのぞくのは平等院鳳凰堂の甍。
そうここは宇治。
宇治といえばお茶だね。
・「夏も近づく八十八夜」まさに今茶摘みのさなかだよ。
やっぱり女の人ばかりかな。
茶畑から集落へと通じる道はあれあれわんぱくな子供たちの遊び場となっている。
わ〜い!エイコラ!甲高い声が聞こえてくるようだね。
集落の前をぞろぞろ歩いている女たち。
大きな袋を背負ったり頭の上に籠を載せたり。
きっとこれ摘んだばかりのお茶を運んでいるんだよ。
僧侶やお茶の師匠も行き交う往来の真ん中でむしろを広げてお茶の葉を干している。
いいねえのどかだねえ。
上賀茂神社の競馬は毎年5月5日大勢の観客を集めて行われます。
900年以上前に始まった伝統の行事です。
上賀茂神社の社殿がそびえているね。
境内にはもう馬の駆けるドッドッドッという音が響いているよ。
でも今より人出も多くはなくてどこかのんびりしているね。
鳥居の所には走り終わったのかそれとも出番を待っているのか…。
こっちじゃもうすぐ走るんだろうね馬もちょっといきりたっているようだけど。
けしかける男がいるかと思えば鼻をかんでいるやつもいる。
風邪でもひいているのかな。
馬を見つめる観客たちの後ろじゃそっぽ向いて酒を飲んでいる者がいれば坊やたちは柵によじ登っている。
これならよく見えるかも。
素早い動きで獲物を捕らえる鷹。
古代から行われてきた日本の鷹狩りは江戸時代前期将軍や大名などが好み盛んでした。
守景はこの鷹狩りの様子を大画面に描きました。
横幅10メートルにも及ぶ「鷹狩図屏風」。
田畑一面に鷹狩りが繰り広げられています。
向かって左は比較的小さな雁や鴨などを捕まえる様子。
そして右には鶴や白鳥など大型の鳥を狙う鷹狩りが描かれています。
なんて広々とした光景。
田んぼの中を川が縫いなだらかな緑の丘が連なっている。
その至る所で鷹狩りが行われているよ。
鶴が羽を休ませている近くに鷹狩りの一行が見えるよ。
猟犬を引く犬牽を従え鷹匠が鷹を手にしているね。
さあ今鷹を放ったよ。
ほら鷹が猛スピードで獲物を追っている。
田んぼを鷹匠たちが駆けてる。
鷹が大きな美しい鶴に襲いかかっている。
驚いたね。
頭が赤いでしょ。
今じゃ特別天然記念物の丹頂鶴だよ。
こっちも駆けてる。
獲物は雉だね。
くるりと身を翻して捕まえるまさにその瞬間の姿かな。
白鳥が池で静かに憩っているけど鷹匠たちは殺気立っているよ。
鷹が白鳥を捕まえたんだ。
この鷹狩りどうしても現代の目で見ちゃうからかわいそうになってくるね。
さあ獲物の丹頂鶴を担いで意気揚々と帰ってくるね。
その先の丘の上には農家らしき小屋があって大勢の人々がたむろしている。
獲物の白鳥の横じゃきっと猟を終えてくつろいでいるんだね。
あくびする人キセル吹かす人。
その横には見事な白馬が休んでいてよ〜く見ると男が鏡を見ながら毛を抜いている。
ああ痛そう。
それにしても気になるのはこの立派な白馬のあるじ。
きっとこの鷹狩りを主催した偉い人が乗っていたんだろうけどどこにいるのやら見当たらないね。
鶴や白鳥を捕まえる鷹狩りというのは鷹狩りの中でも最も重要な鷹狩りです。
一般の庶民たちは鶴や白鳥は絶対捕ってはならないという法令が出てるんですね。
しかしですね将軍や将軍に許可された許された大名だけは鶴を捕る事が許されていました。
鶴というものはおめでたい鳥なんですね。
長寿の鳥です。
だからそういう意味で江戸時代からやっぱりお祝いものとして鶴が利用されるわけです。
天皇や大名たちに将軍であればあげますし大名だった場合には将軍にあげると。
鷹狩りの場面が非常にリアルに正確に描かれていると。
大きな鶴をまあ小さな鷹が捕まえるという事ですので逃げられてしまう可能性がかなりあります。
ですからそのために鷹匠たちも必死になってまず鶴に鷹が襲いかかった場合にはすぐ鷹匠たちも走り込んでいって押さえるという事のためにこういう走ってる場面が描かれてるんですね。
こうやって活躍した鷹匠たちはご褒美も頂けるという事でそれだけ頑張って奉仕するという事がこの鶴御成というもののまあ特徴なんですね。
将軍や大名が行う鷹狩りがリアルに描かれている一方緊迫した鷹狩りにはふさわしくないくつろいだ様子や農民の姿も盛り込まれています。
(根崎)ここまでのどかな光景を入れたりしながらしてる「鷹狩図屏風」というのは他にはちょっと類を見ないんじゃないかというふうに思います。
馬の周辺にいる人たちが何か大きな口を開けていたりあるいは談笑したりという場面で何か伸び伸びとあるいは座ってくつろいでいるというような。
しばを運んでいる農夫を描くあるいはお茶屋の人たちが餅をついてるという場面。
そしてその周りで子供たちが遊んでるというものを侍と共に農民たちも豊かな暮らしあるいは平和な暮らしというものを守景は描き出したかったんじゃないかなと思うんですね。
ここは鳥や生き物植物などが描かれている作品が。
いいですね。
ああ!これはまた何ともかわいらしい鳥ですね。
そうですね大変チャーミングな。
「伊勢物語」のあの有名な隅田川の都鳥をうたった歌なんですけども。
都に残してきたよき人を思い出すという歌ですよね。
これを触発させたのが都鳥という名前からだと思いますけど。
多分それほど時間かけずにさらっと描いてしまったものだと思うんです。
でもあのつぶらな都鳥の目が何ともいいという。
もうあの点だけで鳥の。
羽毛ですよね描いてる。
羽毛とか輪郭を表して。
でもちゃんと都鳥にしっかり見えますもんね。
触りたくなるような羽毛の感じというかねふんわりとした存在感ですよね。
この作品もあの「伊勢物語」を題材にした作品のようですが実にユニークな面白い作品ですね。
「伊勢物語」の中に鍋冠祭という事について触れた段がありますけどそこで述べられている祭りで女性が関係を持った男性の数だけ鍋をかぶるというお祭りですね。
ですからこちらはいくつかかぶっててこちらの女性は1つもかぶっていないという。
まさしくその対比の妙を示したという事なんでしょうか。
こんなユーモアが。
ポーズや着ているものもすごい対比をあえてしてる感じが面白いですね。
こちら側の女性はねいかにも唇しか見えてませんけど美しい感じが伝わってきます。
きますよね。
実際にそんなお祭りってあるんですか?ええ。
神社で行われてるようですけどただ現代では子供たちが鍋を1つずつかぶるというような事になってて当時も本当に物語で言われてるような祭りがあったかどうか地元では疑問もあるというような事になっているかと思います。
瑞穂の国と呼ばれ古代から稲作を続けてきた日本。
守景はその農村風景を飽かず描き続けました。
守景が「田園画家」と呼ばれるゆえんです。
四季の情景とともに稲作の様子を描いた「四季耕作図」を守景は数多く残しています。
これはその一点。
パノラマのように中国風の農村風景が広がっています。
もともと「耕作図」は中国から伝わった伝統的な画題。
守景の作品にも中国の風物を描いたものが多くあります。
まずはその田園世界をのぞいてみましょう。
柳もまだ芽吹いていない春先だけどきっと日ざしが暖かいんだね。
農家の庭先には中国風のなりをした人が出てるし子供たちが小鳥と戯れている。
そしてその向こうの田んぼでは牛にすきを引かせて田起こしだ。
いや〜精が出ますね。
突然ザーッとにわか雨。
小屋は雨宿りの村人たちでいっぱいだ。
入りきれなくて軒先まであふれてる。
そんな中でも田んぼじゃ田植えに一生懸命だよ。
でも一人だけ「雨宿りしたいな」と小屋の方を見ているね。
そして季節は巡り実りの秋がやって来た。
刈り入れた稲をロバに積んで家路につく。
先頭で子供が何やら指さしている。
「早く行こうよ」って言っているのかなあ。
さあ集落では大勢が繰り出しているね。
おやおやご隠居さんまで様子を見にきてきょろきょろしているよ。
庭で稲束をたたいてもみを落とし家の中の臼でひく。
そして軒先で米をつきそれを詰めてようやく作業が終わった。
あれあれ鶏が3羽おこぼれにあずかっているよ。
石川県立美術館の村瀬博春さん。
全国にある守景の「四季耕作図屏風」をつぶさに見てきました。
本来ですね前面に打ち出されるべきであるその稲作風景というのが時には後退してしまってその農作業以外の人々の営みというものが前面に出てきている。
まあにわか雨夕立の場面が描かれています。
そこに逃げ込んでいく人々とかですねそれからこれは伝統的な「四季耕作図」ですと田植えの時に雨乞いをして雨が降ってくるというシーンは描かれるんですけども守景の場合は日常の一コマとして描かれている。
逃げ込む人々の生き生きとした表情とか小屋の中で耳を塞いでる人物がいるんですね。
その稲妻は描かれていませんけども絵を見る事によって音も聞こえてくるというそういう仕掛けをしてる。
これもやっぱり見る人の共感を誘うような魅力的な表現のしかたではないかなと思うんです。
守景が描写したふだんの農村の姿。
忙しい田植えのさなかでもその近くではみんなで一服楽しそうにしています。
犬が走っているその傍らでは川を歩いて渡る親子連れ。
背中の子供はすやすや寝ています。
村人たちが大勢立ち働いている集落。
その上の小高い所で男が遠くを見やりながらぼ〜っと物思いにふけっています。
(村瀬)季節折々のその仕事というものを楽しみながらしている。
守景の「四季耕作図」の中では明らかにそうした人々の生活というものが自然と一体となっているというところをさまざまな角度で表現しようという意図があったと思います。
決して過剰な生産をする事もなくまた強制労働させられているという事でもなくてそこに鶏とか犬の声が聞こえてくるという。
人々が生き生きとした生活を送るという事のまあ一つの典型というか理想像というのが中国の詩人の陶淵明が詠んだ桃源郷の世界ではないかなと思うんですけども。
ユートピアの事を桃源郷っていう。
それは役人を辞めてふるさとの田園に住んだ事で知られる中国の詩人陶淵明という人の詩から来てるんだよ。
ある男がたくさんの桃が咲き乱れるその向こうにいくと小さな村があったんだ。
土地は広く平らで立派な家が立ち並び良い田や畑があった。
鶏や犬の声が聞こえ畑仕事をしている村人の服は外国人のようで老人も子供も皆にこにこして楽しそうだった。
まあ男は村人みんなの歓待を受けてやがて村を去る。
その後男はその村にもう一度行きたいと思ったけど二度と見つける事はできなかったんだって。
守景は中国風の「耕作図」に加え大和絵の伝統を取り込んで日本の農村そのままの「四季耕作図」も描きました。
これはその一点。
数ある「四季耕作図」の中でも傑作と言われています。
ああ春だねえ。
うっすらかすみがかかった山には桜が咲き誇り遠くの田んぼでは田起こしが始まってる。
のんびりとして眠くなるような村里だけど太鼓橋からざわめきが聞こえてくるよ。
みんな空を見上げてるね。
先頭にいるのが鷹匠だよ。
で視線の先を追うと今まさに鷹が鳥を捕まえようとしている。
その先の柳の木の下では鵜飼いをしている。
もうそろそろ夏になったんだね。
橋のたもとの茶屋では旅人たちが一服。
その向こう川のほとりじゃ「外の方が気持ちいいのに」なんて若者たちが涼んでいるよ。
この格好あの「納涼図」に似ていない?ほら襦袢姿や顔も似ているなあ。
空にはお月様が出てもう秋だなあ。
田んぼじゃ稲刈りが始まっているよ。
稲わら担いで橋を越えりゃ村人総出で農作業に大わらわ。
トントンたたいて稲穂を落とし臼でもみをすって箕でもみ殻をとばす。
そしてようやくお米を俵に詰める。
そんな慌ただしい作業を横目に子供たちは犬と戯れているけど大人たちは何やらお代官様らしき人の前で神妙な面持ち。
そう年貢を納めなきゃいけないからね。
こんなふうにして取り入れが終わる頃木枯らしが吹いて山は雪に覆われ今年もまた一年が終わる。
結局は物質的な豊かさよりも心の豊かさというものが大事ですよという守景のメッセージをここから読み解く事ができるんじゃないかなと思うんですね。
村瀬さんは例えば川べりで夕涼みする男たちの姿勢から守景が絵の中に込めた思いを読み込みます。
立て膝のポーズや頬づえをつくポーズは実は観音菩薩の姿勢にも共通するところがあります。
この「如意輪観音菩薩」は立て膝で頬に手をあてています。
こうした姿勢は「納涼図」にも見られます。
村瀬さんはこの姿勢の中にも守景が無常観や「足るを知る」というメッセージを込めたのではないかと考えます。
やっぱりその足るを知るそして時を得る時期を得る。
その時々に自分が向き合うと。
流されるのではなくてその時々に向き合っていくという事。
それが自然と一体となるという事のそして天命を享受しながら生きていくという事の最高度の知恵ではないかと思うんですがそういう守景の「四季耕作図」の一連の制作を通して達観したその知恵というものが「納涼図」の中で凝縮されていったという事ですね。
ああこちらが日本の風景を描いた方の「四季耕作図」ですね。
はいそうですね。
大きいなあ。
守景は日本の習俗というか風俗もちりばめる事によってこの画題を日本に土着化させていったという事だと思うんです。
ですから細部には耕作の作業以外の風俗が描かれててそれもまた画面を非常に豊かにしていると思いますけれど。
これは闘鶏ですよね。
闘鶏。
闘鶏はもう平安時代以来の習俗ですから。
もう一つここに雉が描かれてますよね。
2羽雌雄の雉だと思いますけど。
これも背景の桜が描かれてますけども桜が描かれれば雉が添えられるというのが伝統的な組み合わせですよね。
さあ今度はこちらは…あ誰かを呼んでます?川岸の向こう。
「お〜い」ってやってますね。
まあ基本的には鷹狩りの一行を描いてるんですけど。
あそこに鷹を教えてますんでね。
その対岸には舟。
ああほんとだ。
結構何人も乗って。
子供も乗って…赤ちゃんまで。
えっ?あほんとだ。
だっこしてますね。
僕が興味引いたのはやっぱり狩野派の一門でありながらもそこから出る事によって守景が農村の方へと意識が向いていって表情一つとってもちょっと思い入れが強いなというふうにも感じるんですね。
当然そこには彼なりの田園生活に対する憧れというか自足感というかそういうものも当然あったんじゃないんですかね。
それが例えばあの「納涼図」も田園風俗の一コマという事でそれを「天下の至楽なり」と言ってるわけでその自足感とどこか通底する価値観といったようなものを読み解く事はできるんじゃないですかね。
先ほど見た「納涼図」のあのひげをもった男性ですよね。
あれをどう読み解くかですけれどもそこに狩野派一門からもある距離を持ってしかし絵師として活躍した守景の姿というかそれと重ね合わせてるというような事もしたいですよね。
まあ謎の画家ですけれども謎が深まれば深まるほどますます追っかけたくなるというのが守景かもしれませんね。
多くの農村風俗の絵を描いて姿を消した謎の絵師久隅守景。
一体どのような人物だったのか。
その手がかりは残された絵に秘められています。
2015/11/01(日) 20:00〜20:45
NHKEテレ1大阪
日曜美術館「謎の田園画家のメッセージ〜久隅守景〜」[字][再]
親子が夕涼みする情景を描いた国宝『納涼図屏風』。作者は、生没年も不明の謎の絵師、久隅守景。江戸の農村風俗をふんだんに描いた田園画家が絵に込めたメッセージを探る。
詳細情報
番組内容
夕顔棚の下で、親子が夕涼みにくつろいでいる、庶民のささやかな幸せの情景を描いた名作、国宝『納涼図屏風』。作者は、生没年も住んだ場所もはっきりしない謎の絵師、久隅守景。江戸の農村風俗をふんだんに盛り込んだ『四季耕作図屏風』を数多く残し田園画家と呼ばれる。 番組では、久隅の代表作をおもしろい語りで紹介するとともに、謎の田園画家が絵にこめたメッセージを探る。
出演者
【出演】岡崎市美術博物館館長…榊原悟,石川県立美術館学芸第一課担当課長…村瀬博春,東海大学文学部非常勤講師…久野幸子,法政大学教授…根崎光男,【司会】井浦新,伊東敏恵
ジャンル :
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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