第2次世界大戦末期のソ連軍の侵攻
敗北した日本には悲劇が待ち受けていました
57万人を超える人が捕虜となった…
少なくとも5万5000人が亡くなりました
4年間ほど向こうにおってまぁねようやく命からがら帰って来た。
(拍手と歓声)
戦後70年シベリア抑留の記憶を後世に残そうという取り組みが生まれています
今年10月京都府舞鶴市の資料がユネスコの世界記憶遺産に登録されました
もうそれこそ大きな声で「お〜い!」。
何かわしは死んでもやな残したいものがないかなぁ思って。
90歳の抑留体験者が若い世代に語り始めたシベリアの記憶
(荒木さん)とても現在の私達の生活からは考えられないほど悲惨な状況がそこにはありました。
はるか北シベリアの凍土から日本の港を目指した引き揚げ者達
現代の女子高校生が記憶のバトンを受け取ります
京都の北部にある舞鶴市
人口8万4000人の小さな港町です
終戦後海外から引き揚げる日本人を最後まで受け入れ続けた港
13年間でのべ346隻
66万人の引き揚げ者が舞鶴の港に降り立ちました
その7割がシベリア抑留者
身も心も極限の状態で帰還しここからふるさとへと戻って行きました
原田二郎さん90歳
シベリアで4年間の抑留生活を送りました
父親の反対を押し切って…
3年後陸軍に入隊し中国大陸の満州へ出征
病院の衛生兵になりました
戦況が悪化する中野戦病院に派遣され前線で負傷した兵士達の手当てに追われました
そのむごい姿が今も脳裏に焼き付いて離れません
…言うさかいな。
(砲声)
1945年8月
日本軍は降伏し停戦
満州にいた軍人や民間人は次々とソ連へ強制連行されました
原田さんが送られたのは極寒の地…
ハバロフスクの第16収容所でした
マイナス30℃から40℃という体験したこともない寒さの中で過酷な労働を強いられました
十分な防寒具もない中凍傷で指を切断したり命を落とす人も後を絶ちませんでした
ソ連の戦後復興の労働力と見なされた捕虜
鉄道の建設や森林の伐採などの重労働に駆り出されます
ノルマを達成できなければ食事抜きの罰則も課せられました
不衛生な収容所
ベッドは狭く上下交互に折り重なりすし詰めの状態で体を横たえます
食事は量も中身も粗末なものでした
具のほとんど入っていない塩ひとつまみのスープ
昼食は黒パンたった1切れ
配分をめぐりいさかいも絶えませんでした
空腹のあまり会話することもなく殺伐とした収容所暮らし
長い人で10年以上も続いた生き地獄でした
寒さノルマ飢餓の三重苦
亡くなった人の実に4割は餓死とみられています
原田さんが舞鶴港に引き揚げることができたのは25歳の時
2年後に結婚し2人の子供にも恵まれましたが誰にも言えない苦しみが続きました
次はどうやな次はどうやな思ってな。
寝る時…。
他人には分かるはずがない
シベリア抑留の記憶は長年心の奥底にしまい込んでいました
人前で語り始めたのはつい最近のことです
知り合いに頼まれ集会で戦争体験を語ったところその日の晩は悪夢にうなされませんでした
4年前から語り部のボランティアをしています
片道2時間かけて通う…
全国の引き揚げ者の寄付などで27年前につくられました
シベリア抑留の体験者や遺族から寄贈された衣類や絵画など1万2000点を収蔵しています
突然捕らわれの身となった憤りや嘆き
日本への帰国を待ち望む切実な心情を克明に伝えています
シベリア抑留という言葉自体をご存じないというその世代がホントにたくさん増えられたなというのがやっぱり実感としてございますのでやはり原点としてはそういう危機感から取り組んだということも実際はございますね。
語り部のボランティアは現在23人
シベリア抑留を体験したのは原田さん1人だけです
心掛けているのは戦争を知らない子供にも分かるように具体的な体験を話すこと
…のは湯のみ1杯の水なんや。
それでもう…。
大切なお話をありがとうございました。
(児童達)ありがとうございました。
・お疲れさまでした・・長い間お話していただいたので拍手してください・
(拍手)はいありがとう。
・ありがとうございました・訳の分からんことをたくさん喋ってごめんよ。
・ありがとうございました・今日いろんなこと聞けてよかった。
やっぱり戦争は嫌やなと思った。
(チャイム)
(教師)今回の問題カッコ1番では内分する点を求めなさいやったから。
舞鶴市内の高校に通う…
引揚記念館の資料が記憶遺産の候補になったと知りましたが地元の歴史はあまり詳しくはありません
ふるさとの港が戦後に果たした役割やシベリア抑留の実態についてもっと知りたいと考え同級生の坂口さんと調べ始めました
(坂口さん)私は舞鶴に引揚記念館があるということは知ってたのですが自分が実際それまで行ったこととか詳しく調べてみようって思ったことはなくて。
なかなか分からないじゃないですか地元のことって。
だけど自分達が地元のことを勉強して地元のことを知るっていう意味ですごい自分達のことにもなると思うし。
(2人)こんにちは。
はいこんにちはご苦労さん。
そっちに入って。
(荒木さん)こっちですか?はい。
地元にシベリア抑留の体験者がいると知り原田さんを訪ねました
足投げ出したらええでハハハ…。
(坂口さん)ありがとうございます。
戦争の話は祖父母からも聞いたことがないという2人
ともかくなおしっこしたらなおしっこがずっと氷柱になって上がって来るんや。
(坂口さん)え〜。
タオル振ったら凍るとかいいますよね。
(荒木さん:坂口さん)へぇ〜。
(坂口さん)4年間お風呂入らないんですか!?あっそっか。
あ〜そっか。
(坂口さん)え〜!こういうことってやっぱり悲しいことじゃないですか原田さんにとって。
なぜ私達にそうやって語ってもらえるんですかね?やはり…。
ふるさとの戦後史について調べ始めた舞鶴市の女子高校生達
…はシベリアからの引き揚げ者原田さんから聞いた話を仲間に伝えました
うちらの世代ってそういう話をよく子供が聞くと嫌とかつまらんって言っとるから。
・そやな・興味を傾けてほしいかなと思う。
(生徒)まず興味を持ってくれる人に知ってもらっておじいちゃんとかおばあちゃんは自分らよりは先に死ぬわけやから何かちょっとでも知っとる人は多くおってほしいかなって思います。
こないして白菜作ったりしとるんや。
これは小豆やな。
シベリアから引き揚げた次の日から働いていたという原田さん
90歳の今も朝から晩まで農作業に精を出します
4年前から始めた語り部の活動にもやりがいを感じています
でも最近ある不安が生じています
戦後に生まれた人が8割を超える今記憶の継承は大きな節目を迎えています
♪〜
去年8月に開かれた研究発表会
国際的な視点で自主的に取り組んだ活動を全国から集まった高校生が披露します
舞鶴市の引き揚げの歴史やシベリア抑留について一人でも多くの人に知ってほしいと考えた荒木さん
体験者の聞き取りなどを基に8分間のスピーチにまとめました
(司会者)それでは東舞鶴高等学校の皆さんお願いいたします。
(拍手)舞鶴引揚記念館にはシベリア抑留や引き揚げという過酷な労苦の体験を後世に語り継ぎ平和の尊さを感じてほしいという思いから舞鶴市に寄贈いただいた引き揚げ体験者や関係者の方々からのたくさんの貴重な資料が保管されています。
(荒木さん)そして私達は原田さんというシベリア抑留者の方にもお話を伺うことができました。
アカザやタンポポといった葉を食べ飢えをしのぎ1枚食べれば1日生き延びられると周りの方と励まし合いながら生活されておられました。
とても現在の私達の生活からは考えられないほど悲惨な状況がそこにはありました。
原田さんは本当に多くの方に戦争について知ってもらいたい…という強い願いを持っておられました。
私達も今後引き揚げに携わって行きたいと考えていますし皆さんにも知って伝えるということに協力していただけるとうれしく思います。
(拍手)やっぱり知るっていうことが一番大事。
平和を思う何ていうんやろ…ともしびの火種に私達がなれたらいいかなと思って。
でそれでうん…平和のことについて考えてもらえるちょっとしたきっかけになればいいかなと思いますね。
(記者)高校生達が原田さんから聞いた話を大事な財産としてね広めようとしてくれてることについてはどう思われてます?それはありがたいなと思う。
高校生との出会いが語り部を引退しようと考え始めていた原田さんの気持ちを変えました
・どうぞ!・
(拍手)
ユネスコ世界記憶遺産の登録
舞鶴引揚記念館を訪れる人は増えシベリア抑留についての関心も高まっています
極東での生活っていうのが今お聞きしてすごいなと思いましたね。
抑留体験者の原田さんは以前出会った高校生の荒木さんから2人の後輩を紹介されました
すごい…その…厳しかったっていうのを知って自分らにも何かできることがあるんじゃないかなって。
何か間に合うことあったら言うて。
また一つ新たな出会いが生まれました
(荒木さんの声)やっぱり…。
(荒木さんの声)…だと思います。
元気で頑張ってや。
ありがとうございます。
また見に来るで。
はい。
・ぜひお願いします・
世界記憶遺産に登録されてから初めての語り部です
記憶を受け継いでくれる子供達を一人でも増やすことが自分の役目だと考えています
おはよう。
・おはようございます・
(荒木さんの声)自分が親になった時子供達にそういうことを…自分が聞いたことを語って行けたらいいなと思います。
原田二郎さん90歳
命ある限り語り続けます
津波が来て原発…もう死ぬるしかないですよねハハ。
逃げ道がないからここの。
次々と原発が動きだした再稼動元年
原発の地元に横たわる複雑な思いとは
2015/11/02(月) 01:05〜01:35
読売テレビ1
NNNドキュメント「凍土の記憶〜シベリア抑留を伝える女子高校生〜」[字]
今年10月、ユネスコ世界記憶遺産に登録が決まった京都府舞鶴市のシベリア抑留関連資料。90歳の体験者と地元の女子高校生の交流を通して記憶の継承について考える。
詳細情報
番組内容
今年10月、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の「世界記憶遺産」に登録が決定した「舞鶴引揚記念館」(京都府舞鶴市)のシベリア抑留関連資料570点。終戦後、約57万人を超える日本人がソ連によって捕えられ少なくとも5万5千人の命がシベリアの凍土と化した。4年間抑留された90歳の原田二郎さんの話を引き継ぐのは、地元・舞鶴市の女子高校生たち。世代を超えた交流を通して「記憶の継承」の重要性について考える。
出演者
【ナレーター】
藤田千代美
制作
ytv
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
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