水野真紀の魔法のレストランR【徳光和夫&角淳一SP〜涙の人情食堂〜京都編】 2015.11.02


阪神はもう来シーズンに向けての船出をしておりまして。
いいですね。
何かもう変わらないと面白くないわけですから。
ええ〜まあ金本さん。
雰囲気が変わると思います。
急に優勝なんてそんなこと考える必要はないと思うんです。
やっぱりまず3年間で基礎作って4年目5年目ぐらいに優勝してほしいなと。
(ナレーション)言わずと知れたタイガースファン淳一さんのところに…。
京都・一乗寺にございますたこ焼きの店「蛸虎」ここでございます。
芸能界のミスタージャイアンツ徳光和夫さんが…。
(徳光)あっちょっと看板を見てください。
完全に虎の上にたこが乗ってなおかつあの異教徒の帽子をかぶっております。
異教徒の敵地にいよいよこれから私入るところであります。
果たしてどういったような所なんでありましょうか。
ごめんください。
・いらっしゃいませ。
すみませんどうも。
す…さん。
そうでございます。
はじめまして。
よろしくお願いいたします。
徳光でございます。
今日はどうも。
あっ名刺からいくんですか。
()ちょっと!そうやろ。
やっぱりそうやなと思た。
ああ〜そうか!
(徳光)私サラリーマン歴が長いもんで。
わかってますけど僕より先輩…。
肩書がないんですけど。
うわ〜。
ひとつよろしくお願いいたします。
ついに基本的に僕は徳光さんのことよく知ってます。
でもお写真だけで拝見しますともう私よりもしますもんね。
今や禁句に近いんですけど陣内の結婚式の司会されてたときにああ陣内徳光さんに頼んだのかという。
そこですよね。
やっぱり全国ネットなんですよね。
僕に世話になっておきながら僕には頼みに来ないんですよね。
さんはそういう意味では達観してらっしゃるんじゃないかなっていうふうに。
そういう部分でちょっとお目にかかるのは楽しみだなって。
それをまた裏切ってくれたらなお面白いなと思うんでございますけどもね。
オーバー70アナウンサー歴50年。
日本のテレビ界を背負ってきた2人が本音丸出しぶっちゃけトーク!!初共演とは思えない笑いあり涙あり。
(徳光)さんもお元気で。
ありがとうございました。
まさにベテランアナウンサーのTG戦。
プレーボール!一乗寺の「蛸虎」はその名のとおり先代のご主人をはじめ家族みんなが阪神ファン。
先代が屋台から始めた店を2代目が引き継ぎ今や京都市内に3店舗となりました。
30分かけてじっくり焼く大きなたこ焼きは35年間京都の人々に愛され続けています。
()ええ〜じゃあはじめましてですがよろしく…。
(徳光)お名前はねご高名は。
()いやいやそんなこと。
(徳光)かねがね伺ってるんでありますけど。
もう「夜クネ」は僕は大好きな番組で。
()あれを言っていただけますか。
ありがとうございます。
(徳光)こういうアナウンサーがいらっしゃるんだと思ってちょっと衝撃を受けたんです。
()やっぱり衝撃受けられましたですか。
(徳光)受けましたね。
()いうてもず〜っと大阪弁でしゃべってる。
それがすごいと思って。
アナウンサーとしてですね関西弁で貫き通してるっていうことがこれはちょっと希有なケースだしなかなか勇気がいることだと思う。
()そうですね。
ちょっとまあまあお話の途中で。
いきなり申し訳ございません。
()アナウンサー2人ですからしゃべりまくる。
申し訳ないです。
(徳光)
(安山)徳光さんの前でちょっと申し上げにくいんですけども阪神ファンということで。
お互いにあれですね。
(安山)そうですね〜。
ところでこれ美味ですね。
()美味ですか。
美味ですしたこ大きいですね。
(安山)そうですね鉄板の穴に入る目いっぱいの大きさで。
これハイボール合うでしょうね。
()お酒は相当いかれるんですか?そんなには飲めないんですけど。
すぐに赤くなりますけども。
でも嫌いじゃないんですよ。
()こんなん食べると飲んでみたいなぁと思われる。
今日はよろしくお願いします。
はじめまして。
よろしく。
()この番組を撮る前にインタビュー受けたでしょ徳光さん。
僕も受けたんです。
だからそのときの徳光さんがどう答えたって一部聞いてることがあるんです。
それを聞いてなんですか?冗談半分本気半分でてめえの葬儀の司会をてめえでやりたいかなって思ってますね。
事前に録っといてね。
「続いてはウエノ様から弔辞を頂きます」。
はあ〜さすがやな。
それは俺よう言わんわ。
あっそうですか。
う〜んそれは僕はないですね。
死んでまで自分の葬式の司会は絶対死んでもしたない。
スタッフが発見。
驚くべき2人とも…。
()「クセが強い」?ズームイン!はい2人一緒にズームイン!サウスポーでズームイン!ズームイン!さあ徳光に不可能はない。
いつのときでも決してマイクを離しません。
()出てきましたかこのVが。
(徳光)あっと足を取ったデストロイヤー。
何をする!思い起こせば11年前日本テレビに入社以来こんな目に遭ったのは初めてです。
()これを持ってきましたか。
()その中でも一番クセがあるところ。
(観客)おお〜!自分で司会するようになりましてからちょっとパーソナルな部分を出さなきゃいけないと。
それには要するにてめえをさらけ出さないとダメだなっていうふうに。
さんはそれを「夜クネ」の時代にやってたわけだ。
全部裸になって。
僕はプロレス中継担当になって馬場さんのとこに挨拶に行ったら馬場さんが俺は馬場さんにそういうこと教わって。
()馬場さんからそういう教育を受けたんですか。
ええ〜っ。
(徳光)ある意味でアナウンサーの対人のイロハを。
確かにそうですよね。
アナウンサー微妙な距離ですよね。
タレントさんが大事にしてらっしゃる領域っていうのありますからね。
そこを侵しちゃダメなんですよね。
でもそこをスレスレにいかないかんですよね我々は。
そうなんですよ。
そこの温度ですよね。
そうですそうです。
止まらんですけど次のトークいきましょうか。
(徳光)すみませんねどうも。
いいの?こういう話で。
()いやいやもう。
東京でもこんな話するんですか?
(徳光)しないですね。
さんにすっかりなんか…。
()ありがとうございます。
「生年月日に秘密が」っていうのはどういうことですか?ああそうか俺ね3…。
ごめんなさい私ですね。
いやいやいいです。
もういいじゃないですか。
「俺」でいいじゃないですか。
3月3日生まれなんですよ。
()ああおひなさんひな祭り。
僕16年生まれでしょ。
戦争真っただ中ですよ。
男の子のくせに女の節句に生まれたっていうことで両親がですね恥ずかしいからっていうんで3月10日の陸軍記念日それを届けるわけです。
そういう意味では僕もそうなんです。
僕は昭和19年の12月30日生まれなんですけど。
その当時は数えで数えてましたから2日で数えの2歳になるんですね。
2日で2歳ですね。
それはかわいそうだと。
で1月1日なんです昭和20年の。
続いての2人の共通点は…。
徳光さんといえばそうこれです。
はあ…弱っちゃったなこれは。
(相田)石丸さんでよかったです。
みんながリタイアしていく中ねえあそこのねずみ返しまで。
すみません。
いやちょっとダメだな俺。
これはほんとのところ僕は今日もうこんなになんとなく親しくしゃべってくださるんでもうはっきり聞きたいんですけどこれはほんとのところ僕は今日もうこんなになんとなく親しくしゃべってくださるんでもうはっきり聞きたいんですけどははははっ。
僕東京の厳しさってのはあると思うんですよ。
ほんとに泣いてらっしゃるときもあると思うんですけども。
そのうちにスタッフが「泣け泣け」って言うてくると思うんですよ東京は。
(徳光)あのねそれはないと思うんですけれどもそういう空気はありますね。
あるでしょう。
「お前ここで…」。
もうカメラマンこっち抜いとると。
どうもフロアDがこっち…。
泣けみたいな雰囲気出しとるなってのはあるでしょやっぱり。
期待されるってことありますね。
ここでこいつだったら泣くだろうというようなこと。
僕はそれに対しましては5割は抵抗してますね。
()5割は抵抗してる。
5割は抵抗してるんですか。
(徳光)こいつ苦労してディレクターになったんだろうなと思うようなやつのときには泣きますね。
あっわかるわかる。
だけど会社のエリートでつまり例えばディレクターやりながら明日経理に行けつったってそこでもそこそこ仕事ができるとか。
営業行けつったらそこそこ仕事ができるそういうやつを採用するでしょう最近のテレビ局って。
トランプでいうとジョーカーみたいになんでも使える。
そういうやつがディレクターのときは絶対泣かないですね。
ふはははは。
(徳光)それはね「ウルルン滞在記」もそうだったんだけど毎日放送で。
これはつまりそんな苦労しなくたっていいじゃないかと思う人たちが…。
()行くんですね。
(徳光)未開の地行ったりなんかするわけじゃないですか。
有名な俳優さんであるとかこれから将来が非常にね前途洋々たる役者さんたちが行くわけで。
そうするとね2〜3…3日間ぐらいは彼らは要するに俺たちがなんでこんな仕事しなきゃなんないのかっていう思いでいるわけですよ。
ところがですねスタッフを見ているうちに特にカメラマンとか音声さんねあんな重いものを担いで一生懸命仕事してブーム出したり。
その人たちが要するに未開の地だからさあの〜道路も荒れてるしねそういったようなところで一生懸命仕事をしている。
表情を変えずに仕事をしているのを見て本気になるわけですね。
これは俺やんなきゃいけない。
そっからあれですよね真剣になるとやっぱり役者になろうと思ったいちずな気持ちみたいなものが今度いい形で作用してくる。
そっから涙が出ますね。
ああ〜。
僕その話でいうと「ちちんぷいぷい」という情報番組やってたんですけど。
そのとき滝中継というのがあったんですね。
ものすごい距離をものすごいいわゆるそのコードっていうかロープを300m…何kmと張り巡らさなあかん。
麓から滝までず〜っとそれをみんなで運んでいって滝中継をするという。
まあ生でやるんですけど。
そのときにスタッフがパッとこう映すときにこう重たいケーブルをですねロープじゃないケーブルをこう担いでる子がおったんです。
僕はスタジオにいてその子に…。
って聞いたら…。
「僕のケーブルの先に行って滝を中継してるカメラマンになりたいです」って言ったときはもうこれはね若い人たちが頑張っているその気持ちがもう痛いほど伝わって。
ああほんとはカメラマンになりたいんだろうなというのをね。
それは…それはもう60になりかけてましたからね年齢のせいもあるんでしょうけど泣きますね。
そこに目が行ってねそのときにその若者に設問したっていうだけで俺さんの人柄がわかったね。
()ありがとうございます。
そんなこと言っていただける…。
(徳光)そういう人なんだねあなたはね。
()これがでもアナウンサーになった1つの…。
先ほどインタビュアーっていうのの…。
もう神髄というか。
そうだよ。
そういうインタビューができるかどうかですよね?
(徳光)そう!それはテレビに映ろう映らないじゃなくてねそういったようなことができたそこで自分がそういう設問ができたことにね。
これがうれしいよ。
()そんなことなかなか言うてくれる人がねいないんで。
(徳光)これがうれしい。
今…。
2軒目は京阪三条駅からすぐ。
うどんだけでなく酒に合う一品料理も楽しめます。
20席を1人で仕切る実は去年3月まである意外な場所で料理を作っていました。
そのヒントは?「小堺一機の父が先輩」。
なんだと思います?僕わかりましたねこれで。
()わかりました?うん。
()ということは?あのね…。
ああ〜そういうことか。
白夜太陽が沈まない最果ての大陸南極。
1957年以来日本は南極大陸で気象や生態系などを観測し続けています。
その南極越冬隊に同行し昭和基地でおよそ30人分の食事を作るいわゆる南極料理人でした。
岸本さんはこれまで2度昭和基地の厨房に「えいじ」ののれんを掲げました。
小堺一機さんの父・秀男さんも南極越冬隊の料理人だったのです。
南極料理人1日のスケジュールを見てみると不思議なメニューを発見。
()「カレーうどんおばけ」?
(徳光)「カレーうどんおばQ」っていうのもありますよ。
()なんですか?
(岸本)えっとこれは…。
ああ〜そうなんだ。
徳光さんの箸が止まらない。
南極でも大人気だったカレーうどんおばけ・おばQとは!?
(岸本)カレーうどんおばけです。
()これ何?
(岸本)お餅と生麩とエビ天と湯葉が入っています。
カレーあんがかかった湯葉を開くと中に驚かされるような具が入っていて見た目が不思議だからおばけ。
こちらがカレーだしにたまごとチーズを加え混ぜた様子が特撮ドラマ「ウルトラQ」のタイトル画面をイメージさせたのでその名を付けました。
南極でも麺はもちろん自家製麺。
岸本さんはもともと香川県で1年修業。
南極でも1か月に1回はカレーうどんを作り隊員たちの身も心も温めました。
レトルトに頼ることなく昆布とカツオ節を持ち込みだしをとり隠し味に昆布茶を加えうまみをアップ。
(徳光)これはもう長蛇の列ですよ。
カレーうどんのくせに品格がありますね。
()そうですね。
(徳光)そういう言い方失礼だけど。
実は
(岸本)ありがたいですね。
()口コミで広がっていきますね。
えっ?
(スタッフ)ははははっ!南極・昭和基地ではふだんどんなものを食べているのでしょうか?これは?
(岸本)これは向こうで。
越冬隊のときの?
(岸本)食事の写真です。
(徳光)こんなにおいしいもの。
()食事が一番楽しみなんですか?皆さん。
(岸本)そうですね。
食事とあと飲むと。
南極の雪で流しそうめんも。
岸本さんが42歳のとき一旦店を閉めて南極料理人になったのはオーロラが見たかったからでした。
まあ人生80年と考えたときに1年ぐらいであればいい経験ができるかなと思いまして応募して。
僕はあれなんだ。
報道局から1度ダメ出しをされた人間なんですよ。
()あっそうなんですか。
(徳光)入社1年半目のときに当時のですね総予算がはいはいはい。
それを今年度の国家予算は5円ですと言ったら常識がなさすぎるっていうんで。
まあそうですね。
20年近くたってニュースっていうのは…。
それはないだろうと。
私「企業内自由人のすすめ」なんていう本をこれをサラリーマン時代に書いたんです。
企業の中で要するに会社のために何をするかっていうよりもっていうような存在になれと。
はいわかりますね。
(徳光)さんなんかまさにそういう人生をこられたと思う。
少なからずともアナウンサーとしましてそれなりのポジションを得ておりました自分の立場がなきものになってしまう。
それにはじゃあもう独り身でフリーになるしかないんじゃないかと。
ここである人物が合流。
(徳光)全部は存じ上げないですけどね。
知り合い?いっぱい行くんですよ。
まだ2軒しか行ってない。
・お二人お二人。
・ここですここです。
いやいやどうもどうも。
そうなんです。
ここから私が進行をさせていただきます。
徳光さんにもさんにも好かれたい。
巨人のハッピに阪神の帽子をかぶってくっすんが登場。
(楠)あっはじめまして。
私楠雄二朗と申しまして。
関西を代表するヘタレントでございます。
いやははっ。
京都人情食堂3軒目。
唯一無二のたまごサンドとは…。
2011年二条城東にオープンした開店前から行列に並ぶ客の目当ては…。
いつもすんませんおおきに。
ご主人の山さんが作るたまごサンド。
たまご焼きの厚さはなんと8cm。
ドミグラスとマスタードのソースを塗ったパンではさみます。
どうやって食べたらいいですかね?
(楠)ガブッ。
おおっいいですね。
いい食べっぷりだ。
(徳光)芦屋で食うたまご焼きみたいだね。
(楠)ほんまふわっふわですね。
()ふわふわなんや。
(楠)高級感があるというか。
(徳光)僕今実はたまごNGなんですけども。
(楠)えっそうなんですか。
徳光さん食べずにはいられなかった。
(楠)あはははっ。
()こないよう言わんやろ。
(楠)実はですねこちらのお店あちらのポスターに歴史もあるんですよね。
()さっきから見てんねんけど古い映画とかねなんかそういうふうな写真だとかが貼ってあるんですよ。
レトロな感じするんですけど。
あれはなんですか?あの〜夫婦でやってる。
(木本)えっオーナーさん?あっそうです。
(木本)あら失礼しました。
ご夫婦でやってんだ。
去年5月には「魔法のレストランR」にも夫婦で出演。
「喫茶マドラグ」たまごサンドに秘められた涙の物語とは…。
あの〜夫婦でやってる。
(木本)えっオーナーさん?あっそうです。
(木本)あら失礼しました。
ご夫婦でやってんだ。
「喫茶マドラグ」のたまごサンドに秘められた夫婦の涙の物語とは…。
2人が出会ったのは11年前。
山さんは飲食店で店長を任されていました。
同じ建物のレコード店で働いていたのが後の妻・奈津美さんでした。
(山)マッシュルームカットっていうんですかね。
ですごく奇抜な服を着てたんでなんか不思議な子が来たなと思って。
きっと僕とかとは話が合わんやろなっていうふうに思ってたんで。
2年間は挨拶する程度の仲。
ところが…。
(山)いやなんせねなんせ僕に甘いんです。
へへっ。
んん〜なんていいますかね常に僕の味方でいてくれるというか。
んん〜そうなんですよねぇ。
2人で喫茶店を巡っては自分たちの理想の店をデッサンし語り合う。
それはいつの間にか共通の夢となっていました。
実現に向け物件を探しているとき…。
これや。
(山)お店見た瞬間に自分らが思ってた理想のお店の形とほんとにここの形がちょうどやったんです。
でその日のうちにどうしてもやりたくなって即決しました。
「セブン」という喫茶店が閉店したあとの空き店舗。
すぐに改装に取りかかりました。
店内には奈津美さんが大切に集めてきたポスターや本を。
そしてもう1つ。
あっ嫁さんやと思いました。
はい嫁さんのポスターがあると思って。
はいどうしても欲しくなって。
ちょっと無理して買いました。
山さんが見つけてきた奈津美さんそっくりのポスターも飾りました。
2人が好きな女優ブリジット・バルドーの別荘の名前「マドラグ」。
なっちゃんはほんとこの店の花みたいなもんやな。
開店して1年たったとき転機が訪れます。
京都・木屋町の名店「コロナ」が閉店。
「コロナ」のご主人・原さんが作る分厚いたまごサンドイッチは伝説ともいわれていました。
京都のフリーペーパーの企画で「コロナ」のたまごサンドを引き継ぐことになったのです。
「コロナ」の原さんが「マドラグ」の厨房に立ちました。
このとき原さん97歳。
ああ〜よう見ときや。
ジューーー!原さんはただただ笑顔でたまごサンドを作り続けました。
包丁はよく研いでおけとだけ言って。
たまごサンドを食べ続ける山さんを見て原さんはうれしそうでした。
そう言い残して原さんはこの世を去りました。
しかし…。
ちょっと。
はい。
はあ…。
なあ。
(山)やっぱりまずお客さんからすると僕は原さんじゃない。
で場所が「コロナ」じゃない。
思い出はやっぱり美化されます。
なのであの〜美化された思い出っていうのをやっぱり汚さないように。
「コロナ」ではたまごに塩だけで味付けしていたものをたまごの量を減らし牛乳・昆布だしを加えやわらかい焼き上がりにしました。
「コロナ」では2度ひっくり返して焼いていたものをひっくり返さず2分蒸らすことにしました。
よりやわらかくより大きく。
弾力の強いパンを大阪・堺から取り寄せ上と下のパンの厚みを変えました。
たまごの重みで下のパンが沈んでしまうから。
それは思わぬかたちで奈津美さんが教えてくれました。
あの〜夫婦でやってる。
(木本)えっオーナーさん?去年5月「魔法のレストランR」にも出演。
(木本)ご夫婦でやってんだ。
だがこのときはまだ…。
なかなか出来へんね。
うん。
2人でたまごサンドの改良を重ねていました。
番組出演から1か月後の朝。
なっちゃん…なっちゃん?なっちゃん!なっちゃん!!あまりにも急な出来事でした。
重度のくも膜下出血。
1週間たっても目を覚まさない。
そして山さんは決意します。
(山)自分のことで僕に迷惑かけるとかお客さんに迷惑かけるとかっていうのが僕の嫁さんは多分すごく嫌やと思うんです。
なので早く開けようと思って営業を再開しました。
山さんは待つことにしました。
さんちゃん大丈夫か?ほんますんません。
でも僕大丈夫ですから。
くも膜下出血で倒れてから3週間。
奈津美さんは再び店に立つことはありませんでした。
奈津美さんが帰らぬ人となり1人で店に立つ日々。
すみませんコーヒーまだですか?あっはいすぐに。
せっかく作ったたまごサンドも出すのを忘れ放置してしまったとき…。

(山)あっこれがいるんやったんやなと思って。
うん…そのときにようやく今のこう現段階での完成形っていうのを見たんです。
たまごをはさみ1分寝かせパンとなじませる。
理想のたまごサンドが完成しました。
(山)やっぱりうん嫁さんに完成形を食べさせたかったなっていうのは思うんですけど。
まあでもふだんしょっちゅう食べてたんでまあ大丈夫かなっていうふうに。
なっちゃんはほんとこの店の花みたいなもんやな。
いつも横でコーヒーをいれていた妻。
店内に花を増やしました。
髪も切りました。
妻に「髪を切ってみたら?」と言われていました。
2人で行こうと約束していたフランスのマドラグにも行きたいと思っています。
(山)僕が年取って嫁さんに会いに行くまでにまあたくさんこうできひんかったことをやってお土産持って嫁さんには会いに行こうかなと思てるんですけど。
はい。
妻の思い出が詰まった「喫茶マドラグ」。
たまごサンドの厚みは2人で過ごした人生の厚みなのです。
(山)嫁さんが僕を見て不安になったり心配したりとかしないように機嫌よう元気に毎日働きます。
それが決意かな。
うん。
なっちゃんは今も2人の夢の場所を見守っています。
()いいですか。
はい。
()まああの〜家族というのはそれぞれがあるんで。
くっすんもよく泣くやつで。
(楠)ははは。
()もうすぐ泣いてますけども。
(楠)すみません。
()徳光さんはもちろんそうなんですが。
僕は決して冷たい人間じゃない。
はいもちろん。
()僕は父親がもう僕が…。
この前70歳にして父親の死んだ日がわかったんですが12月の28日なんですよ。
昭和19年。
で僕が昭和19年の12月30日に生まれてるんです。
生まれたときにはもう父親がいなかったんでそっから…まあいわゆる戦死というやつですね。
そっから僕の人生が始まってるんで。
家族の死というのはもう悲しいのはわかってるんですけど。
まあ大変でしょうけど残された人間は生きるしかないわけですね。
生きて幸せになるしかないんですよね。
(徳光)俺奈津美さんは三四郎さんと一緒になってほんとによかったと思うよ。
ありがとうございます。
(徳光)あの〜2人でいるときの姿かたちを見てると趣味が山三四郎。
あなただけを見つめて生きてきたっていうそういう感じがね。
でもそういう意味ではもしかすると33歳。
確かにお若いんですけども天寿を全うされたんじゃないかなというふうに。
()三四郎さんはおいくつなんですか?僕はえっともう40になります。
()ああ〜。
でも人生これからじゃないですか。
これからだよね。
()まだまだこれから人生だからまあ彼女との人生はこのたまごサンドで完成したかもわからないですけどもまだまだ人生いろいろあるから。
(楠)新たな第一歩へと。
(徳光)奈津美に悪いと思うなよ。
(山)はい。
奈津美さんも多分天国からねそりゃねきれい事言うようだけどねあなたがすることだったら全部OK。
許されると思いますよ。
御寺泉涌寺の境内に1か月先まで満席が続く店が。
その名は「齋華」。
なんと中華のレストラン。
ミシュラン星付きシェフたちも通っています。
和食では使わない食材やったり調理法やったりするのでとても刺激になります。
1品目からちょっと感動してます。
心をグッとつかむような。
この期待感期待感期待感っていう。
「齋華」オーナーシェフその知られざる壮絶な人生とは。
上海蟹のワンタンに松茸を合わせたスープ。
「齋華」のスペシャリテは四川の古典的な大豆ソースをアワビと合わせアワビの肝を和えた麺の天に盛る和えそば。
齋藤シェフのベースは四川料理。
古典の技法を押さえつつも齋藤流の大胆な創作センスが光るおまかせコース。
その締めは
(徳光)へえ〜。
()イチジクですねまた。
(楠)さんの大好物のフルーツといえば。
()僕はイチジク大好きで。
(齋藤)今時期で佐賀の方からおいしい黒イチジクが入ってますんでごまとの相性がいいってことで今は限定で付けております。
ああ〜。
(楠)さんいかがですか?
()これはだから深いんですよ。
(楠)はい。
()だから単純に「あっおいしい」とか「甘い」とかそういうもんじゃない。
(楠)実はねこの深〜い担々麺にはある思いが詰まっているんですよね齋藤さんの。
そうですねはい。
思い出深いというか。
京都にはなんのゆかりもない神奈川出身。
高校卒業後はサラリーマンを4年。
限界を感じ料理の道へ。
23歳で高校時代アルバイトしたことがある地元の中華料理店へ。
何してんだよほら!さっさと並べろよ!ほら。
すみません!まずは皿洗いから。
自分よりも若い先輩にこき使われながら誰よりも早く店に入り誰よりも多くの仕事をこなしました。
そして四川料理の基本を体にたたき込みました。
すぐに頭角を現し充実した毎日を送っていたある日。
・齋藤君。
あっどうも。
僕の店で働いてみないか。
店の常連客でもあった中華の大物・後藤力也シェフ。
その西麻布の店へ引き抜かれ初めてヌーベルシノワに触れました。
香港で生まれたヌーベルシノワはフレンチなどの手法も取り入れたワインにも合う中華。
尊敬する師匠の元で腕を磨くこと4年。
大きなチャンスが。
ウエディング主体の大型レストランで更に見せる中華に磨きをかけました。
和食やフレンチの一流料理人とも交流しその食材や手法を貪欲に取り入れました。
そんなある日。
今日もおいしかったよ。
ありがとうございます。
実は齋藤君。
やってみる気はないか?えっ京都ですか?なんかゼロから始めたかったんですよね。
自分をちょっと厳しい環境に置きたくなったっていうか。
およそ150年前の町家を改修。
京都に移り住んでから当初の倍の日数がかかると知りました。
やっぱ孤独ってつらいですよね人間。
友人も知人もいない町で誰とも話さない孤独な日々。
そんな齋藤さんを見かねて知り合った料理人が上賀茂の農家を紹介してくれました。
(森田)畑に最初来たときは大丈夫かなこの人みたいな。
夜の商売の人みたいな感じとその顔色がね。
もう真面目にとにかく一生懸命やるから倒れんのちゃうかなって思うぐらい。
手を抜くいうことを知らないから。
(齋藤)作ってる人の苦労だったり思いだったりそういうの理解しないで調理してたわけですよ今までは。
愚かですよねだから。
そういうのをちゃんとわかりなさいっていうことで神様がそういうふうに京都に行かしてくれたんじゃないですかね。
京都の大地に触れ自分を取り戻し人脈も増えました。
遠距離で支えてくれた恋人・菜穂子さんとも結婚。
伴侶を得待ちに待った店も無事オープン。
当時の店名は「婆沙羅」。
公私ともに幸福の絶頂に。
年末も忙しく過ごし年もあけた1月のことでした。
(齋藤)あっそういえば先生妙な感じがするんですけども。
それで痛みは?はい。
歯ブラシなんかが当たるとビンとしびれるような痛みがあるんですけど。
それはすぐ病院行っとった方がええな。
精密検査の1週間後病院に呼ばれました。
齋藤さん。
はい。
端的に申し上げて舌ガンです。
えっ?一刻も早く手術をしないと取り返しのつかないことになりますよ。
ちょちょっと待ってください。
オープンしてお店の予約がいっぱいなんです。
先生なんとか来月にならないでしょうか。
君はこの病気をなめてるんとちがうか?この舌扁平上皮癌というものはこのままほうっておくとしゃべることはおろか食べることもなんにもできなくなってしまうんですよ。
(齋藤)信じられなかったですよ。
ほんとに信じられなかった。
受け入れられなかったです。
ちょっとまっすぐ家には帰れなかったですからね。
最悪の場合舌の全摘出。
味覚も言葉も失われる。
何よりもつらかったのは生まれたばかりの我が子と一生言葉を交わせないこと。
更にリンパに転移している可能性もありました。
築き上げてきたものが全て奪われる。
希望を見いだせず不安に押し潰される日々。
何日も店で過ごしました。
もしもし。
(菜穂子)ねえぼちぼち帰ってきたらどう?うん。
(菜穂子)暗い顔と暗い声だけは彼の前では見せないようにしてましたけど実はでもあまり覚えてないです。
そのときのことは。
もうとにかく必死でした。
うん。
ねっ。
桜のころ手術は成功。
幸いなことに転移も見つかりませんでした。
病気発覚前に取材を受けていた「あまから手帖」。
ライバル店と並んで掲載された自分の店にだけ急遽書き加えられた「休業中」の文字。
しかし齋藤さんには守るべき家族がいました。
多分負けてらんないっていうのもあったのが体に伝わったんじゃないですかね。
戻らなくてはならない店がありました。
まあそういうふうにそのときは思いましたね。
驚くほどの回復を見せ新緑の5月退院。
真っ先に店へ。
何よりも味覚が心配でした。
スープをとり最初に作ったのは自分の原点である四川料理の担々麺。
作り慣れたこの味をこの舌はどう感じるのか。
(齋藤)味の感じ方がやっぱり全然違うというか。
僕多分左側でずっと見るクセがあったんでしょうね。
今はもう残された方で見るしかないですから。
おいしいっていう項目の中に6つジャンルがあったとしたら今まで多分2つのジャンルしか理解してなかったんですよ。
それが4つ5つ6つを理解できるようになるとおいしさの感じ方が違うんですよ。
今までだからそこを使ってなかったんでしょうね。
2か月のブランクを経て再オープン。
・こんにちは。
・こんにちは。
久しぶり。
待ちかねていた常連客が初日から詰めかけました。
齋藤君おかえり。
いらっしゃいませ。
(齋藤)京都でこの場所で少し受け入れてもらえたのかなと思いましたね。
店名を「齋華」と改めました。
必要なことだったんでしょうねきっと。
僕にとって。
僕もそうですけど。
(楠)お二人とも大病…。
()大病してるんですね。
それで…。
あとおっしゃってたようにやっぱり神様は…。
結論として神様はそのとき生かしてくれたとしか言いようがないようなね。
もうそれしかないんですよ。
そうなんですよ。
生かされてるんですよね我々ね。
生きてるんじゃなくて。
齋藤さんもそうだと思うよ。
ねっ。
っていうことだと思うよね。
()病気になったときに僕人生変えたかったんですよ。
もうやっぱり仕事し過ぎてまあ脳梗塞なったわけですから。
もう違う仕事やろうと。
違う人生歩んでみようと思ってたんですけど。
やっぱり人間ってそないに変えられないね。
ほんでそう言いながら回復してくる。
医療の進歩のおかげでどんどん元に戻ってくるんですよ。
そうすると会社というのは元気やなと思たらまた働けというんですよ。
(徳光)そうなるよね。
()病後の人生の方がまた…。
51で倒れてますから。
50歳までの人生もものすごい幸せだったんだけど倒れたあと54歳から「ちちんぷいぷい」が始まるんです。
そっからの人生がまた全然…。
同じ仕事をしてるんだけど楽しくって…。
(徳光)違うんだよねこれね。
(齋藤)僕も病気してからやっぱり人生変わって。
まず迷わなくなりました。
(徳光)ああ〜。
(齋藤)もしこれをするかしないかってなったときは僕は全部することにしてるんです。
死んでしまったら…。
()そう。
できないもんね。
(齋藤)できないですから。
僕ここの移転もお客様に100人いたら100人反対されました。
()あっそうなんですか。
「なんでそんな山の上に行くんだ?」と。
「こんな花街でやってるのに。
君はこれから店を頑張んなきゃいけないのになんで?考えられない」みんなに言われたんですけど。
僕はここを見にきたときにここしかないと思ったんです。
()ああ〜。
(齋藤)ピンときたんです。
()そういうお告げみたいなもんやね。
ここでまたゼロから1人でやり直そうと。
(楠)徳光さんも違いましたか?
(徳光)俺もね60でぶっ倒れてそれで…下世話な話しますとそっから僕は稼ぎましたよ。
(楠)ああそうですか。
そっからね仕事が面白くなって仕事たくさん来るようになって。
だからなんて言うんですかね。
リセットされたっていうかね。
それでつまりリセットされる前に出会いがあるんだよね。
齋藤さんを例にとると奥さんという人と出会ったっていうこととそれからやっぱりいい医者に出会ってストップさせてくれたっていう。
自分の足元を見つめ直したりもしたでしょ?
(齋藤)そうですね。
これがあったことによってリセットできるんだよね。
それはだから生かされる人生だったんですよ。
ねっ生きてるんじゃなくて生かされたんだよ。
だから神様はまあ変な話だけどもまだまだあなたは死んじゃいけないと。
俺もそう思って生きてるんだよ。
午前4時京都・祇園。
夜明け前から厨房に立つこの女性。
毎日この時間からたった1人で作るのは徳光さんが大好きなおはぎ。
その数1日およそ200個。
おはぎとしては珍しい色とりどりの8色。
買いに来たお客さんの分だけそのつど作りいつも作りたてを。
京都人情食堂5軒目は徳光さんが大好きなおはぎ
(徳光)うちのかみさんのおふくろがですね…。
必ず春と秋のお彼岸に出るわけですよ。
上に粒あんをまぶして。
そのまぶし方がまた絶妙においしくてですね。
しかもそのおはぎの底の方だけがちょっとねあんこをまぶしてないとこがあるんですよ。
これがまたね微妙なんだけどさ実に美味を誘うというか。
(徳光)こうね見てください。
これがおはぎなんですよ。
()どういうこと?
(徳光)底がシュッとねこのもち米が。
()もち米がねもち米が見えてますね。
(川崎)よかったらどうぞ。
()どうですか?いいですよ。
(楠)どうぞ。
(スタッフ)ふふふふ。
「小多福」の川崎さんは4歳のときに戦死した父の大好きだったおはぎを多くの人に食べてほしいと7年前手伝ってくれる仲間の中には店にたまたま来たお客さんも。
あずききなこに加え古代米や青のりうめなどバリエーションが豊か。
京都・祇園ならではの華やかさ。
()この赤いやつは何なんですか?
(川崎)赤うめ。
梅肉で。
()赤うめ?
(楠)もしよかったらさんも。
()僕それ赤いやつ食べたことないんで。
どうぞひと口。
これはおはぎじゃないですよ例えばね。
だってうめだもん。
(川崎)そうですね。
()ねえ。
(楠)しっかりうめの味が。
()でも種類はおはぎですよ。
(楠)どうですか?
(徳光)なるほど。
()そうでしょ?そういうもんでしょ?
(徳光)全部いけると思いますね。
(川崎)そうですね。
(楠)いっぺんにいけちゃいます?
(徳光)うん。
(川崎)ふた口ぐらいで。
(徳光)ごまがいいね。
(川崎)そうですか?
(楠)実はさん。
さんの大好きなものもご用意させていただきました。
さんお気に入りのおやつは創業50年四条畷「中屋」のマヨネーズおかき。
もう20年以上お気に入りです。
()このおかきが大好きで。
でまあお土産に大阪やったら東京へ持って帰ってもらおうかなと思ってスタッフに持ってきてもらったんです。
あら〜。
ポリポリポリポリ…
(徳光)あら香ばしいねぇ。
()徳光さんまたもう…僕も70超えてるのにいい歯応え…。
徳光和夫淳一京都で初共演。
いよいよロケ終了の時間が近づきました。
70にして番組からお声がかかってまあ存じ上げていたし尊敬もしてたけど徳光さんに会うとは思わなかったですよ。
今日会えたと。
会ったと。
で好きな京都へ来たと。
しかもこの76という大先輩の女将さんが作ったおはぎを一緒に徳光さんと食べて「ああ今日楽しかったなぁ」って言って家に帰って風呂入りますよね。
(楠)はい。
さあ寝よう思って
(楠)ちょっと待ってください。
明日亡くなるみたいじゃないですか。
()そう。
だからそのまま逝きたい。
ってことでしょ?
(楠)すごいですよね。
()選ばれないじゃないですか最後に会った人。
そうですよね。
ねっ。
じゃ今日あなたが最後ですっていうのないじゃないですか。
(楠)わからないですもんね。
()いつかわからない。
でも最後そこになぜかくっすんおったなみたいな。
(楠)ちょっとでもね。
ははは。
これ縁でしょ。
縁としか言いようがないのよね。
(徳光)ほんとそうだね。
()図ってやるもんじゃないしそれがいいと思うし。
うん。
じゃ最後に固い握手で終わっていただいてもいいですか。
()会えて本当にうれしかったです。
私の方こそもう。
ありがとうございました。
いつまでもお元気で。
またお会いできる…。
(徳光)さんもお元気で。
ありがとうございました。
本当俺うれしかった。
(徳光)よくね「本当」っていう言葉あの〜ちょっとうそっぽいところがあるんだけどこの本当は本当です。
ありがとうございました。
お元気で。
(楠)さんの今のお気持ちを聞かせていただいていいですか。
()こんなとこで泣くとは思わなかったんですけど。
要はやっぱりねお互いにまあ全然…。
同じアナウンサーという職業に就いたんだけど東西で違うし歩んできた人生全然違うんですけど。
今日のテーマの1つ病気っていうのは大きいのよね。
ほんでお互いにこう運があって縁があって元気でいられたという。
まあ言ってみれば。
(徳光)それもあるかもしれませんもんね。
()ひょっとしたら最後かもわからへんけど。
いい人だなと思ったし。
でまあ喜んでいただけたし。
(徳光)アナウンサーにかえったような気がしますよ僕今。
アナウンサーとして淳一なる人物に出会ったことの喜びとそれから彼がどういう人物であるかっていうことを多分伝えてると思うんだよ。
(楠)なるほど。
(徳光)ありがとうございました。
()お気を付けてお帰りください。
(徳光)さんもお元気で。
()ありがとうございます。
2015/11/02(月) 19:00〜20:00
MBS毎日放送
水野真紀の魔法のレストランR[字]【徳光和夫&角淳一SP〜涙の人情食堂〜京都編】

母のおはぎ…南極料理人…天国の妻へありがとう…▼東西を代表するオーバー70アナが初競演!2人の涙腺が…緩む▼プロが教える!煮込みハンバーグ&鳥そぼろとじゃこ椎茸

詳細情報
番組内容
初競演!フリーアナウンサーの徳光和夫と角淳一が京都を巡る!
年齢も近く、涙もろい性格や、アナウンサー人生を歩んできたところなど、何かと共通点が多い2人。ロケでいきなり意気投合!?局アナ時代のぶっちゃけ話など、白熱トークが繰り広げられますよ〜。そして、思い出のメニューを食し2人の涙腺が…!!
番組内容2
【新100人の料理人!レボリューション】
京都・東福寺駅近辺にある中華料理店「齋華」に密着!
【スーパーHERO’sレシピ】
洋食の山口さんは「煮込みハンバーグ」、和食の佐々木さんはアレンジ無限の便利な作り置きおかず「鳥そぼろとじゃこ椎茸」を伝授します!!
お楽しみに〜!!
 
出演者
水野真紀
長野博
高橋真麻
杉浦太陽
TKO(木本武宏・木下隆行)

徳光和夫
角淳一
佐々木浩(京都割烹「祇園さゝ木」主人)
山口浩(「神戸北野ホテル」主人)
ほか
公式HP
■番組HP
http://www.mbs.jp/mahou/
おことわり
番組の内容と放送時間は、変更になる場合があります。

ジャンル :
情報/ワイドショー – グルメ・料理
バラエティ – 料理バラエティ
福祉 – 文字(字幕)

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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