今日聴いた話は、少しショックだった。
縁あって、僕はとある自治体とお仕事をさせていただいている。
そうして、首長さんやそれに近い役割の人たちと話をする。その中の一人が、ため息をつきながら話してくれた。
「70才以上で一人で住んでいる方を対象にね、地元で声かけをできるように訪ねて行ってるんです。でも訪ねていった先の大半の人は『余計なことするな』と言うんですよ。好きで一人で暮らしてるんだ、って」
理由は想像がつく。
一人暮らしの高齢者がさびしくないわけがない。
けれども、役所のお仕着せの声掛けには反発する。それよりも、孤独でも一人で自由に暮らす方がいい、と考える人たちが多いということだ。
それはホームレスを保護したら、やっぱりホームレスに戻ってしまった、というようなことが頻発することからもわかる。
しかしそんな人たちも、一度倒れると助けを求めてくる。
まだ大丈夫なうちに、差し伸べた手をつかんでおけばよかったのに。
そう思うことは簡単だけれど、多分、そのタイミングで手をつかむことは難しいのだろう。
それほどに、生の自由は僕たちに浸透している。
そんな人たちが倒れた時に、「いまさらなにを」、と手を差し伸べない選択はできるだろうか。
そこまで逼迫した話でなくとも、「目の前の自由」のために差し伸べた手を振り払う人が増えている気がする。
目の前の、怠惰な自由を選んで、失敗する人たちが増えている気がする。
そして彼らが社会的弱者になったとき、手を差し伸べない選択を取れるはずもない。
僕たちはもう少し、自由、とセットになっている、自己責任について考えた方がいいのかもしれない。
平康慶浩(ひらやすよしひろ)