趣味どきっ! 石川九楊の臨書入門 第5回「高村光太郎×智恵子」 2015.11.03


「レモン哀歌」は高村光太郎の詩集「智恵子抄」の一編。
愛妻・智恵子が亡くなる瞬間の情景を描いています。
明治から昭和にかけて比類なき才能を発揮した…妻・智恵子を亡くしたあと東京を離れ東北の山中で孤独な生活を始めます。
そこでは彫刻を封印し数々の不思議な書を残しました。
その書きぶりは一体何を表すのでしょうか。
書からひもときます。
「臨書」とは書をありのままに写し取る事で歴史上の人物に触れる事。
文字の傾きや震えかすれなどから書いた人物の生きざまや息遣いまでも追体験していきます。
講師は…石川さんは長年書とは何か独自の視点で探究。
臨書を通じて多くの人物と向き合ってきました。
私羽田美智子が石川先生と臨書を体験しながら歴史に名を残した人物の生きざまに迫ります
私たちがやって来たのは岩手県花巻市
高村光太郎が暮らしたという家へバスで向かいました
先生ここ初めてじゃないんですよね?うん。
あ〜リンゴが。
リンゴ畑。
リンゴ畑リンゴ畑!ほんとだ!
花巻はリンゴの産地としても有名です。
たくさんの実がなっていました
彫刻家・高村光太郎は中学の教科書でもおなじみの詩「道程」をはじめ書でも高い評価を受けています。
そんな光太郎が最愛の妻智恵子を亡くしたあとひとり暮らしたという家
迎えて下さったのは…
なんかきれいな小川が流れてますね。
光太郎の住んだ山荘です。
一見立派に見えますがこれは後に造られた保護のための上屋。
光太郎が過ごした家はその中にありました
失礼します。
うわ〜なんかひんやりします。
ふ〜ん…。
日用品などもほとんど当時のままで残しております。
囲炉裏もこのままですか?はい。
囲炉裏ですとかも。
広さ僅か7.5坪。
時代を代表する彫刻家の住まいとはとても思えません
冬は氷点下20℃にもなる山奥。
土壁が崩れたところは隙間風を防ぐため紙が貼られていました
でここで彫刻をやり…。
あっ花巻では…あ〜そうですか。
彫刻家・高村光太郎が…その背景には一体何があったのでしょう。
花巻に光太郎が移り住んだのは62歳の時。
激化した太平洋戦争の戦火から逃れるためでした。
終戦を迎えても光太郎は…
なぜここでつらい生活を選んだのか。
その答えが光太郎記念館にありました
こちらは昭和17年に作られた詩です。
これは太平洋戦争開戦の翌年の作品。
戦闘をたたえ戦意発揚につながる詩です
戦時中光太郎をはじめとする芸術家たちは戦争を讃美する作品を作りました。
これはその一つ
艦隊とか敵の部隊とかいろいろ書いてありますね。
「ああ南太平洋海戦の報鐡槌の如くわれらの頭をうつ」。
すごくマスいっぱいに大胆にはみ出して書いてる字ですね。
「意気揚々と」というような…。
鼓舞してるというような。
光太郎が隠遁生活を選んだ理由はこうした戦争讃美にありました
こちらでの暮らしはいわゆる…
光太郎は戦争を讃美しあおった自分を恥じました。
彫刻を封印していたのは自分を罰するため
そんな暮らしの中で光太郎は数々の毛筆の書を残します
その書は何とも不思議なものでした
なんかのばすところが「タンタンタン…」って点々になる癖っていうのありますよね。
横にいくのも縦にいくのもなんか何ですかこれ。
「トットットッ…」っていう。
点を集めたような不思議な線。
この時期の光太郎の書に特有の書きぶりだそうです
これは割と中でも少し落ち着いたね。
これは「甘い」「酸っぱい」「是」?
「甘酸是人生」。
リンゴ農家へ光太郎が贈った人生訓です
リンゴの味にも掛けてるんですか?そうみたいですね。
まあ一番特徴的なのね。
「人生」の「生」という字の横がまっすぐスーッと…普通だったら起筆してスッと書けばいいのに。
一回頭のところで止まって。
そうそう。
その動きは何から来るでしょうって。
え〜?そこに秘密が隠されてるんですね。
秘密があります。
止まっては進む線。
光太郎の筆はどんな具合に動いたのか
何ですかこれ。
この時持ってるのは…。
ああ〜。
彫刻刀なの。
山荘時代には最も大事にしている仕事ですねそれを封印したと。
けれどもそこで筆がこのノミの代わりになってこう彫刻してるんですよ。
だからこの時期のよく分かんないと思ってた…書としてなんか不思議な書だと思ってたのは要するに彫刻を書でやってたと。
「光太郎は書でも彫刻を行っていた」という石川先生の解釈。
でもこの不思議な文字の書きぶり。
いまだ謎は晴れません
彫刻を封印していた光太郎。
しかし智恵子への想いは持ち続けていました。
「智恵子抄」にはこんな一節も。
こうした法要は花巻にいる間毎年欠かさず行われました。
法要に現れた光太郎は帽子をかぶりリュックサックを背負ったひょうひょうとしたいでたちだったといいます。
そんな光太郎の姿を実際に見た事があるという小川隆英住職は…
一人で来るんですよ。
一人で来て拝んででお布施を出すんですがそのお布施の包み紙が面白い。
原稿用紙を裏返しにして。
でそこにお金を包んで。
まさか偉い人だと思わなかったんで「どこの山男がやって来てんだろう?」。
光太郎は智恵子が亡くなってからもずっと寄り添い続けていました。
2人の出会いは高村光太郎29歳智恵子26歳の時。
当時縁談話が出ていた智恵子。
すると光太郎は文芸誌上にこんな作品を発表します。
それはまさに…こうして2人は結婚。
しかしその生活は順風満帆とはいきませんでした。
造り酒屋を営んでいた智恵子の実家が破産。
一家は離散します。
このころの智恵子の手紙が残されています。
「きのふは二人とも悲かんしましたね」
何があったか詳細は明らかではありませんが智恵子が母を強く励ましています。
でもとってもきれいな字ですね。
文章でいうと…。
繰り返しの言葉が多いですね。
それぞれ。
手紙には「決して決して」「どこまでもどこまでも」といったフレーズが多く書かれていました
一晩眠れないで書いたような手紙なんだと思うんですよね。
でも「運命に負けてはなりません」「死んではならない」「生きる努力をしましょう」「みんなで死力を尽くしてやりましょう」っていう事はやっぱり死を考えた人が書く文章ですよね。
智恵子の文字一つ一つに生真面目でしんの強い女性だと感じます
自分自身に言ってる事ですよね。
そうそう…。
お母さんに言ってるみたいだけど自分に言い聞かせて…というところまで見えますね。
う〜ん。
このころ光太郎は仕事に没頭。
2人の時間は十分ではありませんでした。
智恵子は次第に病に侵されていき…智恵子の死から3年後の事。
やがて日本は太平洋戦争に突入。
光太郎は妻の死戦争への自省の念から彫刻を封印したのです。
彫刻家としての空白を破ったのも智恵子でした。
昭和27年青森県より十和田湖の自然と調和した像を作ってほしいと請われ封印を解く事となります。
これは制作中の様子です。
像の顔は布で覆われギリギリまで公開されませんでした。
こちらは試作品。
その顔はまさしく智恵子です。
「智恵子抄」にこんな詩があります。
「乙女の像」は彫刻家・高村光太郎の最後の作品となりました。
では今日の臨書。
光太郎の不思議な文字の秘密に迫ります。
九楊先生お願いします。
じゃあ今日は見てきました「甘酸是人生」ですね。
ああ…彫刻刀で書いたような字。
で「人生」というこの2字をいきなり書いてみましょう。
筆がノミです。
筆がノミですね。
羽田さんの臨書です。
曲がった線を再現するのは案外大変です。
フフッちょっと全然…。
曲がりくねった「人生」になっちゃいました。
ちょっと。
光太郎と比べてみましょう。
くねくねした線は一見似ていますが起筆や払いの部分などは再現できていないようです。
この不思議な線実はかなり変わった筆づかいによるものでした。
九楊先生なんと筆を寝かせて押していきます。
押していくわけですね。
この状態が「押す」です。
これが。
揺れていくところはそうするとどうなるかっていうとノミを押していきます。
だから石だと思って石のところにこう…石をノミで彫っていく時にはやっぱ相当力要りますから。
で押すというのはちょっと引っ掛かりますね。
ガリガリガリガリガリガリ…とこう落としていく。
あるいは木をグイッグイッグイッグイッとこう切り込んで落としていくような感じでこう逆に入る。
こすれてきますねギシギシギシギシと。
押して書く事により筆が紙に引っ掛かり自然に線が揺れるのです。
だから点々ばっかりみたいな字があったでしょ。
はい。
彫刻を封印した光太郎が残した数々の作品。
あの不思議な線はこうして書かれたものでした。
ではこの起筆部分の書きだしはどうでしょうか。
このまるい起筆…。
結局この形の上からどういうふうに書いたかというのを想定するんですけど普通にはこう入るんですね。
で進行方向の逆の方から入り込んできてそしてここで反転する。
こういうふうに。
ふ〜ん。
だいぶ違う始まりですよね。
うん。
そうすると起筆のとこがちょっとまるくなるでしょ。
まさに…これであの文字の謎が解けました。
そうそう。
でその謎を解いたから体で実践してみましょう。
分かったからやってみる。
書いてみる。
う〜ん。
先生楽しそうですね。
なんか今回とっても。
フフフフ!楽しいですよ。
書ほど楽しいものはないっていってね。
もう一度挑戦です。
ん?いいですよいいですよ。
その状態でそのまま…そう切り込んでいく。
木を切り込んでいく。
で最後は落とす。
はい。
あっちょっと…最後が分かんないですね。
要するに「ケッケッケン」と切り込んでいく。
ノミだと思って。
そうそうそう。
切り込んで押していく。
押していく押していく…グッグッグッと。
難しいなあこれ。
う〜ん。
グッグッグッグッ。
押さえるんじゃなしに切り込んでいく。
奥へ向けて奥へ奥へ切り込んでいくような。
何回も。
すぐには書けないけどキュッキュッキュッキュッキュッとこう。
キュッキュッキュッといってリズミカルに。
「スッ」じゃなしに。
ギュッギュッギュッギュッ。
そうそう…。
でそこからも…そこも彫っていく先で。
穂先で彫っていって…そうそうそう。
それで彫っていく。
少しずつ少しずつ切っていく。
奥へ向けてリズムをつけて…リズムをつけて。
リズムをつけてギュッ。
押すんじゃなしに切っていく。
そうそう…。
はぁ…。
いいんじゃないですか!筆で彫り進む線をきれいに再現できました。
少し光太郎に近づいた。
フフッ難しい。
なんか息が止まる感じが…。
ハハハハハ!「うんうんうん」って言いながらなんか…。
「光太郎は全身彫刻家だ」。
「あっこの中で彫刻をやってらしたんだ」。
「書の中で彫刻を表していたんだ」って分かってその思いで臨書させてもらったんですけども。
字であって字ではない。
その膨らみを持ったものなんだなって事を今日はすごくなんかショックな出来事でした。
それを知った事が。
徳島県の国府跡から出土した飛鳥時代の公文書です。
紙がなかった時代文字はこうした木簡に書かれていました。
束になって冊になってるからそこから本の1冊2冊の「冊」という字が出来てきて。
その束ねたこの一束クルクルッと巻いたもの。
それがひと巻きで「一巻」と。
だから書物の「一巻」とか「一冊」とかいうのはみんなその簡の形からきてるんですね。
石川さんによれば現在の便せんの…2015/11/03(火) 21:30〜21:55
NHKEテレ1大阪
趣味どきっ! 石川九楊の臨書入門 第5回「高村光太郎×智恵子」[解][字]

書から歴史上の人物像に迫る臨書入門。今回は詩集「智恵子抄」でも知られる彫刻家・高村光太郎。妻・智恵子の死、戦争とどう向き合ったのか?不思議な書が示すこととは?

詳細情報
番組内容
明治から昭和にかけて彫刻、詩など数々の作品を発表した高村光太郎は、書でも唯一無二の存在。愛妻・智恵子の死、そして戦争賛美の詩を書いた自分を責め、終戦直後の7年間、岩手・花巻の山荘にこもり自己と向き合った光太郎。その時書いたのは、不思議な筆致の文字だった。この書が意味することとは何か?花巻の高村山荘を訪ね、直筆の書に出会い探る。また光太郎がリンゴ農家へ送った書「甘酸是人生」の「人生」を臨書する。
出演者
【講師】書家・京都精華大学客員教授…石川九楊,【生徒】羽田美智子

ジャンル :
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸

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日本語
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