100分de名著 菜根譚(最終回) 第4回「人間の器の磨き方」 2015.11.04


中国の処世訓「菜根譚」。
そこで繰り返し語られているのは「人間の器の磨き方」。
人間力を高めるのに必要なものとは?誰しもさいなまれる不安や疑い。
自分の心とどう向き合えばいいのか。
そこには意外な教えがありました。
「菜根譚」。
あなたに響く言葉がきっと見つかります。

(テーマ音楽)「100分de名著」司会の…さて今回は「菜根譚」を読んでおりますが最終回第4回でございますけれども…伊集院さんは器大きいですよねいろんな意味で。
いやいろんな意味というかもう直接的な意味ででかいですけどただね人間の器ってこれがなりますとねなかなか…。
大きくありたいですけどね。
自分で大きいって言えないですよねなかなか器…。
指南役の先生は今回も大阪大学大学院教授湯浅邦弘先生です。
よろしくお願いいたします。
はいよろしくお願いします。
「菜根譚」は人が成長していくという事をですね器に例えてそれを磨いていくと家庭人としても社会人としても立派に成長していくという事を説いています。
社会人としても家庭人としても。
両方大きくなりたいですねえ。
どっちかだけっていう…。
まずどっちかでもいいですけどできれば両方大きくなりたいですね。
では早速「菜根譚」の言葉を見てまいりましょう。
今回もあのおじさんが登場です。
うわっ!あっ…。
ああすいませんこんな所に店広げちまって。
あの…場所代ですよね?いやいやここんとこ全然売れなくて払えないんですよ。
すぐどけますから。
おっさん何勘違いしとんねん。
わしは野球選手じゃ。
野球の…?ああ!あんた何年か前ドラフトの目玉だったピッチャーの。
おうよ。
せやけどなぁ入団以来ずっと二軍。
全然一軍に上げてくれへん。
もうこのごろはわしには見込みないんちゃうかと思いだしてきたわ。
そうか…。
じゃあそんなあんたにはこの言葉でどうだ。
何やこれ。
これにはねこういう事が書いてある。
「若者は大人の卵であり秀才は指導者の卵である。
もし若い時火力が十分でなく正しい器作りができなければ後々世に出て官位についた時立派な人材にはなれない」。
人間の器はね育て方次第なんだよ。
球団はあんたを本当の一流選手にするためにじっくりしっかり鍛えていこうとしてるんじゃないのかねぇ。
人間の器?そんなん野球と関係ないやろ。
わしはとにかく早く一軍で投げたいんや。
まあまあそう焦りなさんな。
時間をかけていい器になりなさい。
プロ野球選手に限らず僕らタレントも早く売れたいと思うし普通に仕事してても早く認められたい早く出世したい早く手柄立てたいとは思うでしょうね。
そうですね。
まずその若者をですね陶器を作る時の事に例えているわけですね。
火力焼き入れが十分でないと後々立派な令器となれませんと。
この「令」というのは「令嬢」とか「令息」という言葉がありますね。
ご令嬢ご令息という。
良いという意味ですね。
立派な器。
そういう意味だったんですね。
この人間を器に例えるというのは中国の古典に比較的よくありまして。
ここで言われているのは実際に世に出てですね社会人として役に立つそういう令器となりなさいという事を言ってるんですね。
世に出なさいという事なんですね。
そうですねここがポイントですね。
そしてそのためには強い火力じゃないと駄目という事ですか?そうですね。
十分な火力を与えるそして正しい陶器を作る。
そういう事をしないと後々駄目になりますよと言ってるんですね。
この時で言う火力は強さなんですか?それとも長さ?さっきのその野球のルーキーの例えで言うと何かこうゆっくり長く鍛えるイメージでしたけど。
一つはまずプレッシャーですね。
圧力をかけるという事ですね。
しかしもう一つやはり今おっしゃったように時間という事も。
じっくりと。
じっくりと。
これ大事だと。
こういう言葉もあります。
磨き研ぐ。
人生を修養する鍛えるという事これは…お手軽に成就しようとするとそれは深い養成にはならないといってこれは時間の事を言ってますね。
確かにありますよね。
まあプロ野球の例えだと1年目はすごく良かったけどよく言う2年目のジンクス。
ちょっとこう研究されたらもう打たれちゃってあいつ1年目だけだったなみたいなパターンもありますしね。
我々大学の研究者の場合もですね長い時間を基礎にかけたかというのが後で問われてくるんですね。
一見地味なんですけどもそこで相当厳しく鍛えられそして長い時間基礎研究をするとこれがまあ後々生きてくる。
上司がきちんとこの事を分かった上で自分をじっくり鍛えてくれてればいいけど不安なのは上司も分かんないままただ時間がかかってんじゃないかとか。
そうすると「俺このまま切り捨てられちゃうんじゃないか」みたいな意識も出てくるから。
あのスポーツ選手の例えが面白かった。
やっぱり選手寿命が短いから焦るのは気持ちもよく分かるけどどっかでこう思ってないと我慢強く自分を鍛える事はできないですもんね。
そうですよね。
やっぱりとかく数字とか結果を求められるという事が多いですから焦る事も多いと思うんですけれどもそういう時はじゃあ一体どうしたらいいんでしょうか。
周りはどんどんわしを追い越して一軍上がってテレビ出とんのにわしはず〜っと日陰もんや。
やっぱりわし才能ないんや。
おっさんもそう思うやろ?今のあんたにはこの言葉だ。
どういう意味や?それはなこういう事だ。
「気持ちが動揺していれば弓の影を見ても蛇やサソリではないかと疑い草むらの石を見ても虎が伏せているのではないかと思いこむ。
全てが殺気に満ちてしまうのである。
これに対して雑念がおさまれば暴虐の人物も海のカモメのようにおだやかに感じられ騒がしい蛙の声も鼓や笛の音のように聞こえてくる。
たちまち真実のはたらきを見る事ができるのである」。
心が落ち着かないとねどんどん疑心暗鬼になる。
冷静になって考えれば自分が少しずつ進歩してる事が見えてくるだろう。
いや足りん事しか見えんわ。
それじゃこんな言葉もあるぞ。
「縄も長い間にはのこぎりのように木を切るし雨だれも久しい間には石に穴を開ける。
道を学ぶ者は努めて粘り強く求める心掛けを持つべきである。
また水が流れてくると自然に溝が出来上がりうりが熟すると自然にへたが落ちる。
道を悟る者は全てを天に任せ時期が来るのを待つだけである」。
結果は必ず現れるから粘り強く努力を続けて機が熟するのを待てばいいんだよ。
そんなもんやろか。
そんなもんだ。
(ため息)まあとかくねスピードを求められる結果を求められる世の中だから契約社員とかになるとその契約期間中にどうにか使えるやつだと思われなきゃいけないからゆっくりしましょうと言われてもというところはまだ僕は腑に落ちないとこはあるんですけどもただ分かるのは自分に余裕がない時というのは人の言う普通に言った言葉が嫌みに聞こえたりとか悪口に聞こえたりとかでそっちはすごくよく分かります。
「機の動く」というのはねこれは心が動揺している時ですね。
弓の影を見ても蛇やサソリじゃないかとびくびくしちゃうという事ですね。
これを「殺気」と。
前回出てきた「和気」と正反対ですね。
殺気に満ちてしまう。
これは良くないわけですね。
心が動揺している。
ですからこの「念の息める」つまり…でもほんと分かるなぁ。
いろんな事をすさんで考えていろんな人を誤解したりいろんな言葉を誤解したりしてきましたから。
そういう状態にある時ってそればっかり思ってるからなかなかできないですよね。
どうしたらいいんでしょうか?どうしたらいいかについてもヒントを与えてくれていまして3つの方法があると言ってるんですね。
…と言ってます。
静かにしているという事ですね基本的に。
この静かな中での考えが澄み切っていると。
これが大事。
これによって心の本当の姿を見る事ができる。
2番目はちょっと暇にしているという事ですね。
時間的ゆとりを持っている。
その中での気持ちの持ちようがゆったりしていると心の本当の働きを知る事ができる。
それからあっさりしているという事ですね。
あっさりしている中での趣が安定していると心の真の味わいを得る事ができるというふうに言ってて自分の心と向き合ってみましょうという事を言ってるんですが私がちょっと危惧するのは最近の若い人たち四六時中スマホをいじってるじゃないですか。
結局心と向き合う時間ってあるのかなという気がするんですね。
なるほど。
何かメールが来たらすぐに出さなきゃとかそういう追い立てられるような感じばかりになっちゃうのもね。
しかもその赤字で書かれたその3つと真逆の状況に今置かれる事がとても多いっていう。
僕結構釣りに行くんですけど最近友達に誘われてあの…釣りに行ったそれも沖合出てるんですよ船で。
…先でもみんな仕事のメールとってますからね。
あんなに穏やかっぽい趣味にもかかわらず。
海の上でも通じるんですか?通じるんですよ。
しかもね「通じるから安心して釣りに行きませんか」って書いてあったりしますから。
もうよく分かんないんだけど。
これは結構深刻ですね。
でも何でもそうなんですよねきっとね。
ダイエットで今人に言われてる事ですごくつながるんですよね。
えっ?何言われてるんですか?猛烈に食べたい時に一旦自分でほんとに食べたいかという事を考えると。
目の前に食べ物があって食べたいという時に絶対冷静な判断ができないから何十秒かちょっと対話してみようよと。
「ほんとに食べたいか?」ってなった時に意外に今大丈夫だなという事が多いよという。
一旦考えてみる。
心とね。
自分と対話してみるという。
まあできない結果が今この感じなんですけど。
でもそうでしょ。
だって早食いの時には絶対その量を間違えるし猛烈に味の強い物を食べようとするとあっさりとした…という。
味の強い物を食べようとするとこれも満腹の具合がおかしくなるしって考えていくと意外に僕はこれ…これ一冊書けるなダイエット論で。
ダイエットとここをくっつける。
おっさん!おお。
どうだい?調子は。
あんなぁ何かわし少し見えてきたで。
こつこつやってきたトレーニングで自分が変わってきてるのが分かるんや。
でもなぁやっぱりスターの連中は器用なもんやで。
わしなんかコーチにいつも「下手くそ下手くそ」言われてあだ名が「下手くそ」になってもうた。
(笑い声)そうか…それじゃあねえ今のあんたにはこの言葉かな。
どういう意味?「文を作る修業は拙を守る事で進歩し道のための修業は拙を守る事で成就する。
この拙の一字に限りない意味が含まれている」。
不器用でもね誠実な心を忘れずに努力する者が道を極める事ができるという事。
不器用の中に大きく伸びる可能性があるってわけだ。
おっさんの言葉何かやる気出るわ。
ハハハハ…。
ありがとう。
はい。
それじゃあね。
はいありがとう。
さてそろそろ私も店じまいとするか。
現代に現れてたんですね。
洪自誠さんですかねあれは。
出てきたのはこんな言葉でございました。
はい。
普通「拙」というのは悪い意味。
稚拙の拙。
拙いという意味ですね。
ところが「菜根譚」はですね拙によって文章は進んでいくと。
それから道も拙によって成就すると。
一つのこの「拙」の字に無限の意味があるというんですね。
これはどういう事かというと拙というのは過剰な装飾とか技巧をですね排したもの。
つまり純朴なもの。
素朴なものに逆に力があるという事を言ってるんですね。
拙というのは…。
飾らない素朴さという事ですね。
拙な側から言うと飾れない不器用さだったり飾れない鈍さみたいなものだと自分は捉えてたんです自分の拙な部分を。
でも飾らない素朴さであると。
そこに意味があると。
長所ですよねこの言い方は。
長所です。
学生の論文にも気付かされる事があって粗削りなんだけども核心を捉えている。
非常に良いとそういう論文もありますね。
やっぱり一番いいのはこの拙なんですよ。
「拙」の反対は「巧」になるわけですけど巧みという事なんですけどその巧みの境地にいる間には自分の心となかなか向き合えないんですね。
つまり自分のよろい肩書きも何も外してですね…そういう事を言ってると思うんですね。
飾れないという事は逆に言うと素朴であるというメリットなんだと思うともう可能性がすごい広がりますよという。
そうですね。
僕が思いつく自分の拙はいっぱいあるんですけど何とかかんとかしていこうと思ってる中にこの言葉を。
説得力もあるしあと今後もありがたいという。
子供って基本的にもう無のまま生まれてきて拙なんですけど言葉がしゃべれるようになると「どうして?どうして?」って分からない事ばっかり聞かれるんですね。
「そんな事しちゃいけません」「どうして?」「こうこうこうだからいけません」「どうしてそしたらいけないの?」ってどんどん聞かれる事でこちらも学んだり。
そうですね。
この拙ってほんとにいろんなところに通ずるなという。
不器用な人だったんですかねものすごく自誠さんは。
恐らくね。
自誠さんも効率的な生き方はしてなさそうですもんね。
まあ彼がたどりついた一つの境地だと思うんですね。
さあ4回にわたっていろんな言葉を見てまいりましたけれども改めてこの「菜根譚」の魅力というのはどういうところでしょうか?「菜根譚」の魅力本質を説いているという言葉がありますので。
…というふうに言ってます。
この「士君子」これは儒教でよく出てくる「君子」を更に修飾した士君子という言葉なんですけども大体立派な人というのは清貧の思想になっちゃうんですね。
従って他人に対して…けれども人が迷い苦しんでいるところに出会えば…また人が救いを求めて苦しんでいるところに出会えばまた適切なひと言を出してそれを救ってあげる事ができる。
これが限りない功徳であると。
つまり物やお金では救えないけれども適切な言葉によって相手を救ってあげる事ができる。
この「君子」で始まるところは儒教的なんですけどもこの「無量の功徳」と締めくくるところはちょっと仏教的なんですね。
こういういろんな思想のエッセンスが入っているというところが「菜根譚」の特徴なんですけれども私にはこの「士君子」と書かれているところが著者の洪自誠とこうだぶって見えるんですね。
…という気がするんですね。
はい。
この「菜根譚」こそはですね洪自誠が私たちに届けてくれた「言葉の贈りもの」ではないのかそういう気がするんですね。
僕はすごく今回面白かったのは「菜根譚」って今までこの「名著」をやってる中でも僕トップクラスで知らないタイトルでした。
…にもかかわらず一番読んだ事があるような気がする。
懐かしい。
懐かしいんですよ。
多分親もおじいちゃんおばあちゃんもこういった事を言ってたんだと思うんです。
一個一個にすごい真新しい発見があったんじゃなくて「うわっ忘れてた」とか更には極端に言われて反発してたような事にちょっとひと言足してくれてたりとか。
「信じたところでだましにくる人はいますよ。
いますけども」という事を書いてくれるようなすごい本だなってちょっと思いましたね。
また言葉の出し方がね絶妙なんですね。
料理に例えるとフルコースでおいしい料理が次々出てくる感じではないんですよ。
何というんでしょうビュッフェスタイルというんでしょうかね。
淡い味付けで料理がポンポンと置いてあって「好きなところを好きなだけ取って下さい。
お代わり自由です」と言われてるような感じがするんですね。
だからこの言葉この言葉というふうに選んでそして私の「菜根譚」あなたの「菜根譚」が出来ていくんですね。
響き方がその人によってもちょっと違うなと。
そう。
私は母として子育てもほんとにダメダメで拙だけどそこにもやっぱり意味があるかもしれないと思って頑張っていこうかなってすごく何か励まされました。
そういうふうに読んで頂くとすごくいいと思うんですね。
それぞれが自分の境遇に照らし合わせて「菜根譚」を咀嚼して自分の「菜根譚」という料理が出来るんですね。
滋味深い回でございました。
本当にありがとうございました。
どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
2015/11/04(水) 06:00〜06:25
NHKEテレ1大阪
100分de名著 菜根譚[終] 第4回「人間の器の磨き方」[解][字]

「どう生きれば人間的に成長できるのか」は多くの人たちの共通の課題。第4回は「自分の心を見つめること」「中庸」など「人間の器の磨き方」を「菜根譚」から読み解く。

詳細情報
番組内容
晩年に達観の境地に至ったとされる洪自誠は、人格の陶冶には長い年月がかかると繰り返し述べその重要性を訴える。既存の価値観がゆらぐ現代、「どう生きれば人間的に成長できるのか」は多くの人たちの共通の課題だ。「菜根譚」は「自分の心を見つめること」「ゆとりをもつこと」「中庸」「高い志」などを、人間的な成長に不可欠なものとして提示する。第4回は、「菜根譚」から「人間の器の磨き方」「人間力の高め方」を読み解く
出演者
【ゲスト】大阪大学大学院教授…湯浅邦弘,【出演】平泉成,松田慎也,【司会】伊集院光,武内陶子,【語り】小野卓司

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
趣味/教育 – 生涯教育・資格

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音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
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