NHKアーカイブス「火の山と生きる〜火山列島日本・どう向き合うのか〜」 2015.11.01


おっ噴火した!噴火噴火。
死者行方不明者63人を出した御嶽山の噴火から1年余り。
今全国各地で火山活動が活発化しています。
今年5月。
鹿児島県の口永良部島で爆発的な噴火が発生。
全島の住民が島外に避難。
9月には阿蘇山中岳が噴火。
気象庁は噴火警戒レベルを入山を規制する3に引き上げました。
現在全国で10を超える火山に噴火警報が出されています
110もの活火山を持つ日本。
時には大きな災害をもたらす山と私たちはどのように向き合っていけばいいのでしょうか

NHKには火山と共に生きる人々を描いた番組が数多く残されています
桜島の噴火を予知する研究に生涯をささげた火山学者
噴火が起こる前に住民が避難を終え一人の犠牲者も出さずに済んだ…
噴火は洞爺湖温泉に近い山麓で起こる。
残された時間はあと僅かでした。
火山を見つめ続けてきた人々の記録をひもとき知恵と教訓に耳を傾けます
こんにちは。
今回の「NHKアーカイブス」は火山災害を防ぐために何が必要なのかそして私たちに何ができるのか過去の2つの番組を通して考えてまいります。
早速ゲストの方をご紹介致しましょう。
元NHKの解説委員で現在は防災情報機構会長の伊藤和明さんです。
よろしくお願い致します。
よろしくお願いします。
伊藤さん早速ですけれどもこちらにもありますように今年に入ってからですけれども火山活動活発化していますよね。
急に噴火が増えて怖いとかもっと大きなのが来るんじゃないかというそんな声も聞かれるんですけれども伊藤さんは現状をどのように捉えていらっしゃいますか?確かに今年になってからね5月29日に口永良部島の噴火で火砕流が発生をしたりしましたしね。
それから今の映像にもありましたように阿蘇山とかねあるいは桜島も結構噴煙を高い所まで上げたりしていますよね。
だからそういった点では火山活動活発化しているな…っていうふうな印象はあるんですがよく考えますとね今世紀の初めの10年というのは日本の火山って割とね静か。
異常なほどと言っていいくらい静かだったんですね。
2000年に有珠山と三宅島が噴火をしました。
それがそのあとですね2011年に霧島の新燃岳が噴火しました。
その間の10年ぐらいというのはまあ浅間山は小さいのを2〜3回やりましたけども異常なくらいと言っていいくらい静か。
だからある意味では今この火山活動平常に復したのかなというような印象を持ってるんですよね。
例えばね1980年代90年代を振り返ってみると83年には三宅島の噴火で溶岩流が流れ出してそれで集落を1つ埋めましたね。
それから86年の伊豆大島の山腹割れ目噴火。
この時は全島民が避難するという事がありました。
そして90年から雲仙普賢岳の噴火が始まりましてね。
それで火砕流で災害が発生をして人的被害が随分起きましたですね。
こういう噴火が5年間ぐらい続いた訳ですがまあそういう事を考えますと将来いつ何時ねどこの火山でどういうタイプの噴火が起きてですね災害が周辺にもたらされて社会的な影響が出るかっていうのは本当に分からない。
ですからそういう時に備えた防災対策というものをいかに進めておくのかという事だと思いますね。
では早速最初の番組をご覧頂きましょう。
舞台はこちらの桜島です。
今でも大変難しい噴火の予知に半世紀以上前に挑戦した火山学者の姿を描いた番組です。
ご覧下さい。
なぜ山へ挑むのか。
登山家なら山がそこにあるからだと答えるかもしれない。
だが彼が桜島に挑み続けてきた訳はもっとはっきりしている。
過去何度も大爆発を起こし怒りの島と恐れられてきたこの桜島に彼は13年前初めての科学者として住み着いた。
吉川圭三さん今年43歳。
京都大学助教授桜島火山観測所の所長である。
怒りの島。
文学的な表現としては美しい。
だが山が怒る度に被害を受けるのは住民である。
爆発をあらかじめ知って住民を災害から守りたい。
彼は島に7つの地震計を置いた。
怒りの島に初めて科学のメスを入れたのである。
2月21日。
震度6の烈震で始まったえびの吉松地震は群発性の地震となって今なお続いている。
震源地付近では山肌が崩れシラスと呼ばれる火山灰土が不気味に露出した。
この一帯は桜島から北へおよそ50キロ霧島火山の山麓である。
お話ならありません。
怖くてね。
音ともうそんな揺れがもう…。
この間のマグニチュード5.6の時はこいつがガ〜ッと動いてしまったんですよ。
吉川さんは地震発生とともに鹿児島県の吉松町に1台の地震計を置いた。
桜島と関係の深い霧島火山帯の一角の地震だけにその動きを正確につかんでおかなければならない。
彼とこの地震計が町長をはじめ地元の住民の支えでもある。
昨日から少しまた地震が多いようですね。
例えば噴火するというような懸念はないものですか?
(吉川)こういう所じゃ絶対火山は噴火しませんからご安心下さい。
噴くと致しましたら霧島の火山帯の高千穂だとか桜島だとか開聞岳だとかですねあっちの方でございますからこの鶴丸の下から溶岩が出るっちゅうな事はございませんからそれは心配いりません。
みんながそういう恐怖心がある訳なんですよ。
(吉川)まあこういう地震が起こりますとねいろんなデマが飛ぶ訳なんですよね。
ですけどそういうデマに惑わされずにねいわゆる総合観測班も出来ておりますしああいうところの情報をですね早く皆さんに伝達してですねそれを頼りにしてやって下さい。
いろんな個人的なデマはそういうのに惑わされたら絶対困りますから。
昨晩皆さんが経験されましたこの震度3とかそういう地震はですねこれなんです。
これとそれからここですね。
ここにこういうふうに出てます。
昨日大きかったやつはこれです。
いえいえあの…昨晩です。
ええ今朝方です。
昼頃に1つございましたね。
これはこれです。
(吉川)こういう小さい地震が皆さんお感じにならないけどたくさん起こってる訳です。
今日は何かさ…。
(吉川)これはまあこういう地震がですね大きな地震が起こってから既に1か月半ぐらいたつんですけど何べんもこういうやつが繰り返されるのがこれが群発地震の特徴なんですよね。
強力な予報みたいな事に結び付けて頂くような事はできんもんですか?
(吉川)地震の予知全然できません。
ただ過去の例ですね例えば大正2年の真幸地震いうのがございましたね。
ああいうのを見ますと例えば5月から始まりましたねあの地震がですね。
ところが9月ごろにもかなり大きな地震がまだ来てますわね。
そういう事から考えましてそういうもんが来るかもしれないという事で十分に用心しとく必要がある。
来なかったら幸いでございますけど。
地震の予知そして火山の爆発の予知が彼の目標ではあっても地球の謎は大きすぎる。
吉川さんが今度のえびの吉松地震に注目するのには訳がある。
大正2年5月からやはりえびのの真幸地方で群発的に地震が起こり9月までに175回を記録した。
そのあと11月と12月の2度にわたり霧島火山が爆発。
明けて大正3年の1月には桜島の大爆発が起こったのである。
大正3年1月12日。
桜島は長い沈黙を破った。
流れ出た溶岩は島の5つの部落を埋め桜島と大隅半島は陸続きになった。
死者35行方不明27負傷者112。
2,500戸の家が溶岩に押し流された。
島を埋め尽くした溶岩は5年間も冷えず島民の半数はついに桜島には戻れなかったという。
大爆発の前に強い地震が何度も島を襲った。
村長をはじめ住民たちは何回となく鹿児島の測候所に問い合わせたが桜島には爆発はないという返事。
測候所はいたずらに人心を惑わす事を避けたのか。
だが結果として桜島島民に科学不信の気持ちを植え付けてしまった。
13年前桜島へやって来た若い科学者吉川さんが最初に島の人たちから見せられたのは科学に恨みを込めたこの爆発記念碑だった。
当然の事のように島民の彼に向ける視線は冷たかった。
なかなかこういう本は貴重でございましてですね。
当時の事はだんだん記録はですねどっかへ行ってしまいましたよね。
なかなか残ってるとこがないんですよ。
今から僅か50年余り前の大爆発でさえ桜島の中での科学的な観測記録は何も残っていない。
爆発がどのようにして起こりどんな経過をたどったかは土地の古老の言葉か残された文書に頼るよりほかにない。
自然科学者の彼がまず始めた事は民俗学者か考古学者のような文書あさりの仕事だった。
鹿児島弁がちょこちょこ入っていますから。
(吉川)私もねもう鹿児島満12年住んでますからだいぶ鹿児島弁は分かるんですよ。
そうですか。
京都大学で地学を修めた彼はその後地球物理学教室の無給研究員をしていた。
深遠な地球の謎に研究者としての興味を覚え始めたのと時を同じくして昭和30年桜島南岳が活動を開始。
恩師の佐々憲三教授の勧めもあって彼は新妻を京都に残して一人で桜島へやって来た。
そして防空ごうの跡に1台の地震計を据え裸電球の下で鳴動を続ける南岳の観測を始めた。
7年かかって今の観測所が完成。
その間に彼は妻を鹿児島へ呼び2人の子どもが生まれた。
ピーエス0.7。
彼は今8人の所員の長である。
(吉川)12.0。
12.0。
(吉川)次03時13分42秒。
島では毎日20〜30回から1,000回程度の人体に感じない地震が起こっている。
13年間の地震記録の蓄積から桜島に関する限り小さな噴火でも62%が前もって分かるようになった。
16分17秒。
ピーエス0.8。
ピーエス0.8。
振幅1.2。
振幅1.2。
あの山の格好ちょんと出たりしたらだいぶ変わってくるやろ毎年。
「私たちはあぶりこの上で暮らしているようなものです」と地元の人々は言う。
あぶりことは餅を焼く網の事だ。
いつ噴出するかもしれない地下の溶岩の動きを知るために桜島に45か所の水準点を置いて毎年重力を測る。
もし溶岩が上がってくると重力が大きくなるはずだ。
4450。
4450。
いわば桜島の定期健康診断である。
地殻の変動を調べる伸縮計や潮の満ち干を測る検潮儀などでも毎日島の動きを克明に調べている。
「理論ニ信頼セズ」と石碑に刻んだ島民の安全を守るために吉川さんは率先して観測を続ける。
4345。
本日皆様がお訪ね下さいました…。
活動を続ける桜島は観光鹿児島のシンボルになった。
阿蘇山に対抗して火口へ観光客を導くために9合目付近まで道路をつける計画もあった。
吉川さんは爆発の予知が100%できない限りはとんでもないと強く反対した。
はいどうぞ。
(シャッター音)はいよろしゅうございます。
左端から北岳中岳…。
今観光コースは3合目付近で止まっている。
住民の安全を願いながら一方では観光で生きようとする西桜島村。
前の助役の今村さんとはよく激論を戦わした。
しかし今村さんは当時の中学校長の濱田さんや亡くなった村長らと共に最初から吉川さんの数少ない理解者でもあった。
地球は二十何億でしょ?こんな桜島なんて出来たの1万年か2万年だってこのごろいわれてますけどね。
赤ん坊ですよ本当に。
1歳ですよ本当に。
1歳にもならんですわ。
僕の野心はやっぱり鹿児島のこの一連の霧島火山帯を解明したい。
それが僕の野心ですよ。
東京や京都行っても火山ございませんよ。
あんたはしかし来る早々ここに骨をうずめるって言われたその気持ちはどういう事か?というのは火山っちゅうやつはねその場におってその現象を見ながら観測しなきゃ駄目だと。
こっちから資料送ってもろうて京都でのほほんと記録を見とっただけではいつまでたっても火山のやつは解決できねえいうのが僕の気持ちなんですよ。
村長のああした気持ちにちょうど合致しとったんでしょうな。
まあ僕はね凝り性でしてね。
こいつをやったろう思た事はね必ずやり遂げよう思うてます。
これはなかなかできない仕事ですけどね。
まあ自分でできなかったら次の人がねまた引き継いでやってくれる人その人に少しでも楽をしてもらってやれるようなねそういう体制だけは僕のおる間に作ってやろうと思って今一生懸命やってるんですよ。
まあけんかしながらねけんかしてるうちに助役さんはね僕の知識を吸収してる。
あれは相当盗んでいますね。
(吉川)まあしかし今程度の噴火でももうこんだけ分かってきましたからね。
そんなちっちゃいちっちゃい溶岩も出さんようなね火口の底へちょこっとためるくらいのやつ50万トンぐらいのやつでもねだいぶ60%分かってきたでしょ。
あんな何十億トンっちゅうような溶岩出すような噴火が分からんかったら僕は切腹しますよ。
本当ね。
まあそのくらいの気持ちでやります。
もうそれだからねまず今のこのしかしあれだ。
島民が大きな災害を受けるっていうような事は生命に関する限りはまず間違いない。
霧島火山帯は開聞岳から更に南へと延びる。
東シナ海に浮かぶ硫黄島口永良部島諏訪之瀬島。
いずれも現在活動を続けている火山だ。
口永良部島はおととしの11月に爆発した。
彼の手の届かぬ所でいつどんな火山がどんな活動を始めたかは全く分からない。
火山噴火の予知で理学博士になった彼も観測施設がない限り調べようがないのである。
離島という問題になってまいりますとよく経済効果という事が挙げられましてあんな所へ施設を造ったところで経済効果が何もないから造る必要がないという事をよく当局の方はおっしゃるんですが…。
鹿児島でただ一人の火山学者である彼は講演を頼まれる機会が増えた。
いつ襲いかかるかしれないその危険から守ってあげる姿勢が必要だと思うんです。
それからもう一つは開聞岳の付近になりますとこれは昔はそう人も訪れなかったですが今はもうご存じのとおり大変な人が参ります。
開聞岳はもう1,000年ぐらい噴火しておりませんからあんな火山は絶対噴火する危険ないんだというふうに思っておられるかもしれませんが火山の寿命というやつはこれはもう数万年ぐらいの寿命を持ってますからたまたま1,000年ぐらい休んでもいつ何時噴くかもしれない訳です。
そういう所の監視体制を強めると。
例えば今度のえびの地震を例に挙げましてもそうでございますが何か地震が起こりますとパ〜ッと観測隊が参りましていろんな調査を致します。
火山が噴火したといったら後へたくさんの調査隊が参ります。
ですけどその前の状態いうもんは全然観測されてない。
この鹿児島県のこういうふうに火山とか地震とかいうものが非常にたくさんございますのでこのえびの地震を機会に僕は是非とも鹿児島県の火山それから地震のよく発生する多発地帯そういう所は場所は大体分かってる訳でございますからそういう所に恒久的な観測の施設を造って監視を続けると。
それが予知というのに一番の早道だという事を申し上げましてこのお話を終わりたいと思います。
一連の地震が大正3年の桜島のように火山の大爆発に結び付かなければよい。
だがそうであるともそうでないとも言えないのだ。
こつこつと地道な観測を続ける以外にはないのである。
吉川さんは来年度新しく吉松町と開聞岳付近に火山観測所を造る予算を要求した。
大学から文部省へそして大蔵省へ。
果たして完成はいつだろう。
ロケットが月に到達するという時代に人間が生活する大地の下の事はほとんど何も分かっていないのである。
今から半世紀近く前の番組で当時はそうだったんだなと思う場面もあれば今の防災にも何かこう役立つメッセージもある番組という印象がありますね。
伊藤さんはどういうところが印象に残りましたか?この吉川さんがね桜島に赴任してきた時にどのようにして住民のね不信感を払拭しようかというふうに考えられた訳です。
助役さんとか校長先生なんかとお酒を酌み交わしたりね。
あるいはえびのの群発地震が起きた時に不安におののいている住民の方々に非常に丁寧に説明をされている。
ですからこれ考えてみると科学者とそれから行政と住民とがどのように情報を共有して将来に備えるかっていう事をねもう当時から考えておられたと。
大変それは感動しましたね。
はい。
吉川さんがデータを基に丁寧にそれを説明する事が一つ安心情報にもつながる。
だけど分からないところもあるからちゃんと準備しなさいっていう事も同時に伝えている。
それが浸透していった訳ですね。
そうですね。
最後のシーンで講演をされてる中でね火山の寿命は何万年もあると。
僅か1,000年ぐらい休んでいてもいつまた噴火するか分からないと言っておられた言葉ねこれ非常に大事な事なんですよね。
現代のですね最も進んだ観測でもって火山を見てきたのは本当に一瞬にすぎないという事ですからそれだけの短い時間の中で火山の動きを推し量る事って本当難しいんだろうと思いますね。
噴火予知のために遠くでデータだけとるんじゃなくてそこの現地に暮らして観測しながらまた五感で変化を感じようとした吉川さんのこの活動ですねこれは噴火予知の中ではどんな業績と言えるんでしょうか。
これまさにね当時の確かに地震観測とかあるいは重力の測定なんかを進めてこられた訳ですよね。
まあそういう地道なデータを集めてですねそれで将来の桜島の噴火の動き…例えばなんとか大噴火が起きる前にはこういう事が起きるぞって事がだんだん分かってきてそれが噴火の予知につながっていくと。
この吉川さんがやられた事が言ってみればこの桜島の噴火予知の礎を築いたと言ってもいいだろうというふうに思いますね。
ですから吉川さんの後を継いで後進の研究者の方々がまさにその後の桜島の動きというものをですね現代的な観測も含めて進めてきているという事なんですね。
それにしましてもやっぱり予知というのは難しいんですね。
桜島のような例は特殊と言ってもいいので…。
というのは火山によってはほとんどデータが少ない。
データがたくさんあればそれを基にしてその火山活動の推移ってのをある程度見守っていく事ができる訳ですけれどもそういった点ではなかなかそういう観測が十分に行われていないっていう状況でもあるし。
それで大事な事はね火山というのはそれぞれに個性があるんですね。
個性があるから火山ごとに違ったタイプの噴火をする。
ところがですね同じ火山でも時によってはそれまでとは異なったタイプの噴火をする事がある訳なんですね。
そうなってくるとですねこれやはりね吉川さんのようにそこの火山を見続ける人っていうのは大事なんですよね。
言ってみればホームドクターと言ってもいいかと思うんですけれどもまさに吉川さんなんかホームドクターと言ってもいいでしょうね。
いわゆる火山の地元の専門家みたいな人がもっともっといればという思いにもなりますね。
そうですね。
でまあそういった状況の下でですね本当に噴火の予知に成功して噴火が発生する前に危険地区の住民が避難をしていたというこういった事例があるんですけれどそれはね北海道の有珠山の2000年の噴火なんです。
2000年の3月ですね。
こちらが当時伊藤さんが撮影された写真なんですけども北海道の南部にあります有珠山ですね。
20世紀に入ってから30年程度に一度の周期で爆発を繰り返していまして明治の終わりの噴火で温泉が湧き出してこの周辺というのは北海道の中でも屈指の観光地になっているんですけれどもちょっと注目したいのがこちらですね。
この有珠山の溶岩ドーム群ですね山頂の。
それからこの温泉街との距離というのが僅か2キロなんですね。
まさに火山と共に暮らす人たちが噴火にどのように立ち向かったんでしょうか。
今度は2本目の番組をご覧頂きます。
ご覧下さい。
1977年8月有珠山は長い眠りから目覚めます。
群発地震が始まった翌日有珠山は32年ぶりの大噴火を起こします。
立ち昇った噴煙は高さ1万2,000メートルにまで達しました。
この日は夏休み中の日曜日。
有珠山周辺には数万人もの観光客が訪れていました。
噴火直後の洞爺湖温泉の様子です。
観光客はもちろん地元の人たちももの珍しそうに噴煙を見上げています。
この時身に迫った危険を多くの人はまだはっきり認識できずにいました。
当時は有珠山の研究も十分には進んでいませんでした。
火山の専門家たちは急きょ観測機器を持ち込んで噴火の行方を探ろうとしました。
8月8日午後4時突然真っ暗になった洞爺湖温泉に石の雨が降り注ぎます。
住民たちは恐怖のどん底に突き落とされました。
このくらいのでねまだね火ついてたの。
本当死ぬかと思った。
真っ暗くなった時なんて。
真っ暗になったからね。
更にこの石の雨で洞爺湖温泉は孤立してしまいます。
温泉街から外へ出る方法は2つ。
東西に抜ける道路か湖の遊覧船を使うしかありません。
しかし車は噴石で壊され道路は大量の火山灰で通行不能。
更に湖に浮かんだ軽石によって船のエンジンも動かない。
温泉街には2,000人が取り残されました。
虻田町は自衛隊の出動を要請し洞爺湖温泉に避難命令を出します。
駆けつけた自衛隊の力を借りて住民たちはようやく脱出できました。
しかし噴火が続く中避難命令に従わず温泉街にとどまった人もいました。
そのほとんどがホテルや旅館の関係者でした。
施設の管理や保安のためおよそ100人が残ったのです。
(取材者)皆さんたちはなぜ避難なさらないんですか?いやほかにたくさん人いますしね自衛隊さん入ってますし警察もいますでしょ。
彼らも安全なんですから我々の方がもっと安全ですからね。
活発な火山活動は翌年まで断続的に続きました。
家屋の被害は200棟に上り積もった火山灰による泥流で3人が犠牲になりました。
この噴火で温泉街は大きな痛手を負います。
営業を再開できない店や旅館も多い上に予約のキャンセルも続出。
その損失額は100億円といわれました。
一方研究者たちは次の噴火に向けて監視体制を強化し始めます。
1978年北大有珠火山観測所が完成。
ここに助教授として移り住んだのが岡田弘さんでした。
以後20年にわたって有珠山を見守り続け有珠の主治医と呼ばれるようになります。
最新の地震計を使い24時間体制でデータを集めます。
このころの岡田さんは防災よりも火山そのものの研究に目が向いていました。
岡田さんは仲間の研究者たちと現地調査や分析を重ねました。
そこで浮かび上がったのが有珠山が隠し持つ恐ろしさでした。
過去の地層から何度も火砕流が発生していた事が分かったのです。
400度もの高温のガスや岩石などが猛スピードで斜面を流れ下る火砕流。
有珠山の周りには至る所にその火砕流の跡が見られました。
江戸末期に起こった火砕流は麓の集落を直撃。
59人の犠牲者を出しました。
開発が進んだ今もし同じ規模の火砕流が起きれば1万人を超す犠牲者が出る可能性があります。
有珠山っていうのはやっぱり場合によっては非常に危険な恐らく日本中あるいは世界中でひょっとすると一番たくさん人を殺してしまうかもしれない。
そういう危険性が高い山だというそういう認識はやっぱり持つようになりましたね。
危機感を募らせた岡田さんたち研究者は防災対策の必要性を論文や新聞で事あるごとに訴えます。
しかし地元にとってそれは決して受け入れる事のできないものでした。
観光地にとってはね飯の種は全部よそから来たお客さんなんですよ。
その人たちがね危ないと思ったら誰も来ないですよ。
だからそこへ学者の先生方なり行政なりは危ない危ないっちゅう事なんだもん。
いやそうでないんだけどそうとる訳だよ。
またそれ以外の何ものでもないでしょ。
だから命懸けで反対しますよそりゃ。
岡田さんは世界各地の火山の資料を集め具体的な防災対策について研究し始めました。
しかし地元の理解や協力を得るのはたやすい事ではありませんでした。
1991年6月長崎で雲仙普賢岳が噴火。
大規模な火砕流が何度も発生しました。
特に6月3日に起こった火砕流は麓の町を襲い43人もの命を奪いました。
日本中に火山の恐ろしさを改めて見せつけました。
雲仙の大災害のあと有珠山の地元の住民たちにこれまでになかった動きが起こります。
観測所の岡田さんのもとを洞爺湖温泉の観光業者や商店主たちが訪ねました。
有珠山はいつどのように噴火するのか被害はどこまで広がるのか教えてほしいと求めたのです。
その中の一人ラーメン店を営む…秋田さんは前回の噴火で自宅と店に大きな被害を受けました。
その後店を立て直すため必死に働く中で噴火の恐怖を忘れかけていました。
しかし雲仙の火砕流は秋田さんに恐ろしい記憶をよみがえらせました。
世界一こんな危険な場所ないっていうよくいわれるぐらい危険な場所だという認識はありますよね。
…が故にここでじゃあ店を畳んでよそ行ってどうのこうのっていう事にはならないと思うんですよね。
そうするとやっぱり何かの場合には「命あっての物種」ですからそうなる前に危険な場所というか噴火する時期なんか早く教えてもらわないと逆に言えば本当に恐ろしくて住めないですよね。
岡田さんはこれまでの観測データや写真などを見せて予想される被害や対策を説明しました。
危険地域に住む人たちの切実な思いに岡田さんは研究者としての社会的な責任を改めて痛感させられました。
これは僕は非常にショックでしたね。
これは非常にショックでした。
ですからこれはやっぱり…ひょっとしたら我々は死ぬかもしれない人と思ってる訳ですよ。
ですからその人たちが自分たちでそういう情報を欲しいと言ってきた訳ですね。
これだったら我々はもう本気になってちゃんと情報をやらなきゃいけないと。
やっぱりそういう気持ちになりますね。
更に別の動きも起こります。
火山や防災の事を深く知ろうと住民自らが大規模なイベントを企画したのです。
その仕掛け人の一人レストランを営む…前回の噴火で山中さんの自宅は泥流に襲われました。
その時近所に住む知り合いの子どもが行方不明になりました。
ある意味では非常に…私の火山防災に関わる一つの原風景ですよね。
いざという時はこういう局面があるんだという事を生でやっぱり体験してますから。
そろそろやっぱりそういう事に備えていろいろ考えてみなきゃならんと。
身近な火山についてもっと知りたい。
山中さんは仲間の観光業者たちにも呼びかけ世代を超えて参加できるイベントを考えました。
山中さんは地元の壮瞥町や北大の研究者たちからも協力を取り付けるなど2年にわたって準備に奔走しました。
そして開かれたのが…世界22か国の火山学者をはじめ400人が集まりました。
テーマは…シンポジウムや子どもたちの作文発表有珠山の学習登山など4日間にわたってさまざまなイベントが行われました。
岡田さんも準備段階から加わりました。
ふだんは接点が少ない研究者と住民。
その交流こそが最大の成果でした。
次の噴火にやっぱりそろそろ備えなきゃならんと。
あるいはそういう勉強をしていかなきゃならないという意識を醸成させたという事だと思いますしそういう事が原動力になったんじゃないかなと。
そして観光一辺倒だった行政にも大きな転機が訪れます。
1993年7月北海道南西沖地震が発生。
30メートルを超える大津波が奥尻島を襲い230人が犠牲になりました。
奥尻はその10年前にも津波の被害を受けていました。
大きな地震のあとにはすぐ山に避難する。
その教訓を生かせなかった事が被害を広げる一因になったといわれています。
奥尻見たらこれはねもうとにかく観光振興どころでないぞと。
人間…住民を殺しちゃねしょうがないと。
我々市町村長の使命っていうのはやっぱり住民の命を守る事だと。
どうやって観光業者の反対を押し切り町の方針を大転換するか。
町長の岡村さんはその機会をうかがっていました。
奥尻の災害から1年たった1994年8月岡村さんは自らが主催した地元消防組合の研修会で運命の挨拶に臨みます。
会場に集まっていたのは消防団や町内会など町の有力者400人。
彼らを前に岡村さんはこう切り出しました。
「もう復興だけにとらわれている場合ではない。
次の噴火に備えるべきである」。
観光優先から防災へ行政が大きくかじを切った瞬間でした。
精いっぱい私なりに誰も言いだしたがらない事をね言ったと。
私もそれ相応の決意を持って言ったのだけは覚えてる。
これは私がクビになろうとね観光協会に排斥されようとさそんな事は目のうちじゃないと。
やっぱり何万かの住民の生命を守んなくちゃいけないと。
岡田さんも講師としてその場に呼ばれていました。
防災対策の遅れを何より心配してきた岡田さんにとってこの集会は特別なものになりました。
これで次の噴火は大丈夫だなというそういう安ど感はもうありました。
これで一番大きなバリヤー一番大きな障壁は克服されたと。
地元の行政がまず手がけたのは防災マップを作る事でした。
防災マップは岡田さんたち研究者が早くからその必要性を訴えていたものです。
1995年秋有珠山で初めての防災マップが完成。
周辺の5つの市町村2万世帯に配られました。
この地図には噴火の際の危険地域がはっきり示されています。
住民たちは火山のそばに住む恐ろしさと災害に備える事の大切さを改めて自覚しました。
1977年の噴火から18年研究者住民行政それぞれが防災という同じ目的に向けてようやく第一歩を踏み出したのです。
前回の噴火から23年有珠山は再び活動を始めます。
3月27日夜8時観測所の地震計が異常な揺れを感知しました。
深夜データを分析した岡田さんは立て続けに起きる地震が噴火の前兆であると確信します。
一刻を争う事態でした。
岡田さんは地元の行政の防災担当者へメモを送り噴火の可能性が高い事を伝えます。
気象庁の公式発表を待たずに行った岡田さん独自の判断でした。
このメモをきっかけに行政は対策本部を立ち上げます。
一方住民たちも動き始めます。
28日の朝から自主的に避難する人が出てきました。
自分の身は自分で守る。
地震が続く中噴火の気配を感じ取っての行動でした。
地震の震源は山の北西部洞爺湖温泉付近に集中。
温泉街が大きな被害に遭う危険性が高まっていました。
岡田さんは更に踏み込んだ行動に出ます。
現地で開かれた北海道の防災関係者の会議に虻田町長壮瞥町長伊達市長の出席を求めます。
予想される被害の規模とその可能性を防災の責任者に直接伝えるのがねらいでした。
会議を受け町長たちは危険地域に避難指示を出します。
洞爺湖温泉でも宿泊客や従業員の避難が始まります。
同じく午後6時30分岡田さんは記者会見を開き一般市民に向けて今回の噴火の危険性を説明しました。
そしてその最後に洞爺湖温泉の住民たちに対して直接呼びかけました。
洞爺湖温泉町については避難命令…この前の噴火で避難命令が出た時にいわゆる補修要員という方が非常にたくさん残られました。
現在の活動の中ではその状態と非常に違ってるという事を是非伝えて頂きたいあるいは住民の方には理解して頂きたい。
これは非常に重要な事です。
それを最後に付け加えます。
噴火は洞爺湖温泉に近い山麓で起こる。
残された時間はあと僅かでした。
忘れ物ないですね?はいどうぞ乗って下さい。
すいません順番に詰めて座って下さい。
30日の夕方までに洞爺湖温泉を含め避難指示の対象となっていた全ての住人1万人余りが避難を完了します。
そして翌31日午後1時7分。
有珠山は23年ぶりに噴火しました。
火口からは直径2メートルもの噴石が盛んに噴き出しました。
周囲には幼稚園や工場があり国道も通っています。
この国道は洞爺湖温泉からの避難ルートでした。
もし避難の最中ならば巨大な噴石の直撃を受けて大惨事になっていたはずです。
噴火が起こってすぐ情報が入ってきてもう洞爺湖温泉には誰もいませんという情報が入ってきたんですよ。
私は信じられませんでした。
まさか全員が避難しているというふうに私は思ってませんでしたから何回も聞き返しました。
本当にもう誰もいないんですかというふうに聞き返しました。
ですから私からすれば洞爺湖温泉の人たちあるいは虻田町の住民の人たちは我々が考えている以上にですねやっぱりきちんと対応してくれたというふうに思いますね。
洞爺湖温泉でホテルを経営する白井祐輔さんです。
白井さんは前回の噴火の時は避難せずホテルにとどまりました。
しかし今度はほかの従業員と共に岡田さんの言葉に従いました。
有珠山とつきあってるからねやっぱりそういう意味では本当に主治医だなというような前々から知ってたから。
(取材者)前々からご存じだった?そういう有珠山の事に関してはね。
その先生がさそうやって言えばやっぱり噴火するんだろうなっていう気はしたよね。
今回の噴火では町のすぐ近くに火口が出現し泥流も発生しました。
壊れた建物は850棟。
損失は260億円に上りました。
しかし犠牲者は一人も出ませんでした。
噴火を予知して噴火の前に危険地域の住民の皆さん全員避難して命を守る事ができた。
この有珠山のケースで何が災害を減らす事につながったのかっていうのは重要な事ですよね。
有珠山っていうのは言ってみれば言葉はよくないけどたちのいい火山でね噴火が発生する前には必ず山の直下で地震が起きるんですよ。
これはもう歴史的にみんなそうなんですね。
ですからこの2000年の噴火の場合もね3月27日に地震が起き始めて岡田さんが地元の行政に知らせてそして地元の行政は夜中に職員を招集をしているんですね。
そして危険地区の住民の避難につなげていってるという事で本当にこれはいい意味では画期的な事であったという事ですよね。
まさにこれ岡田さんの場合は桜島の吉川さんと同じように科学者と行政とそれから住民とが連携をしてですねそして防災につなげる事ができたと言ってもいいと思うんですね。
そして地域の人たちがそれだけ迅速に反応できたというのはやっぱり地元の人たちに山に対する知識ですとか危機感があったっていう事もありますよね。
ふだんから子どもたちに対する防災教育というものを進めてきていますしそれから住民自身も非常に意識が高かったという事が言えると思いますね。
ですから住民自身の判断でもって避難をしたところもある訳ですね。
この有珠山の温泉街の方々に7〜8年前にお話を伺った時にどうしてここを離れないんですかという事を伺ったんですが30年間は恵みをもたらしてくれると。
そのあとの噴火に十分知って備えておけば大丈夫なんだと。
掛けがえのない場所なんだという事をおっしゃってたんですね。
つまり長い恵みの期間と短い災いの期間。
その災いにいかに備えるかですよね。
そういう事ですね。
観光地ですから多くの観光客が訪れる。
もちろん地域住民を守るって事も大切ですけれども訪れる人たちの安全をいかに守っていくかってこれは地元の責務なんですよね。
ですから言ってみれば火山の噴火した時の防災対策をきちんとやっておく事自体を観光の目玉にするぐらいの意識じゃないといけないと思うんですね。
これはもう日本の火山地帯全体に通じる話ですよ。
そうですね。
そして「噴火する噴火する怖い怖い」っていうのは観光地にマイナスになるというような話もありましたけれどもしかし正しい情報を積極的に出してもらえばそれは逆に安心情報になりますよね。
そうなんですよね。
ですから科学者がそういう情報を出して行政が住民に対するちゃんと言ってみれば情報提供を行ってそしていざという時の避難行動につなげるという事だと思うんです。
ちょうど今から30年前1985年の11月ですまさに。
南米コロンビアでネバドデルルイスという火山が噴火をしたんですよ。
この時はね火砕流が山頂の火口から流れ出して氷河の氷や雪が解けてこれ大泥流が起きます。
なんと2万5,000人ぐらいの犠牲者が出たんですね。
これ実は日本では考えてみると東北とか北海道の火山が積雪期に噴火をしたらば同じような事が起きる可能性がある訳ですね。
1926年北海道の十勝岳が噴火をしました。
やっぱり大泥流が起きて144人当時の上富良野村を中心に死者が出たという事があるんですがそれ以来90年近くも同じ災害つまり雪解け泥流を起こすような噴火災害というのは起きてないんです。
忘れてはいけないところですよね。
つまり自分の周りの火山は過去にどんな事を引き起こしてそしてどういう事が起きる可能性があるのかというのをやっぱり知っていってその上で備えてなきゃいけないと。
ですからやはり過去に何が起きたかっていう事をしっかり学ぶ事が大切でありましてねよく地質学の世界では「過去は未来への鍵である」という言葉があるんですよね。
過去に起きた事は必ず将来にも起きうるんだという事を常に考えておかなければいけないのでですから過去を知って正しく恐れるという事が私は重要なんじゃないのかと思います。
よく知ってそして恐れるなら正しく恐れて備えるという事ですね。
どうもありがとうございました。
どうも失礼しました。
2015/11/01(日) 13:50〜14:55
NHK総合1・神戸
NHKアーカイブス「火の山と生きる〜火山列島日本・どう向き合うのか〜」[字]

110の活火山を抱える「火の国」日本。火山活動が活発化するいま、私たちはどのように向き合っていけばいいのか。火山とともに生きる人々を記録した二つの番組から考える

詳細情報
番組内容
110の活火山を抱える「火の国」日本。5月には爆発的な噴火が発生した口永良部島をはじめ、阿蘇山、西之島、桜島など、いま居住地域や火口周辺などへの噴火警報が現在全国14の火山に出されている。火山と隣り合わせで生きる運命の私たちはどのように向き合っていけばいいのか。桜島火山予知のさきがけとして力をつくしたある学者の人生、犠牲者を出さずに噴火を乗り越えた有珠山のふもとの人々を記録した二つの番組から考える
出演者
【出演】防災情報機構会長/元文教大学教授…伊藤和明,【キャスター】森田美由紀

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – 自然・動物・環境
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論

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