祭祀はいったいどうなさるおつもりですか、
の続き・・・








しばらく暗欝な日が続いた後、再び私は皇居へ連行された。

斎服殿で待っていたのは皇后の侍従だった。







侍従はまず最初に、飼育箱の中の、死に絶えた蚕を私に見せた。

木箱の底に数十匹の死骸が、小さく干乾びて、転がっていた。

以前と同じ物なのか、それとも私に見せるために改めて(殺して)用意された物なのか・・・

顔を近づけて見たが、もはやその虫独特の臭気は消えていた。







戸外へ出て来ると、侍従が待ち構えていたように私の前を遮り、

「どうなったか分かりますね。」と一撃を喰らわせた。

こういった兵法は宮内庁が最も得意とするもので、この一言によって責任の所在が一気に反転してしまう。

この時すでに砒素を塗った毒針で何度も刺されていた私は

内心では反発を覚えながらも、その意思とは別の作用に動かされて、緩慢に頷いていた。

侍従はそれを見逃さなかった。

「それでは、どうすれば良いでしょう?」







どうすれば・・・

と訊かれても、死んだ蚕はもはや生き返らない。

逃げ場のない檻に追い込まれて、空っぽの胃からまだ何か吐け、と言われているようだった。

耳鳴りが低く鳴る私の耳に、侍従が囁いた。

「美智子さまにお願いするんですよ。」


















事態は急転直下し、私は再び暗雲の中に足を踏み入れていた。

祭祀を放棄した皇后の代わりに皇太子妃をあてがう、という方策は

無論、私を皇居へ連れて来る以前に、宮内庁内で謀議され、決定されていたのに違いない。

そして、これに続く場面もまた用意されていたのだろう、

待つほども無く、皇太子妃美智子が現れた。

















私は大急ぎで釈明すべき言葉を探さねばならなかった。

「荒木田神家」とは名ばかりの、我々一族の生命が懸かっていた。







「あの・・・」

ここで神事をする人がいないのです。

それで、私には貴女で良いのかどうか、分からないのですが・・・

もし貴女で良いのなら、やっていただけませんか?





美智子妃の答えは、私にとって意外なものだった。

「考えさせてください。」と彼女は言ったのだ。

この返答は一般には至極当然のことだが、しかし、これは宮中祭祀である。

祭祀の実践者が皇太子妃で良いのかという問題は、宮内庁にこそ存在するだろうが

彼女にそれを「考える」自由は無かった。







結局、妃は一旦どこかへ戻って行ったが、

しばらく経った後に、再び現れて、「やってみます。」と承諾した。

だが、「やってみる」とは「やる」のである。

言うまでも無いが、やってみたが厭になったから止める、というわけには行かない。

彼女がこの点を誤解しているのではないかという疑念が、私の脳裏にふっと湧いたが

二人の大人はもう私の頭の上で次の段取りの話をしていた。

















さて、

美智子妃がキリスト教について口に出したのはこの後だった。

それは、皇族にも公務を選択する自由があると思っている女性と、

自らの意思とはまったく無関係に、蚕の糸で足を絡め取られた子供とが、

二人だけで所在無げに飼育箱を眺めていた時のことだ。

「イエス・キリストって、知っている?」と彼女は唐突に訊いた。







私は「知らない。」と答えた。

この時、私はすでに小学生になっていたが、当時の公立学校では宗教的なことは一切教わらなかったし、

我が家においても、誰もキリストの名を言わなかったのか、

クリスマスは知っていても、それが宗教とは結び付かなかった。







すると、「嘘でしょ。」と妃は疑った。

驚いたのは私のほうだった。

他人に嘘つき呼ばわりされたのは生まれて初めてだった。

私は辛抱強く堪えて、

先入観に捉われているこの女性に、今、最も重要なことが何であるかを教えた。

つまり、ここではそれを言わないほうがいい、と諭したのだ。







妃は「どうして?」と不機嫌そうに訊き返した。

私は蚕の飼育棚をぐるりと回って、壁の上方に設えてある神棚の、榊の辺りを指差したが、

「知っているわ。」

そう言って、ぷいっと、あっちを向いた。

「貴女、あれを信じているの?」

・・・・・・・

「信じているかどうか、言いなさい。」

















私は戦後の生まれであったし、

決して過去の神話を信じているわけではなかったが、

しかし、少なくとも、この国の先祖神が祀られている忌屋の中で他宗教を語るのは

史実に生きた先祖への冒涜であることくらい理解していた。

私はもうそれ以上語らなかった。

この女性にくどくど説明するのは無駄な気がしたからだ。

















その後、美智子妃の身に何が起ったかは知らない。

私のほうは、皇居に野放図に巣食っている元皇族や戦前の日本軍同様の皇宮警察のせいで

辛辣な日々をやり過ごしていたので

もしかすると妃のほうも似たような状況にあったのかも知れない、とは思う。

次に私が斎服殿へ行った時、彼女は痩せて、見る影もなかった。

いつもの木製の椅子に腰かけ、片手に銀色の細い鎖を捲き付けて

両手の指を硬く組み合わせた上に、額を押しつけるようにして、祈っていた。







ただ、私が困惑したのは、この後である。

嘆いていた妃は、姫神の神官である私にもキリスト教の祈りを強要したのだった。

私は無表情に立ちつくした。どうせ祈りの言葉も知らなかった。







「何故、祈らないの?」

そう言って、美智子妃は私の手の甲に、ちくりと針を刺した。

針は繭の糸を取るためのもので、毒は付いていなかったが

私の心に小さな憎悪の芽を作った。

















聖書と十字架が

東宮の使者によって、我が家へ届けられたのは数カ月後だった。

無論、その場で受領を拒否したが、座敷の上り框に置いて行った。

しばらく後で、我が家の宝物を博物館へ運んで行く際に、

それらに事情を注記した紙を貼り付けて、他の物と一緒に館員に渡してやったが・・・







あれもまた、

百年後には天皇史の遺物になるのだろうか?



































阿多羅しい古事記・index

熊・さらに続き




熊棲む地なり/Arakida/荒木田真由美





1
1

「その祟りは出雲の大~の御心なりき __古事記より」

1