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【スポーツ】<首都スポ>五輪へ駆け抜ける 乗馬クラブのスプリンター世古和2015年11月5日 紙面から
馬とともに歩み、いや駆け続けるスプリンターがいる。9月の全日本実業団陸上女子100メートルを11秒60の自己新記録で制した世古和(のどか、24)=乗馬クラブクレイン=だ。将来を嘱望された高校時代から一転、競技から離れることも考えた学生時代を経て再び日本の一線級まで戻ってきた。現在は乗馬クラブで働き、時には馬と触れ合いながら、はっきりと100メートル、そして400メートルリレーでのリオデジャネイロ五輪出場を見据えている。 (川村庸介) ピンと張り詰めた空気の中、鋭い視線でゴールまで一直線に駆け抜けるスプリンターが、ひとたびトラックを離れ職場に入ると馬をめでる優しい表情に変わる。「まだ反応のいい元気な馬はダメです」。世古はそう笑いながら慣れた手つきで馬具をはめ、「よしよし」と馬体をなでる。のどかな田園風景が広がる茨城県つくば市の乗馬クラブで週に5日、半日間事務仕事や馬の手入れをし、残りの時間を使って母校の筑波大で練習を積むのが現在の競技スタイルだ。 馬とは競走できないが、足の速さは日本のトップクラスだ。6月の日本選手権女子100メートルは11秒89で5位入賞。「パワーとピッチが武器。身長がない分、足を回しやすい」。力強く地面を捉え、素早く足を回転させてトラックを突き進む姿は154センチという身長のハンディを感じさせない。さらに振り返れば三重・宇治山田商3年時には全国高校総体(インターハイ)、国体、ジュニア選手権の高校3冠を達成、同世代には影をも踏ませない存在だった。 だが、そんな実績が2010年に筑波大に進学した後は重荷になった。「3冠のプレッシャーは思っていた以上だったし、無駄なプライドもあった」。周囲の期待とは裏腹に伸びない記録。大学3年のときには1週間ほど実家に帰り、競技から離れたこともあった。チームメートの励ましで復帰したが「記録はどうでもいい。ひっそりとやろうかな」。入学時に思い描いていたオリンピックや世界選手権出場という目標は頭から消えていた。「ロンドンオリンピックは見てすらいなかった」と思い返す。 そうして迎えた最終学年の大学4年。「引退するつもりで会社を探していた」と就職活動に奔走するなか、巡り合ったのが現在の乗馬クラブだった。「馬に関わる仕事をしてみたかった」。もともとの馬との出会いは器械体操をしていた五十鈴中2年のとき。跳馬で落下し、腰椎を骨折。ふさぎ込んでいたときに両親が乗馬体験に連れていってくれたのがきっかけだった。「言葉を話せないけど、心が通じる感じがして癒やしになった」。馬が好きという気持ちが通じ、内定を得ることができた。 そうして「大学最後だし、記録より楽しんで走ろうと思っていた」と臨んだ13年の日本学生対校選手権(日本インカレ)女子100メートルで、思わぬ結果が待っていた。自ら「奇跡が起きた」と振り返るように高校時代のベスト11秒68を4年ぶりに更新する11秒64で大学日本一に輝いた。同時に陸上への未練も生まれた。会社に陸上部はなかったが掛け合ってみたところ、OKが出たどころか、母校の筑波大に近いクラブで働けるよう取り計らってもらうことまでできた。 まさに人生万事塞(さい)翁が馬。社会人2年目の今季は「平均タイムが安定していて、これまでで一番調子がよかったシーズン。自信にもなったし試合へ体調を持っていくコツをつかむことができた」と充実感を持って終えることができた。もちろん練習だけでなく遠征や合宿まで配慮してくれる会社の支えも大きい。「仕事を融通してくれることには感謝しているし、限られた時間で集中して練習ができている」。重圧に押しつぶされていた大学時代から一転、期待を力に変える強さも身に付いた。 馬が好きで乗馬クラブに就職した世古には好きな競走馬が2頭いる。「中2、3のとき、ディープインパクトの勝ちっぷりに憧れた」という、まさに自身と同じ3冠馬。そして「牝馬ならウオッカ。1回負けても挑戦し続ける姿勢が好き」とダービーを制しながら故障や不調に苦しみ、そして復活を果たした希代の牝馬に自らの姿を重ね合わせる。「馬のように強く、リオのトラックを走りたい。来年は日本選手権で結果を残して五輪代表になることが一番」。ディープインパクトのように鮮やかに、そしてウオッカのように強く、ターフならぬトラックを疾走する姿をはっきりと思い描いている。 ◇ 首都圏のアスリートを全力で応援する「首都スポ」面がトーチュウに誕生。連日、最終面で展開中 PR情報
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