☆一般論として語るシリーズ.10人の友人シリーズでは、ありのままの友人づくりを語ります。
ですから信仰という分野の話ではありません。
何かを語ると必ず批判をする人が出てきます。
まして、友人づくりという身近な話題を話すと「菊川は遊び人だ」とか、「大聖人の仏法に反している」と言う人が現れます。
ガチガチ の学会もどき思想の人が、怒ったり、騒いだりする。過去から、そういうことが幾たびも発生しました。
楽しい記事を書くと「仏法に反する!」とか、「遊びが過ぎる!」とか、強烈な「べき」の批判をドーン!といただく可能性があります。
それはまず「勘弁してください」と申し上げておきます。
「話し手である私の意志とまったく異なった次元の“極論”で意見される」
これが一番困ることなのです。
私は信心だけの話をしている訳ではありません。
信心以前の、普通の人間としてのありきたりな日常生活の話もします。
それを「学会員たるもの」と揚げ足をとっての批判は、まったくオカシイ批判であると申し上げたいのです。
戸田先生 だったでしょうか、「ケーキの団結・お酒の団結」の話をされたことがあります。「婦人部はケーキがあればすぐに団結する。男性はお酒があれば団結する。けれど、ケーキがなくなり、お酒の瓶がカラになれば、その団結は終わる」‥そんなお話。
私が友人と酒を飲んだり遊んだりする、そんな人間として何も悪くないことすら、「酒の団結は浅い」とかへちまとか言いう人が出てくる。
そういう切り文をもって批判されてしまうと、友人づくりという単純なテーマの話成り立たなくなります。
そもそも、友人関係とは小学校1年生でも作れるもの。
そこに極端な思想的批判をすること自体、オカシイ行為です。
猫記事 を書いた。
すると「人気取りだ。アクセス数を増やす策略だ」と批判されました。「そんなことはない」と反論すると、その言葉尻を捕まえて、さらに沢山の批判を繰り返えすのです。
「学会員としての普通の生活を表現している」という価値観すら分からない人と、対話が成り立つはずもない。
そういう人とはお付き合いできません。
毎回、このようなことを申し上げること、不思議に思われる人もいるでしょうね。私もこんな馬鹿げたことを言いたくもないのですが、特有の「べき」を信念にしてしまっている人は、このように言っておかないと即座に反応するのです。
お酒を飲む、それが学会員でなければ批判されない、たまたま学会員だと「組織利用だ」と批判する。そんな人までいる。
世の中、広いなって心底思うものでした。
学会員同士だったらやってはいけない?
友だちの関係で、どうして批判されなきゃいけないんです?
友人同士が遊ぶ、夕飯を一緒にする、それが何が悪いのですか?
学会員同士が知り合い結婚するということすら、そういう人は「組織利用」というのでしょうね。
ともかく、そのようなボタンの掛け違い論争はやりません。
このシリーズは信心の話ではない。例えば、友人を作りたいと祈り、行動し、作れたなんて、そんな話もしません。
あくまで一般論で、こういうことすると喜んでくれた、あんなことすると嫌われた、そんな話です。
それを歪曲して批判しないでいただきたいと思います。
前置きが長くなりましたね。^^
ここからスタートします。
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