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LIBERTYWORKS Information

永元千尋の右往左往な文筆業生活

作りたいのは「コミュニティ」ではなく「システム」なのだ

文筆業関連

 先月下旬の記事で「インディーズ系電子書籍の最低品質を保証する校正互助会を作れないか」というような内容のことを書きましたところ、各方面から陰に陽に反応やご意見をいただきまして、本当にありがとうございました。
 ただ、予想外に記事が拡散してしまったために、誤解が先行してしまった感は拭えません。
 作家同士が過度に繋がり合うことでサロン化してしまうのではないかという懸念。他人の作品に口を出すことによる不要な諍いへの危惧。そして、それらの危険性を見越して事前に規約や罰則などを考案して下さった方。ご意見は是非とも今後の参考にさせていただきたい……の、ですけど、ただ、その。

 みんなちょっとおちけつ。

 ぼかぁまだ素案どころか方向性すらまともに表明してませんからね?! 現状まだアイデア出しとかブレーンストーミングとかの段階ですよ?! うまく話がまとまって本当に互助会を立ち上げようってことになっても僕はその代表とか取りまとめ役とか実行役とかそんなポジションに就く気は毛頭ないですからね?! 現にここ数日の空き時間はブログ書いたり考え事してるだけでほぼ飛んじゃったよ! コヲロ2の執筆どころか1の校正作業すらも進んでないよ!!

 でも、僕個人の身辺が落ち着いてからやろう、っていう構えでいると、誤解ばかりが募っていって案そのものが霧散しそうだったので、ちょっと予定を前倒しして取り急ぎ素案をまとめてみました。校正互助会に関して、僕が漠然と「こうすればいいんじゃないかな?」と思っていた事は、この記事でとりあえず一区切り。全部吐き出してしまうことになります。
 あとはみなさんの反応を受けて、それから考えるということで。
 アイデアメモ的な書き殴りで読みづらいかとは思いますが、ご容赦&ご了承ください。

 

          *

 

~まずは前提条件~
著者は校正役として役立たず

 インディーズ作家は基本的に個人で全てをまかなうため、書籍として最低限度の校正作業(ここでは誤字脱字の類を修正する作業のみを指す)にすら事欠く場合が多い。
 経験上、最低でも脱稿から三ヶ月~半年後、こういうつもりで書いたという記憶が薄れない限り、著者は校正役としてまったくの役立たず。どんなに注意しながら読んでも、脳の方が「こう書いたつもりの正しい文章」の方を追ってしまう。これは人間が文字を認識する機能の上でどうしても避けられない。*1

*1:人間の脳は、目の前のものをありのままに見るということがたいへん苦手なのです。永元はこの分野にさほど詳しくないので、誤解を避けるためにも言及は控えますが、興味のある方はこのへんを手がかりに色々調べてみて下さい。

 


~とにかく校正しなくっちゃ~
問題なのは「誰に、どうやって」頼むか

 校正において、インディーズ作家が取り得る手段は、主に三つ。

  1. 家族や友人などに下読みを頼む
  2. ソフトウェアによる自動校正を導入する
  3. プロの校正に依頼する

 〔1〕について、家族や友人などの身内に目利きがいればいいが、運良く小説を読む者がいても大抵の場合は「読んだことはあっても書いたことはない」場合がほとんど。彼等は往々にして内容に気をとられ、校正を忘れ、普通に読み進めてしまうため、最低限度の下読みにしかならない。もちろん「文章を読むのは苦痛、本なんて滅多に読まない」という相手に無理を押して頼むのは、望んだ成果が得られないという意味でも、後の人間関係に悪影響を与える意味でも問題外。つまりこの手段は、もっとも手軽な方法であると同時に、もっとも効果が薄い。

 〔2〕について、ワープロソフト(一太郎やwordなど)には簡易版の自動校正システムが備わっており、これは積極的に活用すべき。ただ、これで修正できるのは、あきらかな誤字脱字のうち人間の目で判別しづらいものに限られ、文脈的に誤字かどうかというケースまではチェックできない。たとえば「発砲スチロール(発泡スチロール)」などの発見には絶大な効果があるが、一方で「下着を途中まで脱いで、迷って、やっぱり履き直した」という文章になると、正しくは「穿き直した」とすべきであることまでは判別できない。

 〔3〕について、現状ではもっとも確実な方法。通常は出版社と取引をするが、個人からの依頼も受け付けているところがある。校正のみならず、表現の妥当性を見る校閲にまで踏み込んだチェックを同時に依頼できるが、最大のネックはコスト。個人向けのかなり優良な価格設定でも、一文字あたり0.6円(原稿用紙一枚換算でアバウト150~200円、300枚規模の長編で4~5万円)になる。出版する本がそれ以上に売れなければ当然ながら赤字になる。

 

 

~理想は高く持ちたいけれど~
既存の手法では「帯に短し襷に長し」

 前項で触れたとおり、最良なのは〔3〕で間違いない。
 ただこれは「紙媒体での商業出版を前提として整えられたシステム」と言うべきもので、版上げや修正が比較的容易に行える電子書籍においては、水も漏らさぬ完全な校正・校閲が必要かと言えばいささか疑問は残る。そして何より、電子書籍のインディーズ出版において主体はあくまで個人であるため、大きなコストをかけることは経済的にも厳しい。
 しかし、本がもっとも世間に注目されて販売の機会を得るのは、基本的には「発表直後」で、ストアから新作として扱われる期間である。ここで誤字脱字など瑕疵が多ければ、誤字脱字で読む気をなくして離れていく読者もそれだけ増えることになるし、仮にそれを越えて読了できたとしても、後になって行ったアップデートをマメに行ってくれるとは限らない。
 校正は「過去の読者」でなく「将来の読者」に対して行うものだと捉えるのが正しい。となると必然的に、校正にもっとも力を注ぐべきは「初版をリリースするよりも前」ということになる。

 さらにもう一点、忘れてはならないのが、ほぼすべてのメジャーな商業出版作品は、前項〔3〕の校正校閲を経た上でリリースされているということ。
 メジャーには「出版社と編集者が最低限度の品質を保証している」という読者の安心感があり、インディーズにそれがない。前者はブランド品で、後者はノンブランド品だと言い換えてもいい。前者が高価なのは当然だと受け止められる一方、極端に安価ないし無料の後者は「うさんくさい」と受け取られるのが普通である。安心感のないノンブランド品は選択肢に入ることすらない。
 恐ろしいことに昨今、大手出版社がブランド品の叩き売りに等しいセールを続けており、ますますノンブランド品≒インディーズ作品を手に取る理由が喪失しつつあり、立場は危うくなっている。無料配布ですら読者獲得の確実な手法でなくなっている。

 これはもう、個々の作家が個別に取り組めばよい、という問題ではないのではないか。
 ある作家が相応のコストをかけて、商業レベルと同等かそれ以上の完全な校正・校閲を行っていたとしても、その他の大多数の作家が誤字脱字等に無頓着なまま作品をリリースし続ければ、インディーズ=低品質、という読者の先入観は拭いがたいものとなる。それはやがて、高品質な作品をリリースしている作家にも悪影響を及ぼし、新たな読者の獲得が困難になっていく。

 メジャーとインディーズに「差」があるとすれば、それは、最終的には「内容」だけに絞られていくべきであり、誤字脱字の有無など「基本的な品質」においては、その差を可能な限りゼロに近づけていきたい。
 それは恐らく、作家個人のみならず、電子書籍のインディーズ出版に関わる全ての者に益として還元されうる。……多分。

 

 

~以上をまとめると~
自然と導かれるのが「校正互助組織」

 要点を簡単にまとまると、

・それなりの文章力を持つ著者以外の他人に対し、
・自動校正では取り切れない誤字脱字を中心として、
・低コストで校正を依頼できる仕組みが必要で、
・それはインディーズ出版に関わる者全体の利益となる可能性がある?

 インディーズ作家どうしで校正を請け負う互助組織が作れれば、課題は解決できるはず。
 となると、具体的な課題は「作業手順をどう構築するか(≒システム)」に集約される。

 

 

~精神的満足を必要としないシステム~
見知らぬ他人の「クソみたいな原稿」を校正できるか

 そもそも校正作業は苦痛を伴う作業。本来なら誰もがやりたくないことを高いクオリティで成し遂げるからこそ、職業として成立するという側面がある。
 故に、たとえ作家同士の互助であるとしても、完全なボランティア(見返りを期待しない奉仕活動)として校正を頼むということは、本来、考えるべきではない。自著のクオリティを向上させるという利己的な目的のため、善意の他者に苦痛を押しつける形になるからだ。これは可能な限り避けたい。それが「互助会」であればなおのこと。
 もしも、本来は苦痛であるはずの校正作業が楽しくなるほど完成度の高い原稿に関わることがあったとしたら(それはそれで幸せなことではあるが)あくまでレアケースであると考えるべきだし、その幸運を求めて賛助会員が十や百の苦痛に耐え続けるような形になれば、互助組織とは名ばかりで苦痛と面倒ばかりを背負わされていることになる。早晩、組織は崩壊し、何の意味もなさなくなる。

 もちろん、精神的満足度を否定するということではない。
 ただ、それのみが互助会の目的となることは避けなければならない。

 もっとも簡単なのは、校正作業そのものに明確な見返りがあること。
 見返りとしてシンプルかつ強力なのは金銭による対価だが、互助会の参加者は主にセミプロとアマチュアであり、支払った金額に対する確実な成果までは期待しづらい。金額に応じて質を落とすというのであれば、プロの校正と比較して「安かろう、悪かろう」でしかない。依頼者である著者にとって見返りが不明瞭で、負担が過大になってしまう。

 この部分が、校正互助会において最大の課題であり、最優先で解決すべき案件であろう。

 つまり、実力も知名度もない作家のきわめて稚拙な原稿であっても、互助会に所属する作家ないし関係者が「具体的な見返り」を求めて校正を手伝いたくなるような「システム」があればよい。
 そして、この「システム」に賛同し、維持し、自らも利用しようとする者が、校正互助組織のメンバーたりうる――という形が理想。

 システムの具体像については、諸兄諸姉もそれぞれのお立場でぜひご一考を。
 本当は読みたくない原稿をどうすれば校正する気になるか、何かしらのアイデアをいただければ幸い。

 

 

~校正互助システムの具体例~
ぼくのかんがえたさいきょうのごじょそしき・その1


 ここからは、永元が考えた「システム」の概要です。


手順1:
 互助組織に所属する作家は、500~3000円程度の範囲で段階的に「(Amazonの)ほしいものリスト」を作成する。たとえば、500円以下の菓子類、1000円以下の模型、2000円以下の単行本、3000円のギフト券など。

手順2:
 作品を書き上げた著者が互助会に校正を依頼する。一度に依頼できる人数は2~5人程度。著者はこの時、校正を請け負ってくれた者に対し「お菓子をオゴります」程度の謝礼(500円以下の菓子類)を支払うことを約束する。いわばこれが「参加料」になる。
 もし可能なら、校正者は自らの得意なジャンル(アクション、SF、ラブコメなど)を掲示しておき、依頼者の方で自作の校正が得意そうな相手にオファーできる仕組みがあると、なお良い。

手順3:
 校正作業開始。発見された誤字・脱字・衍字ひとつにつき100円のレートを決め、もし10個以上発見できたら、謝礼のグレードがひとつ上がる(1000円相当)。20個なら2000円。30個なら3000円といった具合。複数人が同時に校正作業を行っている場合、発見したミスが重複すると、先に報告した者のポイントとする。
 レートについては一考の余地があるが、ここでのキモは「出費を抑えるため、著者は事前に可能な限り校正しようとする」ことと「校正者は自分の利益を最大化するため、可能な限り早く確実に誤字を見つけようとする」ことにある。
 著者と校正者がそれぞれの立場で、それぞれの利益を最大化しようとした結果、原稿の質を向上させるという一つの目的に自然と邁進していく形になる。

手順4:
 校正作業の終わりには二通りのパターンがある。
 ひとつは、最後まで無事に校正が完了し、参加者全員で「この本の誤字脱字の類はほぼ駆逐できた」と保証できた場合。著者は校正協力者に謝礼として「欲しいものリスト」の該当品をプレゼントし、互助会からは「最低限度の品質を保証しました」というマークを授与。書籍の表紙や紹介分に掲げることが許される。
 もう一つは、参加した校正者のうち誰か一人が「3000円分」の謝礼を受け取る権利を得て、なお校正が最後まで終了していなかった場合。校正作業は一時中断され、原稿は著者に差し戻される。著者は謝礼をプレゼントしたのち、もう一度自分で可能な限り校正を行う義務を負う。互助会のマーク授与は見送られ、後日あらためて校正作業はやり直しとなる。
 つまり、一定レベルに達していない、ミスの多すぎる原稿に対し、一定のストッパーがかかっているということ。著者の金銭的負担を「今度一杯オゴるから、校正、手伝ってよ!」の範囲に抑止するため。

手順5:
 校正者は、著者によって認められた誤字・脱字・誤表現の数を、ポイントとして得ることになる。
 理想を言えば、このポイントはSNSなどでデータ化されるのが望ましい。ポイントが多いほど校正者として優秀という勲章のような扱い。ランキング形式にしてゲーム的に競い合うのもアリ。


 以上の「システム」が、新しい原稿を待ち望む校正者の誕生につながれば、それだけでも価値がある。発表前に高品質な作品が一定の話題を得る可能性も高くなるし、もし校正者が望むなら「面白かったから謝礼はいらない、その代わりに発売された本にレビューを書かせてくれ」と言うことも可能(謝礼を断れば利害関係者ではなくなるので、少なくともAmazonカスタマーレビューの規約には抵触しないはず)。
 さらに、このシステムにはいわゆる「読み専」の読者も参加できる可能性があるし、応援する著者を直接的に支援する手段を提供するという側面もある。文章力の向上や言語センスの鍛錬を望む著者にとっても有益。新作が書けないスランプ期に誰かの手助けをしたくなるなど、互助会での活動が一種の娯楽として回転するようになる。
 もちろん、この結果として互助組織チェック済みの書籍は「最低限度の品質を、賛助会員全体で保証する」という形になり、純粋読者にとっても当然ながら益がある。



~校閲、そして編集へ~
ぼくのかんがえたさいきょうのごじょそしき・その2

 上記システムはあくまで最低限度の校正(比喩表現の明確な誤りなども含む)を保証するシステムだが、もし可能であれば、プロあるいは元プロの編集者(あるいは特に希望する作家)が「校閲・編集」まで踏み込むことを表明しても面白い。
 校閲や編集は単純なミスの指摘などではなくなるため、互助会の認証マークを得てその後の作業にするべきだが、簡単に言えば「互助会を舞台とした、一種の新人賞」に近いものが開催できるのではないか。
 無料での作品発表と書籍化の中間に位置するような形になれば、今現在、電子書籍にまったく注目していない層も呼び込めるかもしれない。

 残念ながら永元は編集者経験がないので、具体的なアイデアには踏み込まず、可能性を提示するに留める。

          *


 以上、校正互助組織について僕が考えていたのは、ここまでになります。
 システム的には不備もあるだろうし、実際に立ち上げることになったら、規約とかで禁止事項や罰則も作らなきゃいけないはずです。ただ今は「実現したら面白そうだな!」って思ってくれる人がどれだけ集まってくるか、あるいは「こんなんダメだよ!」という指摘がどのくらい出てくるか。まずはそこからだろうなと。
 んで、将来的にはこのシステムが「ぽっきゅん!」に組み込まれたり、あるいは、日本独立作家同盟の機能のひとつになるようなことがあったら面白いんじゃないかなー、と、夢想だけはしてみる。夢想だけ。