
「自衛隊は違憲だが、9条を改正する必要はない」とはどういうことか? 自衛隊の「P-3C」哨戒機(出所:海上自衛隊)
安保法制の審議で俄然注目を集めているのが憲法学者の存在である。
公明党の委員長だった矢野絢也氏がこの憲法学者について、『月刊日本』(8月号)で面白いコラムを書いている。矢野氏は同誌で「疾風雷神」というコラムを連載しているのだが、「まだまだ高い安倍政権の支持率」というタイトルで安保法制について論じた後で次のような指摘をしている。
「憲法学者がこうまで世論に影響があるとは、失礼ながら今日まで想像もしなかった。こうまで世論を領導できる憲法学者なら、日本の置かれている国際的状況に鑑み、憲法学者はこぞってあるべき憲法論を開陳し、憲法改正が必要ならその先頭に立つべきではないか」
憲法審査会で自民党推薦も含む3人の憲法学者が、安保法制や集団的自衛権の行使について「憲法違反である」と断じ、それに多くのマスメディアが飛びつき、「憲法学者でさえ安保法制や集団的自衛権について憲法違反だと言っている」として反対世論を大きく煽ったことを皮肉ったものだと思う。
憲法学者の圧倒的多数は護憲派
テレビ朝日の「報道ステーション」が憲法学者を対象にアンケート調査(6月6日~12日)を行っている。それによると198人に回答を依頼し、151人から回答があったそうである。その回答の内訳は次のようになっている。
安保法制にある「限定的」な集団的自衛権の行使は日本国憲法に違反するかという問いに、「憲法に違反する」が124人、「憲法違反の疑いがある」が21人、「憲法違反の疑いはない」が3人となっている。安保法制そのものが憲法違反にあたるかという問いには、「憲法違反にあたる」が127人、「憲法違反の疑いがある」が19人、「憲法違反の疑いはない」が3人となっている。
また朝日新聞のアンケート調査では、「自衛隊は憲法違反もしくは憲法違反の疑いがある」という学者が63%、「9条を改正する必要はない」という学者が83%となっている。
憲法学者の圧倒的多数が護憲派だということだ。
憲法学者は何を研究しているのか
この結果を見て強く感じるのは、これらの憲法学者は日本の安全保障をどう考えているのか、ということである。
63%の学者が自衛隊は違憲の軍隊だという。ところが83%の学者は、9条は改正すべきではないという。だとすれば、この学者たちの立場は、次のいずれかということになる。1つは、自衛隊は憲法違反だが黙認する。もう1つは、自衛隊は憲法違反だから解散させるということである。
はっきり言えることは、どちらにしても無責任極まる立場だということだ。
大学での憲法の研究というのものが、どういうものかは知らない。したがって、とんでもない暴論を言うことになるかもしれないことを、あらかじめ断っておく。天皇制や人権、国会、財政など多岐にわたる研究項目があるであろう。なかでも最重要なものとして考えなければならないのが、安全保障問題ではないのか。6割以上の学者が自衛隊は憲法違反だと認識していながら、“9条は改正しない”というのはどういうことか。丸腰の日本で良いという認識なのか、聞いてみたい。
おそらく護憲派の学者は、9条改正に反対しているだけではなく、憲法全体の改正にも反対しているのだと思う。9条というのは、護憲の象徴なのである。だったら、一体、憲法の何を研究しているのだろう。ただ、あれやこれやの解釈論の研究をしているだけだとすれば、憲法学者としての怠慢と言うしかない。
憲法学者としてあるべき憲法の姿をこそ研究すべきであり、矢野氏が指摘するようにその成果を開陳すべきではないのか。
そもそも、ある法律が違憲であるか否かを判定するのは、憲法学者でも、政治家でもない。唯一その権限を持っているのは最高裁判所だけである。学者の意見は、1つの「見解」にすぎない。そんなところに憲法学者の本分があるとは思えない。
矢野氏は、「専門家の意見は尊重する必要はあるが、『国滅びて憲法残る』の極論になってはならぬ」とも指摘している。この言葉を肝に銘じてほしいものだ。
砂川事件の伊達判決と最高裁判決
言うまでもないことだが、集団的自衛権問題の根源にあるのは、日米安保条約である。日米安保条約の前文には、「両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し」とあるように、集団的自衛権の行使を前提としている。したがって、日本が集団的自衛権を行使しないようにする最も確実な方法は、日米安保条約を廃棄することである。
米軍が日本に駐留しているのは、サンフランシスコ平和条約調印と同時に日米安保条約を締結したからである。「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」とした憲法9条2項と米軍の駐留という日米安保体制の併存は、普通に考えれば矛盾であり、欺瞞としかいいようのないものである。
砂川事件での東京地裁の伊達判決(1959年)が、「日本政府がアメリカ軍の駐留を許容したのは、指揮権の有無、出動義務の有無にかかわらず、日本国憲法第9条2項前段によって禁止される戦力の保持にあたり、違憲である」としたのは、憲法を素直に読む限り、ある意味当然の判決であった。
これに対して、跳躍上告(高裁を飛ばして、いきなり最高裁に上告)された最高裁は、「憲法第9条は日本が主権国として持つ固有の自衛権を否定しておらず、同条が禁止する戦力とは、日本国が指揮・管理できる戦力のことであるから、外国の軍隊は戦力にあたらない。したがって、アメリカ軍の駐留は憲法及び前文の趣旨に反しない。他方で、日米安全保障条約のような高度な政治性をもつ条約については、一見してきわめて明白に違憲無効と認められない限り、その内容について違憲かどうかの法的判断を下すことはできない」とした。
どう読んでも苦しい立論ではあるが、現実的対応に知恵を絞り出したものでもあり、一概に批判はできないと思う。
護憲派学者は、このどちらの立場に立つのだろうか。おそらく伊達判決の立場に立つ学者が多いはずだ。憲法論、法律論はともかく、政治的に、あるいは現実的に考えれば、米軍の駐留は違憲であるという判決を下すわけにはいかなかったのである。
憲法学者は日米安保体制をどう見ているのか
護憲派学者は、在日米軍の撤退、すなわち日米安保条約の廃棄を声高に叫んでこそ、一貫した態度となる。これは自衛隊についても同様だ。6割以上の憲法学者が違憲だと言うのであれば、「自衛隊即時解体」を主張すべきである。それが憲法学者としての良心というものであろう。だが、こうした主張を寡聞にして聞かないというのはどうしたことなのか。要するに、「自衛隊は戦力ではない」などのこれまでの自民党政府の憲法解釈を事実上追認してきたということだ。この欺瞞的態度をどう説明するのか。
護憲派は「憲法9条を守れ」「集団的自衛権反対」などと叫んでいるが、憲法9条を守ってきたのは、憲法学者でも、護憲派でもない。歴代の自民党政府と内閣法制局である。「自衛隊は戦力ではない」などという憲法解釈は、その最たるものであろう。
護憲派の多くは、自衛隊を毛嫌いしているが、自衛隊と日米安保条約こそが日本の平和を守ってきたことは、争う余地のない現実である。ところが護憲派学者は、日本の安全保障をどうするのか、まったく語っていない。安全保障論を語らずに、違憲論議だけを声高に叫ぶのは、無責任の誹りを免れないことを護憲派学者は自覚すべきであろう。
「平和主義」という言葉があるが、本来、何もしないということではないはずだ。「そもそもの『平和』という語が、『パックス』というラテン語から出ている」(佐伯啓思『従属国家論』PHP新書)そうである。「パックス・ロマーナ」とは、「ローマによる平和」であり、「パックス・アメリカーナ」は、「アメリカによる平和」である。国際社会の平和を保つためには力が不可欠であることは論をまたない。
もちろん戦争などは誰も望んではいない。戦争の悲惨さを繰り返すことは、愚挙である。だが愚挙がなくなるという保証はどこにもないのが、国際社会の現実である。そうであるなら矢野氏が指摘するように「国破れて憲法残る」になってはならないのである。
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