家族信仰の弊害を無視した憲法24条改悪「家族は互いに助け合わなければならない」
2015/9/30 17:56 messy
今月19日に成立した安保関連法が本日30日に公布されました。安保関連法案は公布から6カ月以内に施行されることになっており、来年3月までに施行日が決められます。2016年7月には参議院選挙が控えています。それまでに安保関連法案の評価および選挙後に着手すると予想される憲法9条改正についても、早めに議論を重ねていく必要があるでしょう。
しかし注視すべきは憲法9条の改正だけではありません。実は今、9条よりも優先的に改正されるのではないかと危惧されている憲法の条文があります。それが憲法第24条です。24条の改正については、以前より文化人類学・フェミニズムを専門としている山口智美さんが警鐘を鳴らしていましたが、先日「NAVERまとめ」が作成されていたので、この問題についてご存知ない方はまずこちらを一読すると理解が捗ります。
安保の次は「家族」! 自民党、右派が目論む24条改悪/「家族尊重条項」新設
http://matome.naver.jp/odai/2144350774655752201
◎現政権の価値観は戦中と同じ?
さて今月28日、歌手の福山雅治さんと女優の吹石一恵さんが入籍されたことが報道されました。翌日には、菅義偉官房長官がお二人の入籍について『直撃LIVE グッディ!』(フジテレビ)出演時に、「(福山の)結婚を機に、やはりママさんたちが、一緒に子供を産みたいとか、そういう形で国家に貢献してくれればいいなと思っています。たくさん産んでください」と発言し、問題視されています。「福山雅治氏の結婚で菅義偉官房長官『子供産んで、国家に貢献して』http://www.huffingtonpost.jp/2015/09/29/suga-fukuyama-masaharu_n_8217466.html」
その後、菅官房長官は記者会見で「結婚や出産が個人の自由であることは当然だ。子供を産みやすく、育てやすい社会を作るのが政府の役割だと思っている」と説明。「大変人気が高いビッグカップルなので、世の中が明るくなる。皆さんが幸せな気分になればいいなと思っている中での発言だった」と釈明しているのですが……。「菅官房長官:『出産で国家に貢献を』http://mainichi.jp/select/news/20150930k0000m010089000c.html」
言うまでもなく、結婚/出産をするか否かは個人の自由です。また結婚/出産を希望しているにもかかわらず、それらができない背景に社会的な要因があるのであれば、それを解消するのが政府の仕事でしょう。ですから「産みやすく、育てやすい社会を作るのが政府の役割」なのは大前提です。「芸能人の結婚」による「機運」で結婚/出産が急増するわけもありません。
菅官房長官の発言はタイミングからしても非常に軽卒なもので、批判を浴びるのも当然のことでした。安保関連法が成立したばかりの今、「(出産で)国家に貢献」という発言から、戦中の日本の「産めよ増やせよ」をスローガンとした人口政策と同種の匂いを感じてしまうのは自然なことだと思います。最近話題となった、改変されたグラフを使って「妊娠しやすさ」を示した副教材を高校生に配布したことも、このような価値観に通底しているとしか思えません(http://mess-y.com/archives/22099)。
◎「家族」ばかり強調する自民党の「日本国憲法改正草案」
前置きが長くなってしまいました。改正の可能性が囁かれている憲法24条は下記のようになっています。
日本国憲法 第二十四条
婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
24条は同性婚議論でも話題になったので、この条文が記憶にある読者もいるかと思います。同性婚議論では「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立」の「両性の合意」に、同性が含まれるのか(つまり男女だけでなく男男、女女など様々なカップルの場合も「両性の合意」と言えるのではないか、ということ)がひとつの争点となっています。この点については、「同性婚は憲法で禁止されていない? 少子化と同性婚を一緒くたに議論するナンセンス(http://mess-y.com/archives/19258)」でも取り上げられているのでぜひ一読下さい。
この24条を自民党はどのように改正しようとしているのか。平成24年に自民党が策定した「日本国憲法改正草案」では24条が下記のように書き換えられています。
(家族、婚姻等に関する基本原則)
第二十四条 家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。
2 婚姻は、両性の合意に基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
3 家族、扶養、後見、婚姻及び離婚、財産権、相続並びに親族に関するその他事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、規定されなければならない。
特に注目したいのは、「家族は、互いに助け合わなければならない」という記述です。この点について、自民党は「日本国憲法改正草案Q&A 増補版」で以下の様に見解を述べています。
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Q20. 現行24条について、「家族は、互いに助け合わなければならない」という一文が加えられていますが、そもそも家族の形に、国家が介入すること自体が危ういのではないですか?
答 家族は、社会の極めて重要な存在であるにもかかわらず、昨今、家族の絆が薄くなってきていると言われていることに鑑みて、24条1項に家族の規定を置いたものです。個人と家族を対比して考えようとするものでは、全くありません。
また、この規定は、家族の在り方に関する一般論を訓示規定として定めたものであり、家族の形について国が介入しようとするものではありません。
人権保障における家族の重要性は、国際的にも広く受け入れられている観点であり、世界人権宣言 16 条 3 項は「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位であり、社会及び国による保護を受ける権利を有する」と規定されています。草案の 24 条 1 項前段はこれを参考にしたものです。
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「家族の在り方に関する一般論」とのことですが、このQ&Aからは「家族の在り方」を明文化する必然性が見えてきません。申し訳程度に「昨今、家族の絆が薄くなってきていると言われている」と書かれているものの、実際に家族の絆が薄くなってきているのかどうか、過去と比較した明確なデータが存在するのでしょうか。家族の絆とはどのような定義なのでしょうか? そもそも家族の絆が希薄になることで、どのような問題が生じるのかですが、おそらく介護や育児など家庭内の誰かによる無償労働で成立してきたことが、家庭内で処理しづらくなっていることなどを自民党はイメージしているのではないでしょうか。
社会が「家族は助け合わなければいけない」という前提に立つことは、すなわち「家族同士で助け合えなくなってから、社会に助けを請うてくださいね」という要求になりかねません。少子高齢化が進み、介護の必要な高齢者が増える一方で担い手の若者が減少する中でも、「家族で面倒を見てください」ということで、公的な支援がどんどんやせ細っていく懸念があります。介護問題に限りません。障害・難病も同様でしょう。とりわけ健康問題に関しては誰もがリスクを抱えているものであり、事前に予想し十分な準備をすることも難しいものです。それを全て「家族で助け合う」ことはどう考えても無理があるのではないでしょうか。
さらに問題なのは、家族という関係性が決して「良いもの」だとは限らない点です。ドメスティックバイオレンスや虐待など、家族間の精神的、肉体的暴力で苦しんいる人たちがいます。「家族は助け合うもの」という前提の社会では、加害者であっても家族は家族ですから「助け合う」のが当然だとされて、被害者が家族から逃げられなくなってしまう、あるいは逃げることのハードルが今以上に高くなってしまうことが危惧されます。
特に、先ほど引用した自民党の「日本国憲法改正草案Q&A 増補版」の「家族に関する規定はどのように変わったのか」を問うQ19に返答する中には、「党内議論では、『親子の扶養義務についても明文の規定を置くべきである』との意見もありましたが、それは基本的に法律事項であることや、『家族は、互いに助け合わなければならない』という規定を置いたことから、採用しませんでした」とあります。明文化は避けられたものの、「家族は助け合うもの」の背景には、「親子の扶養義務」があるわけですね。「親が子供の面倒を見ることは当然だ」という社会通念は確かに存在していて、「世間」の「常識」化していますが、しかし、肉親が育児を行うことが、必ずしも子供にとっても幸せなことだとは限りません。
問題を抱えた親の場合、子供がどれだけの被害を被るか、家族信仰に浸る人々にはまだわからないのでしょうか。DV、性暴力、ネグレクトなど、問題を抱えた家庭においては、親がその問題行動を改善するよう「信じて」子供を親元に置いておくことが、社会のとる最善策とは言えません。肉親ではない大人による育児が望ましいケースは多々あるのです。難病患者や要介護者についても同様で、家族による介護ではなく公的な福祉を受けることが本人にとっても望ましい場合があります。「家族のつながり」を重要視するあまり、その家族を構成する「個人」が蔑ろにされてしまうとしたら、自民党のやろうとしていることは憲法改悪でしかありません。
冒頭で紹介したNAVERまとめで紹介されている、改憲派の百地章さん監修の『女子の集まる憲法おしゃべりカフェ』では、「今の憲法では『家族』よりも『個人』のほうが重い」ことが問題視されています。「個人」よりも「家族」が重視される社会は、生きづらいとしか思えないのですが……。
(水谷ヨウ)
投稿ありがとうございます。
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