宗教的な理由で『心が叫びたがってるんだ。』観てきました。
人生で初めて映画館に2回足を運んでしまいました…。
(この表情、これ、これですよ…)
開始20秒で「お、岡田麿里~!!」という感情に支配されて発狂しそうになったのですが、直後「坂上くんってキャラクターがGalileo Galileiのサークルゲーム聴きながら通学してる!!」と勝手なシンクロニシティを感じてニッコリしてしまい、結局2時間最後まで楽しんでしまいました。
特にミト(クラムボン)の劇伴が本当に良かった…。
『とらドラ!』、『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』と長井龍雪(監督)☓岡田麿里(脚本)☓田中将賀(キャラデザ) トリオの仕事も本作で3作目に入り、かなり手馴れてきた雰囲気を感じました。この3人でやる意味がよく出てきたと思います。
そこで『ここさけ』に至るにあたり、今こそ改めてメルクマールとなる主要な作品を振り返り、主に長井・岡田を中心とした作品性をもう少し具体化してみたいと思います。
要は「ここさけ楽しんだならこれも観るといいですよ!!!!」というオタク特有のお節介が今回のテーマです。今回は『とらドラ!』と『あの花』については割愛しました。
(タイトル横に参加している『ここさけ』主要スタッフを記載しています。敬称略。)
■『あの夏で待ってる』(長井・田中)
「どうしようもある!好きだって言えばいい!」
一生ものの想いを、一瞬の夏に。
長野県小諸市、ある夏に飛来してきた宇宙人。そこから4人の高校生たちの青春が動き出します。
キャラクターデザインのおかげもあってか、今回紹介する作品の中ではもっとも『ここさけ』に近い画面になっています。
過去から続く複雑な想いの交錯、軽快なテンポの会話劇、愛嬌のあるキャラクターたちが素晴らしい美術背景に映える名作。終始主人公が回し続ける8mmフィルムのハンディカメラが撮影し続けた映像には、最終話でノスタルジア以上の何かを解放します。
「過去と今に縛られ、どうしようもないと思っていた自分が、変わっていく」という点において、『ここさけ』にも通じるテーマか見てとれます。
1クールのオリジナル作品ながら視聴後に得られる爽やかは何者にも代えがたく、とても首尾よく完結した名作です。
2015年11月現在、バンダイチャンネルで見放題だ!
■『とある科学の超電磁砲』シリーズ(長井)
「能力があってもなくても、佐天さんは佐天さんです!!
私の親友なんだから!だから、だから…そんな悲しいこと、言わないで…!」
人気作『とある魔術の禁書目録』のスピンオフ作品。
『禁書目録』に比べて日常回が多く、登場人物や設定もわかりやすいので『禁書目録』を見てなくも大丈夫です。
「無能」にはどうしようもない悩みがあり、また「最強」にもどうしようもない問題がたちはだかる。その解法はすべて「仲間」が教えてくれる。
1期最終話タイトル”Dear My Friends”に、本作のテーマが集約されているとしても過言ではないでしょう。
長井監督の「仲間」への考え方が強く読み取れる作品です。
前半の初春にすごく長井イズムを感じます。
(佐天さんが倒れるところ以降は若干ネタバレ)
■『花咲くいろは』(岡田)
「私、輝きたいんです!」
『SHIROBAKO』の原点ともなった、働く女の子シリーズ第一弾。
母と娘、孫と子、先輩と後輩、母親がわりの長女…さまざまな立場の「女」を描いた本作もまた、岡田麿里らしさに満ちた作品です。
『ここさけ』でもそうですが、『母親は女である』ことを真正面から描くスタンスは、岡田麿里の世界観の特徴といえるでしょう。
舞台は金沢の温泉郷である一方、時折「東京」が描かれることによりけっしてこの物語が一地方の閉じた世界の話ではなく、誰にでも身近に起こりうる可能性を示しているともいえます。
リアリスティックに基づいた作品ながら、ちょっと恥ずかしいセリフが出てくるところがアクセントになっています。
完全新作の劇場版含め、こちらもバンダイチャンネルで見放題。
■『凪のあすから』(岡田・2期OP映像のみ長井)
「私ね、変わらなければいいと思ってたし、変わりたくないよ。それって無理かもしれない。難しいかもしれない。でも、それでも、私、変わりたくない。ずっと一緒がいい」
ファンタジー、ボーイミーツガール、しきたり、呪い。
『ここさけ』はしきたりと呪いの物語でした。
成瀬順の呪い、ふれ交という形骸化した行事、「野球部エースとチア部部長は付き合う」という引き継がれるしきたり…。
『凪あす』もまた、そこに潜む土地や血縁に縛られる呪われた人たちを描く作品であり、息を呑む美術背景の美しさがそれを生々しく浮き彫りにしています。
地上の人と海底の人という不思議な対立構造に見える物語は、日本的な「地方と都市」にも近い設定であり、前述した『花咲くいろは』にも同様の関係性を見出すことが可能でした。
岡田麿里はこうした制限や枷を与えた上でキャラクターを動かすのがお好みみたいです。その点ではキャラクターの過去に因縁を置く長井監督にも通ずるものがあるといえます。
■『true tears』(岡田)
「わたし、涙あげちゃったから…」
3人のまったくタイプの違う女子高生が登場する本作。
放送後数年に亘って地獄とも言うべき「真のヒロインは誰だ論争」が繰り広げられましたが、その後の顛末は誰も知りません。(どうやらすべて各々の心の中に回帰していった様子)
それだけに『true tears』では強烈なエゴイズムが遠慮なく描かれており、今見返しても作品の鮮烈さは霞むことはありません。
この『true tears』のエレメントを、私は『ここさけ』では仁藤菜月の以下のやりとりからひしひしと感じておりました。
(以下作中要旨)
楽曲の打ち合わせのために坂上の自宅に向かう成瀬と仁藤。
バスを降りるとまっすぐ坂上宅へ向かう成瀬。「坂上くんの家、知ってるの?」
「(うなづく)『曲をピアノで弾いてくれたんです』」
「えっ、坂上くん、ピアノ弾いたんだ…」
(ここまで要旨)
ここを『true tears』を以て因数分解すると以下のような解が生まれてしまいます。
「へぇ成瀬さんは坂上くんの家に行ったんだ私も行ったことないのにしかもピアノも弾いてくれたんだね私だってほとんど聞いたことないんだけどていうか本当に最近成瀬さんと仲良いよね私もう何年もまともに話できてないしアドレスだって知らないのに成瀬さんはいいよね結局坂上くんみたいなちょっとクラスで冴えないタイプの人って成瀬さんみたいなちょっと弱々しそうな不思議ちゃんが頑張ってるところに弱いんでしょ私だってそれくらいわかるけどこういう時になんで私もいるのに家で打ち合わせしようとか言いだしちゃうかなー私の気持ちとか本当にわかってくれてないんだねーでも立場的にも私がいい子にならないといけないよね委員長立場もつらいなーなんか坂上くんへの気持ちがどうとかじゃなくて成瀬さんにとられたくないって気持ちになってきちゃったなーー!!!!!」
普段いい子ほど何考えているかわかりませんね。
でもこうしたやりとりがあるからこそ、仁藤菜月がただの「いい子」に収まらず、ちゃんと4人の中でひとつの物語を担うべき存在となっているのではないでしょうか。
だいぶ前から『true tears』は見放題入ったままですね。
■おわりに
自分で書いていて自分の趣味がこの三人に起因した部分が非常に多いことに驚きました。
長井・岡田ペアはついにガンダムシリーズ最新作『鉄血のオルフェンズ』でもタッグを組み、その注目度は今最も高まりを見せているようです。
紹介した中から素敵な作品に出会えたら幸いです。
曖昧なことも単純こともみんな花びらのよう
漂いながら空を廻っているだけ 振り返らないで
(サークルゲーム/Galileo Galilei)
みんな頑張って生きるんだなあ。