最近、巨大化した組体操のリスクがニュースでも取り上げられるようになった。 それと関連して自分の過去の組体操について思い出したので、昨今の話とはちょっと違うが、書いておこうと思う。 1995年、福島県で国民体育大会、いわゆる国体が開催された。 これは当時子供だった私の世代にとって厄介なイベントだった。出場する選手や競技とは何の関わりもない子供達が駆り出されたからである。 国体が開催されるずっと前から福島の公立小中学校では体育の授業のかなりの時間は国体のための組体操、マスゲームのために費やされた。私の学年でやらされたのはタワーである。 学校によって色々事情は違うだろうが、私がいた学校では国体のためにかなりの授業時間が使われた。時には遠い競技場までバスで行って練習することさえあった。 これは体育の授業が好きな生徒にもそうでもない生徒にも大いに不評だったと記憶している。 何せ楽しみに全くつながらない上に自分達が国体の会場でやるわけでもない組体操をやらされるのだから当然である。 国体のための組体操の練習が授業に組み込まれたのは、国体開催の3年以上前からだ。 練習した生徒は、中学校であれば国体開催の時にはもう卒業していない。小学校でも練習した多くの生徒は卒業し、クラスが変わり、あるいは転校するだろう。 この早すぎる練習は何が目的なのかというと、純粋に後の生徒の実験台としてやらされていたのだ。練習させられた当の生徒にとってこれほど無駄な時間はなかった。 体育の授業では子供の身体能力の発達や競技とはほとんど関係ないことをやらされるという例の一つだと思う。2015-11-02
■組体操とふくしま国体の思い出