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【社会】「原爆の絵は語り部」 平和運動に尽力の村松七郎さん死去広島の被爆者がその体験を描き残した「原爆の絵」の展示を通じ、反戦・平和運動に尽力した千葉県船橋市の村松七郎(むらまつしちろう)さんが先月二十四日朝、老衰のため死去した。九十一歳。絵を悲劇を伝える「語り部」と位置付け、「とにかく、日本人全部に見てもらいたい」と展示開催に奔走した。一九八四年に船橋で初めて展示会を開催。毎夏に継続して開催する一方で各地にも広め、今年は県内十二地区で開催するまでに育てた。 (服部利崇) 親交のあった旧社会党の元衆院議員上野建一さん(84)は「草の根の市民運動家。貴重な人を失った」と悼んだ。 東京・浅草生まれ。四五年三月の東京大空襲で父と姉を失い、家も灰になったことが、運動の原点となった。軍隊経験もあった。 画家を志し、岡本太郎さん、安部公房さんらと「世紀の会」で前衛芸術活動も行った。子ども好きで、五九年から船橋の自宅で児童画教室を主宰。千人を超える子どもたちに、表現することの喜びと大切さを伝えてきた。 原爆の絵と出合ったのは八〇年ごろ。被爆者が記憶をたどって描いた作品を集めた画集だった。被爆から三十年は経過しているのに、その生々しさに「名状しがたい衝撃におそわれた」。 村松さんは本物を見たいと、すぐに管理する広島平和記念資料館を訪ね、展示したいと申し出た。ただ原画二千二百二十五枚の紙質は一定でなく、保管の難しい作品も。貴重な上、NHKが集めた作品でもあり、資料館は難色を示した。 PR情報
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