『日本美術全集19 拡張する戦後美術』の責任編集を務められた、椹木野衣(多摩美術大学教授)先生にお話しを伺ってきました。
戦後70年の節目にあたる今年(2015年)8月25日に刊行となった『日本美術全集19 拡張する戦後美術』にはどんな思いが込められているのでしょうか。4回にわたって記事をお届けしますので、じっくりお読みください。
『日本美術全集19』ケース表 |
Tak:さっそく、お話を聞かせていただきたいのですけれども、いつ頃この19巻の責任編集の依頼があったのでしょうか。
椹木野衣:何年くらい前ですかね。震災より後だったと思います。編集委員の山下裕二先生や編集長からそれぞれメールが来て、引き受けますと返事をしたのが、東北の震災の少しあと、2011年の秋頃だったと思います。はっきりとは覚えていないのですが、とにかく考えるというよりは、それなら是非やりたい!と思ったもので。
Tak:ご自身としては、大変乗り気だったわけですね。『日本美術全集』では戦後が二巻に分かれていますが、椹木先生のパート(第19巻の責任編集と第20巻の作品選定など)と後の山下先生のパート(第20巻の責任編集と第19巻の作品選定など)は、相談しながら決めたのですか?
『日本美術全集19』ケース裏 |
椹木:山下先生に最初から、自分は現在・未来の20巻を担当するので、戦後美術の19巻を担当して欲しいと依頼されました。でも、一般的には逆だと感じる人が多いかと思います。つまり、僕が現在・未来の20巻をやって山下先生が戦後の19巻を担当するほうが自然かもしれないけど、そこは敢えて逆にしていると山下先生が言っていたので、なるほどそれもたしかに面白いなと思いました。
Tak:19巻の「はじめに」(『日本美術全集』の公式サイトで公開されています)にもあったのですが、お読みになられてない方もいらっしゃると思いますので、もう一度、1995年で戦後を「線引き」された理由をお聞かせいただけますか。
椹木:戦後美術を扱ううえで戦後はいつまでなのかということが今までずっと議論されてきました。はじまりが1945年、終戦の年ということは誰もが一致しているスタート地点ですが、いつまでが戦後なのかということが大事な話で、これは人によってまちまちです。文字通りとれば、ポストWARなので、今だって戦後だし、10年たっても20年たっても100年たっても戦後なわけだから、どこかでやはり切らなければなりません。ましてやこの後に20巻が控えていますので。
Tak:それは難しい問題ですね。それも椹木先生ご自身が決められたのですか。
椹木:はい。僕が戦後の美術に関して評論を書くようになったのは『日本・現代・美術』(新潮社、1998年)という本が最初で、そのときにはじめて戦後を意識し始め、批評の方向性も変えました。
Tak:戦後に注目されるようになった、きっかけは何かあったのですか。
椹木:きっかけはずばり、1995年に起きた阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件です。その二つが僕にとってはとてもインパクトが強く、批評の方向性に大きく影響しました。1995年は戦後50年にあたる節目の年で、本来であれば、いろいろと回顧する記念すべき年なのでしょうが、その年の1月の上旬に、早々にして神戸を中心とする地域が壊滅的被害を受け、戦後を振り返る以前に、そもそも、日本列島はいつ地震が起こってもおかしくない場所なのじゃないかと改めて気付かされました。もう一つはオウム真理教の事件(地下鉄サリン事件)が3月に起きたことです。これもアンダーグラウンドでしたし、日本列島の“地面の中”で何かが起きていると思わざるを得ませんでした。
Tak:確かに関東大震災以降、都市部において大きな地面の揺れは少なく、地震に対する危機意識が薄れていたのは事実ですね。
椹木野衣先生 |
椹木:それで、いわゆる戦後といわれている期間に起きた地震を調べたところ、大きな地震は、1948年の福井地震を最後に起きていないことがわかりました。福井地震は、それまでの震度では測れないくらいの大きな揺れで、震度7が作られるきっかけにもなりましたが、それ以降、震度7にあたる地震はなく、阪神淡路大震災で初めて使われたのですね。つまり、1948~95年のあいだはそこまで大きい地震が起きていなかったことになります。もちろん美術史である以上、歴史を作品で見ていますが、しかし、どのような作品もある特定の場所にあるわけで、その特定の場所を支えている地面の動きと戦後、そして作品が連動しているのではないかと思うに至りました。戦後は、地震の静穏期というか、活発な地殻変動が起きなかった時代なのです。
Tak:地面の大きな揺れがない安定した時代だったのですね。
椹木:そうですね。さらに加えるならば、戦後の日本の高度経済成長はアメリカの抑止力のなかで、軍事などに力を注ぐことなく、経済活動に邁進できたから成し遂げられたというのが一般的な論ですが、もっと根本的には大きな災害が起こらなかったからこそ復興とか被災を考えずに、経済成長に特化できたとも考えられます。そのなかでオリンピックもあったし、万博も開催されたわけです。一方、負の側面でいえば、原子力発電所が54基も建ちました。これは、大きな地震が頻繁に起こっていたらとてもできません。だからいろんな意味で95年までの50年間が一つ大きなブロックになっていると思うに至り、それで戦後を敗戦から95年までにしようと思ったのです。この区切りを編集会議に出して、「なるほど、それはわかりやすい!」となり、進めていくことになりました。
Tak:今のお話だけを読者の皆さんに伝えても、十分納得が得られ、この19巻の意味合いが伝わりますね。何も起こらない、静かだったからこそ経済も発展したし、経済が発展しないと美術もなかなか難しいものがありますから、こんなに豊穣な作品が生まれたという捉え方ができますからね。
こうして『日本美術全集』における戦後の区切りが決まりました。次は肝心の作品選定です。次回は椹木先生がどのような基準で19巻に載せる作品を選ばれたのかお聞きします。
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