ニュース詳細
「命のビザ」記憶遺産申請に向けイスラエル訪問11月3日 4時52分
k10010292561_201511030528_201511030528.mp4
第2次世界大戦中、ユダヤ人にビザを発給して多くの命を救った外交官杉原千畝の関係資料をユネスコの「記憶遺産」に申請するのに向けて、杉原の出身地である岐阜県八百津町の町長がイスラエルを訪問し、現地の関係機関などに資料収集での協力を求めました。
杉原千畝はリトアニア駐在の日本の外交官だった第2次世界大戦中、ナチス・ドイツの迫害を逃れるユダヤ人に人道上の立場から日本の通過ビザを発給し、およそ6000人の命を救ったとされています。
杉原の出身地である岐阜県八百津町では、この関係資料を来年、ユネスコの「記憶遺産」に申請する準備を進めています。八百津町の赤塚新吾町長はイスラエルを訪問し、2日、杉原が発給したビザで家族と日本に逃れたというニナ・アドモニさん(82)とテルアビブで面会しました。アドモニさんは赤塚町長に自らがまとめた自分史を手渡し、「ビザが発給されてしばらくたったあと、両親は他の親族を襲った悲劇を知りビザの重さを知ったのです。ビザがなければ私は存在していません」と語りました。
このあと、赤塚町長はエルサレムにあるホロコースト記念館を見学し、関係資料の情報提供などについて協力を求めました。赤塚町長は「平和や命の大切さを伝えていくためにさらに生存者の方に話を聞き、資料の収集にあたっていきたい」と話していました。
杉原の出身地である岐阜県八百津町では、この関係資料を来年、ユネスコの「記憶遺産」に申請する準備を進めています。八百津町の赤塚新吾町長はイスラエルを訪問し、2日、杉原が発給したビザで家族と日本に逃れたというニナ・アドモニさん(82)とテルアビブで面会しました。アドモニさんは赤塚町長に自らがまとめた自分史を手渡し、「ビザが発給されてしばらくたったあと、両親は他の親族を襲った悲劇を知りビザの重さを知ったのです。ビザがなければ私は存在していません」と語りました。
このあと、赤塚町長はエルサレムにあるホロコースト記念館を見学し、関係資料の情報提供などについて協力を求めました。赤塚町長は「平和や命の大切さを伝えていくためにさらに生存者の方に話を聞き、資料の収集にあたっていきたい」と話していました。