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夫婦喧嘩をしたときに思い出す言葉

*1

昨日ひさしぶりに派手な喧嘩をしたので、そういうときいつも思い出す継母の言葉を書く。

 

わたしの両親の喧嘩は派手だった。モラハラDV酒乱と三冠王な父と、支配的操作的考えなしの母の間には、喧嘩の種がつきなかった。しかも二人は若かった。喧嘩がはじまると父の怒声と母の金切り声をベースにさまざまな破壊音が続く。ガラスが割れ、陶器が砕け、壁やドアに穴が開く。身体が壁や床にぶつかる音、そして弟、妹の泣き声。美丈夫の父と美女の母の喧嘩には微笑ましいところが少しもなく、ただただ悲惨で恐ろしかった。

 

こうした喧嘩のあと母は実家へ泣きながら長電話をかけるのだけれど、問答無用で実家へ帰ってしまうこともよくあった。母はわたしの洋服ダンスの奥に家出道具一式とへそくりをしまっており、学校から帰って母がいないときは箪笥の奥を見た。家出グッズがなくなっているときは母は飛行機の距離にある実家へいってしまっている。学校へ迎えにきてそのままわたしたちも母方の祖父母の家へ連れていかれることもあった。それで転校したこともある。「お袋が実家へ帰るのは年中行事やった」と後に弟はいった。

 

こういう家で育つと子供たちは「自分はぜったい喧嘩をしない夫婦になる」と固く決意する。しかし仲良く暮らすために必要なのは「喧嘩をしない」技術ではなく「仲直りをする」技術だ。これはどこから学べばいいのか。

 

わたしは家を出てからキリスト教に帰依するなどして、かなり温和な性質を身につけたつもりだった。右の頬を打たれたら左の頬を差し出す。平和を愛するものの間に主はおられるのです。結婚してすぐにわかったことは、これらを友人、知人に対して実践することは、家族に対して実践するよりずっとたやすいということだった。かくしてわたしは親譲りの喧嘩上等な妻になった。ショックだった。

 

しかしそんなとき思い出すのは両親ではなく、父が三回目の結婚で娶った継母のことだった。継母と出会っていなかったら、わたしはいまもちおと一緒に暮らしているかどうかわからない。

 

三人目の妻 

継母は中学生のころ父に出会った。当時継母の両親が経営していた新宿の飲み屋に大学生の父がよく飲みにきていたのだそうだ。
「宿題をしていると『教えてやろうか』っていうから、『教えていらない。やって』っていってやってもらったわよ」
と継母はいう。継母はちゃきちゃき、てきぱき、竹を割ったような少女だった。いまもそうだ。

 

父が二度目の結婚をしたころ、わたしは継母が親から継いだ店で彼女に会った。彼女はわたしの父を「あんないい男はいない」と絶賛した。
「あんたたちはまだ子供だからわからないのよ」

「そうでしょうか」

「そうよ!」

「いやー・・・一緒に暮らしたら考え変わると思うな」

「そんなこと、ない!」
果たして父は二度目の離婚後に彼女と結婚した。

 

当初わたしは今度の結婚は何年持つだろうかと考えていた。わたしだけでなくみながそう思っていた。父の三冠王と浮気性がなおるとは思えない。しかし継母はさまざまな問題に気丈に立ち向かい、妻の座を誰にも明け渡さなかった。

「あの人を嫌いになったらすぐに出て行くわよ。でもね、まわりがいろいろ言ったり、会社が上手くいかなかったり、そんなことで別れたりするもんですか」
「ここで逃げたら女が廃るってもんよ」
あんな人とまともに暮らせる人がいるのか。そんなことってあるだろうか。父は、変わったのだろうか。

 

言い争い→喧嘩→予想外

そうではなかった。父はわたしが帰省する短い間にもちょっとしたことで継母と大喧嘩をはじめることがあった。

父を車に待たせてケーキを買って戻る。ほんの10分足らずで車に戻ると父がブチ切れている。
「おまえら俺を待たせて店でなに話しているんだ」
「なにも話していないわよ。リボンをかけますか、っていわれたからいいです、っていっていたの」
「いいや、おまえたちは長話をしていた!」
父の猜疑心と怒りは狂信的だった。いま思えばアルコールが切れてイラついていたのだと思う。わたしは恐怖といたたまれなさにすくみあがって黙る。緊迫した車内で重い沈黙とともに家に帰り着く。とてもケーキを食べるどころではない。こういうことはむかしからよくあった。実母は起きた出来事をひきずるタイプで、怒りの矛先は娘に向かうこともあった。

 

しかし継母は荒々しくドアを閉めて出て行く父を尻目に「まったくカッカしちゃって馬鹿みたい」と肩をすくめ、「ケーキ、食べましょう」といそいそ紅茶をいれるような人だった。そしてひとまわりして何食わぬ顔で帰ってきた父に「おかえりなさい。あなたもケーキ食べる?」と明るく声をかけた。

「うん・・・ちょっと頭が痛くてな」

「へー。カッカしすぎなんじゃない?」

紅茶をそそぎながら絶妙なタイミングでちくりと小言をいうことも忘れない。次の瞬間にはなにごともなかったようにケーキをつついている。一枚上手だ。

 

そうして何度か継母と父が言い争いをはじめるのを見た。継母も黙ってはいない。二人の声がボリュームアップしはじめると次は破壊音がくるぞ、と身構える。いやだな。帰ってこなければよかった。しかし予想に反してしばらくすると階下からは笑い声が聞こえてくるのだった。二人はうやむやに和解して、キャッキャウフフといちゃついているらしかった。

 

弟は最後まで親元におり、言い争う二人の間に割って入ったこともあったと継母に聞いた。
「『どきなさい』っていったの。『この人があたしに指一本でもふれることがあったら、あたしは実家へ帰る』って」
「『これは意見の調整なの。夫婦には意見を調整しなくちゃいけないときがあるの』って、あたしそういったのよ」

 

父は継母めがけてグラスを投げたこともあった。
「ちゃんと外してるのよ。あたしに当たらないように。やさしいの。それなのにバカみたい」
と継母はいった。「あの人のなかに鬼がいるのよ。それがときどきどうしようもなく暴れるの」

 

個人的マントラ

これは父が懐深い妻によって改心したという話ではない。継母は一途に夫を信じる純真な妻というわけでもなく、海千山千蛇の道は蛇という空恐ろしい面をもった女性でもある。
それでもわたしはこの二人の姿を見て、「夫婦は喧嘩をしてもいいんだ」と思うようになった。喧嘩のたびに何かがどんどんダメになるというわけじゃないんだ、人間関係は修復可能なのだと知った。これは意見の調整なの。夫婦には意見の調整が必要なの。

 

そのようなわけでわたしは今日もちおと和解した。これからも喧嘩をすると思う。スマートに意見の調整が出来るとは限らない。でも夫婦でいる間、あの継母の言葉を思い出して、絶望しないでいようと思う。


kutabirehateko.hateblo.jp

*1:喧嘩の原因はこれじゃないです。