日本語は素敵な言葉です。
ルールがむつかしいとか漢字が面倒くさいとか、意見は色々あると思いますが、個人的には世界で一番素敵な言葉だと思っています。
そんな素敵な日本語は、日本語でしか表現できない言葉を生み出しました。
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筆者は世界の美しい光景や場所を見るたびに、日本語にしかない言葉でその感動を表現してしまうことも結構多くて、海外にいながら「日本語っていいな」って何度も思ったものです。
というわけで、今回は世界の言葉ではいい表せない日本語を紹介していきます。
わびさび
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海外の言葉に訳せない日本語の代表格がこの「わびさび」。
質素で簡素な美しさといった意味合いです。抽象的で、日本人でも感覚でしかつかめない言葉ではありますが、多くの日本人が「わびさび」の美しさを感じることができると思います。
意外かもしれませんが、海外のさびれた町やちょっとした公園などが、良い感じのわびさびを感じさせてくれます。
もったいない
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実は「もったいない」という言葉も海外の言葉では表現できない単語の一つ。海外ではそのまま「mottainai」と表記されています。
ケニアの環境保全家のワンガリ・マータイさんが「mottainai」を標語に環境保全運動を進めたことで世界的に知られる単語となりました。
切ない
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「切ない」は海外の言葉ではほとんど表現できない単語です。
強いていうなら、ポルトガル語のサウダージ(saudade)などが意味合いとしては近いですが、胸が締め付けられるような、あのぐっとくるなんともいえない感じは日本語の「切ない」でしか表現しきれない感じがします。
出会いや別れが多い海外旅行中には何度も「切ない」思いをしてしまいますよね。
一人称(僕、私、俺など)
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実は日本語ほど一人称が多い言語は世界的にもほとんどありません。しかし、一人称のイメージって日本語では結構大事ですよね。
たとえば、「僕」や「私」などの一人称は真面目な雰囲気を感じさせたり、俺やアタシなんて一人称はフランクな感じの印象を感じさせたりしますよね。
この一人称の印象を海外の人にも分かってもらえたら・・・僕がどれほど真面目かわかってもらえると思うのですが(笑)
初心
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アップル創業者のスティーブ・ジョブズ氏は、初心という言葉を「日本にある素晴らしい言葉」と褒めたたえました。
初心忘れるべからず、なんて日本では耳にタコができるほど聞いたありふれた言葉が、世界からすれば珍しくて素晴らしい言葉だったのです。
普段何気なく日本語を使っていると気が付かないですが、確かに初心って忘れてはいけないとってもいい言葉ですよね。
まとめ
海外を長く旅行していると、日本語から自分がどんどん離れていくのを感じます。
コミュニケーションは英語やスペイン語が主だし、字を書くこともあまりありません。だから、単純に日本語に触れている時間が短くなってしまうんですね。
でも、それってちょっと寂しいですよね。だから、ぜひ海外に長く滞在してもたまには、日本語を思い出してあげてください。
海外には無い美しい日本語を思い出しながら、ちょっと「切ない」思いをするのも大事な思い出になるはずですから。
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尾道市(広島県)
尾道三山と対岸の島に囲まれた尾道は,町の中心を通る「海の川」とも言うべき尾道水道の恵みによって,中世の開港以来,瀬戸内随一の良港として繁栄し,人・もの・財が集積した。その結果,尾道三山と尾道水道の間の限られた生活空間に多くの寺社や庭園,住宅が造られ,それらを結ぶ入り組んだ路地・坂道とともに中世から近代の趣を今に残す箱庭的都市が生み出された。迷路に迷い込んだかのような路地や,坂道を抜けた先に突如として広がる風景は,限られた空間ながら実に様々な顔を見せ,今も昔も多くの人を惹きつけてやまない。
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滋賀県(大津市,彦根市,近江八幡市,高島市,東近江市,米原市)
穢れを除き,病を癒すものとして祀られてきた水。仏教の普及とともに東方にあっては,瑠璃色に輝く「水の浄土」の教主・薬師如来が広く信仰されてきた。琵琶湖では,「水の浄土」を臨んで多くの寺社が建立され,今日も多くの人々を惹きつけている。また,くらしには,山から水を引いた古式水道や湧き水を使いながら汚さないルールが伝わっている。湖辺の集落や湖中の島では,米と魚を活用した鮒ずしなどの独自の食文化やエリなどの漁法が育まれた。多くの生き物を育む水郷や水辺の景観は,芸術や庭園に取り上げられてきたが,近年では,水と人の営みが調和した文化的景観として,多くの現代人をひきつけている。ここには,日本人の高度な「水の文化」の歴史が集積されている。
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石川県(七尾市,輪島市,珠洲市,志賀町,穴水町,能登町)
あか日本海文化の交流拠点である能登半島は独自の文化を育み,数多くの祭礼が行われてきた。その白眉はキリコ祭りと総称される灯籠神事。夏,約200地区で行われ,能登を照らし出す。日本の原風景である素朴な農漁村で神輿とともに,最大で2トン,高さ15mのキリコを担ぎ上げ,激しく練り回る。祇園信仰や夏越しの神事から発生した祭礼が,地区同士でその威勢を競い合う中で独特な発展をし,そしてこれほどまでに灯籠神事が集積をした地域は唯一無二。夏,能登を旅すればキリコ祭りに必ず巡り会えると言っても過言ではなく,それは神々に巡り会う旅ともなる。
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福井県(小浜市,若狭町)
み け つ くに若狭は,古代から「御食国」として塩み け つ くにや海産物など豊富な食材を都に運び,都の食文化を支えてきた地である。また,大陸からつながる海の道と都へとつながる陸の道が結節する最大の拠点となった地であり,古代から続く往来の歴史の中で,街道沿いには港,城下町,宿場町が栄え,また往来によりもたらされ た祭礼,芸能,仏教文化が街道沿いから農漁村にまで広く伝播し,独自の発展を遂げた。近年「鯖街道」と呼ばれるこの街道群沿いには,往時の賑わいを伝える町並みとともに,豊かな自然や,受け継がれてきた食や祭礼など様々な文化が今も息づいている。
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京都府(宇治市,城陽市,八幡市,京田辺市,木津川市,宇治田原町,和束町,南山城村)
お茶が中国から日本に伝えられて以降,京都・南山城は,お茶の生産技術を向上させ,茶の湯に使用される「抹茶」,今日広く飲まれている「煎茶」,高級茶として世界的に広く知られる「玉露」を生み出した。この地域は,約800年間にわたり最高級の多種多様なお茶を作り続け,日本の特徴的文化である茶道など,我が国の喫茶文化の展開を生産,製茶面からリードし,発展をとげてきた歴史と,その発展段階毎の景観を残しつつ今に伝える独特で美しい茶畑,茶問屋,茶まつりなどの代表例が優良な状態で揃って残っている唯一の場所である。
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岐阜市(岐阜県)
戦国時代,岐阜城を拠点に天下統一を目指した織田信長。彼は戦いを進める一方,城内に「地上の楽園」と称される宮殿を建設,軍事施設である城に「魅せる」という独創性を加え,城下一帯を最高のおもてなし空間としてまとめあげる。自然景観を活かした城内外の眺望や長良川での鵜飼観覧による接待。冷徹なイメージを覆すような信長のおもてなしは,宣教師ルイス・フロイスら世界の賓客をも魅了した。信長が形作った城・町・川文化は城としての役割を終えた後も受け継がれ,現在の岐阜の町に息づいている。
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津和野町(島根県)
幕末の津和野藩の風景等を記録した「津和野百景図」には,藩内の名所,自然,伝統芸能,風俗,人情などの絵画と解説が 100 枚描かれている。明治以降,不断の努力によって町民は多くの開発から街を守るとともに,新しい時代の風潮に流されることなく古き良き伝統を継承してきた。百景図に描かれた当時の様子と現在の様子を対比させつつ往時の息吹が体験できる稀有な城下町である。
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明和町(三重県)
古代から中世にわたり,天皇に代わって伊勢神宮の天照大神に仕えた「斎王」は,皇女として生まれながら,都から離れた伊勢の地で,人と神との架け橋として,国の平安と繁栄を願い,神への祈りを捧げる日々を送った。斎王の宮殿である斎宮は,伊勢神宮領の入口に位置し,都さながらの雅な暮らしが営まれていたと言われている。地元の人々によって神聖な土地として守り続けられてきた斎宮跡一帯は,日本で斎宮が存在した唯一の場所として,皇女の祈りの精神を今日に伝えている。
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三朝町(鳥取県)
三徳山は,山岳修験の場としての急峻な地形と神仏習合の特異の意匠・構造を持つ建築とが織りなす独特の景観を有しており,その人を寄せ付けない厳かさは1000年にわたって畏怖の念を持って守られ続けている。参拝の前に心身を清める場所として三徳山参詣の『拠点を担った三朝(みささ)温泉』 は,三徳山参詣の折に白狼により示されたとの伝説が残り,温泉発見から900年を経て,なお,三徳山信仰と深くつながっている。今日,三徳山参詣は,断崖絶壁での参拝により「六根(目,耳,鼻,舌,身,意)」を清め,湯治により「六感(観,聴,香,味,触,心)」を癒すという,ユニークな世界を具現化している。
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太宰府市(福岡県)
大宰府政庁を中心としたこの地域は,東アジアからの文化,宗教,政治,人などが流入・集積するのみならず,古代日本にとって東アジアとの外交,軍事の拠点でもあり,軍事施設や都市機能を建設するのに地の利を活かした理想の場所であった。現在においても大宰府跡とその周辺景観は当時の面影を残し,宗教施設,迎賓施設,直線的な道や碁盤目の地割跡は,1300年前の古代国際都市を現代において体感できる場所である。
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愛媛県・高知県・徳島県・香川県(各県内 57 市町村)
弘法大師空海ゆかりの札所を巡る四国遍路は,阿波・土佐・伊予・讃岐の四国を全周する全長1400キロにも及ぶ我が国を代表する壮大な回遊型巡礼路であり,札所への巡礼が1200年を超えて継承され,今なお人々により継続的に行われている。四国の険しい山道や長い石段,のどかな田園地帯,波静かな海辺や最果ての岬を「お遍路さん」が行き交う風景は,四国路の風物詩となっている。キリスト教やイスラム教などに見られる「往復型」の聖地巡礼とは異なり,国籍や宗教・宗派を超えて誰もがお遍路さんとなり,地域住民の温かい「お接待」を受けながら,供養や修行のため,救いや癒しなどを求めて弘法大師の足跡を辿る四国遍路は,自分と向き合う「心の旅」であり,世界 でも類を見ない巡礼文化である。
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明日香村・橿原市・高取町(奈良県)
日本が「国家」として歩み始めた飛鳥時代。この日本の黎明期を牽引したのは女性であった。この時代の天皇の半数は女帝であり,彼女たちの手によって,新たな都の造営,外交,大宝律令を始めとする法制度の整備が実現された。また,文化面では,女流歌人が感性豊かな和歌を高らかに詠い上げ,宗教面では, 尼僧が仏教の教えを広め,発展させるなど,政治・文化・宗教の各方面で女性が我が国の新しい “ かたち ” を産み出し,成熟させていった。日本国創成の地である飛鳥は,日本史上,女性が最も力強く活躍した場所であり,その痕跡が色濃く残る地である。
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水戸市(茨城県)・足利市(栃木県)・備前市(岡山県)・日田市(大分県)
我が国では,近代教育制度の導入前から,支配者層である武士のみならず,多くの庶民も読み書き・算術ができ,礼儀正しさを身に付けるなど,高い教育水準を示した。これは,藩校や郷学,私塾など,様々な階層を対象とした学校の普及による影響が大きく,明治維新以降のいち早い近代化の原動力となり,現代においても,学問・教育に力を入れ,礼節を重んじる日本人の国民性として受け継がれている。
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群馬県(桐生市,甘楽町,中之条町,片品村)
古くから絹産業の盛んな上州では,女性が養蚕・製糸・織物で家計を支え,近代になると,製糸工女や織手としてますます女性が活躍した。夫(男)たちは,おれの「かかあは天下一」と呼び,これが「かかあ天下」として上州名物になるとともに,現代では内に外に活躍する女性像の代名詞ともなっている。「かかあ」たちの夢や情熱が詰まった養蚕の家々や織物の工場(こうば)を訪ねることで,日本経済を,まさに天下を支えた日本の女性たちの姿が見えてくる。
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高岡市(富山県)
高岡は商工業で発展し,町民によって文化が興り受け継がれてきた都市である。高岡城が廃城となり,繁栄が危ぶまれたところで加賀藩は商工本位の町への転換政策を実施し,浮足立つ町民に活を入れた。鋳物や漆工などの独自生産力を高める一方,穀倉地帯を控え,米などの物資を運ぶ良港を持ち,米や綿,肥料などの取引拠点として高岡は「加賀藩の台所」と呼ばれる程の隆盛を極める。町民は,固有の祭礼など,地域にその富を還元し,町民自身が担う文化を形成した。純然たる町民の町として発展し続け,現在でも町割り,街道筋,町並み,生業や伝統行事などに,高岡町民の歩みが色濃く残されている。④
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篠山市(兵庫県)
かつて城下町として栄えた丹波篠山の地は,江戸時代の民謡を起源とするデカンショ節によって,地域のその時代ごとの風土や人情,名所,名産品が歌い継がれている。地元の人々はこぞってこれを愛唱し,民謡の世界そのままにふるさとの景色を守り伝え,地域への愛着を育んできた。その流れは,今日においても,新たな歌詞を生み出し新たな丹波篠山を更に後世に歌い継ぐ取組として脈々と生き続けており,今や300番にも上る「デカンショ節」を通じ,丹波篠山の街並みや伝統をそこかしこで体験できる世界が展開している。
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長崎県(対馬市,壱岐市,五島市,新上五島町)
日本本土と大陸の中間に位置することから,長崎県の島は,古代よりこれらを結ぶ海上交通の要衝であり,交易・交流の拠点であった。特に朝鮮との関わりは深く,壱岐は弥生時代,海上交易で王都を築き,対馬は中世以降,朝鮮との貿易と外交実務を独占し,中継貿易の拠点や迎賓地として栄えた。その後,中継地の役割は希薄になったが,古代住居跡や城跡,庭園等は当時の興隆を物語り,焼酎や麺類等の特産品,民俗行事等にも交流の痕跡が窺える。国境の島ならではの融和と衝突を繰り返しながらも,連綿と交流が続くこれらの島は,国と国民と民の深い絆が感じられる稀有な地域である。
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人吉市・錦町・あさぎり町・多良木町・湯前町・水上村・相良村・五木村・山江村・球磨村(熊本県)
人吉球磨の領主相良氏は,急峻な九州山地に囲まれた地の利を生かして外敵の侵入を拒み,日本史上稀な「相良700年」と称される長きにわたる統治を行った。その中で領主から民衆までが一体となったまちづくりの精神が形成され,社寺や仏像群,神楽等をともに信仰し,楽しみ,守る文化が育まれた。同時に進取の精神をもってしたたかに外来の文化を吸収し,独自の食文化や遊戯,交通網が整えられた。保守と進取,双方の精神から昇華された文化の証が集中して現存している地域は他になく,日本文化の縮図を今に見ることができる地域であり,司馬遼太郎はこの地を「日本でもっとも豊かな隠れ里」と記している。