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【社会】伝染病と闘った先人描く 戦後ドイツで診療の肥沼医師を絵本に
第二次世界大戦直後、ドイツで発疹(はっしん)チフスなどの伝染病患者らの治療に尽力した東京都八王子市出身の肥沼信次(こえぬまのぶつぐ)医師(一九〇八〜四六年)を描いた絵本が出版された。物語を書いたのは、大学の後輩に当たる医師の中村進一さん(74)。「八王子の子どもたちに、偉大な先人がいることを知ってほしい」と百四十三冊を市に寄贈した。 (村松権主麿) 肥沼医師は同市の開業医の長男として生まれ、旧府立二中(現都立立川高校)から日本医科大に進み、東京帝大医学部で研究した後、三七年から放射線学を学ぶためドイツに留学。大戦末期にベルリン近郊のウリーツェン市に移り、ドイツ敗戦後は避難民や住民にまん延していた発疹チフスなどの対応に取り組んだ。 極端に医師が不足する中、現地に開設された伝染病医療センターの責任者に任命され、助手一人と十人ほどの看護師と共に、昼夜を問わず患者の診療に当たった。だが、自らもチフスにかかり、三十七歳で死去した。 ウリーツェンは旧東ドイツにあり、八九年の「ベルリンの壁」崩壊後、地元の郷土史家らの調査により肥沼医師は知られるようになった。九四年、同市の名誉市民となり、市庁舎の正面玄関には功績をたたえる「記念銘板」が掲げられた。二〇〇〇年には八王子で集められた寄付などにより、市内に大理石の記念碑も建てられた。 皮膚科医の中村さんも日医大卒で、八王子市内の病院に勤務したことがある。江東区在住で、墨田区内の皮膚科医院で副院長を務める傍ら、「中村智恵(ちえ)」のペンネームで執筆活動を続けている。十年近く前、肥沼医師のことを知人から聞き、「そんな先輩がいたんだ」と驚き、調べ始めた。 「野口英世に比べ知られていないが、戦後もあえて帰国せず、学者でありながら臨床医としてドイツのために働いた立派な人。現地では今も慕われている」。昨年三月に功績を物語にまとめ、新書判で出版した。 しかし、「子どもたちには分かりにくい。もっと関心を持ちやすい書き方をしよう」と考え、現地の男の子が肥沼医師のことを図書館で調べたり、知り合いだったおばあさんから思い出を聞く物語を創作。今年八月、「ヴリーツェンの風のなかで」と題し出版した。 絵本寄贈は十月中旬、八王子市役所で受領式が行われ、石森孝志市長は中村さんに「こういう偉大な人がいたことを縁に、向こうの行政や市民と交流したい」と話した。絵本は市立小学校や中学校、図書館などに贈られた。二千円で販売中。問い合わせは開発社=電03(3983)6052=へ。 ◆絵本のあらすじ少女の霊に導かれ、肥沼医師の墓碑にたどり着いた少年が、図書館で医師について調べ始め、伝染病の治療に尽力して亡くなったことを知る。医師の治療を受けたというおばあさんに話を聞くと、献身的な治療で多くの人が救われたと回想。医師は自分のことを話さなかったが、「日本の桜の咲く姿はとても美しく奇麗なので みんなに見せてあげたいな」と話していたという。少年を導いた少女については、医師の身の回りの世話をしていた女性の子どもだったと想像する。 PR情報
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