おはようございます。私です。
気温が下がり、肌寒くなってくれば良いこともあって。
足の間に長男・猫、左の脇に三男・犬。
仲良く、いや互いに暖を求めて、塊になって寝ていました。起きましたおはよう。
(左が三男、右が入院中!)
猫と黒いの。二人はけっこう自由な性格。
一人でも、私がいなくても、それこそ精神的には一見大丈夫な仔たち。
換言すれば、一つの自立は出来ていますが、
それでも愛玩化された動物なので、守って養ってあげる誰かは、必要でしょう。
猫もね、例えば一日飼い主が家を空け、帰宅すれば、ずっとそばにいます。
日帰りでも、帰宅すれば、必ず玄関まで、迎えに来てくれる。ひっそりと。
犬はもう全力。まだ子どもも子どもだから、全力で喜びを表現する。
そのパッション、というか感情の表現。たまにうっとうしい思いつつ、まあかわいいよね。
とある友人は、育児を「金の掛かる趣味」だと、表現していました。
ドライかつ、正直な思いを人に伝えられる彼女。逞しいし嫌いじゃないです。
我が家も犬猫ですが、語弊はあるかもですが、彼女と似たような表現の思い。
上っ面の言葉より、結果とても大事にしているので、と一応書いておきますが。
そう。
私、この二カ月、ちょいちょい文句なり、どうかしてるぜ的に、書いていました。
人に対して。日本人に対して。もしくは人類・・・
でもそれって、要は私の血縁のことだったりするんですよね。
他者において、血縁と同じ醜さを見出し、その部分を咎めている。的な。
口だけはいっちょ前、自分がかわいい、人の気持ちを理解せず、多様性を排除する。
文句と自己保身だけしていることに気付かず、結果と責任を伴う行動から、逃げ続ける。
そして、誰かをずっと、結果として騙しつつ、傷つけていることに、一切気付かない。
いや、それでも家族だから・・・って、私、さすがにフォローするの、やめたいです。
私は、一面からの批判のみに終わること、嫌いなので、基本多面で、モノを考えます。
だから、例えば対立する両側の、理屈や感情、そのメリットデメリット。
なんというか、両側の立場を、フォローするんですよね無意識でいつも。
親子関係でもそうだし、法に触れるニュースを見聞きしてもそう、市井の雑談もそう。
両側フォローしているとね、要はどちら側にも成れるので、
私は基本的に、どんな方とでも、一定の会話をさせて頂くことが、出来ています。
だから、一定の割合では、誰とでも仲良くなることが出来るし、
逆に、逆側の人間にも成れるので常に考えるので、ともすれば、人を傷つけるのは簡単です。
もちろん、誰かをわざわざと、傷つけるなんてことは、愚かで極めて幼稚なこと。
だけど、あまりにね、ふざけるなよってときはね、それは力を行使します。
それはどうしょもない部分のある、この間の巨大企業もそう。
介護職、ペット業界にいたときの、勘違いしていたお局さんにもそう。
(それこそ血縁もね、血縁だからってフォローしてたけど、我慢の限界、ありますそれは)
私は一見、そして声が、無害っぽいアレなので、だからなのかな?
要は力の行使を垣間見せると、相手の方は大体慌てます。
力って、理屈とか心理的なこと。
体の線は細いから、理性のある人間なので、言葉や声、表情や目線、などですね。
おかしいと思うことを、理屈で伝え、相手の言いそうなことを、先に言う。
想定される反論を先に潰し、逃げ道を作り、逆に知らないこと教えてもらえれば感謝。
って、やり口は、己を守るために備わった、やり方は自然体。
私は多面を考える故、多面性がときに怖いだとか、言われてしまいます。
ふだんはおっとり、にこにこ。気さくなのか、とにかく子どもっぽい人。
そういう面を表に、無意識で出しているので、応じてくれる人も舐める人もそれぞれ。
なんかみんな、純粋なんだなって、思って、羨ましいのが本心。の一部です。
onとoff。それくらいしか使い分けているようにしか見えない。大体の人。
純粋というか、単純というか、それぞれの芯が有るというか一本調子というか。
それこそ、人は人で、私は私。
よそはよそで、うちのやり方は、あるよね。
でも、だからこそ、
誰とでも、或る程度仲良くなれる気は、少なくとも今までは結果を見ても、するけれど、
換言すれば、もしくは誰とでも、仲良くはなれないような気がします。
平たく言えば、相手に合わせるから。
それぞれの主義や、感情に、同調することはお得意。考えてるもん。
でも逆に、そういうことばっかしてるから、己の本心や目的が、よくわからない。
人とつるみたくはないけれど、やっぱり一人は寂しいし、
どこにでも転がる、人の広義で野安易さと、つっこみどころを見れば、おかしいって、思う。
合わせてばかり、多面を考えてばかりだと、疲れます。
例えば人と話していても、同調や差しつかない程度の疑問と主張を伝えつつ、
その人と逆の考え方、別の人の考えを、想像して詰めていたり。もしくは笑いどころや返す言葉も考えていたり。
なんで、こんなにも、とにかく考えてしまうのだろう。
一言で言えば、刷り込みと、育成環境と、己を守るためなのだろうけど、
こんな小心者が身に付けた生き方は、すごく疲れます。たぶん、だから、なのでしょう。
本来の意味で、己を守ることが、難しいタイプなんだよね。
他を尊重まではいかなくても、想像して考えて、そこにいない立場までフォローする。
そうして疲れ切ってしまうを続けていると、
本当に守りたいモノを守る力、たぶん身につかないのかもしれないね。
シンプルだミニマムだか知らないけれど、或る程度”絞って”いくことは、
私の当面の、せめて彼らが生を終えるまでの、課題なのかもしれません。
私、体の調子はずっと冴えなくて慢性的は固定化的で。
でも、だからこそ利用させてもらえる、お国の制度もたくさんあります。
一見は、健康面では普通の人に見えるみたいだから、
妙な気も遣われることはないし、だからとても、恵まれてはいるんよね。
小心者がときに見せる鋭さ? いや、鋭利な部分。
それははりねずみの針のようなもの。
まさか誰かを傷つけたり、内側に食い込ませて己で痛んだり。
それは用途が違うから、その針で、また、何かを創ったりする方を、選びたいのです。
鋭利な針はね、攻撃も出来るけど、何かを縫ったり描いたり、そういうことも、出来る。
”出し入れ” で疲れ果てるよりは、もう少し、要は身になる使い方、きっとあるでしょう。
あかん、もうすこしねむい。
体毛豊富な生きものと、viva二度寝、してきます。
おやすみなさい。ほなまたCUです。
shatam