発掘にまつわるエピソードを尋ねると、出席者らは「今なら言える」とマイクを握った。当時、全長が6.2メートルに達する統一新羅時代の木船を移す途中、船が真っ二つになった。崔秉賢・名誉教授が「1500年以上も埋まっていたので、外からは完全に見えても中はスポンジ状」と言うと、金東賢・元団長も「作業員数十人がかりで移したが、何人かが力を入れなかったのか、木が曲がって真ん中がばらばらになった。その日、私は辞表を書いて文化財管理局長に送った」と語った。
14面体のさいころが出土し、乾燥機に入れて乾かしたら遺物が燃えてしまったことや、男性器をかたどった木簡が出土して、みんな触ってみようとしたこと-などが次々と明かされた。
■「家2軒分の『金一封』をもらった」
1975年7月2日、当時の朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が、娘の朴槿恵(パク・クンヘ)現・大統領を連れて発掘現場を訪れたときの逸話も登場した。金東賢・元団長は「大統領が調査団員一人一人と握手をしてから後ろを振り向くと、チャ・ジチョル警護室長がポケットから封筒を出した。200万ウォンという大金が入っていた。当時、家2軒分になる金だった」と振り返った。「後で調査団員全員にそれぞれ2-3万ウォンずつ、1年6カ月間、毎月金一封をくれました。それをためて、団員は家を買い、貯金もしたんですよ。こんな話、初めてしました」。
この日、長老たちは、現在まさに進行中の新羅王京遺跡発掘について「どうかゆっくりと、あせらずに」と重ねて注文した。「発掘も、結局は遺跡の破壊ではないですか。遺跡は、一度壊したらそれっきりです。落ち着いて調査し、整備できるものは学界にまかせてください」