韓半島(朝鮮半島)で初の近代博物館は、暗うつな時期に誕生した。1909年11月、大韓帝国最後の皇帝・純宗が国民に開放した「帝室博物館」だ。純宗は近代化という大義名分を掲げた日本の圧力に抗しきれず、博物館を開設したが、その後は信念を持ち、内容を充実させた。1908年から全国で遺物の収集を始め、開設からの10年間で遺物の数は1万122点に達した。
このとき収集した最も貴重な遺物が、国宝第83号の金銅半跏思惟像だ。純宗が1912年、日本人の古美術商に2600ウォン(現在の価値では約30億ウォン=約3億2000万円)という大金を渡して購入した。国宝級の高麗青磁1点が100ウォンだった時代だ。帝室博物館は庚戌国恥(日本による韓国併合)の後、「李王家博物館」に格下げされたが、当時の古美術商が40ウォンで購入した遺物を、その65倍もの高値で買い取った。そのような悲壮な覚悟がなければ、半跏思惟像はほかの遺物のように、海外に持ち出される運命を免れなかったかもしれない。
また、このころには別の半跏思惟像も登場した。国宝第78号の半跏思惟像は、日本人の収集家を経て、1912年に初代朝鮮総督の寺内正毅に上納された。寺内は帰国に先立ち、16年にこれを総督府博物館に寄贈した。所蔵品の多くを持ち出す一方で、半跏思惟像は手放したというわけだ。これについては「李王家博物館が2600ウォンも出して半跏思惟像を購入したことで、当時の朝鮮では『半跏思惟像シンドローム』が巻き起こっていた。それと同じ価値を持つ遺物を本国に持ち帰るには負担が大きかったのだろう(ファン・ユン著『博物館の見方』)」という見方がある。
現在、国立中央博物館で行われている「古代仏教彫刻大展」には、二つの半跏思惟像が並んで展示されている。1点ずつ交代で展示されていたものが、11年ぶりに同じ場所に展示されたのだ。今回の特別展では、草創期の中国の仏像に似ていた韓半島の仏像が次第に独自の形を確立し、半跏思惟像を通じてその芸術性や技巧が最高潮に達する過程が一目で分かる。世界各地から借り受けた、インドや中国の最高級の仏像を観覧した後、最後に二つの半跏思惟像に出会ったときには、涙が出るほど胸を打つものがある。