こんばんは。
今日から11月ですね。はやいなあ。
昨日は休日出勤だったり、仕事がバタバタしてたので、余裕がありませんでした。
最近インプットが多いので、アウトプットも増やしたいところです。このバランスが悪いとなんだか調子が良くなくて。。。
話は巻き戻りますが、前回、中学校に行かなくなった理由を書きました。
今日は、
「学校に行かない」
という選択をすることで何か起こったかを、書いていこうと思います。
ただ、これは学校や教育委員会によって対応が違ってくるもので、
あくまで私の経験であることをご了承いただけると幸いです^^
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前回も書きましたが、いじめが原因で中学校2年の11月に、学校に行かない宣言をした私。
その後、1週間ほど自分の部屋からほとんど出ず、やっとの思いで別室登校するようになりました。
欠席日数が増える
当たり前といえば当たり前のことなんですが、
学校に行かないので、欠席日数が増えます。
私は、たしか3年間で60日くらいは休んだかな・・・。
幸い(?)、保健室か特別支援学級で過ごせていたので、教室に行かなくても別室登校は登校日数にカウントされていました。
「多い」と感じるかどうかはみなさんそれぞれかと思いますが、
私の所感では、完全な不登校状態と比較すると、欠席日数は少ない方だと思います。
ただ、これは高校受験の時、不登校生徒対応をしていない高校(進学校など)を受験する時は非常にネックになるようです。
「高校受験」において、学校に来て授業を受けてる子たちと同じ土俵にあがることは、この時点で不可能になります。
通知表は斜線だった
当時の私は、
「学校には来ているものの、教室で授業を受けず、別室登校。でも、一応中間・期末テストは受けている」
という状態でした。
先ほど「高校受験」について少し触れましたが、受験につながる成績評価についても現実は厳しかったです。
通っていた中学は3学期制でした。私は中2の11月から授業を受けていないので、中2の2学期の成績は、つけてもらえました。
ただ、それまで5段階評価で3~5だったのが、1と2ばかりになりました。
そして、全く授業をうけなくなった中2の3学期以降は、全部斜線でした。
教室で授業を受けていないから、評価の対象外という判断でした。
これは、学校と教育委員会によって異なってくるそうです。
筋は通っているし、もう仕方ないと思いました。
でも、初めて斜線の通知表を受けとった時は、まるで自分が
「人として規格対象外」
と言われているかのようで、辛かったですし、
「どんなに人のこと傷つけても、ちゃんと学校行って、授業受けて、先生に気に入られるようにしている人の方が勝ちなんだ」
と思いました。
そして、毎回、プレッシャーでした。
通知表って、先生のコメント欄のようなところがありますよね。
そこに、中2の2学期は
「3学期は、教室に戻れるといいですね」
結局一度も戻れず、中2の3学期は
「3年生になったら、教室に戻って授業を受けましょう」
中3の始めのころ、一度は戻ったものの、
「何でいるの。来ないでほしいんだけど」と言われ、また行けなくなり、
中3の1学期は
「2学期は、受験も始まります。好きな科目から授業を受けましょう」
と書かれ続け。。。
通知表は、当たり前のことができず、周りの人の求めに応えられない、規格対象外の自分をつきつけられているようで、大嫌いでした。
巻き返しできないくらい、勉強できなくなった
学校に行かない、教室に行かないということは、
周りの子たちが学年相応にやっている勉強をしていない、ということにもなります。
自宅学習とか広がりつつあるので、一概には言えないですが><
なので、私は取り返しがつかなくなるくらいに、勉強についていけなくなりました。
特に、苦手だった数学と理科。
みんなが授業を受けている時間、私は保健室か特支学級で、ただじっと机の上を見ているだけ。
「こんなんじゃいけない」と思っていても、先生を目の前にすると硬直してしまい、勉強どころではなく、
受験に進んで行く周りから、たった一人置いて行かれたような、絶望感と諦めを感じていました。
私は今でも、中学の数学の問題、教科書か参考書がないと解けません。
定時制でも数Ⅰしかやっていませんし、定時制の授業はそもそものレベルが低いので、
就職活動時のSPI試験、ほんとに辛かったです。
あれを突破するために、大学院1年の時、小学校からやり直しました。今でも、周りの人が当たり前に理解していることを、最低限のベースのレベルも理解できていない自分と直面することはあります。
時間の使い方が変わる
別室登校の時の私の一日は、
朝、登校時間10分すぎくらいに保健室に登校。
保健室に鞄置いて、椅子に座る。もしくは、鞄置いて特別支援学級に行く。
ひたすら折り紙を折り続ける。もしくは、英語だけ勉強する。
下校時間10分前に下校。
というものでした。
極力、他の生徒に会わないように時間をずらして学校にいました。
みんなが授業受けてる間は、じっと机を見ていたり、
不安な時はとにかく折り紙を折って手を動かすことで不安を解消してました。
それが今でも残っていて、私は無意識でガムやお菓子の包み紙で鶴を折ってしまいます。。。苦笑
少し気が楽な時は、英語の勉強をひたすらしていました。
今はそこまで英語好きじゃないんですけど、何で当時あんなに好きだったかなと振り返ると、
日本語でコミュニケーションをとることがこわくなっていたからだな、と思います。
他の言語でコミュニケーションをとったり、他の言語を使っている自分は、まるで別の私になれたような気がしていて、それが嬉しかったのかもしれません。
そのおかげで、他の勉強に追いつけない分のめりこみ、のめりこみ、中3で英検2級合格しました。それが救いでしたね。
私の時間の使い方は、嫌いなことは一切せず、とにかく自分で自分を守る使い方をしていました。
一方で、「このままでいいのか?」とも思いましたし、
「あいつ楽してんな」と言われた時もあり、
複雑な思いでした。
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今日は、感じたことよりも、事実ベースで書いてみました。(私にしては。笑)
「学校に行かない」という選択をすることって、
失うものは正直とても大きいと思います。
でも、当時の私が「学校に行く」「教室に行く」という選択をしていたら、
失っていたのは命かもしれないと思うと、
自分が感じたことに正直になれたのは、あの時はほんとに辛かったけど、よかったのかなと、今は思えます。
今日書いたことが何かしら、みなさんのお役に立てれば幸いです^^