選挙権の年齢が18歳以上になるのを受け、文部科学省が高校生の政治活動を一部認める通知を出した。

 政治活動は、憲法が保障する表現の自由に根ざした権利だ。学校は、生徒が政治を語り、行動する自由を尊重することを原則にすべきである。

 旧文部省は1969年の通知で高校生の政治活動を「国家・社会としては行わないよう要請している」として規制した。高校生が当時、安保闘争やベトナム反戦運動で学校の封鎖などをした背景があった。

 それに対し、今回の通知は、高校生が「国家・社会の形成に主体的に参画していくことがより一層期待される」とした。

 およそ半世紀ぶりの転換だ。

 すでに高校生は最近も安保法制に関する集会に加わったり、デモをしたりしている。見直すのが遅すぎたともいえよう。

 ただ、新しい通知には禁止や規制があまりに多い。

 校内の活動は原則として禁じた。認めたのは放課後や休日の校外での活動だけだ。学業に支障がある場合は、禁止も含めた指導を求めている。

 授業以外の生徒会、部活動などでの政治活動も禁止とした。

 生徒会が「平和宣言」を出したり、新聞部が原発政策の記事を書いたりすると、校長から待ったがかかる可能性もある。

 そもそも政治活動の定義が難しい。「特定の政党や政治的団体への支持や反対を目的として行われる行為」というが、集会や勉強会なども、とらえ方次第で禁止の対象になるだろう。

 これでは政治社会について考えたり論じたりすることを促すのではなく、むしろ逆効果になりかねない。規制で縛る「べからず集」なら出す意味がない。旧通知の廃止だけでよいのではないか。

 問われるのは、学校がどう指導するかだ。

 学校は教育基本法で、政治的中立が求められている。だからといって、生徒の動きに厳しく口を出し制限すれば、教育の場から政治が遠ざけられてきたこれまでの状況は変わらない。

 今の高校では政治を語る文化が消えている。学校は社会から閉ざされた空間ではない。教員は生徒と向き合い、相談に乗り、活動を後押ししてほしい。

 地域や保護者も学校を萎縮させず、生徒の成長のために協力してもらいたい。

 選挙権年齢の引き下げは、政治の判断ができる「大人」として、18歳を社会に迎え入れるのが狙いのはずだ。規制ばかりでは高校生が市民に育たない。