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直木賞作家 佐木隆三さん死去
11月1日 7時33分

直木賞作家 佐木隆三さん死去
実際に起きた連続殺人事件をもとにした小説「復讐するは我にあり」で直木賞を受賞し、刑事裁判を取材したノンフィクション作品でも知られる作家の佐木隆三さんが、先月31日、入院先の北九州市内の病院で亡くなりました。78歳でした。
佐木隆三、本名・小先良三さんは昭和12年に朝鮮半島で生まれ、今の北九州市で育ったあと、当時の八幡製鉄所に勤めながら執筆活動を始めました。
昭和38年に製鉄会社を舞台にした小説「ジャンケンポン協定」で新日本文学賞を受賞して、その後は文筆業に専念し、昭和51年に、実際に起きた連続殺人事件をもとにした小説「復讐するは我にあり」で直木賞を受賞しました。
また、小説に加え、地下鉄サリン事件や、昭和63年から翌年にかけて埼玉と東京で起きた幼女連続誘拐殺人事件などの裁判を丹念に取材したノンフィクション作品なども次々と発表しました。その後は活動の拠点を東京から北九州市に移し、平成18年からは北九州市小倉北区にオープンした「市立文学館」の初代の館長に就任するなど、文学の普及に向けた活動にも精力的に取り組んでいました。親族によりますと、佐木さんはがんのため北九州市内の病院に入院していましたが、先月31日朝、亡くなりました。

「豪快で明るく非常に優しい人だった」

佐木さんと50年来のつきあいがあった直木賞作家の古川薫さんは「4~5日前に入院先にお見舞いに行った際、佐木さんは意識はなかったが、手を握ると笑っていた。年齢は彼が12歳下だが直木賞を取ったのは彼のほうが早く大先輩だと思っていた。豪快で明るく非常に優しい人だった。犯罪や法廷を題材とした作品を数多く手がけてきたが、犯罪者を理解したうえで事件を書き進んでいくという社会性の強い作品が彼の文学でした。肉親を失ったような衝撃で、悲しいです」と話していました。また、佐木さんのエピソードとして「裁判では、かつてメモを取ることが禁止されていたが、『正確に伝えるためにはメモを取るのは当然だ』と運動を起こし、現在のようにメモを取ることができるようになったのだと思う」と話していました。

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