こんにちは、田中です。
今日は、論理でものを考えるときの2つの方法についてまとめます。
2つのやり方とは、演繹と帰納という方法です。
前提から結論を導くのが論理
何かを考えるとき、人は論理とか理由を使いますよね。
そのとき、人は前提をたてて、結論を導こうとします。
例えば、「彼は数学のテストが100点だった。今回の数学のテストは難しかった。
だから彼は数学の勉強をたくさんしたに違いない」という場合、
「彼は数学のテストが100点だった」という前提があります。
そして、「今回の数学のテストは難しかった」という前提があります。
だから、「彼は数学の勉強をたくさんしたに違いない」という結論があります。
このように、「~だから」の前にくる主張を、論理学者は前提と言うそうです。
そして、「だから~」の後にくる主張のことを、論理学者は結論と呼ぶそうです。
そして、前提から結論を導こうとする活動を、論理学者は推論と呼びます。
で、前提から結論が導かれるとき、その推論のことを論理学者は妥当と呼びます。
論理学者が興味を持つのは、前提から結論が導かれるのかどうか、だけなのです。
だから、前提の主張が正しいのか間違っているのかどうかは、論理の問題ではないのです。
例えば、「彼は数学のテストが100点だった」という前提の主張と、
「今回の数学のテストは難しかった」という前提の主張が、正しいのか間違っているのかは、論理とは関係ないのですね。
論理で大事なのは、この2つの前提の主張がもし真であり正しかった場合に、「彼は数学を勉強をたくさんしたに違いない」という結論の主張が導かれるのか、ということなんです。
それで、前提から結論を導くやり方には、演繹というものと、帰納というものの2つがあります。
1つずつ整理してみます。
1.演繹
1つめの推論は、演繹と呼ばれるものです。
演繹とは、前提の主張が真であれば、必ず結論の主張も真になる推論です。
前提の主張が正しくて、真であるならば、結論も絶対に真にならないといけない、というやり方です。
「AはBである」という前提があるとしましょう。
「BはCである」という2つめの前提があるとしましょう。
したがって、「AはCである」という結論があるとしましょう。
この推論は、2つの前提がもし正しいならば、必ず「AはCである」という結論が出るはずですよね。
「AはBである」が真で、「BはCである」が真であるにも関わらず、
「AはCである」という主張が偽であり正しくない、なんてことには、絶対になりませんよね。
このように、前提の主張が正しければ、結論の主張も必ず正しくなるような推論が、演繹と言われるやり方です。
演繹によって妥当な推論を、演繹的に妥当な推論というらしいです。
2.帰納
2つめの推論のやり方は、帰納というものです。
帰納とは、前提が正しくても、結論が絶対に正しいとは言えないような推論です。
例えば、「彼が数学のテストが100点だった」という前提が正しくて、
「今回の数学のテストは難しかった」という前提も正しかったとしても、
「彼は数学の勉強をたくさんしたに違いない」という結論の主張が絶対に正しいとは言い切れませんよね。
なぜなら、彼は数学の天才で、もう数学の才能がすごくあって、全く数学の勉強をしなかったけど、数学のテストで100点をとった、と言う可能性もあるからです。
実際には無いと思いますけど、でも、数学の勉強をしないでテストで100点をとった可能性がありますよね。
それに、ちょっとしか数学の勉強をしていない、ということもあるでしょう。
このように、前提の主張が正しいだけでは、結論の主張が絶対に正しいとは言えないような推論のことを、帰納といいます、
言い換えると、帰納的に妥当な推論は、演繹的には妥当でない推論です。
なぜなら、演繹的に妥当な推論とは、前提が正しければ必ず結論の主張が正しくなるようなやり方だからです。
ややこしいですけど、けっこう面白いですね。
まとめ
・妥当な推論とは、前提から結論が導かれる推論である。
・演繹とは、前提が真であるなら、結論も必ず真になる推論のやり方。
・帰納とは、前提が真であるからといって、結論が必ず真になるとは言えない推論。