徹子の部屋 八代亜紀 2015.10.26


不正に流出していたと報告しました。
このうち、およそ3500万円は今も、使途不明になっているということです。
元常務らは、業務上横領罪などにあたる可能性があるとしています。
三翠会の理事長は「報告書の内容を真摯に受け止め、今後、不祥事
(黒柳)さあ皆さんこの大草原に立っていらっしゃる方はどなたでしょうか?本当に大草原ですよね。
向こう全部が芝生なんです。
この方です。
どうも。
お笑いになっていらっしゃるこの方が…。
お願いします。
モンゴル…モンゴルの大草原へいらしたんですってね。
行ってまいりました。
すごい。
ようございましたね。
よかったですか?もう行けども行けどもずっともう大平原でした。
大平原。
八代亜紀さん今日のお客様です。
お願いします。
八代さんはもう歌もお歌いになるんですが歌も歌謡曲からジャズからブルースから色んなものをお歌いになります。
はい。
絵もお描きになります。
いつもお元気。
元気です。
何よりでございます。
よろしくお願いいたします。
お願いいたします。
さてあんな広いところいらっしゃって前から行きたかったんですか?ああいうところ。
今回ですね大使が「ぜひ見てほしい」と。
モンゴルの?はい。
「あの平原すごいですよ」って仰って。
「満天の星空でもうすごい」って言われてもう夢いっぱい持っていったんですね。
全然満天の星空見られなくて。
嘘!なんで?夏ですと地が暖かいので…冬場にならないと見えないみたいです。
なんか曇っちゃうんですよ。
でもここで満天の星が見えないっていうのはどういうことでしょうね?冬場だと見えるんですやっぱり。
ここ今冬じゃないの?ここ冬じゃない?冬じゃないのでまだ。
まだ暑いんです。
あなたいらした時暖かかったの?はい。
暑かったです。
26度。
ちょうどいい気候です。
何月にいらしたの?この前。
この前?それなのに星が見えない?見えなかったですね。
軽井沢だってものすごく奇麗な星見えますよ。
そうです。
見えます。
それなのにモンゴルで見えない?はい。
見えませんでした。
そうですか。
モンゴルは星が見える時行って…。
行ったほうがいいですね。
でもその時寒いですからね星が見える時は。
それはそうですよね。
馬なんかいました?馬子馬。
もうですね700キロ走るんですよ大草原を。
700キロをこういう…。
自動車で行って?はい。
走りますともうね牛さんの群れ羊の群れヤギの群れラクダの群れ馬の群れ。
たくさん…。
うわー可愛い。
草原にいるの?そうなんです。
えー。
この子たちがもうそれぞれ1キロ範囲内にいるんです。
すごい…すごい初めて…。
馬には乗りませんでした?乗らなかったです。
何にも?ラクダにも?はい。
ラクダの背中知ってました?ラクダの背中軟らかいの知ってます?何回も乗ったことあります。
本当ですか?ラクダはでも乗りやすいようにもう色んなものでがんじがらめにしてるから乗るところはやっぱり硬いですよねちょっとね。
落っこちないように。
コブが軟らかいの知ってました?コブそのもの?軟らかいの知ってました?そんなに触ったことないけどあれはそんなに硬いもんじゃないっていうのは知ってます。
もうね風船に水入れた感じですよ。
そんなに軟らかい?ホインホインってしてるんです。
コブが。
あのコブが?そう。
びっくりしました。
フニャフニャってしてるの?もうね風船に水入れて背中に載っけて走ってるみたいなんですよ。
ホインホインホインホインってしてるんですよ。
その後ろなり前なりに人が乗った時にそれがフニャフニャ…ってしてるの?だからコブはもうフニャフニャフニャフニャしてるんですよ。
乗らないのに触ったの?そうそう。
乗らないけどもう見てわかる。
フフフッ。
でも私…。
見てわかりますよ。
でも私ラクダのコブがフニャフニャしてるって聞いたことないわね。
本当ですって。
本当?本当。
目の前をだって何百頭も歩いていくんですから。
それがみんなフニャフニャフニャフニャ?見たらフニャフニャフニャフニャしてるんですよ。
本当に?じゃあ今度聞いてみますよ。
どこか行って。
えーとですねVTRをちょっと見ていただこうと思うんですよ。
ご主人のお話をちょっとしていらっしゃる。
本当?ご夫婦のお話です。
仲がよくていらっしゃるんですけどもちょっとご覧ください。
はい。
「3年半…ご結婚なすってまだご主人と2人だけになるっていう機会はないの?」「うーんそうですね…2人だけに…本当1日2人だけっていうことは一度もないです」「それも…。
じゃあ2人だけになりたいわねっていう気持ちもそんなにはないの?」「どうしたらいいかわからないんです2人だけになったら」「2人でどこかちょっとだけでも2〜3日の旅行行かない?とかそういうのもないの?」「ないですね」「2〜3日旅行行くにも“誰連れていく?”ってまずそっちのほうからきちゃいますね」「集団?」「集団です」「本当に?」「はい」キャー…。
そうなんですって。
元マネジャーでいらっしゃった方がね…。
そうですはい。
あれなんですけども。
今はその後どうです?今もないです。
本当に?2人だけはないです。
じゃあモンゴルは?モンゴルも5人…6人ぐらいおりました。
6人ぐらい一緒に…。
どうして2人にならないのがいいの?恥ずかしいし…。
恥ずかしいし?恥ずかしいです。
なんで?だって喋るのないですもん喋ること。
喋ることなくたってだって「今日面白かったわね」とか「草原はすごいわね」とか何かあるでしょ?そういうのみんなと話すのが好きです。
変な人だな。
みんなと「草原は広いわね」って話すのは好きだけどご主人と2人だけで「すごい草原ね」とかってそういうのはないの?はい。
わからない…。
「おなかすいた」とか「喉渇いた」とかはありますけど。
それはあなた用事してもらおうと思うから…。
ねえそれ違う?「はいはい」と…「はい飲みなさい」とか言って作ってくれますし。
本当?それ優しいわね。
これ何してるところなの?あなたこれ。
これ何してるって…黒柳さんこれゲルです。
これはゲルだけどあなた何か手に持っていらっしゃるのかと思ったの。
持ってない。
これお洋服なの?こういう。
ごめんなさい。
衣装です。
なんかね縫い物をしてるものをあなたが手に持ってるのかと思った…。
いいんですいいんです。
前身頃。
これが後ろ…。
あら?ゲルの中?ホテルです。
ホテル?はい。
ホテル…。
ちょっと見えてるのがベッドですか?あれが。
ベッドですはい。
旦那様とあなたが泊まるベッド?登君の小さいの。
私のはダブルなの。
これは「お願いします」と言ってから作るの?それとも作ってあるところへ入るの?もう向こうで作ってあるんです。
へえー。
ゲルっていうのは住み心地はどうです?うーん…住み心地?ベッドがやっぱり硬いし…。
これはどうなすったの?ここ?ここはゲルのところの宴会場です。
スタッフと。
これだけ行ったんですこれだけで。
みんなで。
皆さんスタッフね?そうですそうです。
そこで宴会したの?向こうのシンガーなんです向こうの人。
立ってるの。
白い人?はい…歌ってくれてて。
向こうの歌歌ってくれるの?そうそうそう。
聴いてたんですけどはい。
えー。
大使の招待なので…。
そうか。
もうすごいVIP扱いで。
VIP扱い?非常にいい思いしましたけど。
それはようございましたね。
でも過酷でした。
えっ?過酷でした。
あそこまで何?あれで行くの?7時間ぐらいかかるんです。
車で?はい。
あなたはとっても素晴らしいことにはなんか八代?あなたのご出身の。
校歌を…?清流高校でしょ?うん。
校歌を作りました。
そうですってね。
どういうことからそれはお作りになったの?あのですね校歌はですね校長先生がですね…。
熊本県八代?はい。
子供少なくなって合併するっていう一つの…統合しちゃうっていうことになったんですね。
それでぜひ校歌をっていうことで依頼にいらしたんですよ。
でも校歌は言葉を難しく作るのが大体校歌ですよね?ええそうそう。
だから「私には無理です」ってお断りしたんですけど「常に八代さんいつもステージで仰ってることで…言葉が欲しいんです」と仰って。
「それでいいんですか?」って言ったら「その言葉が欲しいんです」と仰って。
「あっじゃあ…」ってすぐ作りました。
すぐできました。
そう。
みんなが歌ってくれました?みんなもうすごく…「いい歌をありがとう」って…。
それでは正しくは学校の名前は熊本県…。
八代清流高等学校。
はい。
そこの校歌。
はい。
お作りになったのはこの方です。
はい。
では聴いてみましょう。
聴いてください。
素敵ね。
難しい言葉が入ってなくて。
そうなんですはい。
だからとてもねわかりやすい…子供たちが親しく歌いそうな。
そうなんですはい。
そして何かわからないことは学ぶの…学校が学ばせてくれるところだから学舎に行こうっていう…いつも言ってる言葉を書いただけなんですけどね。
そうなの?子供たち何か感想言ってました?子供たちがすごくもう「いい歌をありがとう」って言ってくれて。
そう…。
はい。
みんなもう泣きだして。
行きました時にね全員で…校歌全員で大合唱してもう感動でしたすごく。
本当?泣いてくれる子もいたりして?はい。
すごい泣いてて…はい。
うれしいですね。
それはよかったですよね。
音楽おやりになってて本当によかったですよね。
うれしいですはい。
トットちゃんの学校ではみんなが…校歌がなかったの。
あら…。
「校歌欲しい」「校歌欲しい」ってみんなで言ったら校長先生が「作ってやる」って。
「みんなじゃあ来い」って言って黒板持っていって…。
「校歌欲しいんだな?」って言ったから「欲しい」って言ったらね…。
「トモエトモエトモエ」ってトモエっていう小学校なの。
「はい」って…「これ校歌?先生」って言ったら「そうだよ」って言ったから「こんなのじゃいらない」って。
私がそれでね「前の学校はすごかった」って言って…。
「洗足池は浅けれど」って歌って「このぐらいのがいい」って言ったらさ…。
「トモエトモエトモエ」って言うから「いらないよね」って。
みんなで「先生いらない」って…。
今思えば「トモエトモエトモエ」でもあればよかったなと思いますけれどね。
本当ですか?うん。
もう学校なくなっちゃいましたからね焼けたりなんかして。
あなたも本当にあれですよね?色んな人生…。
そうですね。
やっぱりこれも両親が本当苦労して育ててくれて。
なんか両親が大好き…お父さんお母さん大好きなんです私。
でもお父様割と早くお亡くなりになったんでしょ?そうなんですもう…。
この世でこんな悲しいことがあるのかと思うぐらい…。
お父様は60代で亡くなったの?60代で亡くなりましたから。
随分お父様ハンサムな方なんですね。
そう。
モテてモテて大変だったみたいですよ。
でもあれでしょ?お父様とお母様は駆け落ちしてそれで暮らし始めたので大変生活が大変だった?でもそれを全然出さずに明るくていつも色んな人が遊びに来てる家だったんですね。
そうなの?はい。
そういう意味では尊敬ですよね。
えこひいきしないの両親は。
そうなの?あなたが33年前の…『徹子の部屋』にいらしてくださった時にねちょっとそんなお話を…してくださってるんですよ。
ちょっとご覧ください。
はい。
「修学旅行の時にね帽子をね買ってもらってその帽子をとても喜んでお父さんにね名前を書いてもらって」「それで帰る時にね…汽車で帰る時にね私ね外向いちゃって…顔出しちゃったの」「窓から?」「うん」「そしたらねその帽子がね飛んでいったの」「ですごくねお母さんとお父さんのね分身がね飛んでいったみたいな気がしてね子供ながらに“汽車を止めて!止めて!”って先生にね泣いてお願いしたの」「だけどそれはとても無理なね…無理なことなんで“もう諦めなさい”って先生がね仰るんだけどすごくね諦められなくてね」「ずっと帽子が落っこったところだけねずっと見ながらねもう泣きながらね…」「もう本当にとっても悲しかったの」「そうでしょうね」「ええ」でもあの時かぶっていらした帽子も可愛かったねあなたね。
よくお似合いでしたね。
本当ですか?なんかベレー帽かぶってましたね。
ベレー帽かぶってね。
そのことがあったからだと思いますけどね。
そうですね。
でもあれはもう今でも思い出すんですけども…麦わら帽子?リボンの付いた。
お父さんが買ってきてくれたのに今頃どこにいるのかな?とか夜も…。
小説みたいね。
そう。
どこにいるのかな?とか考えちゃうんですよね。
はい。
今でも…何十年経った今でもどこかにあるような気がするでしょ?そうなんですよね。
どこかに一人で寂しくいるのかな?とかねそう考えちゃうんですよね。
「父さんあの麦わら帽子はどこにあるんでしょうね?」ってね。
映画とかにも…小説になりましたけどね。
そう。
でもお父様とお母様がどんなに貧しくてもそうやって駆け落ちするぐらい仲がよかったっていうのがうれしい?そうですね。
でもやっぱり若いからケンカも派手でしたね。
夫婦ゲンカ。
派手でしたね。
何弁でするの?八代弁で。
どんな…?「馬鹿たれが!」みたいなお父さんが…。
お母さんがやっぱりひと言多いんです。
お母さん例えばどういうふうに多いの?「せからしか」ってお母さんが言うんです。
えっ?「せからしか」って言うの。
お父さんがガンッて言うとね「せからしか」って言うんですよ。
「うるさい」っていうことですね。
「うるさい」ということを「せからしか」?お父さんは「なんばせからしかか!」って来るんですよ。
するとお母さん逃げ腰で「せからしか」って言うんです。
お父さんがウワーッとなるんです。
もうその時お母さんいないのそこに。
いないんですそこに。
もうあの辺走ってますから。
そうなの?そうそう。
そういうのを見てましたから…。
「うるさい」って言ったあと?「せからしか」って言ったあとあの辺にいますからねお母さんは。
そうなの?お父さん追い付かないの。
お母さんのほうがねリレーの選手だったから。
お母様は?そうなの?お父さんが遅いんです。
じゃあお父さん追い付かなくて結局大ゲンカにはならない?フフフ…。
そう。
そういう夫婦でしたねすごくね。
そうなの?そういう仲のいい夫婦を小さい時ご覧になったっていうのは本当にいいですよね。
だから人をやっぱり愛してえこひいきしないでおいしいものを一緒に食べようと。
自分たちだけで食べるんじゃないんだよってみんなで食べようと。
そのほうが楽しいだろうっていう…いつも父は言ってて。
そう…。
いい環境でお育ちになりましたね。
ここがすごいいい環境でした。
本当本当ね。
八代さんはボランティア活動を40年ぐらい前からなさっていらっしゃるんですけど特に少年たちの…?少年院と…少年院と女子刑務所ですね…。
うん。
続けてまして。
やっぱり最初の依頼は受刑者の女性が普段は幸せだったけども…。
んっ?幸せだったんですけども旦那さんの仕事がうまくいかなくなって酒を飲んで暴力振るうようになって自分が殴られるようになって…自分だけなら我慢できたけど子供も殴るようになってっていうことで傷害罪で殺人ですよね。
そう…。
だからその…私それを聞いた時にねどうしてもその…「もう一回聴きたい」「塀の中でもう何十年出られないけど聴きたい」っていう手紙だったんですね。
あなたの歌を?はい。
それで行くことになったんですけども。
そこであなた歌を歌うんでしょ?そうなんですよ。
最初だから…初回は歌えなくて歌えなくて。
涙出ちゃうの?もう…だって受刑者の人を見たら名前がなくて番号なんですね。
番号で何百人の人がもう…うっ…ってもう手を押さえて声を出して泣いちゃ…ウワーッて泣いちゃいけないんですね。
手を押さえてうっ…うっ…ってこう泣いててそれを見たらもうとっても歌えなくて。
非常に情けないんですけども『なみだ恋』歌う時に「よ〜」ってかっこいい…「よ〜」って歌わなきゃならない…。
「よ…る…の…」って歌っちゃって…。
しっかりしなさいっていう感じですよね。
だけどみんなはあなたがわかってくれたと思ったでしょきっとね。
そうなんですよ。
もうつらかったですね。
2回目からはもうちゃんとして…あっちゃんとしなきゃみたいな感じがありましたけどね。
でもすごいですよ。
日本中何回も歩いてるんですね?はい。
もう全国2回…2行程全国回りましたね。
そう。
はい。
やっぱり新聞とかで…ありますでしょ?つらいすごく厳しい事件。
そういう人もいたりとかですねしましたね。
そう…。
若い人からいます?若い人も…今若い人多いですね。
そう。
すっごく多いですね。
ふーん。
当時行った時は…最初の頃はねもう白髪のおばあちゃまが…5〜6人白髪のおばあちゃまがいらしたんですよ。
真っ白の髪で。
「あのおばあちゃまたち何したの?」って…「何をしたの?」と看守の方に聞いたら40代だった…。
髪の毛真っ白なのに40代?もう80か90歳ぐらいのおばあちゃまかと思ったら40代ですって。
もうショックでしたねすごく。
そういうところに入ってるとそういうふうになるんでしょうね。
ショックでしたすごく。
絶句ですよね。
ご自分の歳よりもしかしたら若いかもしれないのにね。
若かったんですけど…。
「みんなもし出てきたら私のコンサートに来てください」って言ったら本当に来てくださる人があったって?必ず最後に…ひと言最後に歌終わったあとにね「今日は皆さんありがとうね」って。
「頑張って卒業して…頑張って卒業したらコンサート…どこかで八代亜紀コンサートって見たら訪ねてきてね」って言うとみんなうっ…って泣くんですけど何度かあります。
「卒業しました」って。
そう。
一度ねおばあちゃまがね孫をおんぶして…卒業した女性とおばあちゃまとお孫さんと。
そう。
うん。
幸せそうな顔して。
おばあちゃまに「どうですか?」って言ったら「頑張ってくれてますよ」って…。
その赤ちゃんはその人の子供らしかった?その人の子ですねはい。
「よかったね」って「頑張んなきゃ駄目だよ」とか…。
「ついてるよ。
ついてるよ」とか言って。
「八代がついてるからね」って言うとね「はい」って言ってくれてました。
そう。
1人でも2人でもそういう人がいたらねあなたがおやりになっていらっしゃることがねためになってるっていうことですものね。
そうです。
あなたは大草原に行ったかと思うとこの7月にはメンフィスにいらっしゃってなんかプレスリーのお家のほうにもいらしたんですって?はい。
プレスリーのお家ってどんな?やっぱり素敵ですね。
白い館で…。
写真ありましたよねなんか…。
あっこれ?はい。
大きいね。
はい。
敷地も広くて。
でも一部屋一部屋そんな広くないんですよ。
んっ?広くなくて住みやすい感じだったんですすごく。
へえーそうなの?でもプレスリーって元々は教会で歌を歌ってたっていう子供だからやっぱりね。
そうですね。
でもまあスターになっちゃったもんだからねあんなふうになったっていえばいえるんですけど。
そうですね。
あの辺であなたはブルース?ああいうものを習いたいっていうのでいらしたんですって?そうですね。
ブルースっていうのは元々は浪曲だと思うんですね日本でいうと。
ちょっと哀愁のある切ない…。
でも日本の浪曲はちょっとこうリズムも暗い…哀しいリズムですけど。
ええそうそう。
ブルースは言葉は哀しいけどリズムは楽しいんですよねすごく。
そのブルースから最初で…ブルースが最初で後に年月を経てリズム・アンド・ブルースになったりジャズになったりロックになったりしてるんですよね。
あなた浪曲できるような話…おできになるんでしょ?父の子守歌が浪曲でしたから。
お父様浪曲おやりになる…そうですもんね。
だからあなたが歌っていらっしゃるジャズ…時々聴いてるとこの方浪曲できるんだろうなと思って…。
本当ですか?本当ですよ。
うわーうれしい。
本当にそう思ってました私。
うわーうれしい!もうそれが…根っこにありますから浪曲が。
そう?ちょっとあなた最近お入れになったものの…ちょっと見て…。
ブルース…はい。
何でしょう?『GiveYouWhatYouWant』いやーあなた前から歌うまい方だとは思ってましたけどああいうものも絶対歌えるなと思って。
一緒ですから。
一緒なんですね。
『朝日の当たる家』あれもお歌いになったでしょ?ちょっと聴いて。
「TheycalltheRisingSun」「Andit’sbeentheruinofmanyapoorboy」「AndGodIknowI’mone」いやー。
こういうのとか『セントルイス・ブルース』だとかひところねずっとはやりましたからね。
はい。
でもこういうの全部お入れになったの?レコード。
はい入れました。
うれしかったですか?うれしいですねもう…。
この写真がまたね何というか色っぽい。
本当ですか?これはどういうおつもりの写真なの?これは。
これはですね悲しい歌を歌いたいっていうのがブルースだったんですけども。
悲しい歌の哀…哀ね哀愁の「哀」ですね…の歌『哀歌‐aiuta‐』っていうことでタイトル決まってブルースっていうことになったんです。
そうなの?それで『哀歌‐aiuta‐』って…。
そうなの?そうなんです。
えー。
じゃあこれを聴けばあなたのああいう色んなのが聴けるのね。
大好き私あなたがお歌いになるの。
うわーうれしい。
よく聴いてます。
ブルース系のほうの歌手になろうというのはなかったの?元々12歳でスタンダードジャズ父が買ってきて…そのジャズからスタートして後に流行歌手になって今演歌歌手。
あっそうそうそう。
そうなんですよはい。
だから全部父ですね。
そう。
浪曲・アンド・ブルースです。
ブルースなんですね。
本当にこの方のブルース素敵なんで皆さんお聴きになってください。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
どうもありがとうございました。
どうぞ。
2015/10/26(月) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋 八代亜紀[解][字]

〜夫婦でモンゴル初体験と女子刑務所慰問での秘話〜八代亜紀さんが今日のゲストです。

詳細情報
◇ゲスト
「演歌の女王」八代亜紀さんが登場!!スタジオでは、3年前に八代さんの地元・熊本県八代市の高校から依頼されて作詞・作曲をしたという“幻の校歌”を披露♪
◇番組内容
8月に夫婦でモンゴル旅行を体験した八代さん。以前から夫婦二人だけの時間を過ごすことが苦手で、今回も友人と一緒の不思議な旅になったと語る。また、少年院や女子刑務所の慰問で全国を回る八代さんが、受刑者との交流秘話を明かす。
八代さん最新のチャレンジは、ブルースの聖地・米テネシー州のメンフィスを訪れ、本場でブルース修業を体験した事。子どもの頃にジャズを聴いて歌手の世界に入った彼女のさらなる魅力を公開!
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/
◇解説放送
小松靖(テレビ朝日アナウンサー)

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
映像
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
日本語
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